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現代におけるエホバの証人の活動 ― 日本ものみの塔 1973 | 10月15日
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ことに非常に強い関心を持っており,多くの家庭で聖書研究を始めることができました。その中には聖書にほんとうの関心を持っているのではない人もいました。中には,奉仕を始めてすぐに,週に30以上の聖書研究を司会するようになった宣教者もいました。
(この続きは次号に載せられます)
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読者からの質問ものみの塔 1973 | 10月15日
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読者からの質問
● バプテスマを受ける時の婦人の正しい服装について教えてください。
男でも女でも,バプテスマを受ける時には特別の服装をしなければいけないとは,聖書は述べていません。したがって,どんな服装が適当かを決めるのは,バプテスマを受ける女の人自身の問題です。多くの婦人は,慎みのある水着は都合がよいと考えています。世界のある地方の婦人たちはドレスや長いワンピースを着ます。もちろん,バプテスマの時に何を着るかを決めるにさいしては,バプテスマが厳粛な行事であることを念頭に置いていなければなりません。極端で,肌がひどく露出すると考えられる水着を着るのはふさわしくありません。水にぬれた時に肌にぴったりくっついて見苦しい状態になるドレスを着るのもふさわしくありません。テモテ前書 2章9節と調和して,『慎みと思いの健全さ』を反映する選択をしなければなりません。
● もしクリスチャンが姦淫をし,それを悔い改めて,クリスチャン会衆の審理委員に罪を告白する場合,たとえそれが配偶者の心をひどく傷つけることになっても,自分が姦淫したことを配偶者に告げなければならないでしょうか。―アメリカの一読者より
そうです。クリスチャンは自分の罪を配偶者に告げる義務があります。さもなければ,審理委員は,その人の悔い改めの告白が純粋であると認めることはできません。姦淫は結婚の床を汚すことであって,罪を犯していないほうの配偶者に離婚を許し,聖書的に自由な立場で再婚することを許すほど重大な事柄です。(マタイ 19:9)ですから,罪を犯していない配偶者は,起こったことについて知る十分の権利を持っています。
現実に,罪を犯していない配偶者の心を傷つけるのは,告白ではなくて姦淫です。ですから,姦淫を犯した配偶者は,姦淫を犯す前に,姦淫の悪影響を真剣に考えて,誘惑に負けるべきではありませんでした。姦淫を犯してしまってからでは,罪を犯していない配偶者の心を傷つけないようにしようとしてもそれはもう手おくれです。
罪を犯していないほうの配偶者は,姦淫のことを聞けば当然心を痛めるでしょう。しかし,必ずしもそれが結婚に破たんをきたすとはかぎりません。心からの告白と許しを請うことばを聞けば,夫または妻は,姦淫を犯した配偶者を許す気持ちになるかもしれません。それに,告白は,夫婦が自分たちの結婚生活を真剣に考え,どうすればそれを向上させ,再びまちがいをくりかえさないようにできるかを考慮する機会を与えます。罪を犯していない配偶者でさえ,相手が自分に不忠実になるような原因をつくっていたかもしれません。もし妻が,たとえば,夫から故意に結婚の分を奪っていたとしたら,妻も起きた事柄に対して一部の責任があります。神の見地からすれば,妻も全く罪なしとは言えません。なぜなら聖書は次のように忠告しているからです。「夫は妻に対してその当然受けるべきものを与えなさい。また妻も夫に対して同じようにしなさい。…互いにそれを奪うことがないようにしなさい。ただし,定めた時のあいだ相互に同意し,祈りに時をささげて,そののち再びともになる場合は別です。これは,あなたがたが自己抑制の足りないことのゆえに,サタンがあなたがたを誘惑しつづけることのないためです」― コリント前 7:3-5,新。
告白は,結婚生活を向上させるための基礎となる可能性を持つほかに,他の深刻な問題を防ぐことにもなります。姦淫を犯したほうの配偶者は,その問題をかくしつづける限り,妻なり夫なりに対して正しい良心を持つことができません。それはいずれ言動に表われるでしょう。罪を犯していないほうの配偶者はやがて,何かおかしいことに気づき,そのことを口にするようになるでしょう。罪を犯した配偶者は,うそを言って罪をかくそうとするでしょう。そうなるとその配偶者の悪行は複雑になっていきます。したがって,ついには,不行跡を告白して相手の許しを求めるよりも大きな害を招く結果になるかもしれません。
ですから,もし罪を犯した配偶者が真に悔い改め,結婚を解消したくないなら,罪を犯していない配偶者の許しを求めなければなりません。もし許されたなら,今後は,婚姻の床を汚さないようにふたりで努力すべきです。(ヘブル 13:4)会衆の道徳上の清さも関係していますから,二人は起きたことを審理委員会に告げなければなりません。
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