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統一された心からの忠節ものみの塔 1962 | 1月15日
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29 人々のどんな状態により,いまが「終りの時」であることが示されますか。野心に燃える人々は,利己的にもこれをどのように利用して,忠節をためしますか。
29 現在は,いまだかつてない国際的な恐怖の時代です。この恐れは,世の「終りの時」あるいは「この組織制度の終り」をしるしづけます。この世の状態は,イエスがあらかじめ告げた通りです。「人々は世界に起ろうとする事を思い,恐怖と不安で気絶するであろう」。(ルカ 21:25,26,新口)そのような恐れや,将来についての不安な気持ちがあるため,教訓を持たない人々は,保護,安全,および保存を約束する人間の制度に避難を求めます。彼らは有能な指導者をさがし求めます。それで,指導者の立場につき,人々の欲望や恐れを巧みに利用して,人々の忠節を求める人間や制度があるのは,ふしぎなことではありません。間違ったものに忠節をささげてその害を受けるというような失敗なしに,だれにまた何に忠節をささげるべきかという質問がいっそう強調されます。
30,31 (イ)だれが世界の恐れに加わりませんか。彼らは何をしますか。(ロ)私たちが忠節であると,どんな結果が保証されますか。それで,神は現在忠節な者たちにどんな報いを与えますか。
30 エホバの御名を恐れて,心の統一している私たちは,この古い世の国民や諸国家がもっている恐れや不安を持ちません。私たちは彼らの恐れを持つ代わりに,イエスがこの特定な時にせよと命じた通りのことをします。「これらの事が起りはじめたら,身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」(ルカ 21:28,新口)人間の制度とか政治的な独裁者でなく,全能の神にむかい,私たちは詩篇記者ダビデの言葉を借りて,次のように言います,「私の魂を守りたまえ,私は忠節を保ちます」。(詩 86:2,新世)エホバ神とその御国に忠節を保つなら,私たちが悪をして,大きな害をうけることはありません。私たちは正しい道に私たちをみちびかれるという彼の約束に頼ります。彼については次のように書かれています,「ヱホバ其聖徒の足を守り給はん悪しき者は黒暗にありて黙すべし其は人力をもて勝つべからざればなり」。―サムエル前 2:9。
31 その約束があるので,私たちの心と神経はぐっと強められます! 次の約束もあります,「かれは義人のために聡明をたくはへ直く行む者の盾となる そは公平の途をたもちその聖徒の途すぢを守りたまへばなり」。(箴言 2:7,8)現在,私たちがエホバの御名を恐れて心をひとつにし,エホバ神に忠節を保つときすばらしい報いを受けます! エホバは私たちが新しい世で永遠の報いを楽しむようにのぞまれています。それで,今でもわたしたちに報いを与えられるのです。エホバ神に永久の忠節を保つ人々は,新しい世を相続して,そこに住むでしょう。
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忠節な制度と共に預言するものみの塔 1962 | 1月15日
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忠節な制度と共に預言する
1 (イ)私たちが神に忠節をささげるとき,何にも忠節をささげることが必要ですか。(ロ)人々は,どんな宗教的な制度に忠節をささげるので,神への忠節をささげていませんか。
天と地を創造して組織した神に忠節を保つためには彼の制度に忠節を保たねばなりません。今日,ある宗教的な制度に忠節を保つなら,神に忠節を保つことであると考える人は大ぜいいます。しかし,彼らはこのことについて間違います。私たちの時代中に生ずると預言されたものの中に,「神よりも快楽を愛する者,信心深い様子をしながらその実を捨てる」人々や制度があります。(テモテ後 3:1,4,5,新口)これらのものは宗教的な主張をし,神に献身している振をします。彼らは司祭,司教,助祭,牧師,および神学博士として任命されている人々のとり行なう宗教的な儀式をします。同時に彼らは物質的なものを求め,霊よりも肉の思いをみたして,彼らが神の真の制度でないことを表わします。彼らはこの世の快楽やスポーツ,ゲーム,およびばくちを愛し,その生涯中に敬虔の実を示しません。彼らの行動は,おもてむきに敬虔そうな振をしても,実際はそうでないことを示します。彼らは偽りの制度に忠節であっても,「主イエス・キリストの父なる神」に忠節ではありません。(エペソ 1:3,新口)彼らは神に偽る宗教制度,すなわち神がご自分の制度として所有せられない制度に忠実です。
2,3 (イ)神はどの制度に忠節を保てと私たちに命じていますか。19世紀前のどんな日は,私たちのためにこのことを決定しましたか。(ロ)その日,クリスチャン会衆は,私たちが忠節をささげねばならぬ制度であると,どのように示されましたか。
2 神は見える制度に聖霊を注ぎ,忠節をささげよと私たちに命じました。いまから19世紀以上のむかし,西暦33年のペンテコストの祭の日に,エルサレム内のユダヤ人の会衆は,彼らこそ神の見える制度であると考えました。この理由のため,それより52日前のこと彼らの祭司や宗教指導者たちは,ローマ総督ポンテオ・ピラトをしてイエス・キリストを罪を犯した奴隷のごとく杭に釘づけさせました。しかし,五旬節のその日に生じたことは,彼らの考えが正しいかをはっきりあかしするものでした。イエス・キリストの弟子たちは,次のことを証言しました。すなわち彼は死んで3日目に死人の中からよみがえらされ復活後の40日間弟子たちにしばしば現われたこと,および彼らはイエスの昇天したのを目撃した,ということです。ユダヤ人の制度から排斥されたこれらの弟子たちは,エホバ神の目に見える新しい制度でしたか。ペンテコストの日は,権威のある仕方でその問題に判定を下しました。
3 その日,神の聖霊は神の是認した会衆の上に注がれました。エルサレムの宮で五旬節<ペンテコスト>を祝っていたユダヤ人の会衆の上にではなく,宮の外の一軒の家の2階に集まっていたイエス・キリストの弟子たちの上に注がれました。120名の弟子たちは,みな聖霊にみたされ,神のすばらしいことについて異言で語りはじめました。それより以前のこと,エホバ神がナザレのイエスに聖霊を注がれたとき,神は天から「これはわたしの愛する子,わたしの心にかなう者である」と言われました。同じく,神がエルサレムにあったその最初のクリスチャン会衆の上に聖霊を注がれたとき,神は彼らを是認してユダヤ人のエルサレム会衆を捨てたということをはっきり,目に見えるさまで示すものでした。ユダヤ人のエルサレム会衆は,イエス・キリストを殺したことについて共同の責任を持つものでした。その時以来,エホバの崇拝者がどの制度に忠節を保たねばならぬか,疑問の余地はなくなりました。それはクリスチャン会衆であって,ユダヤ人の宗教制度ではありません。
4 それはどんな預言を成就しましたか。2階の部屋にいた者たちは,どのように預言しましたか。
4 聖霊が注がれて,さまざまな影響が表われたことは,神の預言を奇跡的に成就しました。油注がれた者のひとりで,その日聖霊にみたされた使徒ペテロは,それがヨエル書 2章28-32節の成就であると語りました。その聖句は次のようです,「私は霊をすべての種類の人に注ごう。あなた方の息子,娘は預言し,若者たちは幻を見,老人たちは夢を見るであろう。そして私の男女の奴隷たちに霊を注ごう。……エホバの大いにして恐るべき日の来る前に。だれでもエホバの御名を呼ぶ者は救われる」。(使行 2:1-21,新世)その理由の故に,エルサレムの2階にいた人々は預言しました。すなわち神のすばらしいことを語って他の人々に聞かせました。
5 ペテロの言葉は,御霊の注がれた者たちがその部屋いた120名に限られたかどうか,どのように示しましたか。
5 御霊の注がれることは,エルサレムの2階にいた120人に限定されていませんでした。神は,天で彼の右に居られたイエス・キリストを用いて聖霊を注いだとペテロは語りました。数千人のユダヤ人は,その奇跡についてペテロの語った説明を聞きました。もし彼らがヨエル
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