公けに述べる私たちの希望をしつかりと保つ
『約束された方は忠実である故に,公けに述べる私たちの希望を,迷うことなくしつかりと保つていこう。また愛と正しい業を励ますよう互いに心がけよう。ある人の習慣のように,共に集まるのを怠つてはならない。その日の近づいているのを見て,ますますもつて,そうしようではないか。』― ヘブル 10:23-25,新世。
1 (イ)なぜヱホバの証者は生きるのを願いますか?(ロ)その生命の希望は,どんなかたい基礎の上に基いていますか?
ヱホバは生命の与え主です。また生命を得る仕方について,人間に知識を与えます。ヱホバの証者は永遠の生命の希望を持つており,またヱホバの恵みの御親切により,どのように永遠の生命を得ることができるかと知つて感謝しています。生命のあるときに,宇宙の最高支配者を崇拝することができるため,ヱホバの証者は生きるのを願います。(詩 118:17)多くの人間は死にたくなく,塵に戻るのを願いません。その行くところの墓には知識も知恵もなく,それに死人は業をすることができないからです。『生者はその死なんことを知る。されど死ぬる者は何事をも知らず。その憶えらるることも遂に忘れらるるに至る。』(伝道之書 9:5,10)神の新しい世で生きる生命は,人間にさしのべられている希望です。ヱホバの証者は,その新しい世の組織制度に希望を持ち,しかもこの信仰と希望は,ヱホバの御言葉の知識にもとづいているのです。
2 私たちは,なぜヱホバの御言葉を学ぶべきですか?
2 ヱホバの御言葉には力があります。『神の言葉は生きており,力を持ち両刃の剣よりも鋭い。』(ヘブル 4:12,新世)この真理を心にとめて,もし知り得るならば,何時の時でもヱホバの言われることは何であるか私たちは是非知りたいと願います。ヱホバの御言葉をたしかに学びたいと願います。神の言われることは,生物にも無生物にも非常な影響を与えるゆえに,神の言われるとき,是非ともそれを聴くべきです。『信仰により,組織制度は神の御言葉によつて統一されたと悟る。それで,見えるものは,見えないものからできたのである。』(ヘブル 11:3,新世)神の御心にかなつたダビデは,ヱホバの御言葉の力を深く認め『もろもろの天はヱホバのみことばによりてなり,天の万軍はヱホバの口の気によりて造られたり。』と述べました。(詩 33:6)創造者の御言葉の力は,人間には測り知ることができません。聖書の中に,『力は神にあり』また『全能者は,……能おおいなる者にいます』と書かれています。(詩 62:11。ヨブ 37:23)主権の支配者で,天と地のすべての力を持たれる故に,御自分の御言葉をかならず立たせ,成就せずにそれが戻ることを決して許しません。それで,御自身次のように言われています『かくわが口よりいづる言葉もむなしくは我にかえらず,わがよろこぶところをなし,わが命じ遣りし事をはたさん。』(イザヤ 55:11)かくまでも力ある御言葉は,是非とも研究すべきです。
3 ヱホバの主要な代弁者キリスト・イエスの言葉をどのように見るべきですか?
3 イエスがこの地上を歩かれたとき,天に居られる御父の言葉を語られました。イエスはヱホバの御言葉に信仰を持ち,その命の路は御父の約束にもとづいていました。『私があなた方に語つたものは,霊であり生命である。しかし,あなた方のあるものは,このことを信じない。』と言われたのは,イエス自身でした。(ヨハネ 6:63,64; 8:26-28,新世)クリスチャンと自称する多くの人は,自分自身で神の御言葉の裁き人となり,聖書のある聖句は真実で認めることができるか,あるいは棄てるべきかをめいめいで決めているというのが実状です。自分たちの智恵をヱホバ神御自身の知恵よりも上にあげており,自ら不信者の級にしています。ヨハネ伝 6章63節(新世)の欄外を読むとき,イエスの言葉はより強いものになります。『私が,あなた方に語つた言葉は,霊を意味し,生命を意味する。』
4 イエスは,偽りの考え方の危険をどのように例証しましたか?
4 神の御言葉をおしのけてしまい,『いつか見ることにしよう。これからも長く生きて行くことだし,とにかく後になつて都合の良い時にしよう』などと言う時ではありません。この世には非常に大切でなければならぬものが多くあり,「古臭い」聖書のための時間などはない,と人は論じます。人は,時代遅れになりたくありません。また,富を蓄えれば,後年で生活を楽しめると考えます。しかし,人はその貯蓄を到底楽しむことはできず,それに人はたやすく死亡し,永遠に生きることはできまん。イエスは,ある時にこのことを説明しました。『ある金持ちの土地は豊作であつた。それで「どうしようか。作物を集めて置くところがないのだが」と心に考えめぐらし,こう言つた。「こうしよう。倉庫をこわして,いまのよりも大きいのを建てよう。そこに穀物や良いものを皆集めて,魂に言おう『魂よ,お前は長年分の良い物を貯えているぞ。気楽にし,食べ,飲み,楽しめ』すると,神は彼に言われた。「分別の無い者よ,今夜お前の魂は取りさられる。そのとき,お前の貯えたものは誰のものになるのか?」 自分のために宝を積んでも,神に対して富まない者は,これと同じである。』― ルカ 12:16-21,新世。
5,6 対照として,正しい考え方をする人は何をしますか?
5 神に対して富み,あなたの希望をしつかりと保つためには,神の貴い御言葉を学び,それを絶えず公けに言い表わさなければなりません。新しい世の生命の希望を持つ者は,みな大胆にそして注意深くこの良いたよりを語り,聞こうとするすべての人に知らせなければなりません。『御国のこの良いたよりは証しをするために,全世界に伝道されるであろう。』とイエスは語りました。その伝道される言葉は生命の言葉だからです。(マタイ 24:14,新世)ある人が真の神に信仰を持つことは,神の御言葉を聞くことから来ます。『しかし,信じていない者をどうして呼び求めようか? それに,聞いたことのない者に,どうして信じることができようか? 誰かが伝道しないならば,どうして聞けようか?』(ロマ 10:14,新世)永遠の生命の言葉を知つている者は,他の人も聞くことができ,そして聞く者が信仰を持つために,人々を教えなければなりません。そうすれば,こんどはそれらの人々も,教える人のように神の御言葉を学びます。『御言葉を宣べ伝えよ』は,信仰が正確な知識の上に建てられると知つていたキリスト・イエスの忠実な追随者が与えた諭しの言葉です。(テモテ後 4:2)新しい世で生きるためには,人は神の知識で充たされねばなりません。神の知識で充たすことができないと,神は良い先生ではないなどと言うかもしれません。しかし,『すべての者はヱホバから教えられる』と真のクリスチャンは認めています。(ヨハネ 6:45,新世。イザヤ 54:13)そのようなすばらしい先生から学ぶとき,あなたはその知識を自分一人だけで持つていたいとは願いません『人は心に信仰を働かせて義とされる。しかし,口で公けに言い表わして,救われるのである。』― ロマ 10:10,新世。
6 それで,関心事とは私たち自身についてであり,私たち自身が良い伝道者の群になることです。パウロは『あなた自身とあなたの教えにいつも注意を払いなさい』と強くいましめました。(テモテ前 4:16,新世)それで,各人が神の御言葉,聖書を研究しようと決意し,自分自身に注意を払つて,永遠の生命をたしかなものとするのは賢明なことです。また同時に,聖書を熱心に学ぶことにより,自分の教えにいつも注意を払うことができ,他の人に語るものは真理であると確信できます。クリスチャンとしてヱホバの教えに従わねばなりません。『かたく教えをとりて離すこと勿れ,これを守れ,これは汝の生命なり。邪曲なる者の途に入ることなかれ,悪しき者の路をあゆむこと勿れ。これを避けよ,過ぐること勿れ,離れて去れ。』(シンゲン 4:13-15)これ以上にはつきり言うことができるでしようか? 教えは私たちの生命であると言われています! それで,教えに注意を払い,生活の仕方を学ぶのは良いことです。
「いままでにない時」
7 どのような顕著な面で,いまの時代は『国あつて以来』の他の時代とは違うのですか?
7 いまは非常に悪い時代であつて,全歴史のうちで最悪のものです。どこであつても,いたるところで,憎しみ,争い,戦争が見られます。ほとんどどの人の手もその隣人に反抗しているようです。この世は利己主義や恐れで充ちていますが,それは悪魔サタンを神とする狂気と憎しみに充ちた世の産物です。サタンはこの世の組織制度の神であると,神の御言葉は言つています。この重大な問題につき,ヱホバの証者は人々の心を啓発しようと努めています。同時に,ヱホバの差しのべられる人類唯一つの希望,つまり神の御国の希望をすべての国の民に差しのべます。この古い世に住む人は,死にいたる悪しき途から離れるために,教えを必要とします。『いま私たちの述べる良いたよりが実際に覆われるならば,それは亡びゆく人々の中に覆われるのである。それらの人々の中にあつて,この世の組織制度の神は不信者の心をめくらにし神の像であるキリストについての栄光ある良いたよりの光を輝かせまいとしている。』(コリント後 4:3,4,新世)世界の全国民の中でよろこんで聞く者たちに,ヱホバの証者は定期的に音信をつたえ,その音信を通して光は今日いままでになく輝いています。幾十万という人々は聞いています。ますます多くの人は知識と教えを取り,そして永遠の生命の道を歩み始めています。いまこそ,イエスの予言されたように,大いなる証言の与えられる時です。『御国のこの良いたよりは,すべての国民に対して証しをするために全世界に伝道されるであろう。それから全き終りが来るのである。』(マタイ 24:14,新世)『ヱホバの御国を宣明する』この大きな業に,あなたも参加いたしますか? そうです。できることです。それに,神の御言葉からの教えに注意を払い,その教えをしつかりと守るならば,参加したいと願うでしよう。
8,9 神の真の崇拝者がいま正しく一致して研究し,働くことはなぜそんなにも重要なのですか?
8 いまこそ,ヱホバの新しい世で生きることを願う人々が互いに結合すべき時です。聖書を自分一人で研究することは必要です。しかし,同じ貴重な信仰を持つ人々と一緒に研究することは,さらに必要なものです。聖書に述べられている神の御言葉は,非常に力強いもので,その教えに従うことにより生命が得られるならば,神の御言葉を信ずる者は何を為すべきですか? 最初に研究し,それからその学ぶものについて語らねばなりません。知識を得るために,働くことは必要です。その知識を保つためには,用いなければなりません。自分の知つていることを他の人も知つてもらいたいと願うために,あなたは語ります。ヱホバの長なる証者キリスト・イエスは,良いたよりを伝道し,人類に救をもたらしました。しかし,1900年前に使徒を導き正しい模範を残された時とはちがい,彼はいまは肉で私たちと共におりません。『それで,私たちはキリストの代りの大使であり,恰も神は私達を通して勧められているようである。キリストの代りの者として私たちは願う。「神と和解しなさい」』(コリント後 5:20,新世)パウロはコリントの会衆にあてて,それらの言葉を述べました。今日では,どこにいてもヱホバの証者はヱホバ神の一致した会衆です。彼らは一致し結合して業を行います。つまり,全世界に伝道し,正義を愛するすべての人に生命の道を示すことです。どのヱホバの証者も,神の御言葉に述べられている真理を常に保たねばなりません。ヱホバの神権制度にいる者はみなヱホバの考えのように考えることは必要だからです。ヱホバは彼らの先生であり,その御言葉は教科書である故に,彼らは同じように考え,同じように働き,同じように崇拝します。それで,ヱホバの神権制度内にたがいに結合することは,永遠の生命を意味するものです。この新しい世の社会にいる者がひとり立ちして行こうとすると,とうてい成功することはできず,その生命の希望は実現できないとすぐに知ります。その人は,新しい世に決して入ることができません。それで,私たち各自はヱホバの新世社会にとどまらねばならず,また同時にその一員として活動しなくてはなりません。
9 ヱホバ神は,いまキリスト・イエスを通し,すべての善意者と正義愛好者をたがいに集められていることは明白です。(ゼパニヤ 2:1-3)ハルマゲドンの戦以前にヱホバはこのことをされています。いま教えに従う人は,この古い世から逃れて新しい世の組織制度に入ります。多くの『他の羊』が新世社会に集められている故に,ヱホバの証者がたがいに知り合う,特に会衆内の各人と知り合うことは是非必要なことです。その会衆の利益や,会衆が何をするかについて学ばねばなりません。その教育と教訓のために取り極められたすべての集会に行くことは,きわめて大切であるとヱホバの証者はすぐに学びます。生命を得るためには,つねに知識を求め,ヱホバ,およびヱホバの御目的をより多く学ばねばなりません。ヱホバの書かれた御言葉なしでは,やつて行くことができないと十分深く認識すべきです。また,ヱホバの制度なしではやつて行けないということをも学びます。たがいに結合し,ともに神の御言葉を学ぶことにより,ヱホバの証者は非常に強壮な者となります。この世の他の人々とは,全く区別され違う者となります。ヱホバの証者は,真実に聖書研究者であり,神の御言葉の教えを絶えず行つています。―ヨハネ 13:17。
10 ヘブル書 10章23-25節の健全な助言は,現在ひろくまた深く認識されているというどんな証拠を見ることができますか?
10 『約束された方は忠実である故に,公けに述べる私たちの希望を迷うことなくしつかりと保つていこう。また愛と正しい業を励ますよう互いに心がけよう。ある人の習慣のように,共に集まるのを怠つてはならない。その日の近づいているのを見て,ますますもつてそうしようではないか?』(ヘブル 10:23-25,新世)この健全な助言は,幾度も多く語られてきました。多分あなたの会衆でも,奉仕会や神権宣教学校でみなさんはこの聖句を用いたことでしよう。そして,いま私たちはこの古い世の組織制度の終りに生活しているために,ヱホバのどの僕もいままで以上に兄弟と共に集まるのは必要であると指摘されたことでしよう。いまこの聖句を調べ,そこにはどんな肝要な力があるのか,また日常の生活にそれはどのような影響を及ぼすかを見てみましよう。
『公けに述べる私たちの希望』
11 家から家の証言は,ヘブル書 10章23節の『公けに述べること』ですか? なぜ肯定あるいは否定の答えをするのですか?
11 『公けに述べる私たちの希望を……しつかりと保つていこう。』この聖句は,一生涯の毎日毎日を家から家にと証言して行うことだけを意味しません。家から家にと行き,御国の良いたよりを伝道せよとは他の多くの聖句の明白に証明するところです。その点は論議の余地のないものです。しかし,いま考慮しているこの聖句の中では,どんな重要な事実が頭に浮びますか?『公けに述べる私たちの希望を,迷うことなくしつかりと保つていこう。』という言葉は,家から家の証言にあてはまるものですか? 前後の文脈を考えて下さい。ヘブル人に話しかけているパウロはここで何について語つていますか? 公けに述べよと言つていますが,しかし何処でですか? 前後の文脈の示すところによると,それはヱホバの民の会衆内に違いありません。このように述べること,また述べるために会衆に共に来ることについては,明確な理由があるのです。その述べることは,愛を励まし,他の人を助けて善き業をさせ,クリスチャン宣教で互いに励まし合うものにちがいありません。これをすることによりすべての人は援助をうけ,一致結合し,制度にとどまります。会衆の集会自体は,他人に積極的な授助を与えるものです。たしかに,会衆の他の人々に多くの益を与えるのは,会衆で私たちの希望を公けに述べることです。
12 真の崇拝者の『公けに述べること』と,新しい世の生命に生き残ることは,切り離すことができない程にどのように結びついていますか?
12 新しい世の社会は,全地に散在する多くの会衆で成り立つています。その多くは英語の話される国々にありますが,その他はドイツ人,フランス人,日本人の国々にあります。実際に,集会は全世界で100以上の言語で行われています。どの言語が話されようと,ヱホバの証者は会衆の集会にお互いに来なければなりません。新世社会の献身せるすべての成員は,他の者と定規的に集まり,兄弟たちの持つ知識の益を受けるだけでなく,また自分の持つ知識の益を兄弟たちに与えねばなりません。神の民の会衆で公けに述べる前に,自分一人で研究することは是非必要です。しかし,それがすべてではありません。自分一人で研究した後に,あなたは会衆の人々と会い,その学んだものを公けに述べなければなりません。会衆なしに一人立ちして行こうとすると,不足を感じてくるのは全く時間の問題です。もし会衆から長く遠ざかりますと,霊的食物の飢餓のために死ぬでしよう。ヱホバのクリスチャン証者は,新しい世の生活規定から外ずれていて,しかも新しい世に生き残るなどということは不可能です。毎日毎日,あるいは毎週自分一人の研究をして後に,その信ずることを会衆の前に述べ,「進歩をすべての人に表わし示す」べきです。それにより,会衆の他の成員も愛と正しい業に励ましを受け,より大きな活動にいそしむことができます。―テモテ前 4:15,新世。
13 置かれている二つの責任をいま認め,そしてなしとげている真の崇拝者には,どんな益がその結果に生じますか?
13 聖書を毎日読み,研究することは必要です。同じく,『ものみの塔』の雑誌,およびものみの塔聖書冊子協会の配布する書籍のような聖書研究の補助をも読むべきです。他の出版物に,このようなもののないことは,理性を持つすべての観察者の知るところです。この印刷のすべての出版物は,会衆の集会のときに,自分の希望をより良く述べることのできるために,真理探究者を援助して御言葉とヱホバの御目的をより広く理解させます。神の教えと真理でその心を充たすとき,ヱホバの証者は援助をうけ,その出席する神権宣教学校の話を準備することができます。援助をうけて,奉仕会や『ものみの塔』研究会に参加することができます。それに,家から家の証言に用いる短い聖書の話しを準備するのを助けます。『私たちの希望を公けに述べよ』と神の御言葉は諭しています。自問しなさい「過去6ヵ月,あるいは1年のあいだ,『ものみの塔』の研究会で,私は何度答えを述べたでしようか?」 二つの責任が課せられている故に,この研究で,各人が,機会ある毎に話すことは非常に大切です。第一に,それは,あなたの希望を公けに述べる機会であるということです。第二に,その述べたことは聴く人々に影響し,愛と正しい種類の業を必らず励まします。会衆の兄弟たちと集まるのを怠らないときに,あなたはこれをすることができます。
14 ヱホバの真の崇拝者たちのあいだでは,この『裁きの日』にどんな責任がめいめい果されていますか? そして,どのように?
14 別の点『あなた方は信仰にいるのかどうか,いつたいどういう者であるのかどうかを調べて吟味し続けなさい。イエス・キリストがあなた方と共にいることを認めないのか? 認めないならば,あなた方は御旨にかなわない者である。私たちは御旨にかなう者であるとあなた方に知つてもらいたく,私は切に願うものである。』(コリント後 13:5,6,新世)このパウロの健全な助言をうけて,私たち各人が自分自身を反省することは全く必要です。ただ「私はヱホバの証者です」と言うこととか,あるいは集会に来て静かに坐つている事柄ではありません。実際にそれは,自分から進んでする時でも,指された時でも,公けに答を述べることにより,自分自身を吟味し,験し,あるいは証明する事柄です。ヱホバの真の崇拝者たちの集会に出席せず,それに参加しないならば,どうしてヱホバの証者であると言えますか?(ヨハネ 4:23)真理を兄弟たちに全く述ベずに,神の御言葉の真理を信ずるなどと,自分自身に向つてさえ,どうして言えますか? カトリック教の家に生まれ,ほんの数日たつてその宗派の洗礼をうけ,それでその人は,一生涯をカトリック信者と呼ばれるかもしれません。新教徒の両親,あるいは回教徒の両親,あるいはユダヤ教の両親から生まれ,その人が自分自身で決定せず進歩しないならば,その両親の宗教の名前がその人の一生の宗教となりましよう。しかし,ヱホバの証者について言うならば,各人はおのおの自分自身で決定しなければなりません。子供がイエス・キリストを通してヱホバ神に献身するかどうかは,両親の定めるべきものではありません。ヱホバの民の会衆の前で,ヱホバの新しい世についての信仰と希望を公けに述べ,各人はめいめい,ヱホバの証者であることを証明すべきです。他の人をより大きな活動に励ますのは,あなたの活潑な信仰です。それで,すべての人の益のために,あなたの得た知識を会衆の前で,声を出して述べねばなりません。―ヨハネ第一書 4:17,新世。
15 あなた自身のどんな個人の行により,会衆の集会に出席する他人に益が結果として生じますか?
15 信仰について,私たち自身を調べ,いつたいどうであるかを吟味し続けることは必要です。私たちは間違いをします。ヱホバの真理と正義の原則から外ずれ,さまよい,悪い事を考えます。それに,神の御言葉を十分に読まず,研究しないために,生命について自分自身の哲学をつくり上げます。神はどのような者でなければならず,神は何をすべきであるなどと人は考え,その考えを言う程に行き過ぎるかもしれません。しかし,語ることをせず,書いたものをも読まず,又さもなければ,考えを伝え合うことなしに,別の人を良く知ることは不可能です。書かれた御言葉を通して神の言葉を聞かないならば,誰も神を知ることができません。自分一人で研究するとき,神について多くの知識を得ます。それで,会衆の集会に出席するとき,進歩した研究は,あなたに力を与え,それによりあなたは信仰と希望を述べ,他人を益することができます。ヱホバのクリスチャン証者が,他の献身したクリスチャンと定期的に集まるのを怠るのは,全く益を考えないものです。自分自身だけでなく,また他の人になす害を考えてみなさい。共働者の註解を聞かず,それに自分が欠席していて援助の註解を述べないために,愛と正しい業に励んではおりません。
『自由に語る』
16 どのように愛と正しい業に他人をはげまし,また自分自身もはげましをうけますか?
16 ヱホバの見える制度は,全世界のすべての会衆で行われる毎週の『ものみの塔』研究を取り極めています。それに出席することは益のあるものです。また,神権宣教学校や奉仕会のような他の集会も,豊かな祝福をうけ,教えに従うのを助けます。集会に出席する時は何時でも,後ろの座席に坐り,そして他人が考えを述べる方がずつと良いなどと感じてはなりません。簡單で,気持良い仕方で,それに多分ためらい勝ちにあなたが話すならば,それでも他人を愛と正しい業に励ますことができます。正しく述べることにより,他人を励ますことができます。『ものみの塔』の研究で,一緒に幾ヵ月ものあいだ働いてきた兄弟または姉妹が,はじめて註解を述べたという場合がありましたか? その註解を聞いて,少しワクワク感じませんでしたか? 集会の後に,賞讃の言葉を当然に述べたでしよう。その人の話すのを聞いて,あなたはよろこびと真実のたのしみを感じました。パウロの言つた通り,より大きな業をする励ましをあなたはうけました。それで,あなたの希望を公けに述べることにより,愛と正しい業を励まし,またあなた自身励ましをうけます。『ものみの塔』研究のときに,他人もあなたの註解を定規的に聞くようにし,その人々にもあなたの持つ同じよろこび,同じたのしみをなぜ与えないのですか? その註解をみなさんが感謝してうけることは疑いありません。あなたが真理に長くいるならば,みなさんはあなたの註解を聞いて幸福に感じます。真理に新しいならば,あなたの理解の進歩を見て,心からよろこびを感じます。
17 他の聖書研究者の聞くところで,『自由に語り』間違つた考えが言われるとき,全部の人はみなどのように益を受けますか?
17 自分の考えを述べることは,実際的でもあり,また必要なことです。語り始める,あるいは書き始める,つまり考えを伝えて始めてやつとその信ずることを真実に知るからです。自分の考えを述べないならば,その考えは形に表われることがなく,他人やまた自分自身にも益を与えません。ある人は言い訳をして,話しをしても正しくない誤つた答えをするからと言います。間違いをするという理由で,あなたは黙つていますか? 間違いをすることさえも,あなたの益になるものです。どのように? そのときに,他の人が正しい答えをなし,それに加えて司会者は自分の考えを述べて,正しい答を指摘し,それから最後にその節が読まれ,質問の答が完結されます。すこしのあいだ,恥ずかしく思うかもしれませんが,あなたは信ずることを会衆に述べました。間違つてはいましたが,会衆の他の成員と一緒に研究し,また自分の考えを述べることにより,その間違いを見出しました。黙つていたならば,その間違いを知らなかつたでしよう。いまこそ,あなたの考え方を変えるときです。頭に正しい考えを持とうと願い,あなたはいま悪い考えを変えて,正しい考えをその代りに入れました。ヱホバの崇拝者がヱホバの御目的を語る家から家の伝道をするとき,家の人に悪いことを語りたいと思う人は一人もいません。あなたの公けに述べるのを聞いて,兄弟たちはあなたのした間違いを訂正をし,力添えをいたしました。間違いを述べはしまいかなどと考えて,話すのをさし控えてはなりません。その間違いで,他の人の心に正しい答は強く浮き出るかもしれません。自己流の考えだけで,他の人に計りもせず,また自分の考えを他の人に述べないならば,決して自分を験すことはできません。それは,『自由に語る』価値を強調するものです。その理由で,『あなた方は信仰にいるのかどうか,いつたいどういう者であるのかどうかを調べ吟味し続けなさい。』という諭しをうけているのです。
18 かんたんなどんなことをして,正確な知識およびそれをヱホバの御目的のために巧みに用いる力に成長しますか?
18 ヱホバの制度にいて,私たちは進歩し増加し,成長しなければなりません。停止していることはできません。『ものみの塔』雑誌および同類のすべての出版物だけではなく,また会衆の僕,巡回の僕,そして地域の僕を通して,『ものみの塔』協会は,研究の必要性をつねに強調しています。真剣な研究は,やさしい仕事ではありません。しかし,それは幸福な結果を必らずもたらします。聖書を調べるには努力を要します。しかし,得たところの知識は生命を保証するとあなたは知つています。ヱホバ神とその御子を知ることは,永遠の生命を意味するとイエスは言われました。(ヨハネ 17:3)生命を欲する者は,生命の与え主ヱホバの言葉を聞かねばなりません。聖書に次の通り書かれているからです。『ほんとうにあなた方に言う。私の言葉を聞き,私を遣わされた方を信ずる者は永遠の生命を持ち,裁かれることがなく,死より生命に移つている。』(ヨハネ 5:24,新世)それで,永遠の生命は,御言葉を聞くことと,それからキリスト・イエスを遣わされた方は神である故に,ヱホバ神を信ずることによります。この信仰を持つことにより,私たちは死から生命に移ることができます。私たちの希望を公けに述べるために互いに集まることにより,私たちは学びつづけ円熟に成長し,進み続けます。