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クリスチャンの希望を守りなさい最善の生き方を選ぶ
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それらの者に自由を約束しながら,彼ら自身は腐敗の奴隷となっているのです。だれでもほかのものに打ち負かされる人は,そのものの奴隷にされるからです」― ペテロ第二 2:18,19。
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クリスチャンの希望を守りなさい最善の生き方を選ぶ
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29 娯楽と気晴らしに対して聖書はどんな見方をしていますか。正確にはどんな場合に警戒する必要がありますか。
29 言うまでもなく,娯楽や気晴らしの問題を考える際には平衡の取れた見方が必要です。聖書は禁欲生活をすることを神の僕に求めていません。また,聖書によれば,自己否定はそれ自体に美点があるのではなく,良い目的を考慮に入れてそれが行なわれるときにのみ美徳となります。(伝道 2:24; 3:1,4,13; 8:15; コリント第一 13:3; コロサイ 2:20-23と比較してください。)とはいえ,それを言い訳にして,堕落した肉のなすがままになり,またクリスチャンの自由を悪をおおい隠す手段として,極端なことをしてもよいというわけではありません。(ガラテア 5:13,14。ペテロ第一 2:16)そのようにすることは,神を愛すること,およびわたしたちに与えられている「王たる律法」すなわち隣人を自分自身のように愛するということと全く相反します。(ヤコブ 2:8,12)それとは違った事柄を説く,そして自分たちの行き過ぎに賛同しない人々をあざける人たちは,依然として自分の利己的な傾向の奴隷であることを示しています。
30 会衆内の堕落させる影響のために,ついにはどんなことが起こりかねませんか。
30 ですから,分別を保って両極端を避ける必要があります。うかつに快楽を追求する道へと導かれる危険があることは否定できません。ある期間がたつと低俗化し,だんだん極端なダンスをしたり大酒にふけったりするようなパーティーに,あるいは性の不道徳とサディズムを美化する娯楽を見ることに徐々に巻き込まれることがあります。それらの不健全な影響を与えるものを危険でないと主張するのは浅はかなことです。それには,クリスチャンの良心を弱め,道徳心を損なう影響があることはまず間違いありません。そのようなことはないとうそぶく人は,多くの場合,でい酔と性的不行跡の犠牲者になります。―箴 13:20。
31,32 会衆のある成員たちは「裁きの日」まで何を行ない続けますか。それはどんな結果を招きますか。
31 実際,使徒ペテロは,『[不義の人びとが]切り断たれる裁きの日』まで神の僕たちの間に引き続きどんなことが起こるかを正確に描写しました。(ペテロ第二 2:9)官能的快楽に対する欲望を満足させることができるようにクリスチャンの自由の限界を論外なほど広げる人々は跡を絶たないでしょう。それらの人たちは聖書の次の命令に従うことを望みません。「ですから,淫行,汚れ,性欲,有害な欲望,また強欲つまり偶像礼拝に関して,地上にあるあなたがたの肢体を死んだものとしなさい」。(コロサイ 3:5)それどころか,そうした誤った欲望をかき立てる娯楽を選びます。そして他の人々を巻き込むときに,“もし自分の良心が許すなら,それは何も悪くない”と論じるかもしれません。しかし,その人たちは,汚れた良心は安全な導きにならないということを見落しています。悪い欲望に屈しており,ゆえに悪い欲望の奴隷となっているのです。彼らが他の人々に対して与える“自由”に関する約束は人を惑わすものです。
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