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キリストのあがないからいま益を受けるものみの塔 1962 | 5月15日
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ことができます。それだけでなく,幾分かの聖霊をエホバに求めることができるのです。エホバがそれを喜んで与えて下さることは確かです。―マタイ 6:9。ルカ 11:13。
この聖霊によって,あなたは義の道を歩むことができます。しかしそのためには,神の言葉と目に見える神の制度の助けもまた必要です。これらのものを受け入れることによって,あなたは心を新らたにし,新しい人格を着けることができるでしょう。そのうえ,ある程度まで義と認められたとの理由で,あなたは正式に義と認められたキリストのからだの残れる者と交わるにふさわしい者となります。またエホバがいま行なわれている大きなわざすなわち「この御国の福音」を「すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝える」わざに,残れる者と共に参加できます。―ロマ 12:2。エペソ 4:23,24。マタイ 24:14,新口。
しかし次の疑問が心に浮かぶかも知れません。昔の忠実な人々は,義と認められませんでしたか。その人々は神と友なる関係を持ちませんでしたか。キリストのあがないがまだ備えられなくても,その人々はエホバに祈り,奉仕をささげる特権を持ち,聖霊を受けませんでしたか。たしかにそうです。キリストのあがないが支払われる時まで,神はご自分の僕たちをある程度まで義と認め,ご自分と友なる関係を持つことを許されました。神は彼らの信仰,義に対する愛,彼らが動物の犠牲をささげたことに基づいて,その事をされました。このような動物の犠牲は,キリストのあがないを予表するもの,すなわち表わすものでした。しかしそれは罪を清めて永久に除くことができず,永遠の生命の希望を与えることもできなかったのです。そのためにイスラエルの国民は,年毎にこれらの犠牲をささげなければなりませんでした。―ヘブル 10:1-4。
しかしイエス・キリストが地にこられて,人間の罪のために死なれたとき,神は罪を許すため,また神と友なる関係を得るためのより良い,永続する基礎を備えられました。また同時にキリストのあがないが唯一の道であることをも定められました。ゆえにイエスは次のことを言われたのです。「わたしは道であり,真理であり,命である。だれでもわたしによらないでは,父のみもとに行くことはできない」「わたしの名によって願うならば……かなえてあげよう」― ヨハネ 14:6,13,14,新口。
神の正義の新しい世は,私たちの目前に迫っていますから,あがないの益をいま受ける人々は,現在の悪しき組織制度を終らせるハルマゲドンの破壊的な戦争のとき,神の保護を期待できます。それはノアとその家族が昔の世界の滅びを生き残ったのと同じです。聖書はそのことを示しています。この戦争のあとで,「大ぜいの群衆」はキリストのあがないが肉体に与える益を受けるようにになり,死ぬことなしに次第に心もからだも完全になります。すなわちこれらの人々の前途には決して死なないという見込みがあるのです。次の言葉はそのことを預言的に約束しています。「ヱホバを求め公義を求め謙遜を求めよ然すれば汝等ヱホバの忿怒の日に或は匿さるゝことあらん」― ゼパニヤ 2:3。
まことに,キリストのあがないの益をいま進んで受ける人々は最も祝福された人々です。
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エホバの証者になった牧師ものみの塔 1962 | 5月15日
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エホバの証者になった牧師
パプアの一特別開拓者は次のことを書き送ってきました。「最近,ヨーロッパ人の一牧師がここに立ち寄りました。そして以前,仲間だった現地人の牧師を訪問しました。この人は最近エホバの証者になったのです。ヨーロッパ人の牧師がその人にむかい,エホバの証者の言葉に耳を傾けた理由を尋ねたところ,その人の以前の教会が人々から離れてうちとけないのにくらべ,エホバの証者は現地人と交わるので,イエスや使徒にもっと似ていると思うとの返事でした。全くその通りなので,ヨーロッパ人の牧師は,それ以上何も言わないで立ち去りました」。
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