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支部の手紙王国宣教 1978 | 7月
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支部の手紙
王国伝道者のみなさん:
働き人は増え続けています。4月に4万4,192人の大勢の働き人が王国の良いたよりを人々に宣べ伝えました。これは3月の数字を580人上回るもので,昨奉仕年度の平均伝道者数の10%増加になります。この中には4,648人の補助開拓者を含む1万1,302人の開拓者もいました。月の初めと終わりの週に多くのみなさんは統治体から遣わされた兄弟たちの話を聞くため旅行しましたが,それでも奉仕の各分野において立派な努力が払われました。今月はいよいよ国際大会が始まります。是非,大会初日の司会者の開会の言葉から最後の日の閉会の言葉に至るまで,すべてのプログラムに真剣に耳を傾け,霊的な益を得るようにいたしましょう。今年も100人の一時的な夏の特別開拓者が任命され,孤立した町や村で働き始めました。一時的な特別開拓奉仕や休暇で出かける人が少なからずいるので,会衆の区域内で働く人がいつもより減るかもしれません。では,みなさんも補助開拓を計画してごらんになりませんか。ところで,新しい工場とベテルの計画はどうなっていますか。
数か月間の交渉のすえ,協会は海老名市の約1万5,000坪の土地を正式に購入する契約を取り交わすことができたことをお知らせするのは喜びです。この手紙がみなさんに読まれるころにはすでに数十名の自発奉仕者たちが新しい協会の土地で忙しく働いていることでしょう。そうです,いよいよ大きな建設の仕事が始まるのです。これが完成すれば将来の大きな拡大に備えることが期待されています。
この計画が成功するためには三つの肝要な事柄が是非とも必要です。その一つは,工事を行なうための自発奉仕者です。すでに100名以上の兄弟たちからの申込書が寄せられていますし,引き続き毎日みなさんから送られて来ています。この熱意にあふれたみなさんの支持は心強い支えです。すべての工事を献身した神の民の自らの手によって行なってゆけると確信しています。
第二は献身した民全員の支持です。この建設
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あなたは自分の所有物を認識していますか王国宣教 1978 | 7月
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あなたは自分の所有物を認識していますか
1 あなたは現在ご自分の所有物を楽しんでおられますか。それは神の忠実なしもべダビデにとって喜びとなったものと同じですか。ダビデはそれについてこう書きました。「エホバはわたしに分け与えられた分,またわたしの杯の分です……測り繩はわたしのために快い場所に落ちました。本当に,わたしの所有物はわたしにとって好ましいものとなりました」― 詩 16:5,6,新。
2 ダビデが至高の神のうちに自分の「分け与えられた」分を見いだしたことに注目してください。彼が宝のように大切にした所有物とは,エホバとの是認された関係を持つことおよびエホバに仕えられることでした。その分け与えられた分は彼にとって最も喜ばしいものだったのです。不信仰な「この事物の体制の人」と異なり,ダビデは物質を中心とした生き方をしませんでした。彼にとって真に重要なこととは,エホバの臨在を常に認めるということでした。朝,目覚めると,至高の神に思いを集中するのが彼の常でした。ダビデは,エホバが常に自分と共にいて,いつでも助けに来てくださることを知って満ち足りていました。―詩 17:14,15,新。
エホバの奉仕を第一にしますか
3 今日のわたしたちはどうでしょうか。ダビデのようにわたしたちも,自分とエホバとの関係,およびエホバへの奉仕を最良の所有物と見ていますか。王国を宣べ伝え弟子を作る業を含め,立派な業に忙しくして携わることにそのことが表われていますか。それとも,毎日の暮らしの心配事,娯楽,何かの趣味その他の関心事の方に脱線しているでしょうか。個人的な願望を追い求めるかそれとも野外奉仕に参加したり,王国会館の掃除を手伝ったり,会衆内の病気の人を訪問するなどといったことをするかを選ぶ際,あなたはどうしますか。個人的な願望がしばしば勝ちを占めますか。好きなテレビ番組を見たり小説を読む時間はあっても,聖書や聖書に基づく出版物を読むところまではいきませんか。土曜日の午後,身体の訓練やレクリエーションを求めて何時間も費やしながら,朝になるとほかにしなければならない事があって野外奉仕のための時間はありませんか。それともあなたは,他のどうしても必要な事柄を顧みた後,残った時間の大部分を専ら会衆内外の人々を援助することに当てられるように,ご自分の活動予定を喜んで調整なさるでしょうか。
4 会衆外の人々を援助することのできる一つの肝要な方法は,王国を宣べ伝え弟子を作る業に参加することです。もちろん,この活動にどれほどの時間をささげるべきかをわたしたち個人個人に代わって決定できる人はいません。しかし,エホバを真に愛する人が,すればもっとできるのに,少なくとも何かをしているのだから問題ではないと考えるならそれはつじつまの合ったことでしょうか。霊的な活動よりも趣味その他の楽しみを追い求めることにより多くの時間を費やしながら,自分は神とキリストに仕えられることを感謝していると言うことができるでしょうか。その人は本当に最善のものをささげていますか。―マラキ 1:8と比較してください。
5 わたしたちは神とキリストに申し開きをするよう求められることを知っていますから自分の時間をどう用いているかを調べるのはよいことです。(ローマ 14:10。コリント第二 5:10。ルカ 12:35-40,47,48と比較してください。)わたしたちはこのお二人に仕えることを選びました。そしてそれゆえに,罪の許し,神からの助けや導き,永遠の命の約束を含め,計り知れない様々な益を得てきました。では,わたしたちの時間の用い方はわたしたちがすると同意したことに調和するべきであり,エホバとイエス・キリストがしてくださったことに対する感謝を表わすものであるべきです。わたしたちはひとりひとりこう自問できます。わたしは神の前に立って,自分の立派な業の記録を調べていただくことを望むだろうか。ダビデと同じように,「エホバよわれを……試みたまへ」と進んで祈るだろうか。―詩 26:2。
6 もしかしたら自分の時間を十分に活用してこなかったかもしれないことに気付いて,今調べられることが不安になるかもしれません。もしそうなら,将来に改善することを真剣に考えるべきです。エホバとイエス・キリストへの愛に動かされて魂を込めてお二人に仕えるべきです。もし道理に即してできることを行なうなら,わたしたちはクリスチャンとしての自分の記録を注意深く調べられることを恐れる理由はありません。事実,わたしたちはエホバが報いてくださることを確信し,喜んで自分のりっぱな業の記録を調べていただくことでしょう。―ヘブライ 6:10。
7 本当に,わたしたちはダビデのようにエホバとの関係およびエホバへの奉仕に喜びを見いだす人になりたいと思います。それを計り知れない価値ある所有物といつもみなしているなら,わたしたちはイエス・キリストの裁きの座の前でひいてはエホバ神の前でも是認されて立つことを期待できるのです。
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やもめや孤児を助ける王国宣教 1978 | 7月
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やもめや孤児を助ける
1 真の崇拝が要求することの一つは「孤児ややもめをその患難のときに世話すること」です。(ヤコブ 1:27)エホバの民の多くの会衆には,弟子ヤコブが励ましたような愛ある世話を必要としている文字どおりのやもめや孤児がいます。しかし,ほかにも愛ある配慮や助けを必要としている人々が会衆内にいます。
2 こうした人たちが直面している問題は全く様々です。中には家事を行ない子供たちに助けや導きを与えるかたわら世俗の仕事をしなければならないやもめたちもいるかもしれません。結果としてスケジュールはとてもきついものとなり,これらの姉妹たちは夕方には全く疲れ切ってしまうかもしれません。年を取って深刻な健康また経済上の問題にぶつかっているやもめの人もいることでしょう。さらに,比較的健康に恵まれ経済的にも安定してはいるものの一人きりで憂うつになっている人もいるかもしれません。未信者の配偶者を持つ姉妹たちは夫と霊的な交友を持てないために失意を味わうかもしれません。それでも彼女たちは,敬虔な行状によって夫を勝ち得るよう努めるべきなのです。(ペテロ第一 3:1,2)親を失った子供たちについて言えば,多くの場合親がいないことを鋭く意識しています。特に十代の男の子は母親と個人的な問題を話しにくいと思うかもしれません。父親が不信者の場合,子供たちは聖書に反する助言を受けたり,ばかにされたり,虐待さえ受けるかもしれません。しかし彼らは然るべき従順を示さなくてはならないのです。―エフェソス 6:1-3。
どうすれば彼らを助けられるか
3 わたしたちの中で孤児ややもめは明らかにとりわけ励まし築き上げる必要のある人々
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