考えてみたことがありますか ―
人は果たして傷つけ合うことをやめるでしょうか
ある人の感情が傷つけられたという話を耳にするのは珍しいことではありません。そのような傷は,身体上の傷よりも跡が残りやすいものです。人生とはそんなものだ,と思えるかもしれません。しかし,事態が良くなると信じられる確かな根拠があります。それがどのようにして実現されるかを知るため,まず次の点を考慮するとよいでしょう。
なぜ人は傷つけ合うのか
それは普通,人が自分と自分の感情のことだけを考えるからです。本当は人を傷つけたいと思ってはいなくても,その場になると,利己主義のために,他の人への気づかいを示す余地が全くなくなってしまうのです。
例えば,いやな上司の下で一日中働く人がいるとします。その人は欲求不満で煮えくり返りそうになりますが,職を失いたくないので沈黙を守ります。しかし,その人が帰宅すると,どんなことが起きますか。自分が傷つけられたことしか考えられないこの人は,やはりつらい一日を送ったかもしれない妻にひどく当たり散らします。妻は妻で,そのもやもやを子供たちにぶちまけます。
神経過敏になると,人はごくささいなことで他の人を傷つけかねません。ある大都市で,一家族の物干し柱が隣家の裏庭に倒れ,幾らか損害を被らせました。それが発端となって両家は二年にわたって対立し,物干し柱を所有していた家の夫婦はとうとうその隣人の手で撃ち殺されてしまいました。考えてみてください。ガラスが一枚割れ,庭木が数本押しつぶされただけで,この結果です! 神経質な態度と自己中心的な考え方のために,思いやりの入り込む余地は全くなくなってしまったのです。
他の人からの圧力,欲求不満,神経質になること,このすべては他の人に対して火花を散らす原因になりかねません。残念なことに,傷つけた相手が自分の愛する者だったということがよくあるのです。
問題を克服するのに何が役立つか
この点については様々な意見があります。しかし,人間のことをだれよりも知り尽くしておられるのはどなたですか。創造者ではありませんか。創造者はどんな実際的な助言を与えておられるでしょうか。
「最後に,あなたがたはみな同じ思いを持ち,思いやりを示し合い,兄弟の愛情を実践し,優しい同情心に富み,謙遜な思いをいだきなさい。危害に危害,ののしりにののしりを返すこと(があってはなりません)」― ペテロ第一 3:8,9。
『思いやりを示し合う』必要が強調されています。他の人の立場になって考えてみるのです。大抵の場合,それが解決策になるのではありませんか。言葉を出す前にこう自問してください。『自分がほかの人から同じことを言われたらどう思うだろうか。傷つくだろうか』。もしそうなら,どうしてそんなことを言うのですか。―ルカ 6:31。
『思いやりを示し合う』なら,人につらく当たる人は圧力を感じていたり,疲れていたり,病気だったりして,別に人をいら立たせようとしているのではないのかもしれない,という点を悟れるでしょう。わたしたちの側にそのような感情移入があれば,危害に危害を返さずにすみます。
聖書のこの助言は優れてはいますが,それを実行しようとした人は,その諭しを当てはめるのが必ずしも容易ではないことに気づきます。なぜそうなのでしょうか。
人間の造りが関係しているだろうか
正直のところ,だれしも悪に走る傾向を持っていることを認めなければなりません。聖書の説くとおり,人間は罪を受け継いで生まれてきます。―詩 51:5。
「まさにそのとおり。我々はみな生まれながらの罪人だ。弱さがあり,当然悪いことをする。どうしようもないのだ。人間とはそんなものだ」という人がいるかもしれません。ところがそれとは反対に,罪深い傾向にのみ込まれないようにすることができるのです。実際,自分の罪深さを知っていれば,他の人を傷つけないようにするのが容易になります。どうしてそう言えますか。
自分も同じ罪人だということを悟ると,自分のほうが他の人より優れているなどとほとんど考えられなくなります。このことを認めると,聖書の次の助言に従いやすくなります。「優しい同情心,親切,へりくだった思い,柔和,そして辛抱強さを身に着けなさい。だれかに対して不満の理由がある場合でも,引き続き互いに忍び,互いに惜しみなくゆるし合いなさい。[なぜ?]エホバが惜しみなくゆるしてくださったように,あなたがたもそのようにしなさい」。(コロサイ 3:12,13)そのような人は,自分が神にゆるしを請い,惜しみなくゆるしていただいたことを覚えています。そうすると,正当な「不満の理由」がある場合でも,他の人の弱さを忍べるようになります。
全地で傷つけることがなくなるならどうか
それは可能などころか確実です。神が,仲間の人間と平和に暮らそうとしない人すべてを滅ぼすと約束しておられるからです。使徒ペテロは,『不敬虔な人びとの滅び』を描写した後,こう書いています。「神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」― ペテロ第二 3:7,13。
聖書の原則に従う人々の間に今存在する温かい状態が全地に行き渡ります。かつては獣のような気質を示していた人が優しさを示すようになります。預言者イザヤはこのことを象徴的に描き,こう述べています。
「そして狼はしばらくの間雄の子羊と共に宿り,ひょうも子やぎと共にふし,子牛とたて髪のある若じしと肥え太った動物が共になる。そして小さな少年がそれらを導く者となる。……それらは……害をもたらすことも,破滅をもたらすこともない」― イザヤ 11:6-9,新。
考えてもみてください。だれも他の人に「害をもたらす」,つまり他の人を傷つけることはありません。神は,罪が全く除き去られ,それと共に,いさかいを引き起こすような感情すべてがぬぐい去られるよう取り計らわれるのです。