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勇気をもってエホバに仕えるために,ヨシュア記から助けを得てくださいものみの塔 1984 | 9月15日
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は百十歳で死んでいった」と述べています。エホバのこの忠節な崇拝者からは,確かに,「エホバを恐れ,とがなく,真実をもってこの方に仕え(る)」わたしたちも同様に勇気を出し,強くあるための力強い励ましが得られます。―ヨシュア 24:14,15,29。
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読者からの質問ものみの塔 1984 | 9月15日
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読者からの質問
■ ヘブライ 3章1節から6節には,「家」に関連してモーセとイエスとエホバ神のことが述べられていますが,この「家」は何を意味していますか。
基本的に言って,使徒パウロは,神の民,つまり会衆を指して「家」と呼んでいました。
ヘブライ 3章1節から6節にはこう書かれています。「そのようなわけで,聖なる兄弟たち,天の召しにあずかる人たちよ,わたしたちが信仰を告白する使徒また大祭司,イエスを思い見なさい。彼は自分をそのようにした方に対して忠実でした。モーセもまたその方の家全体にあって忠実であったのと同じです。家を造る者がその家よりも誉れを受けるからには,その方はモーセ以上の栄光に値するとみなされるからです。言うまでもなく,家はすべてだれかによって造られるのであり,すべてのものを造られたのは神です。そして,モーセは従者として,その方の家全体にあって忠実であり,後に語られる事柄の証しとなりましたが,キリストはその方の家の上に立つ子として忠実でした。はばかりのないことばと希望にかかわる誇りとを終わりまでしっかりと堅く保つなら,わたしたちはその方の家となるのです」。
これより前にパウロは,神のみ子であるイエスがみ使いたちよりも優れた名を受け継いだことについて述べていました。この使徒はまた,神がみ使いたちを通してモーセにお伝えになった律法の言葉が注意を受けるに値するのであれば,み子によって語られた言葉はそれ以上の注意を受けるに値するという点をも指摘しました。(ヘブライ 1:1-4; 2:1-4)次いで,ヘブライ 3章の中でも,パウロは引き続きイエスの優越性を強調しています。
背景として思い起こしたいのは,ミリアムとアロンがイスラエルにおけるモーセの主立った役割について不満を述べた後に,神がモーセを,『わたしの全家を託されている(「において忠実である」,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳),わたしの僕』と呼ばれたことです。(民数記 12:7)大祭司であったアロンは幕屋に(それも至聖所まで)出入りすることができたので,モーセが僕となっているご自身の「家」と言われたとき,神はイスラエルの国民,つまり会衆を指しておられたに違いありません。パウロはヘブライ 3章2節の中で,このことに暗に言及していたものと思われます。パウロは,ちょうどモーセが「その方の家全体にあって」忠実であったのと同じように,イエスも神に対して忠実であった,と述べました。しかしパウロは次に,イエス「はモーセ以上の栄光に値するとみなされる」と書きました。なぜでしょうか。
パウロは,「家を造る者がその家よりも誉れを受ける」と論じています。文字通りの家を建てたことのある人なら,だれでもこの点に同意するでしょう。それでパウロは次のようなことを言っていたことになります。すなわち,神のみ子であるイエスがモーセよりも誉れを受けるに値するのは,モーセが家を建てなかったのに対し,イエスは家を建てたからである,と。言うまでもなく,パウロはすべての物事に対する究極的な誉れは神に帰せられることを認めていました。―ヘブライ 3:3,4。
論議の筋道を拡大して,パウロはモーセが『その家にあって[忠実な]従者』であった,と述べています。(ヘブライ 3:5)そうです,モーセ自身,イスラエルの会衆,すなわち「家」にあった,つまりその一部だったのです。では,後に来ることになっていた方,すなわちモーセが予影し,予告していたメシアなる預言者のほうはどうでしょうか。(申命記 18:18,19。ヨハネ 1:21,25。使徒 3:22,23)その預言者はイスラエルの家における忠実な従者以上の者となるでしょう。パウロは,キリストが「その方[つまりエホバ神]の家の上に立つ子」である,と書きました。イスラエルの家の上に立つのでしょうか。いいえ,パウロはもっと大きなものを念頭に置いていました。
モーセが律法契約にしたがって「家」の中で仕えたのに対し,エホバは「新しい契約」のもとでのより良い取り決めについて約束しておられました。(ヘブライ 8:7-13。エレミヤ 31:31-34)新しい契約は,霊的イスラエルの家,つまり国民と結ばれるものです。(ガラテア 6:16)ですからパウロは,「はばかりのないことば……を……堅く保つなら,わたしたちはその方の家となるのです」と述べているわけです。―ヘブライ 3:6。テモテ第一 3:15; ペテロ第一 2:5; マタイ 16:18と比較してください。
ですから,モーセが仕えていた「家」はイスラエルの肉の会衆でしたが,イエスが建て,上に立って奉仕している「家」は,「希望……を終わりまでしっかりと」保つ霊的イスラエルの会衆です。―ヘブライ 3:6。
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