その2
1 (イ)ペリクス総督の前で,パウロはだれが復活すると述べましたか。(ロ)このような人々が復活することを,どのように確かめられますか。
クリスチャン使徒パウロはかつて法廷に立ち,聖書も復活に関する聖書の教えも信じなかったローマ総督ペリクスの前に立ちました。パウロは次のように述べています。「わたしは……わたしたちの先祖の神に仕え,律法の教えるところ,また預言者の書に書いてあることを,ことごとく信じ,また,正しい者も正しくない者も,やがてよみがえるとの希望を,神を仰いでいだいているものです。この希望は,彼ら自身も持っているのです」。(使行 24:14,15)では神の国によって,すべての死人を出すシェオール(陰府)またヘーデース(黄泉)には正しくない者もいるのですか。この問いに対して確かな答えが得られます。どのようにしてですか。シェオール(ヘーデース)には,他にだれがおり,彼らの生前の立場や品行がどんなものだったかを,聖書から知ることによってです。
正しくない者もシェオール(ヘーデース)にいる
2 モーセは3人の反逆者とその家の者にさばきを下した時,民数紀の中で陰府(シェオール)の語をどのように使いましたか。
2 ヘブライ語シェオール(陰府)〔ギリシヤ語七十人訳,ヘーデース(黄泉)〕は,預言者モーセの書いた聖書の最初の本創世記に4回出ています。次にこの言葉が出ているのは,やはりモーセの書いた聖書の4番目の本民数紀の中です。そこでは,イスラエル人コラ,ダタン,アビラムの家の者に関して,この言葉が2回使われています。この3人はエホバに反逆した人です。そこでエホバは預言者モーセを用いて,彼らの上にさばきを臨ませました。他のイスラエル人はこの3人の反逆者の天幕とその家の者から離れるようにまず命ぜられました。それからモーセは,さばきが神からのものであることを示して,次のように述べています。「然どエホバもし新しき事をなし給ひ 地その口を開きてこの人々と之に属する者を呑つくして生ながら陰府(シェオール)〔ヘーデース〕に下らしめなば この人々はエホバを瀆ししなりと汝ら知るべし」― 民数 16:20-30,文語。
3 それでモーセは,罪に定められたこれらの人々の上にどんな罰が下ることを求めましたか。罰が臨んだとき,彼らはどこに行きましたか。
3 預言者モーセは,この3家族が永遠の滅びに落ち込むことを求めず,また祈っていません。その事に注目して下さい。モーセの求めたことは,地が口を開いてこの人々を生きたまま呑み込み,彼らが視界から消え去って「陰府」(シェオール)に落ち込むことでした。この人々は陰府(シェオール)〔ヘーデース〕に行きましたか。あるいはもっと悪い所に陥りましたか。次の節(民数 16:31-33)がそれに答えています。「モーセが,これらのすべての言葉を述べ終ったとき,彼らの下の土地が裂け,地は口を開いて,彼らと,その家族,ならびにコラに属するすべての人々と,すべての所有物をのみつくした。すなわち,彼らと,彼らに属するものは,皆生きながら陰府(シェオール)〔七十人訳,ヘーデース〕に下り,地はその上を閉じふさいで,彼らは会衆のうちから,断ち滅ぼされた」。
4,5 (イ)コラ自身はその時どのように処刑されましたか。(ロ)これらの家の者のうち,だれが罰を免れましたか。なぜですか。
4 明らかに,張本人のコラは,このように生きながら陰府(シェオール)に落ち込んだ人々の中にいませんでした。レビ人のコラは,彼に組してモーセとアロンに反逆した250人のレビ人と共に崇拝の幕屋の庭にいました。「且またエホバの許より火いでてかの香をそなへたる者二百五十人を焼つくせり」― 民数 16:35,文語。
5 こうして奇跡的に裂けた地と奇跡的な火によって,これら3人の反逆者とその家の者は,ほとんど同時にイスラエルの会衆から除かれました。彼らは陰府(シェオール)また黄泉(ヘーデース)にいます。コラの息子たちは父親に組せず,従って火で滅ぼされませんでした。民数紀 26章9節から11節にあるように,「ただし,コラの子たちは死ななかった」のです。更にこれを裏づけるものとして,詩篇 42-49篇,84,85,87,88篇の表題をごらん下さい。
6 申命記 32章22節によれば,神の表わす怒りはどこにまで及びますか。アモス書 9章2節はどのようにその事と一致していますか。
6 聖書の5番目の本,申命記の中でモーセは陰府(シェオール)という言葉を使っています。イスラエル会衆に対するモーセの告別の歌は,偽りの崇拝によって神のねたみをひきおこす者に対して,火のような神の怒りが激しく表わされることを警告しています。エホバ神はモーセを通して次のような警告を与えました。「わたしの怒りによって,火は燃えいで,陰府(シェオール)の深みにまで燃え行き,地とその産物とを焼きつくし,山々の基を燃やすであろう」。(申命 32:22)この言葉は,エホバの火のような怒りが物事の根底にまで達するさまを描いて,私たちに警告を与えています。それは徹底的な滅びをもたらすゆえに,逃れようとした人々が陰府(シェオール)の深さにまで地を掘り下っても,エホバの怒りを逃れることはできません。滅びのさばきを執行するエホバの力の前に,人間は無力です。(アモス 9:2)エルサレムの町は山の上に建てられていましたが,神の怒りの表わされた時にそれは滅びました。
7 コラ,ダタン,アビラムは直接にはだれに言い逆らいましたか。もしそうでなければ,もっと悪い結果になったのは,なぜですか。
7 前述のイスラエル人コラ,ダタン,アビラムの例において,彼らはある人を予影した預言的な人物に反抗していたのです。その事に留意して下さい。預言者モーセと大祭司アロンは,同様なつとめを持つイエス・キリストを表わしていました。(申命 18:15-19。使行 3:20-23。ヘブル 3:1,2; 5:4-6; 9:23-26)地上におられた時のイエスは,言いさからう者にむかって次のことを言われました。「また人の子に対して言い逆らう者は,ゆるされるであろう。しかし聖霊に対して言い逆らう者は,この世でも,きたるべき世でも,ゆるされることはない」。(マタイ 12:32)コラ,ダタン,アビラムは,人の子イエス・キリストを予影した二人の人物モーセとアロンにさからいました。そうでなかったとすれば,家の者もろともシェオールまたヘーデースに落ち込む以上の悪い結果になったことでしょう。
8 ベニヤミン人シメイに関してソロモンに語ったとき,ダビデ王はモーセの言葉と似た語法をどのように使いましたか。
8 エルサレムで治めた最初のユダヤ人の王ダビデも,預言者モーセと同様な言葉を使っています。ダビデも,その王統に生まれたイエス・キリストを預言的に表わす人物でした。子のソロモンにエルサレムの王位を譲ったダビデは,ソロモンに与えた最後の教えの中で次のことを述べています。「視よ又バホリムのベニヤミン人ゲラの子シメイ汝とともに在り 彼れはわがマハナイムに往し時はげしき詛言をもて我を詛へり 然ども彼ヨルダンに下りて我を迎へたれば 我エホバを指て誓ひて 我剣をもて汝を殺さじといへり 然りといへども彼をつみなき者とする勿れ 汝は知恵ある人なれば彼になすべき事を知るなり血を流してその白髪を墓(シェオール)に下すべしと」。後にソロモンは父のこの命令を成し遂げました。―列王上 2:8,9,42-46。
9 かつてダビデに仕えた将軍ヨアブについても,どのように同じ事が言えますか。
9 年老いたダビデは,かつて自分に仕えた将軍ヨアブについて,後継者のソロモンに次のことを告げました。「またあなたはゼルヤの子ヨアブがわたしにした事,すなわち彼がイスラエルのふたりの軍の長ネルの子アブネルと,エテルの子アマサにした事を知っている。彼はこのふたりを殺して,戦争で流した血を太平の時に報い,罪のない者の血をわたしの腰のまわりの帯と,わたしの足のくつにつけた。それゆえ,あなたの知恵にしたがって事を行い,彼のしらがを安らかに陰府(シェオール)に下らせてはならない」。後になってソロモンは,国の平和と一致を守るため,軍人ベナヤをつかわし,エホバの祭壇に逃れようとしたヨアブを撃たせました。「そこでエホヤダの子ベナヤは上っていって,彼を撃ち殺した。彼は荒野にある自分の家に葬られた」。(列王上 2:5,6,28-34)それでヨアブの白髪が安らかに陰府に下ることはなかったのです。―創世記 42章38節とくらべて下さい。
10 ダビデは陰府(シェオール)の用語法を理解していましたか。従ってヨアブとシメイをどこに下らせることをソロモンに告げましたか。
10 ヨアブとシメイにつき,このような命令を子のソロモンに与えたダビデ王は,自分の意図を十分に理解していました。ダビデは自分の使った言葉の意味を正しく理解しており,陰府(シェオール)が何かを知っていました。ダビデが霊感によって書いた詩篇のうち,陰府(シェオール)という言葉は11の詩篇に出ており,正しい意味に使われています。a 詩篇16篇10節において,ダビデはイエス・キリストが陰府から復活することを預言しました。イエスの復活は,陰府(シェオール)にいる他のすべての人が復活するための基礎となりました。ダビデの子孫であり,メシヤであるイエスの治める神の国の下で,復活があります。それでヨアブとシメイを撃って陰府(シェオール)に下らせることをソロモンに命じたとき,ダビデは,これらの不従順な人から将来の生命の希望を奪って二人を永遠の滅びに陥れようとしたのではありません。ダビデはその事を知っていました。
11 詩篇 31篇17,18節において,ダビデは悪しき者をどこで沈黙させることを願いましたか。なぜそこでなければなりませんか。
11 シメイやヨアブのような人を下らせる場所について言えば,ダビデや他のイスラエル人の詩篇は,ダビデがソロモンに与えた命令と一致しています。詩篇 31篇17,18節において,ダビデは神にこう訴えています,「エホバよ,われにはぢを負はしめ給ふなかれ,そは我なんぢをよべばなり,願くは悪しき者に恥をうけしめ〔どこで?〕陰府(シェオール)にありて口につぐましめ給へたかぶりとあなどりをもて義しきものにむかひ みだりにののしるいつはりの口唇をつぐましめたまへ」。(文語)このダビデの祈りが,神の霊感によって書かれたことを忘れてはなりません。それで正しい用語法で正しい場所が示されています。
12 詩篇 9篇17節から20節において,ダビデは神を忘れる国々がどうなることを神に願っていますか。
12 霊感のダビデがしるした詩篇 9篇17節から20節は,神を無視してダビデとその民を攻める国々に関して,神に次のように願っています。「あしき人は陰府(シェオール)にかへるべし,神をわするるもろもろの国民もまたしからん 貧者はつねに忘れらるるにあらず 苦しむものの望はとこしへに滅るにあらず エホバよ起き給へ,ねがはくは勝を人にえしめたまふなかれ御前にてもろもろのくにびとに審判をうけしめたまへ エホバよ願くはかれらにおそれをおこさしめ給へ,もろもろの国民におのれただ人なることを知らしめたまへ」。(文語)
13 ヨブ記 21章7節から14節において,ヨブはだれが陰府に下ったと述べていますか。
13 悪人が死んでどこに行くかを述べたヨブの言葉は,ひん死の病人のうわ言ではありません。「なにゆえ悪しき人が生きながらえ,老齢に達し,かつ力強くなるのか……彼らは……その日をさいわいに過ごし,安らかに陰府(シェオール)にくだる。彼らは神に言う,『われわれを離れよ,われわれはあなたの道を知ることを好まない』」― ヨブ 21:7-14。
14 ヨブ記 24章19,20節は,何が罪人を奪い去ると述べていますか。
14 ヨブは罪人に関して更に次の言葉を加えています。「ひでりおよび炎熱は雪水をただちにほしからす,陰府(シェオール)が罪を犯せし者におけるも亦かくのごとし これを宿せし腹これを忘れ,うじこれを好みて食ふ,彼はもはや世におぼえらるること無く,その悪は樹の折るるが如くに折る」― ヨブ 24:19,20,文語。
15,16 (イ)動物は死ぬとき,陰府また黄泉に行きますか。(ロ)たとえ高貴な人でも愚か者が羊のように陰府に定められているのはなぜですか。しかし正しい者はどの点で異なりますか。
15 羊のような動物も,陰府(シェオール)また黄泉(ヘーデース)に行きますか。たとえその死体が人間の遺骸と共に埋められても,あるいは動物の像が,動物と人間の魂の不滅を信ずる人々の墓に入れられても,そのようなことはありません。しかし多くの羊が殺されるように,人間も地位の上下,貧富を問わず,大ぜい殺されて,土の塵の中に死んでいる人間一般の墓に下りました。(詩 44:22。ロマ 8:36)コラの子たちであるレビ人は,詩篇 49篇12節から15節にこの事実を歌っています。
16 「されど人は誉のなかに永くとどまらず亡びうする獣のごとし斯くの如きは愚なるものの途なり,然はあれどのちの人はその言をよしとせん,かれらは羊のむれのごとくに陰府(シェオール)のものと定めらる,〔殺された羊,死に牧される群れのように〕死これが牧者とならん 直きもの〔正しい者が救われる日の〕朝にかれらををさめん,そのうるはしきは陰府にほろぼされて宿るところなかるべし されど神われをうけたまふべければわが魂をあがないて陰府のちからよりまぬかれしめたまはん」。(文語)
17 アヒトペルの助言はどのように評価されていましたか。しかし彼はだれに反逆しましたか。
17 ダビデ王の宮廷に王の相談役として誉の高い人アヒトペルがいました。「そのころアヒトペルが授ける計りごとは人が神のみ告げを伺うようであった。アヒトペルの計りごと皆ダビデにもアブサロムにも共にそのように思われた」。(サムエル後 16:23)しかしアヒトペルはダビデ王に反逆し,ダビデの子アブサロムの謀叛に加担しました。
18 (イ)アヒトペルはどんな最後を遂げましたか。そしてだれと共に葬られましたか。(ロ)詩篇 55篇13節から16節において,ダビデは反逆者にどんな罰が下ることを祈っていますか。
18 アブサロムは助言者たちを呼んではかりごとをめぐらしましたが,神はアヒトペルの授けた策略が破れるようにしたので,アヒトペルは首をつって自殺し,「その父の墓に葬られ」ました。(サムエル後 17:23)ダビデ王が詩篇 55篇に述べている裏切り者は,アヒトペルのことだと言われています。この裏切りの友について,ダビデは霊感の下にこう書きました,「されどこれ汝なり,われとおなじきもの,わが友 われと親しきものなり われら互ひにしたしき語らひをなし,また会衆のなかに在りてともに神の家にのぼりたりき 死は勿然かれらにのぞみ,その生けるままにて陰府(シェオール)にくだらんことを,そは悪事その住みかにありその中にあればなり されど我はただ神をよばん エホバわれを救ひ給ふべし」― 詩 55:13-16,文語。
19 (イ)この点において,ダビデはだれを表わしていますか。(ロ)アヒトペルはだれを表わしていますか。この者が復活を受けないのはなぜですか。
19 ダビデ王は,その子孫から出た最も偉大な人,御国の永遠の相続者であるイエス・キリストを預言的に表わしていました。アヒトペルはメシヤすなわちキリスト自身に対してではなく,メシヤを表わした人物に反逆したに過ぎません。それゆえアヒトペルのような反逆者が,モーセ時代のコラ,ダタン,アビラムの家の者と同じく生きながら陰府(シェオール)に下ることを,ダビデは祈ったのです。しかしアヒトペルは,真のキリストを銀30枚で敵の手に渡したイスカリオテのユダを表わしていました。従ってユダの罪はアヒトペルの罪よりもはるかに重大であり,イエスはユダを陰府の子とは呼ばず,「滅びの子」と呼びました。b イエスはまたユダを「悪魔」とも呼んでいます。(ヨハネ 17:12; 6:70,71)ユダは滅び,復活を受けません。
20 箴言 5章5,6節および7章27節にある通り,多くの人はなぜ早く陰府また黄泉に下りましたか。
20 イスラエル人の中にさえ,神の律法に少しも注意を払わない者がいました。そこで神は,そのような人々が他の人の手にかかって普通よりも早く陰府(シェオール)に下るようにされました。死んだ人間一般の墓に人を早く下らせる手だてとして用いられた者の中に娼婦があります。これに関して箴言 5章5,6節は次のように警告しています。「その足は死に下り,その歩みは陰府(シェオール)の道におもむく。彼女はいのちの道に心をとめず,その道は人を迷わすが,彼女はそれを知らない」。それでみだらな女とたわむれる者は死すなわち陰府に落ち込みます。ゆえに売春の家またその地域に近づいてはなりません。「その家は陰府(シェオール)へ行く道であって,死のへやへ下って行く」。(箴言 7:27)このため多くの人が不品行を行なって陰府(シェオール)また黄泉(ヘーデース)に行きました。
21 箴言 9章13節から18節によれば,娼婦の甘言に乗る愚か者は,だれの仲間になっていますか。
21 性の不品行に人を誘う娼婦の言葉に耳を傾ける愚か者であってはなりません。「彼女は……知恵のない人に向かってこれに言う,『盗んだ水は甘く,ひそかに食べるパンはうまい』と。しかしその人は,死の影がそこにあることを知らず,彼女の客は陰府(シェオール)の深みにおることを知らない」。(箴言 9:13-18)娼婦が異教の寺院と関係していても,事態は変わりません。このような宮で崇拝される偽りの神は,たとえ宗教の名の下に行なわれた不品行にしてもそのもたらす破滅から崇拝者を救うことができません。
22 とくに娼婦に関しては,何から離れるのが「生命の道」ですか。
22 生命の道は,娼婦が住んでその商売を行なうところとは別の方角にむかっています。「知恵ある人の道は上って命に至る,こうしてその人は下にある陰府(シェオール)を離れる」。(箴言 15:24)情欲を不法に満たす娼婦の道は,早死にする道です。
異邦人はどうか
23 ヨブ,アブラハムおよびアブラハムの子孫についておもに検討してのち,他の人々に関してどんな質問が起きますか。
23 この問題について聖書から今までおもに調べたのは,契約あるいは清い崇拝によってエホバと関係を持った人の場合でした。それでヨブ,アブラハム,アブラハムの子孫イスラエル人すなわちユダヤ人あるいはヘブル人の例がとりあげられました。しかしユダヤ人が異邦人また異教徒と呼んだ人々はどうですか。死んでどこに行きますか。神のことばは何と述べていますか。その人々も陰府(シェオール)からの復活を与える神のご準備に与りますか。
24,25 (イ)偶像崇拝者のエジプト人に対して,エホバはどんな態度をとることをご自身の民に命じましたか。(ロ)エゼキエル書 31章1節から18節において,預言者はエジプトのパロとその群衆にして何を告げましたか。
24 偶像を崇拝したエジプト人は異教徒でした。紀元前16,7世紀に,エジプト人はイスラエル人を虐待しました。それでも預言者モーセを通してイスラエル人に与えられた神の律法は,次のように命じています。「エジプトを悪むべからず 汝も之が国に客たりしこと有ればなり 彼等の生たる子等三代に及ばばエホバの会にいることを得べし」。(申命 23:7,8,文語)預言者エゼキエルを通して「エジプトの王パロとその群衆」に告げられた言葉の中で,エジプトの王はひときわ高い木にたとえられています。またエホバ神は次のように言われました。
25 「主エホバかく言たまふ 彼が下の国(シェオール)に下れる日に我かなしみあらしめ 之がために大水をおほひ……我かれを陰府(シェオール)に投くだして墓に下る者と共ならしむる時に国々をしてそのおつる響にふるへしめたり 又エデンのもろもろの樹レバノンのすぐれたる最美しき者凡て水にうるほふ者皆下の国において慰を得たり,彼等も彼と共に陰府(シェオール)に下り剣に刺れたる者の処にいたる 是すなはちその助者となりてその陰に座し万国民の中にをりし者なり……パロとその群衆はかくのごとし主エホバこれを言ふ」― エゼキエル 31:1,2,15-18。
26-29 エゼキエル書 32章18節から31節によれば,陰府にはパロとその群衆のほかにだれがいますか。
26 しかし下の陰府(シェオール)また黄泉(ヘーデース)にいる異邦人また異教徒は,エジプトの王パロとその群衆だけではありません。エホバ神の前にあってシェオールまたヘーデースははだかです。そしてエホバ神は死んだエジプト人のほかにも多くの異邦人がそこにいる事を明らかにされています。古代エジプトに関する預言の言葉をつづけて,エホバ神は預言者エゼキエルに次のことを告げられました。
27 「人の子よ,エジプトの民衆のために嘆き,これと大いなる国々の娘らとを,下の国に投げ下し,穴に下った者のところに至らせよ」。古代エジプト人には割礼の習慣がありましたが,無念にも彼らは死んで横たわり,割礼のない異邦人と一緒になるのです。
28 「勇士の首領はその助け手と共に,陰府(シェオール)の中から彼らに言う,『割礼を受けない者,つるぎに殺された者は下って伏している』と。アツスリヤとその仲間とはその所におり……その所にエラムがおり,その民衆は皆,その墓の周囲におる。彼らはみな殺された者,つるぎに倒れた者,割礼を受けないで,下の国に下った者,生ける者の地に,恐れを起した者で,穴に下る者と共に,恥を負うのである……
29 「その所にメセクとトバル,およびすべての民衆がおる。その墓はこれを囲む……彼らは昔の倒れた勇士と共に伏さない。これらの勇士は,武具を持って,〔どこに?〕陰府(シェオール)に下り……その所に北の君たち,およびシドンびとが皆おる。彼らは……殺された者と共に……下って行った者である……パロは彼らを見る時,そのすべての民衆について慰められる。パロとそのすべての軍勢とは,つるぎで殺されると主なる神(エホバ)は言われる」― エゼキエル 32:18-31。
30 (イ)エゼキエルのあげた以外の異邦人が陰府にいますか。その事はどこに示されていますか。(ロ)イザヤの言葉によれば,バビロンの王朝の滅びはどのように耳目を驚かす大事件ですか。
30 ここでエジプト,アッシリア,エラム,メセク,トバル,エドム,シドンなどの異邦が名をつらね,その民は陰府(シェオール)すなわち黄泉(ヘーデース)にいます。その事に注目して下さい。しかしこのほかの異邦の死者も陰府にいることは,エホバの預言者イザヤがバビロンの王に告げた言葉の中に示されています。イザヤは,ユダヤ人を70年余り捕えていたバビロンの王朝の没落を預言しました。この滅びは耳目を驚かせる大事件であるため,人類一般の墓に死んでいる者も動かされ,死の眠りからさめて驚きの言葉を出すと述べられています。
31 イザヤ書 14章の中で,「バビロンの王」は何にたとえられていますか。
31 エホバの預言者イザヤは,どんな木こりも歯が立たなかったのに遂に切り倒された大木に,「バビロンの王」をたとえています。このバビロンの王朝についてイザヤは次のことを述べました。
32,33 (イ)バビロン王のくるのを見て,何が動きますか。そこにいるだれが王に語りかけますか。(ロ)「バビロンの王」は,いやしめられたどんな状態で陰府にひきおろされますか。
32 「下の陰府(シェオール)はあなたのために動いて,あなたの来るのを迎え,地のもろもろの指導者たちの亡霊をあなたのために起し,国々のもろもろの王を〔彼らと共に埋葬された〕その王座から立ちあがらせる。彼らは皆あなたに告げて言う,『あなたもまたわれわれのように弱くなった,あなたもわれわれと同じようになった』。あなたの栄華とあなたの琴の音は陰府(シェオール)に落ちてしまった。うじはあなたの下に敷かれ,みみずはあなたをおおっている」。
33 「黎明の子,明けの明星よ,あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ,あなたは切られて地に倒れてしまった……あなたは陰府(シェオール)に落され,穴の奥底に入れられる……もろもろの国の王たちは皆尊いさまで,自分の墓に眠る。しかしあなたは忌みきらわれる月足らぬ子のように墓のそとに捨てられ,つるぎで刺し殺された者でおおわれ,踏みつけられる死体のように穴の石に下る。あなたは自分の国を滅ぼし,自分の民を殺したために,彼らと共に葬られることはない」― イザヤ 14:4,9-20。
34,35 (イ)このようにイザヤの預言は,陰府にいる者について何を明らかにしていますか。(ロ)この問題はどこで更に論議されますか。
34 このようにバビロンの「王」すなわち王朝は陰府に下りました。しかし地の王や支配者たちのように尊いさまで葬られたのではありません。しかしその事を別にしても,イザヤの預言は,「地のもろもろの指導者たち」と「もろもろの王」が陰府(シェオール)また黄泉(ヘーデース)にいる事を示しています。黙示録 20章11節から13節にあるように「死も黄泉(ヘーデース)〔シェオール〕もその中にいる死人を出すとき,大きな白い御座の前に立ってさばかれる「大いなる者」とは,このような人々のことです。
35 しかしこの問題は,この後に出る「ものみの塔」の紙上で更に論議されます。
[脚注]
a サムエル後書 22章6節を見て下さい。詩篇 6,9,16,18,30,31,55,86,139,141篇の表題をも見て下さい。これらの詩篇の中でダビデはヘーデースに相当するヘブライ語シェオールを使っています。
b このような滅びの例として,テサロニケ後書 2:3,テモテ前書 6:9,ヘブル書 10:39,ペテロ後書 2:1-3; 3:7,10,黙示録 17:8,11があげられます。
[300ページの図版]
イスラエルの反逆者はシェオールに下る