その1
「言葉」はヨハネによるとだれですか
1,2 イエス・キリストの生涯の記録の中で,ヨハネは最初にだれを私たちに紹介していますか。それで当然読者は何を知りたいと思いますか。
「はじめに言葉があった。言葉は神と共にいた。言葉は神であった。同じ言葉は,はじめ神と共にいた」。聖書のローマ・カトリックのドウェー訳および欽定訳によると,イエス・キリストの生涯についての使徒ヨハネの記録の最初の2節は,そのように始まっています。
2 それで,ヨハネの記録の冒頭においてヨハネが私たちに紹介している最初の人は,「言葉」と呼ばれています。言葉がそのように突然紹介されて後は,読者はこの言葉がだれであるか,あるいは何であるかを知りたく思うでしょう。全く,キリスト教時代の第2世紀以来,この言葉が何であるかについては大論争がありました。特に第4世紀以来,この論争において少数者の群れに対しては宗教的な迫害が多く行なわれました。
3 ヨハネはその記録を何語で書きましたか。ヨハネの冒頭の部分を理解するのはなぜむずかしいのですか。
3 使徒ヨハネは,第1世紀の通俗のギリシャ語でその記録を書きました。通俗のギリシャ語は当時の国際語でした。ヨハネが宛てて書いた人々は,ギリシャ語を語ることも,読むこともできました。それで,彼らはこの最初の数節の意味を知っていました。あるいは,すくなくとも,原文のギリシャ語で書かれたヨハネの記録の残り全部を読むことによって,彼らは知ることができたのです。しかし,この最初の部分を現代の英語のような他の言語に訳すときになると,その正確な意味を表わすために正しく訳すことは難しい仕事です。
4 現代の訳はみな,昔から容認されている聖書の訳と同じですか。その是非を示すどんな例がありますか。
4 もちろん,一般に公認されている聖書訳を使用している人は,すぐにこう言います,「この言葉がだれであるかは,容易に知れるはずだ。それは,言葉は神であるとはっきり言っている,神は神ではないか」。しかし,私たちは次のように答えねばなりません。すなわちギリシャ語の学者たちによると新しい現代訳の全部はそのように言っているのではないということです。例えば,次の例を考えてごらんなさい,1961年3月に出された「新しい英語聖書」(英文)は,「言葉は神のようであった」と述べています。「言葉」と訳されているギリシャ語はロゴスです。それでジェームス・モハット博士の「聖書の新約」(英文,1922年)は,「ロゴスは神性であった」と述べています。「全訳聖書 ― アメリカ訳」(英文,スミス-グッドスピード)は,「言葉は神性であった」と述べています。フューフ・ジェイ・ジョンフィールドの「真正の新約」(英文)も,そのように述べています。(ドイツ人による)別の訳はこうです,ボエマー,「それは神とかたくむすばれ,それ自体神からのものであったa」。シュターゲ,「言葉自体は神からのものであったb」。メンゲ,「そして言葉は神(神のものc)」ファエフリン,「そして神の重々しさがあったd」またシンメ,「そしてその言葉は一種の神であったe」。
5 二つの例によって示されているように,最も物議をかもしているのはどの訳ですか。なぜトレー博士の訳をそれと並べて見ますか。
5 しかし,最も物議をかもしているのは,ヨハネ伝 1章1,2節の次の部分です,「言葉がはじめにあった。言葉は神と共にあった。言葉はひとりの神であった。この言葉ははじめ神と共にあった」。この訳は,1808年,英国ロンドンで出版された「改善された訳による新約」の中の言葉ですf。以前のローマ・カトリックの神父の訳も,それに類似しています,「はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉はひとりの神であった。これは,はじめ神と共にあった。万物は言葉を通して存在し,それなしでは,何ひとつ存在するようにならなかった」。(ヨハネ 1:1-3g)「ひとりの神」という表現については,多くの議論がなされています。その訳と共に,チャールス・カツラー・トレー教授による1947年再版の「四福音書 ― 新訳」を参考にしてみましょう,「はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。彼がはじめ神と共にいたとき,万物は彼を通して創造された。彼なしでは,つくられたものは何一つ存在するにいたらなかった」。(ヨハネ 1:1-3)言葉は,太文字でない「神」であることに気をつけて下さい。
6 前に引用した聖書の中には,どんな異なった表現がありますか。そこで私たちは,だれの身元を調べねばなりませんか。
6 それで,前述の聖書訳の中には,「神」「神性」,「一種の神」,「神」および「ひとりの神」という表現が使われています。三位の神,すなわち三位一体を教える人々は,「ひとりの神」という訳に強く反対します。彼らは,三位一体について,いろいろ述べる中でも,それが多神論を信ずることであると言います。あるいは,彼らはそれを一元論あるいはアリウス派教義と呼びます。三位一体は,「ものみの塔」誌の400万の読者の大多数が住む欧州,アメリカおよびオーストラリア内のキリスト教国でひろく教えられています。アジアとかアフリカのような他の場所にいる読者は,キリスト教国の宣教者を通して,三位一体の教えを知っています。それで,言葉すなわちロゴスがだれであるかをたしかめるだけでなく,神ご自身がだれであるかをたしかめねばならないことは明白です。
7,8 キリスト教国は,神を何であると言いますか。しかし,この同意語をヨハネ伝 1章1,2節に適用すると,どんな混乱が生じますか。
7 キリスト教国は,自分たちの宗教の基礎的教理は三位一体であると信じています。そして,三位一体とは三者一体を意味するというわけです。つまり,「父なる神,子なる神,聖霊なる神」という三つの位格をもつ一つの神という意味です。これが三つの神ではなくて,「三つの位格をもつ」ただ「一つの神」と言われているからには,神という語は三位一体という意味をもつことになり,三位一体と神とは同意語になります。この観点から,ヨハネ伝 1章1,2節を引用して,神という語を同意語に置き替え,どんなことになるかみてみましょう。
8 「初めに言葉があった。言葉は三位一体と共にあった。言葉は三位一体であった。同じ言葉は,はじめに三位一体と共にいた」。しかし,どうしてそのようなことがあり得たのでしょうか。もし言葉自身が一つの位格で,三位一体と共にいたのなら,四つの位格があったことになります。ところが三位一体論者によると,言葉は三位一体の第二の位格,すなわち「子なる神」なのです。しかしたとえそうであるにしても,子なる神としての言葉が,三つの位格で構成される三位一体であった,とどうしてヨハネに言えたでしょうか。どうして一つの位格が三つの位格であり得るでしょうか。
9 もし,「神」は父なる神を意味すると主張すれば,どんなむずかしい問題が生じますか。
9 しかし,三位一体論者はこういうでしょう。ヨハネ伝 1章1節の「神」は,三位一体の第一の位格,すなわち「父なる神」を意味するだけである。だから,言葉は初めに父なる神と共にいたのだと。「神」に関するこの定義に基づくなら,どうして彼らのいう「子なる神」が「父なる神」であると言えるでしょうか。また彼らのいう「聖霊なる神」の立場はこの場合どこにありますか。もし神が三位一体なら,言葉は初めに「父なる神」と共にいたと同時に「聖霊なる神」とも共にいたのではないのですか。
10 「神」は三位一体の他の二つの位格を意味するというならどういうことになりますか。どんな説明は説明になりませんか。
10 すると彼らはたぶんこう言うでしょう。ヨハネ伝 1章1,2節の「神」は,三位一体の他二つの位格を意味している。だから言葉は初めに父なる神および聖霊なる神と共にいたのだと。この場合はつぎのようなむずかしい問題にぶつかります。すなわち言葉は,神であることによって,三位一体の他の二つの位格である父なる神および聖霊なる神であったということです。ですからこれは,言葉すなわち三位一体の第二の位格である「子なる神」は,三位一体の第一,第二の位格でもあったと言っていることになります。言葉は父なる神と同じで,父なる神に等しかったが,それでも父なる神ではなかった,といってもそれはこのむずかしい問題の解決にはなりません。もしそうであったなら,言葉は聖霊なる神と同じで,聖霊なる神に等しかったが,やはり聖霊なる神ではなかったということになります。
11,12 三位一体論によると,言葉は神のどのくらいに当たりますか。また,神の個性についてどんな質問をせざるを得ませんか。
11 それなのに三位一体論者は,ヨハネ伝 1章1,2節の神は,三つの神ではなくてただ一つの神であると言います。では言葉は神の三分の一ですか。
12 科学的にいって,1つの神(父)+1つの神(子)+1つの神(聖霊)=1つの神というような計算は成り立たないので,1/3の神(父)+1/3の神(子)+1/3の神(聖霊)=3/3の神,もしくは1つの神というふうに計算しなければなりません。そればかりでなく,ヨハネ伝 1章1,2節の「神」という言葉は,その個性を変える,あるいはこの「神」は一つの文章の中でその個性を変えると結論しなければなりません。ほんとうにそうでしょうか。
13,14 (イ)三位一体の教理は,ヨハネ伝 1章1,2節の意味をどのようにしてしまいますか。(ロ)言葉と神についてヨハネの心の状態はどうでしたか。
13 読者のみなさん,もう何がなんだかさっぱり分からなくなってきましたか。きっとそうだと思います! 三位一体の教理を論証しようとするどんな試みも混乱を招くのです。ですから,三位一体という教理は,ヨハネ伝 1章1,2節の意味を混乱させるだけで,それを平易に,あるいは明確に,理解しやすくするものではありません。
14 ヨハネは19世紀の昔,国際的クリスチャンの読者のために,普通のギリシャ語でこの文章を書きましたが,その時彼の心がこの問題に対して少しも混乱していなかったのはいうまでもありません。イエス・キリストの生涯の記録を書きはじめるに際して,言葉すなわちロゴスとはだれか,神とはだれかについてヨハネの心には少しも混乱がありませんでした。
15 だれがだれであったかを知るには,だれの助けが必要ですか。ことの詳細を説明するものとしてどんな本を参考にできますか。
15 ですから私たちは,使徒ヨハネ自身に,言葉とはだれであったかを証明してもらい,神とはだれであったかを説明してもらわねばなりません。それこそヨハネが,イエス・キリストの生涯の記録のあとの部分と,霊感によって書いた他の彼の書物の中で行なっていることです。いわゆるヨハネの福音書のほかに彼は,三つの手紙あるいは書簡と,黙示録を書きました。多くの人は,ヨハネは最初に黙示録を書き,それから三つの手紙を書き,最後にヨハネ福音書を書いたと理解しています。ジー・アーネスト・ライト(1957年)著「聖書の考古学」の238頁はこう述べています,「ヨハネの書いた物は普通小アジアのエペソと関連をもっており,大多数の学者は,西暦90年頃の日付を付している」。ヨハネ福音書の日付としてはこの「ものみの塔」は,西暦98年を受け入れています。ですからヨハネ福音書に書かれている事柄の詳細な説明としては,それ以前の彼の書,すなわち黙示録と三つの手紙もしくは書簡を参考にすることができます。
16 これをなすにさいし,私たちはどんな目標をもって出発しますか。なぜですか。
16 ではいまからそれらを参考に調べてみましょう。これをするに当っての私たちの願いは,言葉すなわちロゴスがだれであったかについて,使徒ヨハネと同じ結論に達することです。そうすることは,私たちにとって,間近に近づいている神の新しい正義の世における幸福な永遠の生命を意味します。ヨハネは,すべての知識をじかに得,直接の交わりをもっていたので,全く正しい結論に達する理由すなわち基礎をもっていました。彼は,私たちが正しい結論に達するように,彼の読者になることを望みました。それでヨハネは,私たちが彼と同じ結論に達する助けとなるように五つの異なった書物の中で,正直に,忠実に事実を述べています。したがって,ヨハネの証言を真実として受けいれるとき私たちは,正しい目標,すなわち限りない祝福に通ずる目標をもって出発することになります。
ヨハネ第一書 5章7節(ドウェー聖書,欽定訳聖書)については何と言えるか
17 時代おくれの三位一体信者ならどんな質問をするでしょうか。彼らが自分の聖書から持ち出す節については,なんといわねばなりませんか。
17 もし三位一体論者が時代におくれているなら,ヨハネ自身が,三位一体すなわち三つは一つと教えてはいないかと質問するでしょう。そして自分の聖書のヨハネ第一書 5章7節を指摘し,読むでしょう,「天に於て証するもの三あり,聖父と御言と聖霊と是なり,而して此三のものは一に帰し給う」。ローマ・カトリック「ドウェー聖書」のヨハネ第一の書 5章7節はそのように述べています。「欽定訳」もこれによく似ています。しかし,「天に於て」「聖父と御言と聖霊と是なり」は,最も古いギリシャ語の写本には出てきません。ですから大部分の現代訳の聖書はこれらの言葉をはぶいています。「コンフラタニティ・オブ・クリスチャン・ドクトリン」のローマ・カトリックの司教委員会が出した聖書は,この言葉をカッコに入れ,次のよな脚注を付して説明しています,「法王庁は,現在の句の起源について最終的に決定する権利を保留する」。
18 マイウス枢機卿は,ヨハネ第一書 5章7節につき,彼の編集したバチカン写本1209号の中でどんな告白をしていますか。
18 多くの人の判断によると,キリスト教聖書の最も古いギリシャ語の写本は,4世紀の前半に書かれたバチカン写本1209号です。私たちがもっているこのギリシャ語写本は1859年のアンジェラス・マイウス枢機卿の編集になるものですが,彼はこの中にギリシャ語を挿入しています。しかし前節の終りに脚注の記号を付しています。脚注はラテン語で,翻訳するとつぎのようになります。
最古のバチカン写本 ― この版に転載している ― では,ここからあとは,つぎのように書かれている: 「あかしをするものは三つある。御霊と,水と,血である。この三つは一致している。もしあかしが」云々。ゆえに,神聖な三つの位格に関するヨハネの有名な証言はない。この事実は,すでに長い間批評家たちに知られていた。
19 イー・ジェイ・グッドスピード博士は,ヨハネ第一書 5章7節につきなんと述べていますか。それでどんな基礎に基づいて言葉と神がだれであるかを調べることはできませんか。
19 聖書の翻訳家エドガー・ジェイ・グッドスピード博士は,ヨハネ第一書 5章7節についてこう言っています,「13世紀以前の新約聖書あるいはそれに関するどんな写本にもこの節をギリシャ語で見出すことはできない。また,15世紀以前のヨハネ第一書のどのギリシャ語写本にも出ていない。15世紀にはカーシブ書体の写本の一つに出ており,16世紀の一つの写本にもこの句がある。この句が見出された新約聖書のギリシャ語の写本は,この二つだけである。昔のギリシャ語写本あるいはギリシャ語キリスト教聖書にも,また東洋のどの訳にもこの句は出ていない。……ギリシャ語学者もギリシャ語の新約聖書編集者も,一般にこの句を信じていないh」そういうわけで,言葉と神がだれであるかについて,ヨハネの書いた物を調べるさいに,ヨハネ第一書 5章7節の虚言に依存することはできません。
人間として地上に誕生
20,21 (イ)言葉はいつ神のみ前を去りましたか。そして,言葉がどのようにそうしたかについて,どんな質問が生じますか。(ロ)ヨハネは言葉がそれをどのようにしたと言っていますか。それはどんな意味ですか。
20 言葉すなわちロゴスが,初めに共にいた神のみ前を去る時がきました。それは彼が地に下って,人間に加わった時でした。ヨハネ伝 1章10,11節はつぎのように述べています,「彼は世にいた。そして世は彼によってできたのであるが,世は彼を知らずにいた。彼は自分のところにきたのに,自分の民は彼を受けいれなかった」。言葉は天から下る時に,以前天使がしたように,霊者のままで,目に見える人間のからだを着ただけでしたか。そしてそのからだを通して人間と交わりましたか。それとも言葉は混合物でしたか。霊者のからだと人間のからだの混合物でしたか。憶測するよりもヨハネの説明を聞きましょう。
21 「そして言は肉体となり,わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって,めぐみとまこととに満ちていた」。(ヨハネ 1:14,新口)ほかの翻訳の聖書も,言葉が「肉体となった」としています。(改訂標準訳。アメリカ訳,ロザハム訳,新英訳聖書)これは,彼が,体現とか化身の場合のように,肉体を着たというのとは大きな相違があります。それは彼が人間そのもの ― 肉と血 ― になり,私たちと同じ人間のひとりとなったという意味です。ヨハネの書いた物をどんなに調べてみたところで,ヨハネが言葉は神人,すなわち神と人間との混合物となったと述べているところはぜんぜんありません。
22 自からの人性について,言葉は自分をなんと呼んでいますか。彼が肉体になったことは,実際にはなにを意味しますか。
22 神人という語は,三位一体論者が発明したもので,聖書全体を通じどこにも見られない言葉です。地上にいた時言葉は自分を「人の子」と呼びました。これは神人とは非常に異なっています。彼は,ナタナエルというユダヤ人に初めて会った時,このユダヤ人につぎのように言いました,「天が開けて,神の御使たちが人の子の上に上り下りするのをあなたがたは見るであろう」。(ヨハネ 1:51,新口)ユダヤ人のパリサイ人ニコデモにもこう言いました,「ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように,人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が,すべて永遠の命を得るためである」。(ヨハネ 3:14,15,新口)ヨハネの書いた物の中で,「人の子」という表現は16回言葉に適用されています。これは彼が,地上で人間として生まれることによって「肉体となった」ことを示すものです。彼が肉体になったということは,霊者であることをやめたという意味にほかなりません。
23,24 肉体になることによって,言葉は人間の感覚に対し何になりましたか。ヨハネは言葉と接した経験についてどう述べていますか。
23 以前目に見えない霊者であった言葉は,肉体になることによって,地上の人間に見えるように,聞けるように,感じられるようになりました。したがって肉の人間は彼と直接に接触することができました。使徒ヨハネは,肉体で地上にいた時の言葉と接した彼自身の経験を私たちに告げています。それはヨハネがその喜びを私たちと分かち合うためです。彼はこう述べています。
24 「初めからあったもの,わたしたちが聞いたもの,目で見たもの,よく見て手でさわったもの,すなわち,いのちの言について ― このいのちが現れたので,この永遠のいのちをわたしたちは見て,そのあかしをし,かつ,あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは,父と共にいましたが,今やわたしたちに現れたものである ― すなわち,わたしたちが見たもの,聞いたものを,あなたがたにも告げ知らせる。それは,あなたがたも,わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは,父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである」。―ヨハネ第一 1:1-3,新口。
25,26 (イ)ヨハネは,イエスの地上の養父についてどう言っていますか。(ロ)ヨハネは,イエスの人間の母親を引き取ったのち,彼女のことをなんと言っていますか。
25 ヨハネは,この人の子の人間の母親に私たちの注意を引きますが,彼女個人の名前は出していません。ヨハネは,彼女の最初のむすこのことを「マリヤの子」とは言っていません。ヨハネは,記録の初めの方で,人の子の人間の養父の名前をあげています。それはピリピがナタナエルにこう言った時です,「わたしたちは,モーセが律法の中にしるしており,預言者たちがしるしていた人,ヨセフの子,ナザレのイエスにいま出合った」。(ヨハネ 1:45,新口)後日,このイエスが五つのパンと2匹の魚で5000人を養うという奇跡を行なった時,イエスの素性をけなそうとしたユダヤ人たちはこう言いました,「これはヨセフの子イエスではないか。わたしたちはその父母を知っているではないか」。(ヨハネ 6:42,新口)そういうわけでヨハネは,ほかのマリヤという女たちのことを話す場合には名前を出していますが,イエスの母の名前は出していません。彼女のことを話す場合は,決して「マリヤ」とか「母」とかにしないで,「女」としています。
26 一例をあげると,イエスは,ゴルゴタの杭の上でまるで罪人のように死のうとされていた時,地的の母と愛する弟子ヨハネとがたたずんで見ていたので,彼女への最後の言葉として「母にいわれた,『婦人よ,ごらんなさい。これはあなたの子です』。それからこの弟子に言われた,『ごらんなさい。これはあなたの母です』。そのとき以来,この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった」。(ヨハネ 19:25-27,新口)ヨハネがどのくらいの期間イエスの母マリヤの世話をみたかはヨハネは告げていませんが,イエスの母であったという理由で,彼女をまつりあげたり祝福するようなことは決してしていません。
27,28 マリヤはだれの母になったと三位一体論者は言いますか。これからどういう質問が生じますか。
27 しかし,三位一体論者によると,「言葉が肉体となった」時,マリヤは神の母になりました。しかし彼らは,神は三位一体だというのですから,ユダヤ人の処女マリヤは,「神の母」になったのではなくて,たった三分の一の神の母になったわけです。彼女は,神の一つの位格,「父なる神,子なる神,聖霊なる神」という公式の中の二番目の位格の母になったのです。ですからマリヤは,ただ「子なる神」の母であったに過ぎません。「父なる神」の母でもなければ「聖霊なる神」の母でもなかったのです。
28 しかしもしローマ・カトリック信者やその他の人々が,マリヤは「神の母」だったと主張してやめないなら,私たちは,では神の父はだれであったかと質問せざるを得なくなります。もし神に母があったとすれば,だれが神の父でしたか。ここで私たちはまた,三位一体がいかにばかげたものであるかを知ります。
29 黙示録 4章8節,11節で,ヨハネは主なる神をどのように描写していますか。マリヤがその胎内に神をいれるということについてはどんな疑問が生じますか。
29 さらに使徒ヨハネは,天のある生物が,みくらにいます神に「聖なるかな,聖なるかな,聖なるかな,全能者にして主なる神。昔いまし,今いまし,やがてきたるべき者」といい,他のものたちが,「われらの主なる神よ,あなたこそは,栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって,万物は存在し,また造られたのであります」というのをまぼろしで見ました。(黙示 4:8,11,新口)聖書ははっきりと,諸天の天も主なる全能の神を入れることはできないと述べています。そして,ソロモン王の建てたエルサレムの巨大な宮も,主なる全能の神をいれることはできませんでした。ではどうして,マリヤの子宮の中の卵子のような極端に小さな物が,神を入れることができ,それによって彼女が母になることができましたか。ですから私たちは,自分が教えていることによく注意を払って,神を見くびるようなことがないようにしましょう。
彼の誕生地
30,31 (イ)ガリラヤのナザレから来たように見えたイエスについて,ユダヤ人の間でどんな疑問が生じましたか。(ロ)イエスがエルサレムに勝利の入城をされた時,大いなる群衆は,彼の誕生地をどのように暗示しましたか。
30 ガリラヤの地方で,ナザレから来たイエスの誕生地についてユダヤ人の間に議論が生じました。一般のユダヤ人は,彼がベツレヘムで生まれたのを知らなかったのです。そこでヨハネはこう告げています,「ほかの人たちは『この方はキリストである』と言い,また,ある人々は,『キリストはまさか,ガリラヤからは出てこないだろう。キリストは,ダビデの子孫から,またダビデのいたベツレヘムの村から出ると,聖書に書いてあるではないか』と言った。こうして,群衆の間にイエスのことで分争が生じた」。(ヨハネ 7:41-43,新口)しかしながら,イエスが,西暦33年の春エルサレムに堂々と乗り込まれた時,彼を神の約束された王,ベツレヘムのダビデ王の子としてほめたたえたユダヤ人がたくさんいました。ヨハネ伝 12章12-15節(新世)は次のように告げています。
31 「その翌日,祭にきていた大ぜいの群衆は,イエスがエルサレムにこられると聞いて,しゅろの枝を手にとり,迎えに出て行った。そして叫んだ,『われらを救いたまえ! エホバの御名によってきたる者,イスラエルの王に祝福あれ!』 しかしイエスは,ろばの子を見つけて,その上に乗られた。それは『シオンの娘よ,恐れるな。見よ! あなたの王がろばの子に乗っておいでになる』と書いてある〔ゼカリヤ 9:9〕とおりであった」。―詩篇 118:25,26も見て下さい。
32 (イ)ナタナエルはイエスと王との関係をどのように示しますか。(ロ)黙示録の中でイエスは王との関係をどのように示していますか。イエスの御国は,彼の先祖の国にくらべてどのように違いますか。
32 しかし,それより3年まえ,つまりイエスがイスラエルの地で公生活にはいられた時,ナタナエルはイエスとダビデ王の関係にきづき,イエスにこう言いました,「先生,あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。(ヨハネ 1:49,新口)また,使徒ヨハネのまぼろしの中でも,王とイエスの関係がいく度も強調されています。黙示録 3章7節ではイエス自身が,「聖なる者,まことなる者,ダビデのかぎを持つ者…が,次のように言われる」と言われています。黙示録 5章5節では,ひとりの長老がイエスのことを「ユダ族のしし,ダビデの若枝であるかたが,勝利を得た」と言っています。そして最後に,黙示録 22章16節には「わたしイエスは,使をつかわして,諸教会のために,これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの若枝また子孫であり,輝く明けの明星である」,と書かれています。イエスは地上におられた時,ご自分のことを「ナザレのイエス」と言われましたが,実際は,ダビデ王の生まれた町で生まれ,ナザレでは育っただけでした。(ヨハネ 18:5-7; 19:19)ナザレでは養父のヨセフはイエスの父と思われていました。イエスの先祖ダビデは,地上の国をもっていました。しかしイエスの天の御国は,もっと大きく,全人類にとってもっと有益なものです。
33,34 (イ)牧師はどのように,ヨハネ伝 1章14節の言いまわしは,言葉の化身を暗示していると主張しますか。(ロ)ペテロがこの手がかりとなる言葉を使っており,ほかのところにも使われていることから何が分かりますか。
33 言葉すなわちロゴスであったかたが,人間の間におられたのはわずかの期間で,ダビデ王の子孫にあたるユダヤ人の処女の胎に宿られた時から35年足らずでした。アメリカ訳が,ヨハネ伝 1章14節を,「そこで言葉は肉と血とになり,しばらくの間わたくしたちの中に住まれた」と訳しているとおりです。化身と神人を信じる牧師たちは,「しばらくの間住まれた」と訳されているギリシャ語の動詞の語源が,「テント」または「幕屋」という語にあることに人々の注意を引きます。事実,ロバート・ヤング博士は,この表現を,「そして言葉は肉体となり,われらの間に仮住居された」と訳しています。キャンプする人がテントの中に住むことから,牧師たちは,イエスはやはり霊者であり,肉体の中で仮住居されたに過ぎない,だから化身であり神人であったと主張します。しかしながら,使徒ペテロも自分自身について同じような表現を用いてこう言っています,「わたしがこの幕屋にいる間,あなたがたに思い起させて,奮い立たせることが適当と思う。それは,わたしたちの主イエス・キリストもわたしたちに示して下さったように,わたしのこの幕屋を脱ぎ去る時が間近であることを知っているからである」。(ペテロ後 1:13,14,新口)そうは言ってもペテロは,自分が化身だという意味でいったのでないことは確かです。ペテロのいわんとしたのは,彼が肉の人間として地上にいるのは,いましばらくの間にすぎないということでした。
34 ヨハネ伝 1章14節に用いられているのと同じギリシャ語は,化身でなかったほかの人についても黙示録 12章12節,13章6節で用いられています。ですからヨハネ伝 1章14節の言葉は,化身説を支持するものではありません。
[脚注]
a “Es war fest mit Gott verbunden,ja selbst goettlichen Wesens,”ルドルフ・ボエマー訳「新約聖書」,1951年。
b “Das Wort war selbst goettlichen Wesens,”カルト・シュターゲ訳「新約聖書」,1907年。
c “Und Gott(=goettlichen Wensens)war das Wort,”ディー・ハーマン・メンゲ博士訳「聖書」第12版,1951年。
d “Und war von goettlicher Wucht,”フレドリッヒ・ファエフリン訳「新約聖書」,1949年。
e “Und Gott von goettlicher Wucht,”ルドウイッグ・シンメ訳「新約聖書」1919年。
f 表題紙にはこう書かれている「改善された訳による新約聖書,ニューカム大司教の新訳にもとづいて改訳,一つの聖句を改正し,批評および説明の注を添付。書物の配布によってクリスチャンの知識と美徳実践を促進するため一協会によって出版された」。―ユニタリアン。
g ヨハネスグレバー訳(ドイツ語から英語に翻訳)最古の写本にもとづく「新約聖書 ― 新しい訳と説明」1937年版。この訳の表紙には,金の十字架が印されている。
h 「ザ・グッドスピード・パラレル・ニューテスタメント ― アメリカ訳と欽定訳」の557頁より引用。1943年版。