-
不信仰な者にのぞむ神のさばきものみの塔 1966 | 1月15日
-
-
26 (イ)人を助ける時も,私たちは何をしなければなりませんか。(ロ)祈りに近いユダの言葉は,つまずきを避ける道をどのように示していますか。(ハ)不信仰な人々の予告されていた運命と,神の愛の中にとどまる人の特権とを比較しなさい。
26 ほかの人が信仰を築き上げるのを助ける間も,私たちは,不平をこぼす不信仰な人,分裂を起こすおそれのある人,神のいつくしみを変えて,会衆内で放縦な行いをするための口実とする人などをすべて退け,「信仰のための戦い」をつづけなければなりません。この戦いをどこまでもつづけるとき,私たちはエホバが私たちをつまずかないように守って下さることを確信します。エホバに栄光がありますように。「あなたがたを守ってつまずかない者とし,また,その栄光のまえに傷なき者として,喜びのうちに立たせて下さるかた,すなわち,わたしたちの主イエス・キリストによって,世々の初めにも,今も,また,世々限りなく,あるように,アァメン」。(ユダ 24,25)ユダの言葉は,私たちが神の愛の中にとどまれるよう「信仰のために戦う」なら,私たちをささえ,つまずきから守って下さるようにという,エホバに対する彼の民のための祈りに近いものです。不信仰な罪人はすべて,最高の審判主がずっと昔に予告されたとおり滅びるでしょう。しかし私たちは,終わりのない生命をもって,誉れを神に帰す特権を得るでしょう。
-
-
メシヤを確認する強力な証拠ものみの塔 1966 | 1月15日
-
-
メシヤを確認する強力な証拠
1 エデンにおいて人間が堕落した最初の時から,神はどのように希望を与えましたか。
はじめから,すなわちエデンにおいて人間が堕落した直後から,神は希望の預言を語られました。神は神の敵のかしらを砕くすえが現われることを約束しておられます。(創世 3:15)神はこのすえに関する情報を与え,最後にはヘブル語でメシヤと呼ばれる特定の者がこのすえであることをはっきりと示して,この約束を敷延すると共に昔の人の信仰を強められました。国々の民が希望をおくのはこのメシヤです。間違うことなく,真実のメシヤに希望と信頼をおくことは生死の問題でした。従って希望のおきどころを間違えて失望を味わい,救いを得そこなうことのないように,わたしたちはメシヤを間違いなく見分ける方法を教えられていなければなりません。メシヤにも偽りのものがあるからです。
2 (イ)わたしたちが希望のおきどころを違えることのないように,神は何を備えられましたか。それはどれほど念入りなものですか。(ロ)メシヤを見わけるどんな特定の手段を,この記事の中で研究しますか。
2 間違いなく見分けるためのしるしは,神のことば聖書の中に与えられています。キリスト教時代以前のヘブル語聖書には,メシヤの資格に関する事柄,メシヤの成し遂げるべき事柄が何百も詳細に述べられているのです。そのすべては密接に関連し合い,編み合わされているため,ぺてん師がそのすべてを成就しようとしても,成功する確率は何十億に一つ,つまり実際には不可能でありましょう。事実それは偉大な全能の神が約束のメシヤを間違いなく見分けさせるために仕組まれたのですから,不可能なのは当然です。メシヤを見分ける手だては,家系,場所,出来事,また出来事の起きた模様など,いろいろありました。中でも時は場所や出来事などの他の要素と関連のあるしるしです。この記事では時という問題をとりあげました。
3 (イ)この問題の研究は,聖書の霊感を信じない人をどのように動かすはずですか。(ロ)それはユダヤ教の信仰を持つ人をどのように動かしますか。
3 聖書が霊感による本であることを信じない人も,この問題を真剣に考慮するならば,
-