1978年の大会出席者は活動する!
クリスチャン証人たちはその名前に恥じない生活をしています
あなたはそれに出席して,いつまでも記憶に残る神権的経験をなさいますか
1978年「勝利の信仰」国際大会の時が足早に近付いています。何か月にもわたる計画がなされ,今や全地の六つの大陸の100を上まわる大会に出席する,百万以上の人々を世話するための準備の段階に入っています。これらの集まりはオリンピック・スタジアムを含め,世界で最も大きないくつかの会場を用いて行なわれます。一つの真の勝利の信仰を持つ人々,エホバのクリスチャン証人が計画している大会は並々ならぬ出来事の連続となるに違いありません。
この200を超える国の人々の結合は現代の神権的な歴史においてクリスチャンのもう一つの里程標になることでしょう。みなさんの中には1963年,京都で開かれた国際大会に出席なさった方々がおられることでしょう。また,1969年,東京,後楽園競輪場で開かれた,忘れることのできない「地に平和」国際大会に出席した方々も大勢おられます。そして,わたしたちのうちの半数近くは1973年に大阪府万博会場お祭り広場跡で開かれた,あの国際大会をきのうの出来事のように記憶にとどめています。これらの国際大会に出席した経験をお持ちの方もおられるでしょう。初期の時代に国際的に集ったエホバの民に会うために地の一つの端から他の端へ旅することには多くの時間と費用がかかり,不便であったとはいえ,エホバの豊かな祝福が彼らにあって,まさに忘れ難く,集まりがいのある大会となりました。
活動的な大会出席者についての聖書的な型
1958年にニューヨークで集まった25万3,000人の大会をも含め,この現代の大会の規模は聖書中に記録されている神権的な大会に比較すると小さく見えます。西暦前1513年にシナイ山の荒野でモーセのもとに参集したイスラエル人たちの集まりは200万人を超えるものでした。(出エジプト 19:1-19)しかしこの集まりでさえ,天使たちがエホバのみ座の前で敬意を表すべく時折開いた,あのより巨大な集会に比較するならその規模は取るに足りないものでした。―ヨブ 1:6。ダニエル 7:9-14。
このような天の集会についてヘブライ 12章22-24節で次のように言及されています。「しかしあなたがたは,シオンの山,生ける神の都市なる天のエルサレム,幾万もの使いたち,すなわちその全体集会(ギリシャ語「パネギレイ」)……に近づいたのです」。このギリシャ語の言葉は文字通りには「集会全体」という意味(王国行間逐語訳をごらんください),もしくはこの本文に関してある注釈者が述べているように「人々すべての集まり」a という意味です。ウェブスターの無削除版の辞書は関連した英語の言葉として「賛辞」「賛美する(栄光を帰する)ための機会,公の賞賛」について述べています。それで天使たちは単に宇宙の主権者から支配に関する指示を受けるために出席するだけでなく,賛美の応答を表現していたように思われます。(啓示 19:3)シナイ山でのイスラエル人でさえ,決意を表明する仕方で応答を示し,このようにしてその集会に参加したのです。―出エジプト 19:8。
西暦33年のペンテコステの日,エルサレムでの重要なクリスチャンの集まりには公に参加するという特色が見られました。2階の部屋に集まった120人が聖霊を受けた後,彼らは出掛けて行って「神の壮大な事がらについて」公に伝道しました。―使徒 2:1-11,41。
現代の幾つかの大会で特色となった出席者の参加
1922年のシーダーポイントの大会では1日の「奉仕の日」が予定されましたが,その日のために何日も前から5人づつを乗せた何百台もの自動車が家から家の証言のためいなかへ出掛けるよう,自発的に提供されました。b この大会そして次に続く六つの,年一回の国際大会では,さらに進んで参加することを示す特別な決議が大会出席者によって採択されました。これらのことは「一人の王」(イエス・キリスト)の指導のもとでの全地球的な「いなごのような」運動の始まりであり,ついには地球全体をおおいつくすという野外奉仕の特徴を示すものでした。c ―啓示 9:1-11。
1933年,アメリカでは1万2,600人の伝道者が,市民の反対を受けて野外伝道の業が妨害されている地域で家から家の野外奉仕を行なうという特別の任務にすぐに進んで応じました。彼らは「分隊に」組織されました。しばしばその分隊は1台に5人の働き人をのせた200台の自動車により構成されました。その車は午前9時にとある集結地点に集まり,各自動車のグループは5人の働き人に足りるだけの区域割当てを受けました。奉仕者各自にはその午前中の野外奉仕で公共に提供する特別な文書の入った小さなかばんが支給されました。d この方法によって,ある町の問題の中心になる難しい区域を速く,集団で網羅するようにしたのです。実に聖書に描かれている「いなご」が仕事にとりかかりました。その結果,証人たちは今日に至るまで予告された「いなご」として王なるイエス・キリストのもとで十分にあずかり続けています。
出席するための計画すべて ― 犠牲を払う価値のあるもの
ちょうどすべての天使が天の集会に参集したように,そしてダビデの時代の幸福な崇拝者たちがほめ歌って答え応じ,賛美の叫びを上げることにあずかるべくエルサレムに上る努力を払ったように,わたしたち各自も今日,出席すべきです。それでダビデ王のようにわたしたちも語ることができるでしょう。「わたしは大きな会衆の中であなたをたたえます。数多い民の間であなたを賛美するのです」。(詩 35:18,新)イエスの時代にはイエスや他の人たちは年ごとの3回の楽しい祭りに参加するためにエルサレムへと何キロも歩きました。そうです,確かに宿泊の設備が乏しかったり,旅行中に暑さとほこりの中で食物が十分に得られなかったりするような不便さが時々あったとしても,聖にして清いエホバの民と集まり合う喜びの前には,そうしたことはものの数ではなくなってしまったのです。―レビ 23:2。
同様に1978年にエホバの民の「集合した群衆」と集まることには犠牲を払うことが要求されます。あなたとご家族が旅行する距離に応じて貯金もしなければなりません。5日間の宿泊施設は家にいる時のようにしごく快適ではないかもしれません。その宿泊は費用がかさむかもしれません。またみなさんはこうした群衆が大会会場の中をここからあそこへと楽しげに移動する時に,その人々に合わせる必要もあるでしょう。多くの大会会場では家で味わうのと同じような楽しみもありません。食事は比較的軽いものですが,準備される食事は体力を保つのに十分でしょう。結局大切なものは霊的な祝祭なのです。それでたとえ小さな人間の不快事をいくつか耐え忍ばねばならないとしても,わたしたちの主権者なる神エホバの公の賛美者としてそこに出席していることによってわたしたちはあり余る程に償われることでしょう。―エフェソス 4:2。
人々が人々に会う
エホバがご自分の民をこうした大群衆として定期的に集めさせた一つの目的は励ましや経験を国際的に交換しあうところにあります。(ローマ 1:11,12)日本のわたしたちはこの地の大会を訪れようとしている多数の外国の献身した人々を知る必要があります。それですからわたしたちは出掛けてゆき,自分たちのことを率先して紹介し,外国からのわたしたちの兄弟たちと交わらなければなりません。わたしたちの子供を他の国から来た子供たちと会わせましょう。過去の国際大会でも多くの友情が結ばれ,その後も何年かの間文通によって保たれて来ました。時間があっという間に過ぎ去ってしまう5日間の大会プログラムと休憩時間をお楽しみになってください。エホバはクリスチャン証人の国際的な社会としてわたしたちが世界の舞台で検分されるよう,目に見える形で一緒に集めてくださっています。ハルマゲドン後における「新しい地」の予備的基礎はさらにすえられつつあります。あなたはこの時代についての神の目的の成就にあずかるため出席なさる計画ですか。
見苦しくない服装
わたしたちはまた,ふさわしく気持ちのよい仕方で装うことによって大会を飾ることができます。祭りのためにエルサレムに旅した幸福なイスラエル人やその時代のイエスがむさくるしい身繕いで,またみすぼらしい衣服やよれよれの着物で出席したとは考えられません。確かに天の使いたちも天の最高主権者の前に絶えず敬意を表わす仕方で現われています。それで同じように大会に出席するエホバの民の巨大な群集は,老若を問わず,その土地の習慣に従ってきちんと身繕いを整え,上品で清潔に身を装うべきです。他の国の兄弟たちの幾人かは清潔で明るい民族衣装を身につけてやって来るかもしれません。示されているスタイルや色に注意し,彼らと友達になるよう熱心に努めてごらんください。彼らの国語で2,3あいさつの言葉を学ぶようになさってください。
清潔さと廉潔さ
すべての大会出席者は大会会場をきれいに,散らかさぬよう保つことにあずかるべきです。大会会場の所有者は過去,この点においてわたしたちを賞賛してきました。このよい評判を保つためご自身の分を果たしてください。わたしたちは「聖なる」神に奉仕しており,そのゆえにわたしたちの行なうどんな事も清く正しいものであるべきです。(ペテロ第一 1:16)このことはまた,わたしたちの兄弟たちだけでなくすべての未信者の人々を扱う時にも正直であり続けることを意味しています。
良い秩序を保つ
いつでもわたしたちは,そして子供たちも霊の実,特に自制を働かせなければなりません。わたしたちがエホバの証人という名前に恥じない生活をしなければならないことを忘れてはなりません。それは秩序の神に仕えることを意味しています。(コリント第一 14:33)それに加えてイエス・キリストの賢明な指導の下で,わたしたちは邪悪な世の野蛮で自制の欠けた道を歩むことはできません。―コロサイ 2:5。
ホテルや旅館,個人の家などわたしたちの宿泊するどこであっても,クリスチャンとして上品に歩みたいものです。滞在するホテルや旅館の規則に従ってください。その所有物にきずをつけたり,他の人に迷惑になる大きな音をたてないようにしてください。部屋に泊めていただくことが決まった日数に応じて,代金を支払いましょう。晩の時間に小規模な親ぼく会を開く場合でも,上品に威厳が保たれるように行ないましょう。わたしたちの親ぼく会とクリスチャンでない人々の道化や悪ふざけとの間には明確な相違があるべきです。どこへ行こうと何をしていようと,わたしたちはすべての事を神の栄光のためにすべきでしょう。―コリント第一 10:31。
みなさんの場合にはある旅館の主人から1977年7月に届いたような良い報告がありますように。そのご主人はこう述べています。「わたしたちはみなさんがわたしどもの所に泊まってくださったことを本当に楽しみました。みなさん方は良い道徳的な振舞いや原則の点でこの上なく立派な模範を示しています。わたしはものみの塔協会を賞賛します。みなさんはすばらしい団体です」。
少量のぶどう酒は人の心を喜ばせます。(詩 104:15)けれどもぶどう酒やもっと強い飲物を過度に用いるならば泥酔すれすれのところまで行ってしまい,それはこうした大会でのクリスチャンの出席者にふさわしくない無作法なことです。大会の時期は喜ばしいものですが,仲間の信者や未信者の人々に迷惑になる耳ざわりな騒音をたてる時ではありません。
あなたは活動する「いなご」部隊の一人になられますか。
「勝利の信仰」大会の金曜日の午前中(東京大会は日曜日)は過去,何度もその特色だった大規模な野外奉仕が予定されています。わたしたちが金曜日(東京: 日曜日)の午前中,他に例を見ない野外の運動に「いなご」のようにおもむく時,こうした先の時代の良いたよりを宣べ伝える喜びをもう一度得ることになるでしょう。その奉仕の機会は良い評判を得ているすべての献身した証人たちや野外で奉仕する資格にかなっているバプテスマを受けていない人たち(「組織」の本128-130ページ),それに経験ある伝道者に見学者として伴いたいと願うどんな人々にも開かれています。
運動の計画
各大会はその都市における運動を実行するための詳細のすべてを立案する野外奉仕部門を持つことになります。この部門は大会委員を構成する3人のうちの1人である「プログラム監督」の管理のもとに置かれます。大会都市で野外の責任者として自発的に奉仕する長老たちや奉仕のしもべたちについては,大きなグループをなして宿泊している兄弟たちがホテルや旅館から出掛けられるように指導する取決めも設けられるでしょう。同様に各王国会館はその周辺に個人的に宿泊している人々が,野外奉仕の監督を受ける中心地になるでしょう。また,町の中心部は街路伝道や商店から商店の奉仕の場として用いられるでしょう。
大会都市に向けて会衆を離れる前に,会衆の長老たちは大会都市での野外奉仕のためにどんなグループができるかを組織しておきます。責任者はそのグループのために区域を入手するようにします。
金曜の朝,9時までに証人たちのグループは家から家の訪問,街路伝道,非公式の証言,またバスの停留所のようなどこでも見える所で小さなグループを作って一般の人に証言すること,などのために野外に移動する準備ができていなければなりません。出版物を入れるかばんを持って来たり提供の方法を学んだりする必要はありません。この活動の簡単で効果的な方法については大会でみなさんに概略が説明されますが,野外で用いるため特別に準備されたものもそこで手に入れることができるでしょう。
木曜日(東京: 土曜日)の午後のプログラムの終わりごろに,金曜日(東京: 日曜日)午前の奉仕をどのように行なうかに関する完全な発表と実演がなされるでしょう。またこの木曜日(東京: 土曜日)のプログラムの終わりに少額の寄付で(現金またはチケット)紙製の小さい証言かばんが発表されるでしょう。かばんにはいくらかの雑誌,ビラなどが入ることになるでしょう。こうした出版物はわたしたちの野外奉仕で公共に提供されます。紙製の証言かばんの片側には「1978年エホバの証人の『勝利の信仰』国際大会」と記されています。このかばんは携帯できるので人々はこの文字を見ることができます。残った文書は何であっても大会からの帰る道すがらに,またご自分の区域に戻って使ってくださって構いません。
一つのかばんは一緒に働く他の1,2名の伝道者の文書が十分に入る大きさです。各ホテル,旅館の玄関には割り当てられた責任者が区域を世話するための特別なデスクが設けられるかもしれません。もしそうなるなら各グループの区域は水曜日か木曜日(東京: 金曜日か土曜日),家族が旅館に戻ってくる時に扱うことができるでしょう。そして金曜日の午前9時(東京: 日曜日),各グループはその小さな割当てを網羅するため1,2時間の野外奉仕に出かけてゆきます。日々の聖句や祈りのために集まり合う必要はないでしょう。大会会場で伝道かばんを入手できなかった人々のために金曜日(東京: 日曜日)の朝,少量ですが追加の証言用のかばんが準備されます。伝道者たちは野外で会う人々が聖書からの答えを必要とするような質問をする場合に備えて,自分の個人用の聖書を持って行きたいと思うかもしれません。紙製のかばんには他のものに加えて聖書が入る十分の容積があります。戸口で話す必要のある2,3の言葉については木曜日(東京: 土曜日)の午後のプログラムの終わりごろに説明されるでしょう。その紙製のかばんの中には簡単な指示の筋書きとご自分が交わる会衆のために作成される奉仕報告用紙が入っています。人々が示されている寄付額で提供物を受け取らない所では,伝道者は招待ビラを用いて大会の公開講演や他のプログラムに人々を招待してください。
みなさんは野外での奉仕を終えたあと,大会が開催されている場所に直接に帰られますが,そこでは昼の12時から,簡単な飲食物を入手できることでしょう。
1978年の大会出席者としてこのきわめて特別な運動期間中,野外の活動にあずかる計画をお立てください。それはみなさんの神権的な記憶の中にエホバからの一つの祝福としてとどまることでしょう。ダビデのごとく,わたしたちも語ることができますように。「集合した人々の間でわたしはエホバを賛美するでしょう」― 詩 26:12,新。
[脚注]
a ハーバーのギリシャ語分析辞典 300ページ
b 「ものみの塔」1955年12月1日号458ページ