忠実さによって生き続けなさい
「しかし,義なる者は,その忠実さによって生き続ける」― ハバクク 2:4,新。
1 神の組織内にいる人には何が期待されますか。神はその人々に何を備えますか。
忠実な神エホバは,義を愛するすべての人に対して,ご自分の組織内での場所を与えておられます。言うまでもなく,エホバのこうした慈しみ深い招きを受け入れる人々は,それに伴って多くの仕事をなすべきことをも見いだしています。さまざまな割当てを果たさねばなりません。しかし,だれにせよ,そうした割当てを受け入れる際には,その責任とそれに伴う仕事を果たそうとする人を助ける神の力を軽く見てはなりません。そして,必要に応じて,神は指示や懲らしめや訓練をも与えてくださるのです。―フィリピ 4:13。コリント第一 12:18。
2 忠実さは何と密接に結び付いていますか。そのことから,エホバに仕える人には何が求められますか。
2 これは何を示していますか。エホバご自身の忠実さ,および,是認を与えるすべての者にエホバがあくまでも忠実を求められることを示しています。忠実さは,神の王国の魅力的な特色の一つである神の義と密接に結び付いています。(マタイ 6:33)したがって,その王国を求め,それを自分の生活で第一にする人は,エホバの義の規準と一致した生活をすることが必要です。そうした人々は,義にそわない自分の過去の人格を捨て,「神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造され(る)」新しい人格を着けなければなりません。ついで,その行状によって,自分たちの聖なる神エホバの義を反映してゆくのです。―エフェソス 4:23,24。コロサイ 3:5-14。
3 忠実で信頼できる人と忠実でない人とはどのような点で対照的ですか。
3 神の取決めのもとで生きる人の生活においては,ある程度の期間をかけて必要な変化がなされてゆきます。その人は正確な知識の点で成長し続け,やがて,「人間のたばかりや誤らせようとたくらむ巧妙さによって,波によるように振りまわされたり,あらゆる教えの風にあちこちと運ばれたりすること」のない状態にならなければなりません。つまり,古い歌の文句で言えば,「風や波のように定まりない」状態から離れねばなりません。そして,「堅く立って,動かされることなく,主の業においてなすべき事を常にいっぱいに持ち」,どんな割当てのもとでも信頼できる忠実な人とならなければなりません。―エフェソス 4:14。コリント第一 15:58。
4 忠実さはどのような形で示されますか。
4 そうした,確固としたエホバの崇拝者は,自分たちの神が定めた安全な境界の中で生きることの大切さを認識しています。それは単に,正しい生き方を知っているかどうかの問題ではなく,神の善良にして受け入れられる完全なご意志を実際に行ない,神の律法またその義の規準に従って忠実に生きるかどうかの問題です。―ヤコブ 4:17。
神はご自分の民を忠実に見守って世話される
5 エホバがご自分の民を見守っておられるというどんな保証が聖書の中にありますか。
5 忠実な神エホバは,ご自分に献身している人々を顧み,その人々の世話をされます。これはわたしたちが信頼すべき点です。エホバは,『人の子ら』を,『悪しき人も善き人も』すべて見ておられますが,『エホバの目は[特に]ただしき者をかへりみ その耳はかれらのさけびに傾いて』います。(詩 11:4。箴 15:3。詩 34:15)この点の確証として,ダビデ王はさらにこう書きました。『われむかし年わかくして今おいたれど 義しき者のすてられ あるはそのすえの糧こひありくを見しことなし』― 詩 37:25。
6,7 (イ)エホバが昔の人々の忠実さを見ておられた証拠をどこに見いだせますか。(ロ)これら昔の忠実な人々の際だった特質としてどんな点がありますか。
6 エホバはご自分に忠実な人々に目を留めておられますが,そのことの過去の証拠として,そうした人々の名を挙げておられます。一例として,ヘブライ 11章には,そうした人々の名が幾つか列挙されています。それは要約された記述ながら,それら義人が忠実を実証するために経験した幾つかの事を生き生きと描いています。彼らはエホバが自分の助け主であることを知っていました。他の者が何を言い何を行なおうと,それは彼らをおじ恐れさせたり,エホバに忠実に仕えるのをやめさせたりするものとはなりませんでした。彼らはあらゆる試練や迫害に耐え,「世は彼らに値し(ません)」でした。しかし,彼らは神の目から見て,また神の記憶の中で極めて貴重な存在であり,彼らが望みを置いた復活によって余すところなく報いを受けます。―ヘブライ 11:38。
7 彼らは,神のみ前での義なる立場を得,良い記録を築くことを目ざして励みました。これら昔の証人たちが発揮した際だった特質の一つは,その精力的な活力,正しい事がらに対するその熱心さです。また,これら昔の人々が神への奉仕に示した信仰と忠節と愛も人の心をとらえます。彼らは,神の定めた生き方として自分たちの知るものを堅く守りました。これら昔の信仰の人々に関する記録が今日まで保存されたのはわたしたちの励みのためです。―ローマ 15:4。コリント第一 10:11。
8 信仰によって生きた昔の人々の例としてさらにだれを挙げることができますか。
8 エホバを喜ばせるような生き方をした昔の別の手本として,ゼカリヤとその妻エリサベツがいます。使徒パウロの仲間であったルカはこの二人についてこう記しています。「ふたりはともに,エホバのすべてのおきてと法的な要求に従ってとがめなく歩んでおり,そのゆえに,神のみまえにあって義なる者であった」。そのために,やがて彼らは祈りを聞かれ,ゼカリヤとその妻は,メシアの先駆者であるバプテストのヨハネの親となりました。―ルカ 1:5-13。
9 (イ)聖書の中に名を挙げられている忠実なやもめとしてどんな人々がいますか。(ロ)マルコ 12章41-44節の記述から,忠実に関するどんな教訓を学べますか。
9 注目すべき信仰を示した人として聖書の中に名を挙げられているやもめたちもいます。ナオミ,ルツ,アビガイル,女預言者アンナなどはその例です。さらに,崇拝者たちが神殿の納金箱にお金を入れる様を見ていたイエスは,名の明かされていない一人のやもめに弟子たちの注意を促しました。こう言われました。「あなたがたに真実に言いますが,この貧しいやもめは,納金箱にお金を入れているあの人たち全部よりたくさん入れたのです。彼らはみな自分の余っている中から入れましたが,彼女は,その乏しい中から,自分の持つもの全部,その暮らしのもとをそっくり入れたからです」。(マルコ 12:41-44)わたしたちはこのやもめの名を知りません。しかし,彼女のことは好意的な態度で記され,そのわずかな寄付は,真の崇拝を忠実に擁護するという点でわたしたちの教訓となっています。寄付額の多少は,与える人の寛大さを必ずしも的確に表わすものではありません。このやもめはエホバに対する自分の愛を示そうとし,それを彼女なりの慎み深い仕方で行ないました。
10 (イ)聖書は昔の神の忠実なしもべたちすべての名を記録し,その行ないを列挙していますか。(ロ)このことから何を学べますか。
10 エホバへの忠実を実証したすべての人についてその名や行ないが聖書の記録の中に保存されているわけではありません。これは,エホバがそうした人々の生涯の歩みを見落としたとか,その忠実な行ないが神に忘れられたという意味ですか。決してそのようなことはありません。エホバは,そうした人々が語り,行なったすべての事を知っておられます。至高の神に対するその崇拝において忠誠を実証した忠実な人々は,一人としてとこしえの神に忘れられてはいません。そうした人々もまた「大ぜいの,雲のような証人たち」の一部であり,その忠実さのゆえに新秩序での命をもって報われます。(ヘブライ 12:1)彼らもわたしたちの見倣うべき優れた手本です。どのような点でですか。わたしたちの行なう事は『人を喜ばせようとする目先だけの奉仕』であってはならず,人間のほめことばやほうびを目ざすものであってはならない,という点です。―エフェソス 6:6。コロサイ 3:22。マタイ 6:1-4と比較。
11,12 エホバが,エリヤの時代に,ご自分に忠実なすべての人について十分に知っておられたことを示すどんな証拠がありますか。
11 こうした無名の証人たちは西暦前十世紀にもいました。それは,イスラエルの国の中でエホバの崇拝を追い求めている人々を,エホバの目がつぶさに見きわめている時代でした。当時,邪悪なアハブとその妻イゼベルがその国の中でバアル崇拝を推し進めており,預言者エリヤは身の安全のために彼らのもとから逃げねばなりませんでした。ほら穴に身を隠した彼は,全イスラエルで自分だけがエホバの崇拝者であり,エホバへの奉仕にただ独り今なお熱心な者であると感じていることを言い表わしました。しかし,エホバはこの点で彼の考えを正し,その国民の間で何が起きているかを知っておられることを示されました。偽りの崇拝を容認しなかった忠実な人々は,この預言者のほかにも大ぜいいたのです。―列王上 19:1-10,18。
12 善良な者とそうでない者とを見きわめておられたエホバは,バアルに対してひざを屈めず,その忌むべき神に口づけしない者が,預言者エリヤのほかにも多く,事実7,000人もいることを彼に告げました。崇敬の行為として偶像の前にひざまずき,それに口づけすることは,エホバによって厳重に禁じられていました。(列王上 19:14。出エジプト 20:4,5)ここにも示されるとおり,長々と名が挙げられていなくても,神はそうした人々を皆知っておられたのです。これら幾千もの人々,それは邪悪なイゼベルに殺される危険に遭いながらも真の崇拝を堅く守り,偽りのバアル崇拝によって汚されることを避けて義にかなった者であることを実証した人々です。
13 名を記されていないイスラエル人の一少女はエホバに対する忠実さをどのように実証しましたか。
13 こうした出来事から幾年もたたないころに,シリア人の略奪隊の手でとりこにされた『ひとりの少女』がいました。わたしたちはその少女の名を知りません。しかしエホバは知っておられ,その忠実な行ないのゆえに彼女に対して必ず報いをお与えになります。異国の地に捕われとなり,奴隷となっていたにもかかわらず,彼女は,シリアの軍隊の長ナアマンの妻に,自分の神エホバが預言者を通して示した偉大な力について証しするのをためらいませんでした。―列王下 5:1-4。
14 使徒パウロのおいは忠実さの点でどのように試みられましたか。
14 使徒パウロの姉妹の息子も名を記されてはいません。しかし,その若者は,40人以上の男によって自分のおじパウロを殺す陰謀が組まれていることを,パウロに,ついで軍司令官に伝えました。忠実な若者のこの機敏な行動によって待ち伏せは失敗に終わりました。確かにエホバは,自分個人の益よりも神の民の益を先にするこうした若者たちを愛しておられます。自分に委ねられた王国の事がらを忠実に守るという点で,今日の若者に対する優れた手本ではありませんか。―使徒 23:12-22。
15 これら聖書の記述は今日のわたしたちに特にどんな益を与えますか。
15 聖書を読んで,忠実に生きた古代の人々の例を知ることはわたしたちの励みになります。そうした記録を調べると,エホバがご自分のしもべを見守り,愛と必要な世話とを与えておられたことが分かるからです。ついでこれは,常に生きておられるこの同じ神に忠実に仕えたいとの願いを,現代の証人たちの心に抱かせます。
自分の力を忠実に用いる
16,17 (イ)古代の「大ぜいの,雲のような証人たち」に対応するものとして,今日の地上にはどんな人々がいますか。(ロ)それらの人は忠実さによって「生き続け」ていることをどのように示していますか。
16 今日,あらゆる国から来た人々の「大群衆」が,主の兄弟たちの『残れる者』に加わって,イエス・キリストの予告した,王国の「良いたより」を宣べ伝える業に携わっています。(啓示 7:9。マタイ 24:14)彼らは,自分が今知る良い事がらを他の人々に分かつ業に大きな幸福があることを学び知っています。(使徒 20:35)この「群衆」は今では幾十万を数えますが,自分たちが何か奇跡的な能力を持っているとは唱えません。ただ,自分の心と思いと魂をこめてエホバに仕えたいとの誠実な願いを抱いているのです。こうして,たとえわずかでも自分の持つ力をもって王国の関心事を推し進めることを決意しています。
17 ハルマゲドンのぼっ発と,その後に続く比類のない祝福を間近にしたこれら現代のエホバの証人は,今が抵抗の少ない道を追い求めるべき時でないことを悟っています。むしろ,今は全時代中最も重大な時であり,自分の時間,限られたものであるにせよ自分の力,また自分の生来の能力を,神への奉仕に存分に用いるべき時代です。彼らは,霊の奇跡的な賜物が第一世紀の使徒たちと共に過ぎ去ったことを知っています。したがって,これら新しい人々が急速な進歩を遂げ,自分の前に置かれた仕事に対する十分な備えを身に着けるのは,ただ勤勉な研究と学んだ事の適用,またエホバが備えてくださる教育のためのすべての取決めを活用することによります。彼らはこのことをも熱心に行なっています。―テモテ第二 3:16,17。
18,19 (イ)古代のヒゼキヤ王と同じような精神を持つ人々をどこに見いだせますか。(ロ)例を挙げなさい。
18 3万2,000を超えるエホバの証人の会衆のどれを訪ねても,古代のヒゼキヤ王と同じ精神を持つ人々の,今日の生きた例を見いだせます。ヒゼキヤ王について,歴代志略下 31章21節はこう記しています。『その神を求めしわざはことごとく心をつくして行ひてこれを成しとげたり』。一例として,ある会衆には,90歳になる開拓者の兄弟の忠実な忍耐を見る喜びがありました。その兄弟は野外の監督としても奉仕し,集会にいつも出席していました。王国の良いたよりを他の人に告げる業に58年を献げてきたこの兄弟は,自分の働きの結果を見てどんなにか幸福に感じたことでしょう。彼自身の「推薦の手紙」となる人々の幾人かが,彼と共に同じ会衆で奉仕していたのです。―コリント第二 3:1-3。
19 王国会館での集まりに定期的に出席するなら,やがてあなたも,命の糸すじにしっかりつかまり,自分の生涯のたそがれ時を,偉大な創造者を賛美し,人々を助けて創造者の名と目的を知らせることのために用いているそうした人たちの幾人かをじかに知るようになるでしょう。それは,一日一日を忠実に生き抜き,死に至るまでも自分のわずかな体力を他の人のために与え続けている人たちです。(啓示 2:10)あるエホバの証人は,自分が年老いて病気がちになっていることに対する自分の気持ちを述べ,少し忘れ易くなって,年若い証人たちに付いてゆくのが難しいという嘆きをもらしました。しかし,そうした人たちは,自分が,若い人たちに対して,依然信仰と忍耐の手本となっていることを知って慰めを受けるでしょう。使徒パウロと同じように,そうした人たちも,「わたしがキリストに見ならう者であるように,わたしに見ならう者となりなさい」と言うことができます。―コリント第一 11:1。
20 エホバへの忠実さを実証するにあたって証人たちが打ち勝たねばならない問題としてほかにどんなものがありますか。
20 エホバへの忠実の道を追い求めつつ,老齢による体力の衰え以外の他のさまざまな障害を克服しなければならない証人たちも多くいます。ある人々は視力を失いました。聴力に問題の生じた人もいます。また,ある人々は手足に大きな障害があります。しかし,そうした人たちも,自分の力をエホバへの奉仕に忠実に用い,「賛美の犠牲」,すなわち,「そのみ名を公に宣明するくちびるの実」を神にささげています。―ヘブライ 13:15。
21 昔と同じどんな旅行方法がエホバの忠実な証人たちによって今なお広く用いられていますか。
21 忘れてならないのは,幾年もの間戸口から戸口の証しの業に携わり,しかもそれを,特別の輸送手段の助けなしで行なっている多くの証人たちのことです。年取った忠実な伝道者の中には,そうした野外奉仕のために自分がどれほど歩いたかを推計できる人もいます。地球の一周あるいはそれ以上の距離を歩いた人もいるのです。そうした人たちの場合,聖書の次のことばはいかにも適切です。「良い事がらについての良いたよりを宣明する者の足はなんと麗しいのだろう」― ローマ 10:15。
神の支配権を正しく認識して生き続けなさい
22 こうした記録について考えると,どんなことに心を打たれますか。
22 エホバの忠実なしもべたちの生涯の記録を振り返るとき,昔も今も,そうした忠実な男女が神の主権について深い認識を持ち,それを擁護するためには自分の命をさえ惜しまなかった,という点に心を打たれます。これは次のことを示しています。つまり,生き続けることをエホバが望まれるのは,エホバとその義の資質に対する愛のゆえにエホバに仕える人々です。そうした人々は何よりもまずエホバを愛します。(マタイ 22:37,38)多くの事を耐え忍んできた人々は,他の何にも勝って神の支配を望んでいることを正直に証しできます。ある証人はそのことをこう言い表わしました。「わたしは,これまでの年月自分がエホバに奉仕できたことを感謝しています。苦しい時も多くあったとはいえ,その一瞬といえども後悔することはありません」。
23 エホバの主権を正しく認識するエホバの証人たちはこの世の政治支配者に対してどんな態度を取りますか。
23 正しくて真実で善良な事がらのために闘う人々は,至高の立法者を常に仰ぎ見,自分の日ごとの生活に当てはめるべきものとして,その律法や原則を常にはっきりと見定めます。ご自分の崇拝者たちのためにエホバが設けておられる取決めの中以外に,彼らがとどまることを願う場所はありません。(詩 84:10)彼らは,家から家に人々を訪ねて,神の王国が来ることと,義に基づく神のご意志が地上でなされることを祈り求め,その完全な政府のもとで永久に生きることを願う人々を探し出す業にいつもさわやかなものを見いだしています。(マタイ 6:9,10。ヨハネ 17:3)彼らが,地上の政治家たちの約束に満足したり,人間の王を立てようとしたりすることはありません。(サムエル前 8:1-9と比較)これらの人々は,その献身の時に,エホバの主権を擁護することを決意しました。それ以後は,その優先する選択を中心としてすべての事を決定するように努めているのです。
24 (イ)世の人々は証人たちに対して時にどんな見方をしますか。(ロ)しかし,どのようにしてのみ,証人たちは神の前で全く汚れない良心を保てますか。
24 それら,エホバに献身した証人たちは,自分が,偉大な立法者また審判者である,宇宙の最高のかたに対して責任を持っていることを知っています。そのゆえに,彼らはこの世代の邪悪な人々の間できわめて注意深く行動しなければなりません。(ヤコブ 4:12)聖書の原則に対する彼らの確固たる態度を見て多少の当惑を表わす人もいますが,そのゆえに義の道から離れたり,ただ便宜のために神の律法を破り,もしくはそれを曲げたりする必要があるでしょうか。(ペテロ第一 4:3-5)すべての物を創造したかたが,その民となる人々の生活の中で第一の地位を占めるべきことは当然です。また,そのかたが崇拝と絶対の従順を受けるべきことも当然です。自分のすべての道またすべての考えにおいて主権者なる主に目を向けることは,神の前で全く汚れない良心をもって行動するための助けとなります。―箴 3:5。使徒 23:1。
25,26 (イ)わたしたちは時の流れの中でどんな所にいますか。これは何を求めますか。(ロ)それに答え,ヨハネ第一 5章3節にしたがってどんな事がなされていますか。
25 今日,正しい心で神の支配権を認識する人々は,奉仕を促す神の呼び声に答え応じるはずです。宣べ伝え,教えることを目的とする神の組織は絶えず拡大しており,そこでは,自ら進んで働く人々がさらに多く求められています。全歴史上最大の出来事がこれほど近づいている今,義を愛するすべての人は勇気をもって行動すべきです。どのような歩みをするかは,永遠の命の見込みを左右するからです。―ペテロ第二 3:11-14。
26 あらゆる身分,またあらゆる経験や背景を持つ幾万もの人々が,毎年新たに真理の正確な知識を得,自分の生活を神の律法や定めに合わせています。もとよりこれは大きな変化を意味しています。古い習慣を捨てて,新たな習慣を身に着けるのです。それは,指示と訓練と教育を受け入れることでもあります。それはまた,エホバを愛し,エホバに従うことを学ぶことでもあります。それは難しいことですか。使徒ヨハネはこう語りました。『そのおきてを守ること,これがすなわち神への愛です。でも,そのおきては重荷ではありません』― ヨハネ第一 5:3。
忠実を守って生き続けなさい
27 エホバの是認を受けるに必要なものは信仰だけですか。
27 「わたしの義人は信仰のゆえに生きる」。これはヘブライ 10章38節にあるきっぱりとしたことばです。ついでその信仰の上に,他のものを,つまり,徳,知識,自制,忍耐,敬神の専念,兄弟の愛情,愛などを加えてゆかねばならないことを聖書は示しています。(ペテロ第二 1:5-7)そして,生きることを本当に楽しもうと思うなら,なんであれ自分の持つ生来の能力を神への神聖な奉仕に活用することも大切です。
28 会衆内でなされている任命を見て,各自は何を自問すべきですか。
28 こうした事に励んだ忠実な人々の幾人かは会衆の中で教える者として任命され,また,『神の羊の群れを牧する者』として重い責任を持っています。これら資格ある教え手の働きは,他の人々が信仰および正確な知識における一致に達するように助ける上で必要です。(ペテロ第一 5:2。テモテ第二 2:2。エフェソス 4:11-13)会衆内の円熟した男子が,監督として仕えるというこの付け加えられた特権をとらえようと努めるのは,聖書から見て正しいことです。それは「りっぱな仕事」です。自分が進歩しているかどうかを自ら吟味するのは良いことです。『会衆の中でいっそう有用な者となり,こうしてよりいっそう神の栄光となるような生き方をするために,自分の能力や隠れた力をさらに伸ばすことができるだろうか』と自問してください。―テモテ第一 3:1-13。
29 わたしたちは自分がそれぞれに持つ命を大切にしていることをどのように示せますか。それはどんな結果をもたらしますか。
29 自分が忠実な者と見なされたことを知るのは満足なことでしょう。それゆえわたしたちは,自分の持つ命を大切にしてそれを賢明に用い,神の誉れまた賛美となる義の実を日ごとに結んでゆきましょう。命の道に古くても新しくても,わたしたちは皆,自分とエホバ神との関係をいかなるものにも阻ませないことを決意しましょう。そうすれば,神の破れることのない愛が,厳しい試練のもとでも忠実の道を歩み続けるようわたしたちを支えます。(ローマ 8:38,39)一切の事を神の栄光のためにするなら,境界を踏み越えたり,永遠の命に至る明確な道からそれたりするようなことを避けられます。
30 どうすればわたしたちもエホバの心を喜ばせることに加われますか。
30 わたしたちの忠実な神に対する忠誠を守り,神の敵対者である悪魔を含め,いかなる者もこの道からわたしたちを離しえないことを実証すること,これが常にわたしたちの主要な願いでありますように。こうしてわたしたちは,エホバの心を喜ばせることができます。―箴 27:11。
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捕われ人となったイスラエル人の一少女は,真の神の預言者エリシャについてナアマンの妻に話すことによって,エホバに対する忠実さを示した