正しい欲望をつちかう
『この世の組織制度に従うのを止めなさい。むしろ,神の善にして御旨にかなう全き御意をわきまえ知るために,あなた方の思を替えて変化しなさい。』― ロマ 12:2,新世。
1,2 クリスチャンはなぜ正しい欲望をつちかわねばなりませんか。それはどんな変化を必要としますか。
死にみちびく欲望があるように,生命にみちびく欲望もあります。これらは正しい欲望であつて,クリスチャンはその欲望をつちかわねばなりません。クリスチャンが世の一部であつたときには,この世の情欲に分けあずかり,この世と共に亡びに向う広い道に沿つて歩んでいました。しかし,もはやこの世の一部でなく,この世から離れたいまは,これらの古い欲望を棄てて新しい欲望をつちかわねばなりません。使徒ペテロは,次のように語つて,その事柄を明白に示しました,『過ぎ去つた時代には,あなたがたは,異邦人の好みにまかせて,好色,欲情,酔酒,宴楽,暴飲,気ままな偶像礼拝などにふけつてきたが,もうそれで十分であろう。』(ペテロ前 4:3,新口)しかし,人がこの世から離れて生涯を神の奉仕に献げ,そして最高者に従うことを同意するとき,聖書によつて人間の行為の上に課せられている合法の制束をもはや無視することはできません。彼は神の定め給うた制限内に自分の欲望を保たねばならないのです。
2 このためには,思を替えて考え方をすつかり変えることが必要です。それは,聖書に記されている神の助言といましめに心を開くことによつて可能となります。それらによつて,人は自分の考えを変えて神の考えに即応させ,そしてこの世の考えに即応しなくなります。広い道から出て,生命にみちびく狭い道に歩を入れるためには,これは絶対に必要なことがらです。そのわけで,使徒パウロは次の諭しの言葉を述べています,『この世の組織制度に従うのを止めなさい。むしろ,神の善にして御旨にかなう全き御意をわきまえ知るために,あなた方の思を替えて変化しなさい。』(ロマ 12:2,新世)これは,全く新しい人生観と新しい道徳の標準を必要とします。
3 人がつちかわねばならぬ一番重要な欲望は何ですか。クリスチャンは,その欲望を持つていると,どのように示しますか。
3 思を替たえクリスチャン生活を為しつづけるために,悪い欲望を抱くことはできません。まつたく,悪い欲望を心から追い出して,正しい欲望をつちかわねばならないのです。正しい欲望が何であるかについて分らないということはありません。それが何であるかは,聖書に明白に示されているからです。一番最初のもので,いちばん重要な欲望は,神の御意をするという欲望です。イエスはこれを認めました。そして,彼の行と言葉によつて,この欲望を持つていることを示しました,『私が天から下つてきたのは,自分のこころのままを行うためではなく,私をつかわされたかたのみこころを行うためである。』(ヨハネ 6:38,新口)キリストの弟子は,それぞれこれと同じ欲望を持たねばなりません。そして,水による洗礼によつて神への献身を象徴するとき,イエスと同じ欲望を持つていることを表明します。
4 人は,神の御意をしようとする欲望をどのように保つことができますか。
4 神に奉仕したいと欲することは,心に深く考えて成長させねばならぬ欲望です。それは正しい欲望だからです。生けるかぎり,その欲望を保ち持つために,聖書をいつも研究しなければなりません。そして,そのような研究から学ぶ真理と神の約束について深く考えねばならず,またそれらの真理や約束を公けに言いひろめることにより,神の御意を為すことに活潑に従事しなければなりません。あなたは,ダビデと同じ心持ちを持とうと努めるべきであります。彼はこう言いました,『わが神よ。我は聖意にしたがうことを楽しむ。なんじの法はわが心の中にあり。』― 詩 40:8。
生命に対する欲望
5 永遠の生命は,なぜ正しい欲望ですか。
5 神の御意をしようと欲することにより,あなたは永遠の生命を得る段階に入ります。これも正しい欲望です。そもそも,人間が永遠の生命を楽しむということは,神の目的だからでした。それは,神を愛し,また神に従順に奉仕して従う者の前に神の置かれた約束の報いです。『これが彼,自らわたしたちに約束された約束であつて,すなわち,永遠のいのちである。』(ヨハネ第一書 2:25,新口)『そはヱホバかしこに福祉をくだし,かぎりなき生命をさえあたえたまえり。』(詩 133:3)この良いものに,あなたは思いをめぐらすことができます。永遠の生命に対する欲望を成長せしめて,この古い世の快楽とか物質に対する利己的な欲望を追い出す程にいたしなさい。それを燃えつくす程の欲望にならせて,その実現については何ものの妨害をも許してはなりません。それについて注意深く考えなさい。それについて真剣に思をめぐらしなさい。
6 永遠の生命を求める者に神が課し給う要求のいくらかは何ですか。生命に通ずる狭い道とは何ですか。
6 しかし,ヱホバの要求し給う事柄を行うのにいやいやであるなら,永遠の生命を欲してもなんの益にもなりません。なぜなら,ヱホバは彼に従う者だけに生命を与えるからです。さてヱホバの要求しているものは,難しいことではありません。『人よ彼さきに善き事の何なるを汝に告げたり。ヱホバの汝に要めたまうことは,ただ正義を行い,あわれみを愛し,へりくだりて汝の神とともに歩むことならずや。』(ミカ 6:8)『幸いを見んがために生命を慕い,ながらえんことをこのむ者はたれぞや。なんじの舌をおさえて悪につかしめず,なんじの口唇をおさえて偽わりをいわざらしめよ。悪をはなれて善を行い,和らぎを求めて切にこのことを勉めよ。ヱホバの目は義しきものをかえりみ,その耳は彼らの叫びにかたぶく。ヱホバの御顔は悪をなす者にむかいてその跡を地より断ち亡したまう。』(詩 34:12-16)たしかに,正しいことを行い,親切を愛し,口唇を抑えて悪から遠ざかり,善をなし,そして平和を追い求めることは,決して難しすぎることではないでしよう。神の目から見て悪を行うことにより神の記憶から切り断たれたくないなら,これらの要求を心にとめて,行うように努めては如何ですか。それは,悪い欲望を心に抱くよりもあなたにとつてずつと良いことでしよう。悪い欲望について考えるならば,あなたは悪から離れてはおらず,悪の中に歩んでいることになります。それは,神とともに謙遜に歩めと述べている聖書の意味ではありません。神と共に歩むとは,神の要求し給うことをすることにより,従順の道に従うことです。
7,8 (イ)クリスチャンは,なぜ自分の歩く仕方に注意深く気をつけねばなりませんか。彼は何を耐え忍ばねばなりませんか。(ロ)彼は何に集中しなければなりませんか。
7 ひとたび生命に通ずる狭い道を歩み始めたならば,どう歩くかによく気をつけて悪い欲望の故に傍道に入らないようにします。けわしい山腹の高いところにある細い道を歩くなら,あなたは自分の足の置き場所に注意を良く払うでしよう。別の方向を見たりすることなく,またいろいろな欲望で自分の心を乱れさせることもしないでしよう。あなたは一歩一歩に全心を集中するでしよう。一歩踏みはずせばあなたの生命を失います生命に通ずる狭い道を歩むのも,それと同じ位に注意深くすることが大切ではありませんか,傍道を取るなら,狭い山道から足を踏みはずして失うものよりも,もつと多くのものを失うでしよう。あなたは永遠の生命を失うでしよう。傍の道を取つてはなりません。神の言葉である聖書に従いなさい。
8 忠実な忍耐をすることによつてのみ,その狭い道を歩みつづけることができます。この世の物質的な誘惑とか,その欲望の悪い影響に忍耐することができないなら,生命に対するあなたの欲望を決して達成しないでしよう。このことについて,イエスはこう言われました,『あなた方は,忍耐することによつて,将来の生命を勝ち得るであろう。』(ルカ 21:19,新世,脚註)物質主義とか肉欲に対する欲望を抱いて,その流沙に引きずりこまれるなら,永遠の生命という目標にどうすれば達し得ると期待しますか。生命に通ずる道に止まるというよりは,その道から取り出されて引き離されるではありませんか。そのような事があなたに起きないなどと考えてはなりません。それは起きるのです。それですから,正しい欲望をつちかうことに心を集中しなさい。そうすれば悪い欲望の強い誘引力にさからうことができます。それだけが,耐え忍んで永遠の生命の報いを刈る唯一つの方法です。
智恵に対する欲望
9,10 (イ)それ以外に,クリスチャンは何を望むべきですか,そして,なぜ?(ロ)霊的な食物の給せられるときになぜ注意を払わねばならぬかを説明しなさい。
9 ヱホバ神に奉仕するという欲望および永遠の生命に対する欲望をつちかうことに加えて,あなたは智恵をも欲すべきであります。あなたの探さねばならぬ智恵は,この世の智恵ではなく,聖書に記されているごとく上からの智恵です。その価値は,金や銀の価値よりもはるかに高いものであつて,この世の提供するいかなる物より望ましいものです。『なんじら銀を受くるよりは我が教を受けよ。精金よりもむしろ知識を得よ。それ智恵は真珠に勝れり。すべての宝もこれに比ぶるに足らず。』(シンゲン 8:10,11)しかし,聖書の個人的な研究や群の研究に時間を費そうとしないなら,あなたはその智恵を求めていると言えるでしようか。あなたはその価値を認識していると言えるでしようか。同じ質問は,ヱホバの証者の大会に出席しても演壇から与えられる霊的な助言や指示に注意を集中する為に着席せず,会場を歩き廻つて訪問する人々にもなされるでしよう。そのような人々は,智恵と正確な知識を求めているなどと,どうして真面目な気持で言えるでしようか。
10 物質面で望ましいすべてのものも,智恵と匹敵できるものは一つもありません。それで,神権制度によつて霊的な糧が給せられる時には,何時でも注意深くしていたいと欲します。それに対する強い欲望をつちかうことは,まつたく安全であります。『ヱホバの法は全くして魂を生き返らしめ,ヱホバの証はかたくして愚かなるものを智からしむ。ヱホバの訓諭はなおくして心をよろこばしめ,ヱホバの誡命はきよくして眼をあきらかならしむ。ヱホバをかしこみおそるる道は清くして世々にたゆることなく,ヱホバのさばきは真実にしてことごとく正し。これを黄金にくらぶるも,多くのまじりなき金にくらぶるもいやまさりてしたうべく,これを蜜にくらぶるも蜂の巣のしたたりにくらぶるもいやまさりて甘し。なんじの僕はこれらによりていましめを受く,これを守らば大なる報いあらん。』(詩 19:7-11)これらのものは,真実の智恵をもたらします。そして,次には理解と自由と生命の報いをもたらします。
神権的な友に対する欲望
11 交わりをなすことは,正しい欲望をつちかうことにどんな役割を果しますか。
11 ヱホバの神権制度に交らないなら,忠実に忍耐して生命の報いを刈るということに自分自身を助けていません。それで,献身したクリスチャンが,同じ聖書的な希望と欲望を抱く人々を友にしようという欲望をつちかうことは必要です。彼らはあなたを助けて生命に通ずる狭い道にしつかりと立たせ,そして悪い欲望をしりぞけさせることができます。この終りの日にあつては,このように互に援助し合うことは極めて必要なのです。そして,それはヱホバが御自分の献身した僕たちを新しい世の社会に組織した理由の一つであります。そのようにして,彼らは古い世の悪い影響から離れて互に交わり,おたがいを建て起すことができます。『愛と善行とを励むように互に努め,ある人たちがいつもしているように,集会をやめることはしないで互に励まし,かの日が近づいているのを見て,ますます,そうしようではないか。』(ヘブル 10:24,25,新口)私たちは最後の日であるハルマゲドンの日が,ますます近づいているのを見ます。そして,悪い欲望が強力に私たちを誘引して,大切な目標に達する道から私たちを引きはなそうとしているのを感じます。まつたく,疑問の余地はありません。私たちは神に献身した他の僕たちの励ましが是非とも必要なのです。
12 この世の人々を友にすることは,なぜ正しい欲望をつちかうことに人を援助しませんか。
12 しかし,新しい世の社会の交わりを求めようとしないなら,神と共に謙遜に歩むこととが,正しい業を行うためのお互の励ましをどうして受けることができますか。この世の人々との交わりは,あなたを助けて正しい欲望をつちかうことには,けつしてなりません。『まちがつてはいけない。悪い交わりは,良いならわしをそこなう。』(コリント前 15:33,新口)正しい欲望をつちかおうと努めることによつて,あなたは,神に栄光をもたらすと共に自分自身に永遠の生命をもたらす良いならわしをつちかうことを努めているのです。しかし,この世の人との交わりはそのような良いならわしをそこなうのであるなら,なぜこの世の人々と交わるのですか,そのような良いならわしを強める人々と,なぜ交ろうとしないのですか。理窟から言つても,肉欲や,快楽や,物質の所有を心に抱いているこの世の人々と交わるなら,あなたもそのような事柄を心に抱くようになるでしよう。それですから,この世の人々との交わりを求めるとき,聖書の禁ずるそれらの事柄から心を替えようとしているなどということを,どうして言うことができますか。そのような人々と交わることは,あなたの心を入れ替えて聖書と一致調和させることにはなりません。それは正しい欲望をつちかうことではありません。また,生命に通ずる道におけるあなたの立場をかたくするものでもありません。それで,この世の人々を友にするよりは,敬虔な人々を友にしなさい。新しい世の社会の献身したクリスチャンたちと共にいるように努めなさい。それらの人々を友にすることは,あなたの目標を達成する助けとなります。彼らを友としようと欲することは,良い欲望です。
正しい種類の考えをしなさい
13,14 正しい欲望をつちかうには何が必要ですか。何について思をめぐらして考えるべきですか。
13 誠実な努力をしないなら,正しい欲望をつちかうことはできません。そのことについては,絶えず努力しなければならないのです,というのはあなたは多くの弱点を持つ不完全な人間だからです。それらの弱点を認めて,それからそれらをしりぞけようと誠実な気持で努めてこそ,これらの弱点を克服することができます。もし悪い欲望を心に考えるならば,自分自身を助けることにはなりません。悪い欲望を心に抱くあいだは,その欲望は成長してあなたをしつかり捉えてしまうでしよう。それですから,その欲望を取りのぞいてしまいなさい。別のことを是非とも考えなさい。つちかおうと努めている正しい欲望のことを考えなさい。ヱホバの御名とその神権制度に非難をもたらすようなことをしたくない,と考えなさい。ハルマゲドンに生き残りたいという欲望および神の新しい世で永久に生きたいという欲望について考えなさい。これらの正しい欲望について考え,また悪い考えや衝動は正しい欲望を認めさせるようにならないと考えることによつて,不適当な考えの入つてくるのをしりぞけることができるでしよう。
14 悪い考えを持てば悪い欲望が生じます。それですから,一瞬間でも油断してならないことは,当然です。神の是認を頂くような事柄に考えを保つことによりあなたの考えを常に制御しなければなりません。『最後に,兄弟たちよ。すべて真実なこと,すべて尊ぶべきこと,すべて正しいこと,すべて純真なこと,すべて愛すべきこと,すべてほまれあること,また徳といわれるもの,称賛に値するものがあれば,それらのものを心にとめなさい。』(ピリピ 4:8,新口)情欲に充ちて,その考えがいつも悪いこの世の影響を受けることなく,これらの事柄を良く考えて考慮いたしなさい。
15 人はこの世の悪い考えをどのようにしりぞけることができますか。
15 クリスチャンは,この古い世の一部ではありませんが,それでも今は古い世に生活しており,悪い考えといつも接しています。そのような悪い影響をしりぞけるために,クリスチャンは霊的な食物に心を養いつづけ,また清い考えを持つ新しい世の社会と交わりを保たねばなりません。そして,正しい欲望をつちかわねばならないのです。『あらゆる種類の人を救う神の過分の御親切は,表明された。そして,不敬虔とこの世の欲望を捨てて,現在の組織制度では慎み深く,正しく,かつ敬虔に生活するようにと私たちを教える。』(テトス 2:11,12,新世)悪い考えと欲望を心に抱くならば,神の見地から見て健全な心を保つことはできないでしよう。それはこの古い世の不健全な考えにみちびくものです。
16 (イ)ヱホバはどのように私たちを助けて正しい欲望をつちかわせますか。私たちはどのようにヱホバの御準備から益を得るのに失敗しますか。(ロ)神の考えをどのように取り扱うべきですか。
16 ヱホバは,御言葉と神権制度を通して,高尚な考えを備えておられ,あなたはそのことに思いをめぐらすことができます。それらは義しいものであり,極めて大切なものです。そして,あなたを助けて正しい欲望をつちかわせるものです。しかし,心に滋養を与える食物を取らないならば,どうしてそれから益を得ることができますか。悪い欲望をしりぞけるだけの力を,どうして受けることができますか。聖書の個人研究をないがしろにしたり,また新世社会の成員と共に群の研究に定期的に出席しないなら,聖書的な制限からあなたを引き離すような悪い欲望を考えることについては,あなた自身を責めねばならないでしよう。一方,たとえ群の研究に出席しても,学ぶ事柄を深く考えないなら,あなたは何を得ますか。あるいは,研究中に他の事柄を考えるなら,どんな益を受けますか。あなたの時間を浪費したことにはなりませんか。聖書研究から学ぶ事柄に綿密な注意を払うことにより,また神の考えを深く心に納めることによつてのみ,ひとたび足を踏み入れた,生命に達する狭い道を歩みつづけることができます。それで,あなたはそのような考えを大事にしなければなりません。それらについて深く考え,心の中でくり返し思い,いろいろな角度からそれらを見なければなりません。一つの宝石を取り扱うように,それらの考えを取り扱いなさい。あなたは手の中で宝石をぐるぐる廻して,その光り輝く美をあらゆる角度から調べます。ダビデの為したのと同じように神の考えを考慮しなさい。『神よ,なんじのもろもろの聖念は,われにとうときこといかばかりぞや。そのみおもいの総計はいかに多きかな。』(詩 139:17)もしあなたがこのことをするなら,悪い考えや悪い欲望の入ることをしりぞけることができます。
17 御国奉仕が私たちにとつて祝福であるのは,どうしてですか。
17 ヱホバは,あなたの心を充たす良い事柄を与えて,正しい欲望をつちかうことを援助するだけでなく,良い活動をも備えられます。かくして,あなたは正しい業にいそがしくはげみ,正しい種類の考えをすることができます。この活動は御国奉仕であつて,神の言葉の中にある多くの真理を公やけに述べ表わすことです。それは献身したクリスチャンに対する祝福であり,保護であります。それですから,それが牧師階級のような少数の選ばれた者に限られておらず,すべての人に与えられたことに対し,神に感謝を捧げるべきです。このことによって,献身した各クリスチャンは,神の御言葉から学ぶ良い事柄を活用して,それを心に深く刻みつけることができるのです。
18 (イ)クリスチャンは,新しい世の社会内の立場をどのように弱くしますか。(ロ)その人には,遂には何が生じますか。
18 あなたの福利と正しい心の状態を保つ為,奉仕は極めて大切なものです。それであるなら,事業の利益の為に奉仕をなおざりにすることは賢明でしようか。金銭を求めることだけに,時間と考えを費して,神の言葉の研究やその真理を他の人に伝道する活動に,ほとんど考慮を払わないことは賢明でしようか。物質に対する欲望であなたの生活を一杯にするのは賢明でしようか。そのことをするクリスチャンは,正しい欲望をつちかうことにすべての努力をつくしていることになりません。その人は,新しい世の社会内における自分の立場を強めておらず,むしろ弱めています。その人は,悪い欲望をしりぞけるために心を強化していません。その人は非常な間ちがいをしているのであつて,測り知れない程の大きな害を受けます。その人は,物質主義の流沙に沈んでおり,間もない中に新しい世の社会の伍列から消えてなくなるでしよう。その人を新世社会内に見出そうとしても,いません。ハルマゲドン前に新世社会内にいないならば,どうしてハルマゲドン後にいることができるでしようか。
19 あなたは何に警戒すべきですか。採るべき賢明な道は何ですか。
19 その間ちがいをしてはなりません。物質に対する欲望を自由勝手にほしいままにしてはなりません。それを成長せしめて,あなたの生涯を左右せしめるようなことをしてはいけません。そうすれば,それは悪い欲望になります。『あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持つていても,人の生命は,持ち物にはよらないのである。』(ルカ 12:15,新口)実際のところ,あなたの持つ物または持とうと欲するために,あなたの生命を犠牲にすることがあるのです。そして,物質主義の故に永遠の生命を失うことは,ほんとうに極めて高価な犠牲です。それで,賢明な事は,あなたの物質主義的な欲望を制御することです。その欲望を制束しなさい。物質をあなたの主人にしないで,あなたの奴隷にいたしなさい。あなたがそれらに仕えるのでなく,それらをしてあなたに仕えさせなさい。
20 種子播き人の譬え話は,献身したクリスチャンにとつて,どのように警告となりますか。
20 イエスが種子播き人について述べた譬話を想い起してごらんなさい。種子播き人が播いた種子のいくらかは,茨の中に落ちてふさがれました。これは,地上の住民のあいだに真理の種子を最初に播くことに関するものです。しかし,それは又献身したクリスチャンに対する警告でもあります。クリスチャンが真理の種子を成長させ,結実させても,物質的な欲望によつて塞がれることはあり得るのです。それについてのイエスの言葉に耳を傾けてごらんなさい,『また,いばらの中にまかれたものとは,こういう人たちのことである。御言葉を聞くが,世の心づかいと富の惑わしと,その他いろいろな欲とがはいつてきて,御言葉をふさぐので実を結ばなくなる。』― マルコ 4:18,19,新口。
21 悪い欲望をしりぞける決意を,どのように強めることができますか。
21 この世の物質に対して心をゆるし,そのことを心に思いめぐらすなら,それはあなたをぐんぐん誘引して,神の御言葉に対する愛をふさいでしまうでしよう。このようなことを生ぜしめてはなりません。むしろ,神の正義の新しい世に思いをめぐらしなさい。それに対する強い欲望をつちかいなさい。それについての明白なまぼろしを常に目前に保ちなさい。それについて深く考えなさい。自分が楽園の美の中に歩いていると想像しなさい。その平和と静けさを感じなさい。自分が古い世の一都市の廃墟の有様と,新世社会の幸福な成員が忙しくその廃墟を片づけて清掃している有様を見ていると想定しなさい。ハルマゲドン生存者の中にいて,古い世のそのような廃墟を見ることができ,その一部にならなかつたよろこびを感じなさい。新しい世の社会からあなたを引き抜こうとする悪い欲望を許さなかつたことに,ほつとした感じを持つでしよう。その感じを想像するように努めなさい。あなたは,そのような悪い欲望をしりぞけたからこそ,生存しているのであつて,古い世の廃墟の中に,しりぞけなかつた人々の骨を見ることができるのです。新しい世にいるということを,つねに頭で考えることにより,そして古い世を振返つて見ることにより,しつかりと立つて悪い欲望をしりぞける強い決意をつくり上げるのです。あなたの持つ衝動や欲望がどんなものであろうと,それは正義の新しい世に生き残ることについてあなたを助けるか,またはあなたを阻止するかということで測られるのです。
22 使徒パウロの確信は何でしたか。それは,私たちをどのように助けますか。
22 あなたは神の新しい世に対する鋭い欲望をつちかうべきです。そうすれば,なにものもあなたを神権制度,およびその上なる権威であるヱホバ神とその御子から引き離し得ないでしよう。あなたは,使徒パウロの抱いていた確信と同じ確信を心につくりあげねばなりません,『だれが,キリストの愛から私たちを離れさせるのか。患難か,苦悩か,迫害か,飢えか,裸か,危難か,剣か。私は確信する。死も生も,天使も支配者も,現在のものも将来のものも,力あるものも,高いものも深いものも,その他どんな被造物も,私たちの主キリスト・イエスにおける神の愛から,私たちを引き離すことはできないのである。』(ロマ 8:35,38,39,新口)あなたもこれらの中の一つとして,神の愛からあなたを引きはなし,そしてキリストおよび,新しい世の創造における神の愛の表われから,あなたを引き離し得ないと確信するなら,あなたは悪い欲望をしてあなたを引き離せしめるようなことは先ずしないでしよう。悪い欲望はあなたの将来を危険にすると認識するでしよう。悪い欲望が根づいて悲哀をもたらす以前に,それを除きとるでしよう。それについて心をめぐらして考える,というような他の人の間ちがいをあなたはしないでしよう。
23 (イ)この助言をどのように受け入れるべきですか。(ロ)自分自身をどのように調べるべきですか。
23 さて,この助言を単なる言葉として受け取つてはなりません。この号の「ものみの塔」を傍に置いてから,その助言も頭から無くなるなどということを許してはなりません。むしろ,よく考えなさい。自分自身を調べて,悪い方向にみちびく欲望を抱いているかどうかを見てごらんなさい。自己の評価には率直でありなさい。それは,ハルマゲドンの戦に生存するか,または生存しないかの違いを意味するでしよう。正しい欲望をつちかうためにどんな努力を為しているかを考えなさい。あなたは神権制度と定期的に交わつていますか。あなたは,ヱホバが制度を通して備えられる霊的な糧を食していますか。あなたは,聖書の個人研究のためと自分の学ぶ真理についての深い考えをするために時間をかけていますか。あなたは,神の考えを心に深く納めていますか,それともあなたの研究は表面的なものですか。あなたは御国奉仕に活潑ですか,それとも個人的な欲望によつて他の関心事に引き離されるのをゆるしますか。あなたは,正しい欲望をつちかつて,悪い欲望をしりぞけようとする確乎とした努力をしていますか。それで,自分自身を調べなさい。忘れてはなりません,この終りの日のあなたの考え方とあなたの行は,永遠の生命を意味するか,永遠の死を意味するか,そのどちらかなのです。その理由の故に,正しい考えと正しい欲望をつちかうよう確乎とした努力をいたしなさい。
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肉の働きは明白である。すなわち,不品行,汚れ,好色,偶像礼拝,まじない,敵意,争い,そねみ,怒り,党派心,分裂,分派,ねたみ,泥酔,宴楽および,そのたぐいである。しかし,御霊の実は,愛,よろこび,平和,寛容,慈愛,善意,忠実,柔和,自制であつてこれらを否定する律法はない。―ガラテヤ 5:19-23,新口。