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聖霊は三位一体の三位,又は神の活動力?ものみの塔 1957 | 10月15日
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であることを証明していませんか。
聖霊の働き方を譬えで説明する
34 どの点において,聖霊を電気の力にたとえることができますか。
34 前述の質問を考慮するに当つては,おそらく譬えを用いることが役立つでしよう。古今最大の師であるイエスも,そのことを知つていました。聖霊は風にたとえられてきました。ある点においては,聖霊を電気にたとえることもできます。それは照明の役目も果し,伝達の手段としても用いられ,偉大な事をなし遂げる大きな力を表わします。人を見ただけでは,その人が聖霊に充されているかどうか分りません。電池あるいは『第三軌条』を見ただけでは,電気があるかどうか分らないのと同じことです。そしてある政府は電気を用いて罪人を処刑しますが,それと同様に,ヱホバは,アナニヤとその妻サッピラの場合のごとく,時には悪し者を滅ぼすため,聖霊を用いました。―使行 5:1-11。
35 聖霊が教えたり,禁じたりすることは,どのようにたとえられますか。
35 もう一つの例を挙げるならば,今日の警察官や兵士は無線によつて上官との連絡を保ちます。上官はその場合に応じて,教訓を与えたり,命令したり,禁令を与えたりする通信を送ります。それによつて,戦線にいる兵士または勤務中の兵士は動かされるのです。無線という手段が用いられましたから,無線がこれら凡ての事を為したとも言えるでしよう。それと同じく,ヱホバ神は御自身の聖霊により,そして更にまた御言葉を通して,その僕たちに語り,僕たちを教え導かれます。次のように書かれている通りです。『この賜物について語るにも,私たちは人間の知恵が教える言葉を用いないで,御霊の教える言葉を用い,霊によつて霊のことを解釈するのである。』― コリント前 2:13,新口。
36 聖霊すなわち神の活動的な力が監督を任命したと正しく言えるのは何故ですか。
36 聖霊がクリスチャン会衆内の監督たちを任じ,その任命をなすという事についても,同じことが確かに言えます。聖霊は人間という媒介を通じて,そうするのです。それで『聖霊があなた方を監督にお立てになつた』とパウロは述べています。しかし,それだけでなく,『事柄を正し,任命を為すために』パウロはテトスをクレテに残したとも書かれているのです。テトスや他の者たちが,聖霊によつて授けられた知恵と権威に従つて任命をなしたことから,このような任命は聖霊によつてなされたと言えます。―使行 20:28,新口。テトス 1:5,新世。
37 どんな論理,譬え,及び聖句によつて,神の聖霊が神であるという論の間違いが証明されますか。
37 また,昔に神は御自身の御心を知らせようと,聖霊によつて僕たちに知識を授けられました。これは一国の元首が述べたことを,ラジオでニュース放送することにもたとえられます。ラジオがそれを述べたと言つても,また,あるニュース解説者がそれを述べたと言うことも,あるいは国の元首がそれを述べたと言つても正しいでしよう。このような言い方はよくあるもので,何の混乱も起りません。ところが神の言葉の中で,一つの箇所においては神がある事を言われたと書かれて居り,別の箇所では聖霊が言つたと書かれていることから,三位一体論者は神と聖霊が三位一体の成員であつて,一つの神であると論じます。c このようなこじつけの推論は,三位一体論者の立場が弱いことを明瞭にしているに過ぎません。聖書の述べていることは簡明で分り易く,神秘的ではありません。神が先ずその言葉を話され,それから地上の忠実な僕は聖霊によつてその言葉を受けたと,聖書は示しています。―ペテロ後 1:21,新世。
38 どのようにして,アナニヤは神と共に聖霊に対して偽つたと言えるのですか。
38 ペテロがアナニヤに語つた言葉にも,この同じ考え方を適用できます。ペテロは聖霊に導かれ教えられていましたから,ペテロに偽りを述べたアナニヤは聖霊に偽りを述べたことになります。更にペテロは神を代表して居り,神に代つて語りましたから,ペテロに偽りを述べたアナニヤは神にむかつて偽りを述べたことにもなるのです。―使行 5:1-11,新世。
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10歳台の者も『ものみの塔』を熟知ものみの塔 1957 | 10月15日
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10歳台の者も『ものみの塔』を熟知
アメリカ・テキサス州のハウストンにいる10歳台の一少女は次のように書いています。『高等学校の社会科の課目のとき,共産主義宣伝という事が採り上げられ,ものみの塔誌は共産主義を宣伝していると一人の生徒は言いました。しばらくの間,私は何も言わないでだまつていることにしました。級の者の意見やら反応を見たいからです。もうこの時には級は大騒ぎになりました。直ぐに数人の生徒が,自分の両親はものみの塔の予約者であり,ものみの塔は共産主義と何の関係もないと言いました。また別の者も,ものみの塔の出版物を読んで,その出版物は共産主義とはまつたく縁遠いと言いました。ものみの塔はキリスト教のものであると級は全員一致で決定いたしました。』
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