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悲惨な歴史を残したマサダものみの塔 1966 | 9月1日
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を告げ,彼らを殺しました。それからくじに当った10人が残りの者を殺し,その10人も最後のひとりになるまで殺されました。最後に残ったひとりは,要塞に火をかけてのち自刃し,マサダの悲劇は最高潮に達しました。
翌朝ローマ軍は,手ごわい反撃を予想しながらもどってきましたが,生き残っていたのはふたりの女と5人の子どもだけでした。彼らはほら穴の中にかくれて生き残り,960人の男女子供の自殺的大殺りくについて物語ったのでした。マサダの悲惨な歴史は,「刑罰の日」にかんするイエスの言葉の真実さを強調するものでした。その「刑罰の日は」,イエスの預言的な警告を聞こうとしなかったユダヤ人のうえにのぞむことになっていたのです。
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読者からの質問ものみの塔 1966 | 9月1日
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読者からの質問
● ヘブル人への手紙 1章10-12節はどのように伝道の書 1章4節と調和しますか。ヘブル書の中の聖句はエホバ神によって造られた実際の地と天をさしているのではありませんか。
伝道の書 1章4節の「地は永遠に変わらない」という聖句は文字通りの地球をさしています。ヘブル人への手紙 1章10-12節は,そのことと矛盾していません。というのはヘブル人への手紙の聖句はサタンの世の象徴的な地と天をさしているからです。そこには次のように書かれています。「主よ,あなたは初めに,地の基をおすえになった。もろもろの天も,み手のわざである。これらのものは滅びてしまうが,あなたは,いつまでもいますかたである。すべてのものは衣のように古び,それらをあなたは,外套のように巻かれる。これらのものは,衣のように変るが,あなたは,いつも変ることがなく,あなたのよわいは,尽きることがない」。
質問の答えにはいる前に次の事に注意しましょう。パウロはここで詩篇 102篇25-27節を引用し,それをイエス・キリストに適用しています。しかし詩篇はエホバについて述べているようです。三位一体論者は,エホバとキリストが同一であり,三位の神の一つであることを証明する手段としてこの聖句を用います。しかしながら,神を代表する天使は,神であるかのように述べられていることがあります。それと同じくイエス・キリストが創造の実際の仕事をしたにもかかわらずエホバが創造者として述べられています。キリストは,神の命令の下で神の力によってエホバの代表的な働き人として創造をしたからです。この点は,ここで考えている聖句の文脈の中においてさえ言及されています。ヘブル人への手紙 1章2節はイエス・キリストについて「エホバは御子によってもろもろの世界を造られた」と述べています。ゆえにそれぞれの場合に特定な見方しだいで,エホバが天地を造られたとも,あるいはキリストが天地を造られたとも言えます。―1951年,ものみの塔8月1日号,478頁参照(英文)
天と地をいつも文字どおりの意味にとるべきでないことは,ものみの塔誌に何回も示されました。(列王上 10:24。詩 66:4; 96:1。ハバクク 2:20。ペテロ第二 3:5-13)多くの聖句はこの悪い世界をつくりあげている象徴的な天と地が滅びに定められていることを示しています。それはヘブル人への手紙 1章10-12節に消滅すると述べられている天と地です。しかしこの天と地が神とキリストによって基をすえられたと言えるのはなぜですか。エホバの力によってキリストはおおうことをなすケルブと神の子たちを造りました。そののち天使たちはそむき,天は悪いものになりました。同様にキリストは神の力によってアダムとエバを造りました。しかし彼らは反逆しました。そして今日サタンの世の見える地を構成しているのはアダムの悪い子孫です。最初の象徴的な天と地は,当時言葉と呼ばれたキリストを通し,エホバにより,良いものに造られました。しかし最初の象徴的な天と地は自らを汚し現在の悪い世に堕落しました。
たとえていうとそれは,神が植えられた良いぶどうの木であったのに,神と関係のない,悪い木になったイスラエルの国民のようでした。(エレミヤ 2:21)同様にキリスト教は創設された時の正しい姿を失い,その大部分は敬虔の中に自らを常に新たにすることによって清さを保つことをしませんでした。それどころか神のしもべであることをかつて示した賛美と救いの衣をしっかり身につけることよりも,昔の古い異教の教義を身にまとう背教者になりました。同様にかつて良いものであった天と地は,現在の悪い組織に堕落しました。こうして着古して無用となり,捨てられるだけの着物のようになつた天と地は,新しい天と新しい地の組織にとって代わられます。ヘブル人への手紙のこの章は,イエス・キリストが高められたことと,その永遠性を示しています。そして10-12節は,悪い世界が滅ぼされたのちにも,イエスが存在されることを証明するために引用されています。
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