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勇気を出し,強くありなさい王国宣教 1980 | 12月
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を保つのも容易なことではありませんでした。にもかかわらず,ヨシュアとカレブは,エホバがご自分の忠実な民すべてと共に自分たちをも保護してくださることを確信していたので,堅く立ちました。―民数 13:30,31; 14:6-10。
7 1年のこれからの時期は,学校に行っている若い人たちにとって,崇拝その他の問題に直面することが比較的に多い時期かもしれません。ヨシュアと同じように,あなたも,自分と意見を異にする反対者に直面するかもしれません。自分の信仰と,クリスチャンとしての大胆な立場のゆえにばかにされたり非難されたりする時,あなたは堅い立場を保ち,クリスチャンの忠誠を守って歩み続けますか。また,家から家やその他のふさわしい機会に良いたよりを大胆にふれ告げることにより,勇気とエホバへの信頼を示し続けますか。そのような勇気とクリスチャンの信仰を示すには,明らかにエホバに頼ることが必要です。―詩 118:6; 55:22。
8 エホバが顧みてくださることをヨシュアとカレブが確信していたために,また,彼らが信仰のうちにエホバの指示に従ったゆえに,エホバは,「彼らはエホバに従い通した」と言われました。(民数 32:12,新)あなたはそのような信仰と勇気をお持ちですか。
9 ヨシュアは断固として,「わたしとわたしの家の者たちとは,エホバに仕えます」と言いました。(ヨシュア 24:15,新)わたしたちは,会衆内の若い成員も大人も共に,ヨシュアのようになるためにそれぞれ努力する必要があります。常にエホバの援助を求めてください。エホバの祝福により,わたしたちは勇気と強さを示し,エホバに誉れをもたらす仕方で仕えることができるのです。
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エホバからの愛ある備え王国宣教 1980 | 12月
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エホバからの愛ある備え
1 それはある真冬の日のことです。気温は氷点下でした。一人のクリスチャンの母親は4人の子供を連れて家から出掛け,王国会館への13キロの道のりを歩いて行きました。5キロほど歩いたところで,近所の人が,車を止めて彼らを乗せ,残る8キロを運んでくれました。コンゴの17歳の若者は,集会に出席するために14キロ余りを歩きます。ホンジュラスでは,毎週日曜日に,新しい証人たちのグループが3時間をかけて集会に出席し,また3時間かけて家に帰ります。
2 多くの人たちが会衆の集会に出席するためにこれほどの面倒もいとわないのはなぜですか。それは,仲間のクリスチャンと交わりつつ崇拝と神の言葉の研究を行なう特権を認識しているからです。―マタイ 5:3。
3 イエスの弟子たちは,定期的に霊的な励ましを得ること,特に集まり合ってそうすることの大切さを認識していました。(使徒 2:42,46; 19:8,9; 20:8。ローマ 16:3,5。フィレモン 2を参照)また,使徒パウロは次のように書きました。「互いのことをよく考えて愛とりっぱな業とを鼓舞し合い,ある人びとが習慣にしているように,集まり合うことをやめたりせず,むしろ互いに励まし合い,その日が近づくのを見てますますそうしようではありませんか」― ヘブライ 10:24,25。
4 集会は,わたしたちの天の父,エホバからの愛ある備えです。それはすべて,生活のあらゆる面で愛を示すように,また,りっぱな業に満ちあふれるようにわたしたちを励ます目的で取り決められています。
5 これらクリスチャンの集会に対して,どうすれば感謝を示せますか。定期的に出席することによってです! わたしたちはみな,エホバに忠誠を保ちたいと願っているのですから,自分の霊的必要を意識していなければなりません。会衆の集会はわたしたちにとって真に貴重なものです。―詩 26:12。
6 これから何か月かの間,「わたしたちの王国奉仕」で会衆の集会の他の面がさらに論じられるでしょう。それらの記事は,エホバがわたしたちのために設けてくださった愛ある備えである集会に対して,わたしたちの認識を高めるはずです。
7 会衆の集会がエホバの取決めであれば,出席する時はどんな服装をすべきでしょうか。聖書は,いつも慎み深い服装をするようにと助言しています。(テモテ第一 2:9,10。ペテロ第一 3:3-6)教訓をいただくため宇宙の主権者たる方の前に出るのであるということを覚えておくのは良いことです。それゆえそこはくだけた服装をすべき場ではないのです。わたしたちの服装が,その場の威厳を反映するものであるのは良いことです。そうすれば,神と兄弟たちに不快な思いをさせることはないでしょう。この事は,会衆のすべての集会に当てはまるといえます。
8 会衆の集会で時間を守るのは,この愛ある取決めの接待役であられるエホバ神に敬意を示すことです。集会の最初の数分を聞き逃すことは,一つの記事をいきなり4節か5節目から読み始めるようなものです。紹介部分や,恐らく設定までも見逃してしまうでしょう。全体的な理解や楽しみは減じてしまいます。さらに重大なことに,わたしたちは開会のエホバへの祈りに加わりそこなうのです。長老や奉仕のしもべたちが集会に早く来るのは良いことです。そうすれば,他の兄弟たちに温かくあいさつし,王国会館に迎え入れることができます。
9 エホバの愛ある備えとして会衆の集会に感謝を示すなら,現在においても来たるべき事物の体制においても大いなる幸福と数々の祝福が得られるでしょう。
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質問箱王国宣教 1980 | 12月
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質問箱
● 血液型で人の性格を判断することをクリスチャンはどう見るべきですか。
人と人との相性を血液型によって見分けようとする試みがこの世でもてはやされているようです。血液型によって,おおらか,機敏,如才ないなど,気質にある程度の傾向が見られるとか,ある血液型の人は別の血液型の人とうまが合う,合わないといったことが主張されています。このような考えにクリスチャンは影響されるべきでしょうか。
上記のような傾向はある程度観察されるところかもしれません。しかし,人の気質や性格は血液型だけによって決まるのですか。事実は,親から受け継いだものに加えて,家庭環境,教育,交わりなどによって人の性格が形造られることを示しています。何よりも重要なことは,人が自分で「自分を変革」できるということです。―箴 13:24; 22:24,25。ローマ 12:2。
クリスチャンは自分を変革することが神に喜ばれるために不可欠であることを知っています。そうしないなら,神の目的に調和することはできません。その目的はキリストにおいてすべてのものを集め,彼らの間に一致した結びつきをもたらすことです。だからこそ彼らは「新しい人格」を着ける必要があるのです。(エフェソス 1:10,11; 4:1-4,22-24)そして,神は聖霊を与えてその努力を助けてくださいます。ゆえに,他の人と仲よくできないことを血液型の違いのせいにすることを神が喜ばれるはずはありません。
また,クリスチャンは神の見地から他の人を見るべきです。神は「不公平なかたではなく,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられる」のです。(使徒 10:34,35)そのような人々は様々な血液型を持っています。しかし神は分けへだてをされません。では,クリスチャンが単なる血液型の相違を理由にある人と親しくし,別の人をうとんじるのは正しいことでしょうか。それは不公平な差別以外の何でしょうか。―ヤコブ 2:9。
ゆえに,こうした考えに用心するのは賢明なことです。常に『すべてのことを確かめ,りっぱな事がらをしっかり守り』ましょう。―テサロニケ第一 5:21。
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会衆の書籍研究王国宣教 1980 | 12月
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会衆の書籍研究
「今ある命がすべてですか」の書籍による会衆の書籍研究
12月 7日に始まる週 133-139ページ*
12月14日に始まる週 139-144ページ*
12月21日に始まる週 144-150ページ
12月28日に始まる週 150-155ページ*
* 副見出しの前まで
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日本の野外奉仕報告: 9月王国宣教 1980 | 12月
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日本の野外奉仕報告: 9月
平均 平均 平均 平均
伝道者 時間 再訪問 研究 雑誌
特別開拓者 876 137.7 69.0 5.8 93.4
開拓者 8,850 86.6 36.3 3.4 42.7
補助開拓者 8,001 62.8 24.1 2.0 24.8
伝道者 39,513 14.8 5.9 0.7 8.2
合計 57,240 書籍配布: 120,369
新しく献身しバプテスマを受けた人: 282
昨年の平均に対する伝道者の増加: 5%
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