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アブラハム「信ずるすべての者の父」ものみの塔 1961 | 12月1日
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られてもよいような戦いぶりをしました。また,エホバが,ロトの住んでいた全地域を悪しき所としてさばかれた時,アブラハムはエホバに嘆願しました。「全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。アブラハムは戦いの武器を取る時でも,神に対して祈る時でも,家族のかしらとしての責任をりっぱに果たしました!―創世 14:13-16; 18:25。民数記 21:14,新口。
アブラハムは妻のしりにしかれていたという高等批評家がいますが,ぜんぜんそうではありません。アブラハムは自分の妻,サラにより「主」と呼ばれていました。そのうえサラは,夫の命を救うためにアブラハムの妹であると言いなさいといったアブラハムの言葉に従いました。この計略を用いたために,アブラハムが非難されたことはなく,またこの計略を用いた時,二度とも,エホバがサラを守るために事を運ばれたので,この点につきアブラハムを非難することはできません。アブラハムもサラも,その当時,女は品物のように見なされていた,ということを認めていました。―創世 18:12; 12:11-20。ペテロ前 3:6。
預言的な面
アブラハムの模範的な生活には,預言的な意味がたくさんあるので,その点でも私たちのあゆむ道の光となります。アブラハムは,何度もエホバ神をあらわすのに用いられました。それで,アブラハムの名前が偉大になり,アブラハムが祝福になるというのは,エホバがご自分の御名を偉大なものにし,エホバが祝福になるということを表わしました。―創世 12:2。マラキ 1:11。
また,サラが長い間,子供を生まなかったように,神の天的なエルサレム,つまり神の妻のごとき制度も,油そそがれた『女のすえ』であるイエスを生み出すまで,長い間子供を生みませんでした。そしてアブラハムが二度,サラとの関係をかくしたように,エホバ神は長い間ご自分の妻のごとき制度をあたかも否定された,あるいはその関係をかくされたように見えました。つまりサタンの手先が地上における彼女の代表者たちをふみにじるのを許しました。―イザヤ 54:1-8。
アブラハムがふたりの女性により,ふたりの息子を得たように,エホバ神は,ふたつの国民,つまり地的な制度による生来のユダヤ人と,天的制度,上なるエルサレムによる霊的ユダヤ人を得ました。どれいの召使いであるハガルが,一時的なつとめを果たしたように,イスラエルの国も,律法契約にしばられて一時的なつとめを果たしました。自由の女としてのサラが,約束のすえを生んだように,自由の天的なエルサレムも,約束のすえを生み出しました。―ガラテヤ 4:21-31。
アブラハムが自分の息子イサクをささげたことは,エホバが御自分のひとり子をささげることをあらわしていました。最後にアブラハムが,イサクの花嫁を得るためにエリエゼルをつかわしたことは,エホバがご自分の御子に霊的な花嫁を得るため,ペンテコストの時いらい聖霊を送るということを表わしていました。―ヨハネ 3:16。ガラテヤ 3:16。
アブラハムのような人々の生涯が聖書に記録されているので,聖書は私たちの足のともしび,道の光だということがよく分かります!
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実を結んだ再訪問ものみの塔 1961 | 12月1日
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実を結んだ再訪問
ペルーにて
ひとりの宣教者はこういうことを発見しました。つまり,たとえ本を求めなくても,いくらか関心を示した人をみんな再訪するのは賢明だということです。その宣教者が,雑誌を配布していた時,ひとりの男の人が,いまはお金がないので,ほかの日に来てもらったら雑誌をいただきますと言いました。宣教者はその約束をして,また訪問した時,雑誌だけでなく「楽園」の本も配布しました。次にまた訪問した時,その男の人およびふたりの子供たちと聖書の勉強を始めました。―1961年のエホバの証者の年鑑より
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