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信仰をはたらかせることは権利証書を得て行動するに等しいものみの塔 1963 | 8月15日
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得,学ぶ事柄をよく理解できます。この事の例が使徒行伝 8章に出ています。エチオピアの宦官は伝道者ピリポの援助を受けました。最後に神の聖霊を祈り求め,その助けを得なければなりません。―コリント前 2:9,10,新口。
このように見てくると,信仰は理にかなったものです。神は自然という啓示および文字に書かれた啓示によって,人間の最高の能力である理性に訴え,また神のみわざ,神のことば,神の道を学んで到達した正しい結論に基づいて行動することを人間に求めています。
真の信仰すなわち確信を持つことは必要です。「信仰がなくては,神に喜ばれることはできない。なぜなら,神に来る者は,神のいますことと,ご自身を求める者に報いて下さることを,必ず信じるはずだからである」。―ヘブル 11:6,新口。
信仰に従って行動をおこすことも必要です。ヤコブが聖書に書いている通り,「信仰も……行いを伴わなければ,それだけでは死んだものである」。不動産の権利証書を持つ人がその不動産を使うのと同じで,信仰のある人は信仰を働かせ,信仰を実践します。―ヤコブ 2:17。
このような信仰を正しく働かせる人々は,きわめて近い将来,エホバの約束の成就に与るでしょう。美しい,豊かな地,税金のない地で「皆その葡萄の樹の下に坐しそのいちじくの樹の下に居らん之をおそれしむる者なかるべし万軍のエホバの口之を言ふ」。―ミカ 4:4。
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エホバの証者が困難な状態下で働く国々からの報告ものみの塔 1963 | 8月15日
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エホバの証者が困難な状態下で働く国々からの報告
(1963年のエホバの証者の年鑑より)
アラブ連合共和国
アラブ連合にいる神の民にも幾多の障害や圧迫が加えられましたが,それに押し負かされずに,御国の証言が広く行なわれた事を報告できるのは,奉仕年度の終りにあたり実にうれしい事です。調査局の人の訪問を受け,なおエホバの証者として伝道しているか,なお神の言葉を学んでいるかについてしつようにたずねられた兄弟がたくさんありました。この種の役人は他にエホバの証者として活動している者がいるかどうかについても情報を手に入れようとしています。なぜこの国が,ほんのひとにぎりほどのエホバの証者のためにこれほどの騒ぎをしなければならないのか不思議なほどです。調査局に出頭を命ぜられ,詳細にわたり尋問を受けた兄弟もあります。エホバ神を信じ,エホバの証者として活動した事を理由に国外に追放されたヨーロッパ系の人もあります。多くのエジプト人の兄弟は刑務所に入れられましたが,その忠実な立場はしっかり保たれています。この国においても,真のクリスチャンとして生きることは決してやさしいことではありません。エジプトから来た人たちの報告を整理して,この国での経験をいくつかここに紹介します。
神の僕の一人となるためには,勇気を持ち,エホバを信頼することが必要ですが,それは次の出来事にも良く示されています。熱心なエホバの証者の姉妹で,10歳になる若い伝道者は,ある日,特別開拓者と共に野外奉仕に行きましたが,時勢が悪いから許してもらえないだろうと思い,両親に知らせずに出かけました。その日たまたま,エホバの証者に強く反対する婦人に会い,その人は警官を呼び,逮捕を要求しました。警官の威嚇的態度にあっても,少しも,ものおじせず,なにを言われようと神について語ることは決して止めないという若い子供の信仰強く,勇気ある態度を見て,警察の人々はむしろ驚きさえ感じました。父親が呼ばれ,連れ帰えるまで,この伝道者は10時間以上の間調査局に留置されました。父親は非常に怒ってはいましたが,この子供をそれほどひどくは扱いませんでした。この女の子は当局の人の言葉や,父親の真理に対する反対にもかかわらず,前以上の熱意を抱いて活動を続け,できるだけ早く水のバプテスマによって献身を象徴することを願っています。
特別開拓者から音信を聞き興味を抱くようになった17歳になる若い少女の経験は,忍耐と巧みさとを持って教えることの必要性をはっきり物語っています。彼女は三位一体の教義が偽り
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