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みだらな傾向に用心しなさいものみの塔 1973 | 12月1日
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身に及ぶことを知らなければならない」,また『ある人たちの罪は公に明らかに……なりますが,そのほかの人の場合も,その罪はおって明らかになります』という聖書の警告を無視しました。彼がみだらな傾向を助長させ,機会が訪れた時にそれを充足させて,あくまでもそうした行為をやめようとしなかったことに疑問の余地はありません。それは彼自身だけでなく,彼の家族や会衆にとってもなんと悲しいできごとだったのでしょう。―民数 32:23,口語。テモテ前 5:24,新。
男性の間にみだらな傾向が広く浸透していることの証拠は,ヌード写真や卑わいな冗談を呼び物にしたある種の男性雑誌が広く読まれていることに見られます。価格の上昇や読書に対する関心の低下のために,雑誌が次々と廃刊されてゆく中で,卑わいな記事を載せているそうした雑誌は増え続け,一部当たりの価格は決して安くないのに幾千万部もの発行部数を誇っています。
ある一流作家は女性雑誌の中でアメリカの主婦について語り,「アメリカの多くの主婦にとって最も内密な事がらは……自分たちが白昼,男性について[不道徳な]空想にふけることである」と書きました。その作家によると,こうした性癖が広く見られるだけでなく,中には,そうした空想に賛意を示す精神科医もいるとのことです。そうした白昼夢にふけることは,生活のけん怠感や,恋愛感情の欠如を切り抜けるためによい方策である,とそれら精神科医は主張します。しかし彼らは,そうしたとりとめもない夢があまりに強圧的にまた望ましくなり,平和な結婚生活が脅やかされる危険性についても警告しています。
みだらな傾向は,わたしたちの最初の親が犯した罪の結果もたらされました。というのは,そうした傾向は一種の利己心の表われであり,ちょうどアダムとエバが罪を犯した時にしたと同じように,神の律法よりも利己的な欲望を第一にすることだからです。
人類家族が死滅することのないように,創造者が人間のうちに異性を引き付け合う強い本能を植え込まれたことに疑いはありません。また,知恵と愛に満ちた創造者は,お互いが相手の楽しみ,喜び,幸福に寄与できるように男女両性をお造りになりました。
しかし,創造者は人間に賜物を与えただけでなく,そうした賜物のしかるべき用い方についても公正かつ知恵のある仕方で規定されました。たとえば創造者は,人類が飲食という楽しみをもたらす活動によって生き続けるように取り計らわれましたが,それは,人間が泥酔したり暴食したりすることを意図していたという意味ではありません。また,人間が自分の欲するもしくは必要とする食物を得るために,盗みを働いたり,殺人を犯したりすることを意図していたわけでももうとうありません。創造者のみことば聖書が暴食や泥酔,盗みや殺人を非としているのはそのためです。―詩 104:15。箴 23:20。ピリピ 3:19。ペテロ前 4:15。
性という神の賜物についても同じことが言えます。神は人間を男と女に造りました。そして,神だけがこの賜物のしかるべき用い方を人間に告げる権利を有しておられます。それゆえに,神のことば聖書は姦淫や淫行を禁じています。(ヘブル 13:4)聖書はこれらの罪に対して警告を発しているだけでなく,そうした方向に走る性向に対してもはっきりと注意を促しています。たとえばイエスは,既婚の男子が,女性の美しさに単に感嘆したためにではなく,その女性と関係を持ちたいという欲望をいだいてその女を見つづける時,その男は心の中ですでに姦淫を犯している,と警告しました。―マタイ 5:28。
同様の立場から,使徒パウロは淫行や姦淫の罪に対してだけでなく,すべての汚れや不品行に対しても警告を発しました。そうした行ないはすべて,クリスチャンが永遠の命をとらえるのを妨げるものです。(ガラテヤ 5:19-21)この問題に対するパウロの理解と深い配慮のほどは,パウロがこうした事がらに関連して友人テモテに与えた助言の中に見られます。彼はテモテに,年長の婦人を自分の母親を扱うように敬意と親切とをもって扱い,会衆内の若い婦人を自分の肉親の姉妹のように扱いなさい,と勧めました。どうすればそのように扱えますか。『貞潔をつくす』ことによってです。後に,テモテに宛てて再度手紙を書き送った時,パウロは同じ趣旨の助言をテモテにもう一度与える必要を感じてこう書きました。「若さに伴いがちな欲望から逃れ,清い心で主を呼び求める人びととともに,義と信仰と愛と平和を追い求めなさい」。もし,心が汚れた考えや空想で満ちているなら,祈りのうちに清い心からエホバ神を呼び求めることがどうしてできるでしょうか。―テモテ前 5:2; テモテ後 2:22,新。
単に頭の中で恋愛をすることが,特に配偶者が感受性や想像性に乏しかったり,仕事で忙しすぎたりする多くの既婚者の関心を引いています。しかし恋愛は,それが結婚関係外のものであったり,結婚を意に介していないものであったりするなら,わなになります。たとえば,「結婚 ― 東洋と西洋」という本の中で,著者メイス博士は,東洋のある婦人が結婚関係外の情事にふけっている友人に関して語った次のような話を取り上げています。「どうか私を誤解しないでください。私は夫を愛していますし,自分の家庭を大切にしています。それに,彼女の二の舞いを踏みたいとは思いませんわ」。そして,微笑を浮かべながら彼女はこう付け加えました。「でも,ちょっぴりロマンチックね。そうお思いにならない」。
そうした考えを矯正しますか。しかしそれ以上に,自分の思いを養うものに注意を払うことによって心を守る必要があります。(箴 4:23)クリスチャンにふさわしくない行状に誘う娯楽を避けてください。新聞,雑誌,本などでその種の記事を読まないようにしてください。「恋愛」物語を思いめぐらすかわりに,使徒の次の助言に従ってください。「終わりに,兄弟たち,なんであれ真実なこと,なんであれまじめなこと,なんであれ義にかなっていること,なんであれ貞潔なこと,なんであれ愛すべきこと,なんであれよく言われること,またなんであれ徳とされることや賞賛すべきことがあれば,そうしたことを考えつづけなさい」。それは,ロマンチックな空想を取り除くすぐれた方法ではありませんか。―ピリピ 4:8,新。
わたしたちは神のことば聖書から,こうした不倫な愛情関係がまちがっており,悪であることを知っています。また,聖書はわたしたちに悪を憎むようにと告げています。(詩 97:10)たとえわたしたちがそういったロマンチックな空想や夢を実際の行動に移さないとしても,そうした考えは有害です。どうしてですか。というのは,そうした考えによって配偶者に対する愛や敬意は弱められますし,他の事がらにおいて創造者を喜ばせるという点に関しても恩慮が欠けるようになり,結果として良心にとがめを感じ,義に対する熱意が弱められるからです。
神のことば聖書は,知恵の道がどこにあるかをはっきりと指摘しています。知恵の道は愚かな感情や性向に屈することにあるのではなく,自分自身を訓練し,正しい原則に従い,神の律法を喜び,それをよく考え,その律法に導かれた生活を送ることにあります。―詩 1:1-6。箴 2:1-9。
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現代におけるエホバの証人の活動 ― 日本ものみの塔 1973 | 12月1日
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現代におけるエホバの証人の活動 ― 日本
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