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水のバプテスマと救いとの関係ものみの塔 1973 | 2月15日
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するその主要な代理者の弟子になる人々はみな,この代理者に従わなければなりません。そうするためには,「信仰の〔主要な代理者また完成者〕なるイエスを仰ぎ見る」ことが必要です。(ヘブル 12:1,2〔新〕)わたしたちが愛をこめてそうするなら,わたしたちは永遠の救いにあずかり,偉大な神聖な支配者エホバ神に永遠の賛美をもたらすことになるでしょう。
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読者からの質問ものみの塔 1973 | 2月15日
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読者からの質問
● 申命記 22章5節にしるされていることからすれば,女性がスラックスをはくのは正しいことですか。―アメリカの一読者より
申命記 22章5節にはこうしるされています。『女は男の衣服をまとうべからず また男は女の衣裳を著べからず すべてかくするものは汝の神エホバこれを憎みたまうなり』。この聖句は衣服のスタイルのことを述べているのではありません。ここでは,特に異性のためにデザインされた物を身に着けることが禁じられているのです。
性別は神によって設けられたものであり,申命記 22章5節にしるされている律法はその区別を保つためのものでした。容姿服装のことになると,男性は男らしく,女性は女らしくしたいというのがふつうです。何がふさわしいかに対するこのような心の奥深くにある感覚に反する行為をするイスラエル人は同性愛に陥るおそれがありした。ですから,申命記 22章5節に述べられている律法は同性愛行為を非とするものでもあります。
この律法が与えられた当時は男女とも,すそまでたれる長い外衣を身につけていました。しかし,男性の服装と女性のそれとにははっきりとした違いがありました。今日でも同様に,世界には,男女ともズボンをはいている所がありますが,女性用のズボンは男性用のそれとは異なっています。したがって,申命記 22章5節で教えられている原則は,女性がスラックスを着用することを禁ずるものではありません。
そればかりでなく,クリスチャンはモーセの律法の下にはいません。(ロマ 6:14)ですから,この律法を文字どおりに適用することを主張するのはクリスチャンの教えに反します。したがって,婦人が家事や畑仕事をする時に夫の古いズボンをはいたとしても,性の混同や性の誤用を防ぐという,問題の律法の明白な目的に反することにはなりません。
クリスチャンはモーセの律法下にはおらず,その原則を導きとするのですから,分別つまり良い判断を利かせ,良心を働かせなければなりません。クリスチャンの女性であれば,スラックスを着用するのがふさわしいかどうかは自分の好みとは別の要素によって決まることを知っています。また他の人をつまずかせたり,クリスチャン会衆に非難をもたらしたりすることを望みません。家庭や職場といった私的な場所で着てもおかしく見えない衣服が,クリスチャンの集会や神のみことばを公にふれ告げたり他の公的な活動に携わる場合に着用するとふさわしくないことがあります。また,見方も地域によって異なります。聖書は婦人に対してこう助言しています。『慎みて宜しきに合う衣にて己を飾り,…善き業をもて飾とせんことを。これ神を敬はんと公言する女に適える事なり』。―テモテ前 2:9,10。
● エホバの証人のわざを統轄する長老たちに対して,なぜ「統治体」という語を用いるのですか。―アメリカの一読者より
「統治体」というような語は聖書の中には出ていません。しかしながら,西暦一世紀のクリスチャン会衆内で,指導的立場に立って奉仕する長老たちの一団が確かに存在していたことを示す十分の証拠があります。
パウロは仲間のクリスチャンに,『あなたがたの間で指導の任に当(っている)人たちのことを思い起こしなさい。…あなたがたの間で指導の任に当っている人たちに従順で,素直でありなさい』とさとしました。この部分は別の翻訳によると,『汝らを導きし者ども』を思い起こし,従いなさい,と訳されています。(欽定訳,脚注; マードックのシリヤ訳; ロザハム訳)王国行間逐語訳(英文)は,「あなたがたを統治している[ギリシア語,ヘゴウメノン]人たちを念頭に置きなさい」と訳しています。―ヘブル 13:7,17,24,新。
この同じギリシア語の変形が,マタイ伝 2章6節,ルカ伝 22章26節,使徒行伝 7章10節,15章22節に出ていますが,その意味はいずれも同様で,統治する,長として
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