読者からの質問
● ものみの塔協会の出版物の中で,聖書の解釈の変化することが時々あります。私たちの信じていることは「真理」と考えられていますが,「真理」は変化するのでしょうか。―アメリカの一読者より
聖書と一致した信条が「真理」であることは,聖書そのものの中に述べられています。ペテロの第二の手紙 2章2節で,そういった信条に基づいた崇拝は,「真理の道」と呼ばれています。しかし,箴言 4章18節は「真理の道」について次のように述べています。「正しい者の道は,夜明けの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる」。それで,私たちはすべてのことを知りつくしているのではありません。ハルマゲドン後の事物の制度になっても,すべてを知ることはできないでしょう。私たちは永遠に学ばねばならないのです。このことは,使徒パウロの書いたローマ人への手紙 11章33節からもわかります。「ああ深いかな,神の知恵と知識との富は。そのさばきはきわめがたく,その道は測りがたい」。
それで時々見解が変わってもそれは考えられることです。私たちの基本的な信条は,聖書の真理であっても,細い点では以前完全に理解できなかった事柄があります。エホバの霊の助けにより,時たつうちにこのような問題は明らかにされます。
たとえば,二,三年前「上なる権威」に関する良い記事が「ものみの塔」誌に連載されました。(1962年,11月15日-12月1日号)この記事が掲載される以前にも,私たちは,力と権威においては,エホバが最高者であられ,イエス・キリストがエホバの次に位することを知り,また教えていました。私たちは法律に従わねばならないこと,しかし人間の法律が神の律法と相いれないときは人間よりも,支配者である神に従わねばならないことをわきまえていました。この根本的な真理は,昔も今も同じであり,少しも変わっていません。しかし聖書をよく調べることによってある聖句は別の仕方で適用しなければならないことがわかってきました。例えば,ローマ人への手紙 13章1節に述べられている「上なる権威」は,エホバ神やイエス・キリストではなく,政治支配者であることがわかりました。テトスへの手紙 3章1節や,ペテロの第一の手紙 2章13,14節についても同様です。それにもかかわらず根本的な真理は変わりません。神と国家に対する私たちの見解は,以前と同じです。
同様なことは,復活の研究についても言えます。最近の「ものみの塔」誌に復活に関する連続記事(1965年5月1日-7月1日号)が出る前から,私たちは死者の復活を信じていました。そして今でも同様に復活を信じています。14万4000人はキリストとともに天の生命によみがえることも私たちは確信していました。またもっと多くの者が人間として復活すること,その中のある者は過去において,エホバに忠実に仕えた人であり,他の者は『不義』の生活をした人であることも,信じていました。彼らが復活するとき大規模な教育のわざが行なわれることも確信していました。このような真理は変わっていません。しかし,聖書によると,予想していたよりもさらに多くの人が復活するということが今ではわかったのです。それで,復活の真理を無効にするというよりはむしろ,復活に関する理解が増し加えられたのであり,復活の御準備に表わされたエホバの愛とあわれみに対して私たちの感謝は深められました。
このことは,使徒パウロがテモテへあてて書いた手紙の中で述べている人々の間に生じた事とは対照的です。テモテへの第二の手紙 2章18節には「彼らは真理からはずれ,復活はすでに済んでしまったと言い,そして,ある人々の信仰をくつがえしている」と述べられています。こういう人は復活の望みをもはや持たず,復活は過去のものとなってしまったと信じていました。彼らはイエスの教えた真理を無視していました。キリスト教国においても同じように解釈の変化がありました。しかし彼らは,聖書を神話として退け,また時代おくれの道徳律として無視しています。キリスト教国に起きていることは,霊感による真理のことばにいっそう一致した考えを持つように,エホバがご自身の民のために行なわれていることとくらべて,なんと違うのでしょう。
● イスラエルの幕屋と,後にソロモンの建てた宮にシエキナがあったと言われていますが,それはなんでしたか。―アメリカの一読者より
ヘブル語のシエキナは「住むもの」あるいは「住みか」という意味です。このことばは聖書中には用いられていませんが,ヘブル語聖書の意訳であるアラミヤ語のターガミイムすなわちタルグム(複数)の中に出ています。シエキナはタルグムの中で神がその選民の中に宿ること,幕屋におられること,住まれることに関連している聖句中に用いられています。(出エジプト 25:8; 29:45,46。民数 5:3; 35:34)「住まう」また「宿る」を意味するヘブル語は,タルグムの中で「シエキナを宿らせる」と訳されています。―タルグム・イザヤ書 48:11; 63:17; 64:3,6をごらんください。
シエキナは幕屋とソロモンの宮の両方の至聖所の中で見られました。この最も奥まった部屋の中には聖なる契約の箱があり,そのふた,つまりおおいには二つの黄金のケルブがとりつけられていました。この箱に関して神はモーセに言われました。「あなたは贖罪所を箱の上に置き,箱の中にはわたしが授けるあかしの板を納めなければならない。その所でわたしはあなたに会い,贖罪所の上から,あかしの箱の上にある二つのケルビムの間から,イスラエルの人人のために,わたしが命じようとするもろもろの事を,あなたに語るであろう」。(出エジプト 25:21,22)しかしどのようにしてエホバはご自身をモーセに現わされますか。奇跡的な光を用いるのはふさわしいことと言えます。また祭司が贖罪の日に至聖所の中にいる時,光が必要だったことでしょう。―レビ 16:11-16。
幕屋とソロモンの宮のシエキナはそのような光あるいは超自然的な光輝でした。光は箱のふたの上の二つの金のケルブの間に輝きました。ケルブの上のどこまでその光が延びていたか,どこから光がきたのかは明らかにされていません。しかしながら,シエキナの光は至聖所での唯一の光でした。
ではシエキナの光にはどんな意味がありましたか。至聖所のこの光輝は神の臨在を意味し,また表わしていたのです。もちろんエホバご自身が実際の幕屋や宮に住まれることはありません。(歴代下 6:18。使行 17:24)しかし,この不思議な光はイスラエルにとって,エホバの恵みが彼らとともにあることを示すものでした。
ユダヤ教のミシユナ書によれば,至聖所のシエキナの光は,ゼルバベルの監督下に建てられた宮に欠けていたもののひとつでした。
● 黙示録 19章7節は「小羊の婚姻の時がきて,花嫁はその用意をしたからである」と喜びを語っています。この婚姻とは何で,いつ行なわれますか。―アメリカの一読者より
小羊はイエス・キリストであり,「花嫁」は彼の花嫁となる14万4000人の油そそがれたキリストの追随者で構成されています。(ヨハネ 1:36; 3:28,29。黙示 14:1-5; 21:2,9-14)イエスの忠実な使徒たちを含む彼らはイエスと同じような苦しみを受け,同じような死を甘受し,天の霊の命によみがえる同様な復活を受けます。―ピリピ 3:8-11。ローマ 6:5。エペソ 5:25-27。
忠実な使徒と他の初期クリスチャンは最初に選ばれた花嫁の成員です。今日,地上にはこの級に属する最後の人々すなわち残れる者がいるにすぎません。幾世紀にもわたって,キリストの花嫁級の成員は天的花むこに会うために旅をしてきたのです。それはリベカがイサクの妻となるために遠い道のりを旅したのと同様です。(創世 24:59-67)しかし幸いなことに,花嫁級の大多数の人々にとって旅は終わりました。それはいつ終わりましたか。
小羊の婚姻が完了しはじめたのは,西暦1918年のことです。その時イエス・キリストはエホバ神と神の霊的な宮に来られました。(マラキ 3:1)死の眠りについていたキリストの油そそがれた追随者たちはその時天の生命に復活を受けたのです。(テサロニケ第一 4:15,16)しかしながら,小羊の婚姻はキリストの花嫁になる人々がまだ地上に生きている以上,いまなお進行中です。彼等は生命の冠を受け,天でイエス・キリストと結ばれるために死に至るまで忠実を示さなければなりません。これらの人々は忠実を保つ時,死ぬと同時に霊者に復活します。―黙示 2:10; 14:13。コリント第一 15:51-53。
黙示録の18章と19章に預言されている起こるべき事の順序によれば,偽りの宗教の世界帝国,大いなるバビロンは天で小羊の婚姻が全く完了する前に滅びます。黙示録 19章1節から5節のことばは「大淫婦」に裁きを加えられたことに対してエホバをたたえています。使徒ヨハネが霊感の下に書いた黙示録 19章6から9節をお読みください。
メシヤの御国が1914年に建てられた時,エホバ神は確かに力を執って支配を始められましたが,大いなるバビロンの滅びは,神の支配に一時期を画するものです。黙示録 19章6節はエホバが王として支配を始められたことを述べていますが,それは偽りの宗教の世界帝国の滅びと関連があるようです。この滅びは,この時代に起こります。この著しい出来事が起こってのちに,はじめて小羊の婚姻は完了します。(ものみの塔聖書冊子協会発行「『大いなるバビロンは倒れた!』神の御国は支配する!」616-622ページ(英文)をごらんください)しかしそのことのすぐのちに小羊の婚姻が完了するのではありません。大いなるバビロンの滅びに続いて,キリストが神の主要な刑執行者として悪人を滅ぼすハルマゲドンの戦いが行なわれます。(黙示 16:14,16; 19:11-21)ハルマゲドンののち,サタンと悪霊は底知れない場所にとじこめられます。(黙示 20:1-3)その後しばらくして,婚姻の宴が花嫁の成員全部を迎えて開かれるでしょう。
聖書の示すところによれば,花嫁級に属する残れる者は現存する事物の制度が終わり,サタンおよび悪霊が奈落にとじこめられてのちもしばらくこの地上に生活するようです。たとえば,油そそがれた残れる者を予表していたノアの妻は洪水を生き残りました。また昔のエヒウの行なった破壊工作を生き残ったエリシャのように,今日の油そそがれたエリシャ級の人々が大いなるエヒウ,イエス・キリストの破壊活動を生き残ることは明らかです。聖書にしるされたこれらの預言的な出来事から見て,キリストの花嫁の中の幾人かはキリストの千年統治のはじめごろ地上にしばらく生活することでしょう。
したがって小羊の婚姻の宴すなわち晩さんは,花嫁級の最後の一員が忠実を保って死んでイエス・キリストと天で結ばれるまで続くでしょう。サタンと悪霊が底の無い所につながれてのち,婚姻の宴がどれだけの間天において続くかは,今日花嫁級の残れる者にわかっていません。