若い時の欲を避けなさい
「若い時の情欲を避けなさい。そして,きよい心をもって主を呼び求める人々と共に,義と愛と平和とを追い求めなさい」。―テモテ後 2:22 新口。
1 どんなときに,逃げるのは勇気のあるしるしですか。どんな例がありますか。
すぐに逃げだすのはおくびょう者の証拠とふつうは考えられています。人が危険から一目散に逃げるのを見ると,いやな感じがするものです。勇気について間違った考えをもつ今日の誤導された若者は,特にそれを感じます。そして,自分のほうが間違っているときでさえ,好戦的な態度で自分の主張を固守し,けんかをするのを好みます。しかし勇気というものは,必ずしもそういう行いによって表わされるものではありません。正しい原則に静かに従うことによっても勇気は示されます。正しい人が与える正しい指示に従って逃げるなら,逃げることさえ,勇気のあらわれといえます。ヨセフはポテパルの妻から逃げました。ロトとその家族はソドム,ゴモラから逃げました。初期クリスチャンたちは,西暦70年の崩壊まえに,エルサレムから逃げました。これらはみな,神の従順なしもべたちが逃げることによって勇気を示した例です。―創世 39:11,12; 19:20。マタイ 24:16。
2 (イ)新世社会の若い人はどのように勇気をしめしますか。それを可能にするのは何ですか。(ロ)彼らが今日勇気を示さねばならない理由をあげなさい。
2 それで今日でも,クリスチャンの家庭の青少年は,肉の欲を満たすというこの世で容認されているあらゆる行いから逃げて,勇気を示すことができます。神と人とへの奉仕に献身した清い生活ができるように正しい原則に従うには,心が清くなければなりません。若い人にはいまその機会があります。というのは,彼らに要求されている正しい生活についての真理が,神の御言葉をとおしてきわめて明りょうにされているからです。若い人はいま勇気が必要です。級友,近所の友だち,仕事仲間などの若い人々の環境には,悪い道に行かせようとするあらゆる面からの圧力があるからです。ですから,若いクリスチャンが,パウロのいましめの意味を十分にわきまえて,その導きに従うことはなんという特権でしょう。「そこで,あなたは若い時の情欲を避けなさい。そして,きよい心をもって主を呼び求める人々と共に,義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい」。―テモテ後 2:22,新口。箴言 4:18。
3 今日若い人はどんな選択をしなければなりませんか。何が正しい選択をする助けになりますか。
3 「義……を追い求めなさい」とパウロはすすめています。これは,長い前途をもつ今日の若いクリスチャンに開かれている道を,なんとよく要約しているのでしょう! 彼らにはどんな将来がありますか。彼らの前には二つの異なった世界があります。つまり,全く異なった構造の,まったく異なった将来のある世界です。若い人は,どちらの世界で職をもつかを選ぶことができます。学校では,この世の商業,政治,宗教の分野における輝かしい生涯が約束されます。一方エホバ神は,クリスチャンの祈り求める「新しい世」の中での全時間奉仕を若い人にすすめておられます。あなたは,神の御国がくるように,みこころが天で行なわれるとおり地にも行なわれるように祈りますか。正しい選択をするのはやさしことではないかもしれません。この古い世の宣伝のために,若い人々は強い誘惑や,冒険的で人をあざむく欲望に影響されています。しかしまた一方彼らは,聖書をとおし,神がテモテにお与えになった助言による援助も与えられています。それはテモテが,今日の若い人たちと同じように,決定をしなければならなかった時に与えられたものです。使徒パウロは次のような教訓をその若者に与えています。「テモテよ。あなたにゆだねられていることを守りなさい。そして,俗悪なむだ話と,偽りの「知識」による反対論とを避けなさい。ある人々はそれに熱中して,信仰からそれてしまったのである」。(テモテ前 6:20,21,新口)ご両親も子供たちも,これらの点をよく考えてください。神の正しい新しい世と比較して,この死につつある古い世が提供する報いの価値を検討してください。それから,知恵と勇気とをもって,若いテモテと同じ決心をしてください。テモテは神の御国のために奉仕するほうを選びました。
4 (イ)新世社会の若い人は,なぜ世間の若い人と異なっていますか。(ロ)年の若い人たちは奉仕を免除されていますか。イエスは若い人々にどんな励ましを与えられましたか。
4 若いクリスチャンたちは,エホバ神を愛し,また神から任命された奉仕を愛していますから,今日の世界の人々の間にあって,特別の責任をもっています。彼らは,神の会衆の未来の監督ですから,若い者としての特別の責任をはたさねばなりません。年が若いからといって,神の崇拝および神のみこころを行なう義務を免除されているわけではありません。伝道せよという命令を受けたとき,若いエレミヤはエホバにこういう言いわけをしました。「ああ主エホバよみよわれは幼少により語ることを知らず」。ところがエレミヤは叱られました。そして次にエホバの援助を保証されました。「われはをさなしというなかれ,すべてわが汝をつかわすところにゆき,わが汝に命ずるすべてのことを語るべし。なんぢ彼等の面を畏るるなかれ,それはわれ汝とともにありて汝をすくふべければなりとエホバいひ給へり」。(エレミヤ 1:6-8)若いクリスチャンがそのように忠実な道を歩むなら,エホバ神とキリスト・イエスの愛と保護があるでしょう。エレミヤが神の忠実な奉仕者になれたなら,あなたになれないわけはありません。神から与えられる特権を行使するのに,だれからもじゃまされたり,落担させられてはなりません。イエスの時代に,子供たちがイエスの所にくるのをだれかがとめようとしたとき,イエスはこう言われました。「幼な子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはならない。天国はこのような者の国である」。(マタイ 19:14,新口)別の時にはこう言われました。「幼な子,乳のみ子たちの口にさんびを備えられた」。(マタイ 21:16,新口)従順な若い人々は,エホバ神と御子キリスト・イエスのみまえで,なんという恵まれた立場をもっているのでしょう!
悪い欲望
5 若いクリスチャンが警戒しなければならない一時的な流行にはどんなものがありますか。なぜそれらを警戒しなければなりませんか。
5 テモテも,当時の若者たちの習慣をまねないようにするには,よく注意しなければならなかったに違いありません。今日でも同じく,若いクリスチャン奉仕者たちは,この世の不健全な影響を受けないように常に警戒しなければなりません。若いクリスチャンたちが,彼らと交わる者たちの間で流行する事をまねるのはわけないことです。多くの若者は,刺激の強い生活を好みます。彼らは自動車をめちゃくちゃに走らせるようなスリルを好み,どの程度行けるかをみるだけのために危険を冒し,冒険をします。しかしこれは非常に危険なことです。ちょっとした動きの誤りや誤算で,自分の命を失い,人の命まで取ることになるかもしれません。ですから若いクリスチャンたちは,そうしたこの世の流行を,自分の生活にとりいれないようにしなければなりません。みんながすることをしないなら,めめしいとか,弱虫とか,興をそぐ者とか言われるようになるのは事実です。しかし,弱虫はだれですか。興をそぐ者はだれですか。危険な誘惑をしりぞけるだけの力のない者たちです。悪魔が彼らにさせようとしている事柄,つまり自分自身を傷つけるだけでなく,ほかの人にまで害をおよぼす事をしないように用心するだけの力のない者たちです。向うみずな事から逃げなさい。
6 なぜみだらで愚かな話を避けるべきですか。
6 若いクリスチャンたちは,今日の若者のあいだでごくふつうのことになっている,みだらな話や愚かな話を警戒しなければなりません。神もそれに反対されています。「卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは,よろしくないことである」。(エペソ 5:4,新口)この世的な若者は,それをきのきいたことと考えるかもしれません。またそれによって自分がタフに見え,人気を集めるにはそういうことを言わねばならないとさえ考えるかも知れません。ある者は,それをおとなになったしるしと考えるかもしれませんが,そうではありません。それは弱さと,語彙のとぼしさと,俗心のあらわれにすぎません。もしクリスチャンが,この世的な若い人をまねて,下品で,不快な言葉を使いはじめると,間もなく同じ考え方をするようになるでしょう。そういう考え方は,神の御旨と一致しません。そのために彼らの信仰は弱くなるでしょう。もしいつまでもやめないなら,彼らの信仰はなくなってしまうでしょう。そうなれば,正しい望みもなくなります。みだらな話だけがもとで,すべてのものが失われてしまうのです。
7 「わるふざけ」に対してどんな聖書的ないましめがありますか。
7 「わるふざけ」をすることは,神の奉仕者にふさわしい行いではありません。そのような行いが聖書的でないことは,箴言に示されています。「隣り人を欺いて,『わたしは戯れにした』という者は,燃え木または矢,または死を,投げつける気違いのようだ」。(箴言 26:18,19,新口)ですから,一時のたわむれにする,いわゆるわるふざけは,ほかの人にとっては死の矢にならぬとも限りません。だれかにわるふざけをするまえに,「わたしがいたずらをされたらどんな気がするだろうか」と考えてください。人を恥ずかしめたり傷つけたりして楽しむ,というようなことは決してしてはなりません。
8 スポーツに熱中しすぎるとどんな危険がありますか。
8 避けねばならないもう一つの害になる欲望は,参加するにしても見るにしても,スポーツに熱中することです。スポーツに熱中すると,神の御言葉を研究したり,集会に出席しなければならない晩も,スポーツのことについやされてしまうでしょう。また,学校もなく仕事からも解放される週末でも,もしスポーツを生活のなかで第一に考えるなら,イエスと使徒たちがしたように,戸別伝道に時間を用いることはないでしょう。パウロも言っているように,適度なスポーツは益があります。「からだの訓練は少しは益するところがあるが,信心は,今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので,万事に益となる」。(テモテ前 4:8,新口)たいせつなことは,限度を越えないことです。どんな娯楽にせよ,その事以外には考えることも話すこともしないというほど熱中してはなりません。もしそういうことになると,娯楽はあなたをエホバ神への献身から引き離し,霊的成長をとめる危険があります。そして永遠の生命の見込みもあやうくなります。
9,10 (イ)パウロが述べているように,物質主義にはどんな危険がありますか。(ロ)若い人はどのように物質主義のわなに抵抗できますか。
9 富や財産を得ることは,若い人々の望みです。しかし,新世社会の若人は,その望みが永遠の生命に通ずるものでないことを知っています。それは物質主義の誘惑のはじまりです。天の御父の戒めに耳を傾けてください。「富むことを願い求める者は,誘惑と,わなとに陥り,また,人を滅びと破壊とに沈ませる,無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。金銭を愛することは,すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため,信仰から迷い出て,多くの苦痛をもって自分自分を刺しとおした」。(テモテ前 6:9,10,新口)不必要なものを得るために愛と努力を傾けることをしない人は,こうした害のある欲望に打ち負かされることはありません。もし物質主義があなたの心を捕えたなら,あなたを捕えたのであることを忘れないでください。―箴言 23:7。
10 私たちは,物質主義のうずまきに巻き込まれるような位置に自分を置くべきではありません。身分不相応でもあり,なくても過ごせるのに,なぜハイ・ファイ・セットを欲しがったり,高価なスポーツカーのことを考えたり,2台の車のはいる車庫のついた家を夢みるのですか。見たり考えたりするうちに,その望みは非常に大きくなって,そうした不必要な物を買うお金をもうけるために,夜や週末に働くようになるでしょう。そして集会や奉仕を休んだり,よくない欲望を培うので,こうした物を欲しがると,エホバ神に対するあなたの崇拝はさまたげられるでしょう。
11 どんな衣服を避けるべきですか。
11 慎みもなくからだを露出して異性を魅惑しようとする強い傾向は,現在男性にも女性にもみられます。好ましくないドレスを着て,あるいは自分をみせびらかして欲情を刺激するようなことをしてはなりません。極端にタイトなものや,はだの露出する衣服は避けるべきです。世間の若い人々は,そういう衣服を着るとスマートだと考えるかもしれません。しかし新世社会のなかの若人は,自分の立場を常にわきまえていて,ふさわしい衣服を身につけ,正しく振舞わねばなりません。若い女性はとくに,衣服にかんするペテロの次の助言をおぼえているべきです。「あなたがたは,髪を編み,金の飾りをつけ,服装をととのえるような外面の飾りではなく,かくれた内なる人,柔和で,しとやかな霊という朽ちることのない飾りを,身につけるべきである。これこそ,神のみまえに,きわめて尊いものである」。―ペテロ前 3:3,4,新口。
12 (イ)若いクリスチャンには,友だちを選ぶさいに制限がありますか。(ロ)イスラエル人は,子供たちのために,悪い交わりについてどのように警告されましたか。
12 多くの国では,男女間の交際は若い人にとってふつうのことで,彼らの生活の重要な一部になっています。これは非常に注意を要する事柄です。若い人は,学校や近所のどの少年や少女とも,デートをしたり,求愛したり,交際できると考えているかも知れませんが,そうではありません。若い人々の交際には限りがあります。エホバ神の助言によると,「悪い交わりは,良いならわしをそこな」います。(コリント前 15:33,新口)若いクリスチャンの奉仕者たちは,聖書にもとづいた新世社会の訓練を受けて,正しい,有益な習慣を育ててきました。ですから,この良い習慣を持ちつづけるためには,自分と同じことを信じ,エホバへの奉仕に献身して,その献身を水のバプテスマによって表わした人々とのみ交わるようにと神は言われているのです。神はこれと同じような助言をイスラエルの国民に与え,むすこや娘を,まわりの異邦の国の若者と結婚させたり,交わらせないように両親に告げてられています。「彼らと婚姻をしてはならない。あなたの娘を彼のむすこに与えてはならない。かれの娘をあなたのむすこにめとってはならない」。(申命 7:3,新口)もし両親と子供がこの言葉に注意を払わないなら,子供は神に帰すべき崇拝を忘れ,その結果永遠の滅びを招く危険がありました。「それは彼らがあなたのむすこを惑わしてわたしに従わせず,ほかの神々に仕えさせ,そのため主〔エホバ=新世〕はあなたがたにむかって怒りを発し,すみやかにあなたがたを滅ぼされることとなるからである」。―申命 7:4,新世。
13 愛撫の有害な影響と危険について述べなさい。
13 男の子と女の子が交際をするときに正しく振舞うことはきわめてたいせつです。強い性の衝動を過度に刺激するのは危険なのです。これはもてあそぶべきものではありません。愛撫によって過度に刺激されてから,神のおきてで禁じられていることに気づいて性の欲望を満たすことができないなら,どういう状態になりますか。ひどくいらいらした,感情的にかき乱された状態になります。これは霊的に,精神的に,肉体的に害があります。ですから避けねばなりません。これはまた人を不道徳な行いに導くかもしれません。神はそれを次のように警告されています。「肉の働きは明白である。すなわち,不品行,汚れ,好色……ねたみ,泥酔,宴楽,およびそのたぐいである。わたしは以前も言ったように,今も前もって言っておく。このようなことを行う者は,神の国をつぐことがない」。(ガラテヤ 5:19-21,新口)命を失う原因になりやすいこうしたふしだらな習慣に従ってはなりません。クリスチャンの両親は,いつも子供たちがいるところを知っていなくてはなりません。そして10歳代の子供たちは,どこにいたか,何をしたかを,堂々と両親につげられるようでなければなりません。
良い欲望をつちかう
14 若い人はだれを尊敬しなければなりませんか。
14 若い人たちが,他の人に対する尊敬を育成し,日常生活のなかで自分たちの上にいる人々に従うのはたいせつなことです。両親に,エホバ神の制度に,神がご自身の会衆に置かれた監督たちに対し,従順を示してください,「子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。『あなたの父と母とを敬え』。これが第一の戒めであって,次の約束がそれについている,『そうすれば,あなたは幸福になり,地上でながく生きながらえるであろう』」という聖書のいましめがあるにもかかわらず,多くの若い人たちは従っていません。(エペソ 6:1-3,新口)エリシャの時代に起きたことを考え,その子供たちの敬意を欠いた行いの結果をみてください。預言者のエリシャは,ベテルに上っていました。すると小さい男の子たちが町から出てきました。彼らはエリシャを見ると彼に向かって,「はげ頭よ,のぼれ。はげ頭よ,のぼれ」と言いつづけました。エリシャはついに振り返って少年たちを見,エホバの名によって彼らをのろいました。エホバはそれに答え子供たちのその非礼な行いに対して怒りを表わされましたか。たしかにそうされました。林の中から2頭の雌ぐまが出てきて,その子供らのうち42人を裂いてしまいました。示すべきときに正しい尊敬を示さなかったために,何という代価を払ったのでしょう。―列王紀下 2:23,24。箴言 30:17。
15 (イ)いつエホバに奉仕し始めるべきですか。(ロ)正しい望みと計画のあるとき,新世社会ではどんな特権が若い人に提供され,拡大されますか。
15 若い奉仕者の皆さん,あなたの創造主に奉仕し,そのみわざを行なうことをあなたの願いとしてください。「あなたの若い日に,あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきた(ら)ない前に」。(伝道の書 12:1,新口)あなたの若い日に造り主を覚えて造り主に奉仕するなら,あなたは若い時の精力を,いちばん多くの喜びを生み出す仕事である全時間奉仕にささげるでしょう。休暇開拓者になっていまそれを始めてください。そしてそれをつづけてください。そうすれば,あなたの奉仕の特権は,正規開拓の仕事,特別開拓の仕事,あるいは巡回の仕事,地域の仕事へと拡大され,世界各地にあるものみの塔協会のベテルの家や支部で奉仕するすばらしい見込みも生まれます。生涯奉仕者として造り主に奉仕しようとする人々には,多くの奉仕分野が開かれています。これらのすぐれた特権の一つを楽しむには計画を立ててこれからしようとする事柄に心を注ぎ,それから目的に向かって仕事をはじめる必要があります。そしてどんなことがあってもわき道にそれてはなりません。ロマ書にはこのように書かれています。「あなたがたは,主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない」。―ロマ 13:14,新口。
16 問題や障害に直面したとき,それを克服するためのどんな道が開かれていますか。
16 全時間奉仕者としての目標実現に向かって働いているとき,あなたの心をくじくような問題がたくさん起きてくることでしょう。円熟していないのと,若さとのために,いくつかの間違いやあやまちを犯すかも知れません。もしそういうことがあれば,自分の間違いを認め,あやまちを告白して,両親のところか会衆のしもべのところへ行き,あなた自身の益になる助言を受けてください。神はいわれます。「もし,わたしたちが自分の罪を告白するならば,神は真実で正しいかたであるから,その罪をゆるし,すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」。―ヨハネ第一書 1:9,新口。
17 (イ)若い人がいまエホバをおぼえるなら,エホバはいつ彼らをおぼえられるでしょうか。(ロ)若い人はエホバに奉仕することによって,現在と将来にあって,どんな喜びと祝福を享受しますか。
17 正義の新しい世をあなたの望みにしてください。あなたの造り主をいま覚えることによって,正義の新しい世をあなたの希望とし,そのためにあなたの生涯をささげるなら,エホバが,古い悪の世を滅ぼされるハルマゲドンの災難のときに,あなたを覚えてくださることはたしかです。いまは,この古い世の若い人たちがもつ欲から逃げる時です。彼らと一緒になって犯す一時の罪は,破滅に対して支払う高い代価です。新しい世の希望に根ざした健全な望みを固く保ち,神のみこころを行なうことを生涯の仕事としてください。そうするなら,心の清さと満足と喜びによって,いま,大きな益と喜びを得ます。そのうえに,生きながら新しい世の楽園にはいるので,大きな益と永久の幸福があるでしょう。
18 新世社会の若い人々は,同世代の人々にどのように良い影響を与えることができますか。
18 若い人たちよ,あなたと同じ世代の人々に良い影響を与えなさい。友だちに新しい世の永遠の生命について話してください。聖書はおとなと同じく子供にもわかるということを友だちに示してください。また,生活の中でいちばんたいせつなのは,新しいダンスのステップや,最新式のテレビジョンや映画スターの名前をおぼえることではなく,エホバ神とキリスト・イエスを知って見習うことであることを,近所の友だちや同じ学校の生徒に説明してください。あなたの模範と行いとによって,青少年に神の御言葉および造り主であられるエホバ神に奉仕するよう教えることが,今日の青少年犯罪の唯一の解決策であることを世のなかの人に証明してください。ですから,新世社会の若い人たちは,若い人を憎むサタン悪魔がしかけたわなにすぎない古い世の快楽,みだらな話,わるふざけ,物質主義,不道徳,および他の悪い欲望から逃げねばなりません。そして,今日の従順な若人の宿望である良いたよりの全時間奉仕者としての前途を考えてください。エホバのクリスチャン奉仕者になることは,今日の若い人々が従事しうる,あるいはそのたのめ訓練を受けうる,最もすばらしい生涯の仕事です。これこそ終りのない生命に通ずる道であり,またほかの人が生命を受けるための径路ともなるものです。若い奉仕者のみなさん,熱心に勉強し努力してください。そうすればあなたはエホバの新世社会のよりよい伝道者および代表者となって,エホバの御名にほまれと賛美を帰すことができます。