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彼の生命のみなもとものみの塔 1962 | 11月1日
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た。それで,トマスがイエスを「私の神」と呼びかけたなら,彼はイエスの父を神の神として認めることが必要でした。すなわち,イエス・キリストよりも高い神,イエス自身も崇拝した神として認めるべきでした。黙示録 4章1-11節は,この神,天の御座にすわって,永遠に生きられる「全能の主なる神」を象徴的に描写しています。しかし,次の章である黙示録 5章1-8節は,イエス・キリストを,全能の主なる神の御座に来て,神の御手から巻物を受け取る神の小羊と述べています。これは,トマスと他の使徒たちに語ったイエスの言葉の意味を説明します,「わたしが父のもとに行く……父がわたしより大きいかたである」。(ヨハネ 14:28,新口)それで,イエスは彼の父を全能の主なる神,子よりも偉大で,匹敵者のいない御方と認めました。
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ヨハネ 1:1,2にもどるものみの塔 1962 | 11月1日
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その5
ヨハネ 1:1,2にもどる
58 クリスチャンたちにあてた最初の手紙の終りの方で,ヨハネは,イエス・キリストを私たちにどのように理解させてくれますか。
使徒ヨハネは,クリスチャンたちにあてて書いた最初の手紙の結びの部分でも,同じ理解をいだいています。すなわちイエス・キリストは神の子であり,神によって産み出された人間はイエスと共に神の子であるということです。聖書のアメリカ訳は,ヨハネの手紙の結論を次のように訳しています,「神の子が罪を犯さないことを,私たちは知っている。神から生れたかたが彼を守っていて下さるので,悪い者が彼に触れることはできない。また,私たちは神の子であり,全世界は悪い者の勢力下にあることを知っている。さらに,神の子が来て,真実なるかたを知る力を私たちに与えて下さったことも知っている。私たちは真実なかたと一致している」。どのように? 「御子イエス・キリストによる。彼は真の神であり,永遠の生命である。愛する子たちよ。偶像を避けなさい」。―ヨハネ第一 5:18-21,新口。
59 多くの翻訳で,ヨハネ伝 1章1節はどうなっていますか。しかしいま私たちは何を決定できる立場にいますか。
59 イエス・キリストを子とする御方は「真の神,永遠の生命」であり,イエス・キリストは「神から生れたかた」で,神の他の子たちを守る方であるゆえ,私たちはいろいろの翻訳の存在するヨハネ伝 1章1,2節をどのように理解すべきですか。たくさんの訳は次のようです,「そして言葉は神と共にあった。言葉は神であった」。他の訳によると,「そして,言葉(ロゴス)は神性を持つものであった」。別の訳,「そして言葉は神であった」。他の訳,「言葉はひとりの神であった」。私たちは肉体になられた言葉なるイエスについて,ヨハネの書いたものをくわしくしらべました。それで,今ではそれらの翻訳の中どれが正確であるかを決めることができます。それは私たちの救いを意味します。
60 普通の翻訳に従い,レオ・トルストイ伯爵は,ヨハネ伝 1章1節についてどんな注解をしていますか。
60 最初,欽定訳あるいはドウェー訳による次の通俗的な訳を考えてみましょう,「はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。そして言葉は神であった。同じものは,はじめ神ととも
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奉仕に忍耐を示す事は報われるものみの塔 1962 | 11月1日
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奉仕に忍耐を示す事は報われる
フランスのA町は非常に宗教的な町ですが,そこに働くあるエホバの全時間奉仕者は,留守がちの家をそれぞれちがった日に5回も訪問して,ついにその家の人に会いました。ところがその人はエホバとその御国についての真理に非常に強い関心を示し,2ヵ月後にはその人自身も真理を宣べ伝えるようになりました。
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