第4章
第二,第三および第四の封印が開かれる
1 「ユダ族の者であるしし」が,西暦1914年以来究極の征服を遂げるために乗り進んでいることを示すどんな証拠がありますか。この点に関し,さらに詳しい情報をもってわたしたちを大いに助けてくださるかたはだれですか。
「ユダ族の者であるしし」は1914年,ご自分の天の王国に入り,以来,象徴的な戦場ハルマゲドンにおいて,地上の敵すべてに対し究極の征服を遂げるべく,馬を進めておられます。しかし,わたしたち人間にそれがどうして分かるのですか。こうした極めて重大な事柄を証明するものとして,見えない天で生起するこの出来事に関し,わたしたちはどんな見える証拠を持ち,また,どんな経験をこの世でしてきたでしょうか。わたしたちは,ヨハネが秘義の巻き物の残りの封印が開かれた時に幻で見た事柄,その事柄に関する現代の成就の中に証拠を持っています。天で七つの封印を破るその同じかたイエス・キリストが,完全な人間として地上におられた時に必要な情報を備えてくださいました。彼は,ご自分が人の目に見えない様で天の王国に臨在し,地上におけるご自分の王の権利すべてに注意を向けていることを証明する,目に見える有形的証拠が現われるであろうと予告されたのです。他の封印が開かれることにより明らかになる事柄は,彼が神の子羊としてご自分を犠牲にする前に予告されたことと一致するでしょうか。西暦33年,つまり,ヨハネに啓示を与える約63年前,彼は何を予告されましたか。
2 イエスの使徒たちはどんな質問を尋ねることにより,西暦1914年以後に生じる事態に関する預言を聞き出しましたか。
2 イエスの使徒のうちの四人が,1914年に終わる異邦人の時以後に生じる世界の出来事や情勢について尋ね,彼から預言を聞き出しました。使徒マタイは,彼らがイエス・キリストにした質問をこう述べています。「そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。(マタイ 24:3)弟子マルコは,この質問を次のような言葉で表現しています。「そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,これらのすべてのものが終結に至るように定まった時のしるしには何がありますか」。(マルコ 13:1-4)弟子ルカも同様な言葉で質問を記しています。「そうしたことは実際にはいつあるのでしょうか。また,そうしたことが起きるように定まった時のしるしはなんですか」。(ルカ 21:7)彼が予告された恐ろしい滅びの直前に生ずる「しるし」,同時に,目に見えない彼の到来と霊者としての臨在を示す「しるし」が何かあったでしょうか。彼ご自身は,聖書の時間表また年代表に触れて日時を決めたりはなさいませんでした。ですから,その「しるし」は,定められた日時と同じく,いやそれ以上に警報の役割を果たすことになるのです。
3 使徒たちは自分たちの質問の全範囲に気づいていませんでしたが,その質問に答えたイエスは何を思いに留めておられましたか。
3 使徒たちは間違った質問をしたわけではありませんが,その質問の全範囲に気づいていませんでした。しかしイエスは,その質問が原型および対型において包含するすべての事柄を知っておられたのです。そこで,最初に,ご自分が天の神の右手にすわった時から,西暦70年における地的エルサレムの滅亡に至るまでの期間に当てはまる預言を彼らに与えられました。それは,来たるべきより大きな,同様な事柄に対する原型としての役割を果たします。将来のより大きな事柄,対型的な事柄は,同じ型を取るので,原型に関する彼の預言は対型にも当てはまります。この見地から見ると,滅びに定められていた不忠実なエルサレムとユダヤの領域は,キリスト教世界,つまり不忠実な霊的イスラエルを表わし示していました。―ルカ 21:20-24。マタイ 24:15-22。マルコ 13:14-20。
4 したがって,イエスの答えを読むさい,わたしたちは何を思いに留めるべきですか。
4 したがって,対型的な適用をなし,キリスト教世界とその世俗的な隣人たちを考慮に入れると,イエスの次の預言は20世紀に対し意味を帯びてきます。「国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がるでしょう。そして,大きな地震があり,そこからここへと疫病や食糧不足が起こります。また,恐ろしい光景や天からの大いなるしるしがあるでしょう」。(ルカ 21:10,11)では,こうした事柄は,世界の重要な出来事のどの段階を指し示すものなのでしょうか。それは,イエスの使徒たちが「事物の体制の終結」と語った時期,つまり,「終わりの時」の始まりをしるしづけるものでしょうか。―ダニエル 12:4,新。
5,6 ルカ 21章10,11節とマタイ 24章7,8節を比較すると,それらの聖句が「終わりの時」の始まりに当てはまることをどのように確かめられますか。
5 そのとおりです。マタイ 24章7,8節によると,イエスはそれらの事柄が世界の苦難のどの部分を占めるかを説明し,次のように話されたからです。『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,またそこからここへと食糧不足や地震があります。これらすべては苦しみの劇痛のはじまりです』。したがって,世界の「苦しみの劇痛」は,まず,国民と国民また王国と王国の間の敵対行為である戦争,さらに,飢きんや食糧不足,地震,疫病の形を取って表われます。それらの事柄は相互に密接に結びついていて,古い「事物の体制」の存続を脅かすかに見えますが,その「事物の体制」の完全な終わりはその時点で,あるいは世界情勢のこの危機的段階で到来するのではありません。
6 むしろ,苦しみをもたらすそれらすべての事柄は,体制の「苦しみの劇痛」の開始,はじまりにすぎません。それらをこの見地から考えるなら,イエス・キリストの弟子たちは,苦しみをもたらすそうした事柄が,「事物の体制」の完全な終わりに対する前触れにすぎなかったことを理解するでしょう。それらは,「事物の体制の終結」の初期的局面だったのです。
7 (イ)使徒たちが質問した時,彼らはどの「事物の体制」の終結を考えていましたか。(ロ)イエスの答えは使徒の時代にも当てはまりましたか。
7 一つの「事物の体制」― 割礼を受けた生来のユダヤ人に特別な関係があった ― が,西暦70年,エルサレムとその崇拝の神殿が崩壊した時に終わったことは真実です。イエスはその少し前に,この悲惨な出来事を弟子たちの聞こえる所で予告されたばかりでした。したがって,4人の使徒はこの点に関する事前の情報を,直接求めていたものと思われます。イエスは彼らの考えに合わせてその質問に答え,そのさい,マタイ 24章15-20節,マルコ 13章14-18節,ルカ 21章20-24節で,文字どおりのエルサレム市の滅びについて話されたのです。その前節で,エルサレムの滅びる前に起こるとイエスが預言された事柄は,当時の歴史が示すとおり,西暦33年から西暦70年に至るまでの間に疑いなく成就しました。
8 (イ)エルサレムに関するイエスの言葉に,原型的成就および対型的成就の両方があることを説明しなさい。(ロ)イエスの預言は啓示 6章1,2節とどんな関係がありますか。
8 とはいえ,わたしたちは,イエスの時代における,滅びに定められた不忠実なエルサレムが,預言的な意義,すなわち原型としての意味を持っていたことを覚えておかねばなりません。生来のイスラエル人のこの首都に生じたことは,それ自体,後に,文字どおりのエルサレムによって表わし示される,不忠実な霊的イスラエルの宗教組織に起きることの預言,また原型でした。したがって,西暦70年のエルサレムの崩壊前に起きるとイエスが予告された事柄は,それ自体同時に,対型的エルサレム,つまり不忠実な霊的イスラエル(キリスト教世界)の滅びる近い将来に至るまでの間に地上で生じるであろう事柄を予示していました。不忠実なエルサレムとその神殿の崩壊が「事物の体制」の終わりを画したのと全く同様に,対型的エルサレムつまり不忠実な霊的イスラエル(キリスト教世界)の滅亡は,久しく存続してきた「事物の体制」の終わりを画するのです。冠を頂いた,白い馬の騎士が,弓を携え,「征服しに,また征服を完了するために」出て行った後に使徒ヨハネの見た出来事は,イエスの預言に対するこの理解を支持するものとなっています。―啓示 6:1,2。
9 したがって,第一の封印が破られる後に起こる事柄はいつ成就しますか。
9 子羊イエス・キリストが第一の封印を開かれた後に使徒ヨハネの見た事柄は,「事物の体制の終結」を開始させるものとなります。というのは,第一の封印の幻は1914年の異邦人の時の終了後に実現するからです。他の封印を破ることにより,その証拠が得られるでしょうか。得られるのです!
10 ヨハネは次に何を見ますか。
10 では,使徒ヨハネに注意を向けてみましょう。彼は神の子羊が秘義の巻き物の封印を破る幻を見ています。「また,彼が第二の封印を開いた時,わたしは,第二の生き物が,『来なさい!』と言うのを聞いた。すると,別の,火のような色の馬が出て来た。そして,それに乗っている者には,人びとがむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許された。そして大きな剣が彼に与えられた」― 啓示 6:3,4。
火のような色の馬に乗った者
11 第二の生き物によって象徴されている神の力は,第二の封印が破られたさいに起きた事柄をなぜ阻止しなかったのですか。
11 使徒ヨハネは,次の情景を見に来るよう自分を招待している「生き物」の声を聞きましたが,それは第二の生き物,つまり,特に神の力を示していた,あの『若い雄牛に似た』生き物でした。(啓示 4:7)神の力,その全能の力は,第二の封印を破ることにより明らかにされた幻の成就として起きた事柄を,阻止することもできたはずです。しかし,白い馬の騎士が冠を授けられ,神のご意志にしたがって進み出た時,地上の諸国や王国がどんな行動を取るか,それを明らかにさせることが全能の神の目的だったのです。彼らはそのかたを平和な態度で受け入れるでしょうか。それとも拒むでしょうか。ヨハネは何を見ましたか。
12,13 (イ)火のような色の馬,また,その騎士に与えられた使命によって何が象徴されているかを説明しなさい。(ロ)啓示 6章3,4節のこの預言はどのように成就しましたか。
12 ヨハネは馬が進み出るのを見ました。その馬は,「火のような色」,炎の色,血のような赤い色をしていました。その色は血を暗示しています。これは極めて適切なことといえます。なぜなら,それは馬を進める騎士の使命に適合しているからです。その使命とは,「人びとがむざんな殺し合いをするよう」になることでした。また,騎士には「地から平和を取り去ること」が許されたのですから,それは戦争,しかも血なまぐさい戦争以外の何を意味したでしょうか。では,1914年に異邦人の時が終わり,白い馬の騎士が出て行った時,血なまぐさい戦争がそれに付随して起こりましたか。
13 そのとおりです。世界大戦,人類史上最初の世界戦争がそれです。異邦人の時が終わった1914年の10月5日(ユダヤの七番目の太陰月の半ば,ティシュリ15日)までに,九つの国と帝国が戦争に巻き込まれており,それはまさしく世界戦争でした。その後さらに多くの国々が参戦し,ついには28か国が戦争に関係することになりました。ヨハネの幻の中で,火のような色の馬の騎士に「大きな剣」(戦いの象徴)が与えられたのは,十分理由のあることだったのです。その時から飛行機と戦車が戦争に使用されることになり,この最初の世界大戦に投入された物的武器の量と規模は,史上空前のものとなりました。
14 (イ)「大きな剣」は,赤い馬に乗った騎士によりどのように実際に用いられましたか。(ロ)これはイエス・キリストのどの預言と類似していますか。
14 そのような「大きな剣」をもってすれば,人類の大規模な殺りく,また地を血で染めることが可能でしょう。事実,2,100万人以上の負傷者と数百万人を数える行方不明者を別としても,850万人以上の人びとが殺されたのです。4,500万人以上の軍人が動員され,「むざんな殺し合いを」しました。28の国々と帝国が戦闘に参加したのですから,これはイエス・キリストが予告されたとおり,たしかに,国民が国民に,王国が王国に敵対して立ち上がる戦い,しかも各国が国家総動員で当たる戦争となりました。幾つかの国は中立を守ることができたものの,極めて不安定な状態にありました。こうして,火のような色の馬の象徴的な騎士に「地から平和を取り去ることが許された」のは,現実のことだったのです。
15 (イ)第一次世界大戦が1918年11月11日に終結することにより,世界の平和は回復されましたか。それともどうなりましたか。(ロ)赤い馬の騎士はどのように再び馬を乗り進めましたか。
15 第一次世界大戦が1918年11月11日に終結した時にも,大戦を生き残った人類に真の世界平和は回復されませんでした。調印の運びとなった平和条約により,世界の平和と安全の維持を目的とする国際連盟の設立が認められはしましたが,この連盟は平和と安全を無期限に保持することはできませんでした。そして,違法行為を正し,第一次大戦後の平和協定が残した諸問題に決着をつけるため,1939年9月1日,第二次世界大戦がぼっ発したのです。火のように赤い色の馬に乗った騎士が,たとえ馬から降りたことがあるとしても,彼はこの時には再び馬を進めており,その「大きな剣」は5,600万人もの空前の犠牲者を出しました。戦争に使われた最初の二つの原子爆弾の爆発によって最高潮に達した第二次世界大戦は,人類世界を前にもまして深刻な恐怖と危険に陥れました。消滅した国際連盟は,世界の平和と安全の維持を目的とする新しい国際協約により国際連合に置き換えられ,それは1945年10月24日正式に成立しました。しかし,この本が書かれている現在,135の加盟国を有するこのより膨大な組織は,世界平和を回復したり,世界戦争の脅威を取り除いたりしたでしょうか。今日に至る歴史の記録から答えを得ることにしましょう。
16 (イ)白い馬の騎士と赤い馬の騎士との行動の相違を説明しなさい。(ロ)第二の騎士の行進は何に対する証拠でしたか。
16 冠を頂き,弓を携え,白い馬にまたがった騎士は,火のような色の馬に乗った騎士と何ら共通点はありません。冠を頂いた,白い馬の騎士は,「大きな剣」で武装した第二の騎士によって始められた第一次世界大戦に少しも関与しませんでした。事実,白い馬に乗った第一の騎士は,多くの聖書研究者が当時いだいていた期待に反し,『ハルマゲドンの戦い』が第一次世界大戦後直ちに引き続いて起こるのを抑えました。(啓示 16:14,16)しかし,第二の騎士が火のような色の馬に乗って行進していることは,冠を頂き,白い馬に乗っている第一の騎士が,1914年10月初めの異邦人の時の終わりに,天で真実に王とされたことに対する,極めて悲痛な証拠だったのです。
17 イエス・キリストが1914年に王として冠を授けられたことを示す,どんな証拠がほかにもありますか。
17 しかしこれは,第一の騎士,つまり主イエス・キリストが,1914年の神の定められた時に天で王として冠を授けられたことの唯一の証拠でしょうか。イエス・キリストは人間として地上におられた時,ほかにも多くの証拠について予告しました。そして,さらに多くの証拠が実際に生じました。それゆえに,使徒ヨハネに与えられた黙示の幻の中で,神の子羊は秘義の巻き物の封印をなおも破ったのです。第三の封印を破ることにより,もしあるとすれば,どんな証拠が明らかになったでしょうか。ヨハネは何を見ましたか。彼は啓示 6章5,6節で次のように答えています。
18 第三の封印が開かれたとき何が啓示されましたか。
18 「また,彼が第三の封印を開いた時,わたしは,第三の生き物が,『来なさい!』と言うのを聞いた。そして,見ると,見よ,黒い馬がいた。それに乗っている者は手に天びんを持っていた。そしてわたしは,四つの生き物の中央から出るかのような声が,『小麦一リットルは一デナリ,大麦三リットルは一デナリ。オリーブ油とぶどう酒を損うな』と言うのを聞いた」。
黒い馬に乗った者
19 第三の封印が開かれるさいに起こる事柄を見るようヨハネを招待した者が,第三の生き物であったことにはどんな意義がありますか。
19 この情景を見に来るよう使徒ヨハネを招待したのはだれの声だったのでしょうか。それは第三の生き物,「人間のような顔」をした生き物でした。(啓示 4:7)したがって,それがヨハネに見せた事柄は,人間の哀れみの情を引き起こすもの,すなわち,飢きん,それも深刻な飢きんだったのです。この時ヨハネが見た騎士は,黒い馬に乗っており,世界戦争という「大きな剣」によって地から平和を取り去ることを許された,第二の騎士に続いて現われました。
20 (イ)黒い馬の騎士が赤い馬のあとに続いたことは,どのように歴史的事実と符号しますか。(ロ)イエスは地上におられた時,やはりこの事態を予告しましたか。
20 戦争にはたいてい飢きんが付き物です。神の預言の言葉は繰り返し,飢きんを戦争と,つまりそれに伴う都市の包囲,作物の絶滅,平和時の農具の非生産的な武器への転換,また,放置された農作物を侵略軍が貪欲に専有する事態などと結び付けています。(イザヤ 51:19。エレミヤ 14:12-18; 16:4; 21:7,9; 44:12-27。エゼキエル 6:11,12; 12:16)ヨハネに啓示を与える60年以上も前に,イエス・キリストは血なまぐさい戦争とともに飢きん,また食糧不足を予告されました。(マタイ 24:7)啓示の中で,イエスはその預言を対型的な意味においてのみ扱われました。
21 黒い馬に乗った第三の騎士が飢きんと食糧不足を表わしていると,どうして分かりますか。
21 それにしても,黒い馬に乗っているこの第三の騎士が,飢きんまた食糧不足を表わすと,どうして分かるのでしょうか。では,彼が手にしているもの,天びんを見てください。そして,四つの生き物すべてから出ているような,しかも彼らのうちに同意の見られる,この点についての次の説明を聞いてください。「小麦一リットルは一デナリ,大麦三リットルは一デナリ」。これは真の飢きん相場です。使徒ヨハネの時代,ローマの一デナリは,働き人が12時間働いて得る一日の賃金でした。(マタイ 20:1-12)つまり,この飢きん相場によると,一日の賃金で,わずか一人一日分の小麦を辛うじて確保することができるだけで,扶養家族には少しも行き渡りませんでした。当時貧しい人びとの常食であった,養分の劣る大麦は,それより安かったとはいえ,小麦に匹敵する値段でした。―列王下 7:16,17。
22 食糧不足による物価高を描写することに加え,他のどんな点で幻は飢きんを象徴していますか。
22 主要食料品が高いばかりでなく,食糧不足のため,食料品は計量され,配給されるのです。均等に分配するため,また,食料の蓄えが尽きないようにするためでした。暗たんたる前途を暗示するこの描画は,使徒ヨハネにエゼキエル 4章10,16節の飢きんの預言を思い出させるのに十分でした。「汝食を権りて一日に二十シケルを食へ……彼等は食をはかりで惜みて食ひ水をはかりて驚きて飲まん」。当然のこととして,黒い馬に乗った第三の騎士の「天びん」は,もし少しでもあるなら,その食料品の消費を統制するために使用されねばならなかったのです。
23,24 第一次世界大戦に続いて起こる飢きんの状態により,富んだ人でさえ影響を受けます。幻がそれをどのように予告しているか説明しなさい。
23 飢きんまた食糧不足は,貧しい人びとに限らず,裕福な人びとにも影響を及ぼしました。四つの生き物の中から出る次の命令はそれを示唆しています。「オリーブ油とぶどう酒を損うな」。これは,富んだ人たちのぜいたくを保護し,彼らに都合の良い差別待遇を施す命令のように聞こえるかもしれません。この人たちは高い値段でも物を買う金を持っていたからです。しかし生き物たちから出されたこの命令は,統制の宣言のようです。それは,飢きんの犠牲者が,蓄えてあるオリーブ油とぶどう酒を,一度に多量に使い過ぎることがないように,との意味を持っていました。それらの供給も制限されることになるからです。
24 飢きんの始めの段階でそれらを使い過ぎるなら,オリーブ油とぶどう酒の量は『損われ』,飢きんが終わるまでの将来に必要量が残らないでしょう。その結果,金を持っている人たちでさえ,一度に楽しむことのできるオリーブ油とぶどう酒の量に関して,制限を受けることになります。飢きんはこのように,階級,社会的地位,また経済状態に関係なく,すべての人に影響を与えるのです。
25 一般市民の間にさえ飢きん状態が生じたことを説明しなさい。
25 1914年に第一次世界大戦がぼっ発し,そして異邦人の時が終わった後,まさしくそのとおりのことが生じました。戦線で勝利を得るため,一般市民は自ら貢献し,犠牲を強いられました。世界的な戦闘に巻き込まれた国々は,国家総動員令を敷かねばならず,戦争を成功させることに多大の注意が払われ,農業に対する配慮がおろそかにされました。また,輸送や通信手段が妨害されたり危険にさらされたりしたため,食料に対する需要が急増しました。第一次世界大戦を経験した人たちで今日なお生きている人びとは,食料が計量され,配給された事態をいまだに覚えています。乳幼児の牛乳までが統制の対象となりました。戦争の実際の舞台となったある国々は,絶望的な食糧不足に見舞われました。a
26 1919年3月7日の英国至急報によると,飢きんはどれほど深刻でしたか。どれほどの範囲に及びましたか。
26 第一次世界大戦の結果,諸国民がどんな食糧状態に甘んじなければならなかったかを示すため,古い記録から1919年3月7日付の英国の至急報を取り出してみましょう。これは世界各地で次のように報道されました。「食糧大臣ジョージ・H・ロバーツは今日,ヨーロッパの広い区域にわたって食糧事情が悲劇的ともいえる様相を示していることを,だれも反論することはできないであろうと述べ,次のように言明した。『ルーマニアも飢え,セルビヤも飢え,オーストリアも飢え,ドイツも飢えている,といっても過言ではない』。『休戦協定が調印されて以来,連合国は事態の緩和に手を尽くしており,私が名を挙げたすべての国へ食糧が送られている。しかしそれでも不十分であり,我々が今直面している問題は,事態が破局に至る前に,それらの諸国のために十分な量の食糧を調達できるかどうか,ということである』」。翌年(1920年)になっても飢きんは衰えを見せず,2億5,500万人がその影響を受けました。これには,アジアなど世界の他の広い地域で食糧不足に見舞われた幾百万人の人びとは含まれていません。
27 この世界的な飢きん状態は何に対する別の証拠ですか。
27 第一次世界大戦の終わりには,ヨーロッパのほとんどが餓死寸前の状態にあり,勝利を収めたアメリカから救助を求めていました。この飢きんによる被害は特に,イエス・キリストの予告された証拠の一部であり,彼が天で王として冠を授けられ,王国に臨在しておられることを示すものでした。しかし,彼はさらに多くの証拠を予告されました。秘義の巻き物の他の封印を彼が開くことにより,それを見ている使徒ヨハネに,この点が確証されるでしょうか。確証されるのです。もう一人の騎士が馬に乗って出て行くことになります。
28 第四の封印が開かれた時,ヨハネは何を見ましたか。
28 使徒ヨハネはこう記します。「また,彼が第四の封印を開いた時,わたしは,第四の生き物の声が,『来なさい!』と言うのを聞いた。そして,見ると,見よ,青ざめた馬がいた。それに乗っている者には“死”という名があった。そして,ハデスが彼のすぐあとに従っていた。そして,地の四分の一に対する権威が彼らに与えられた。長い剣と食糧不足と死の災厄をもって,また地の野獣によってそれを殺すためである」― 啓示 6:7,8。
青ざめた馬に乗った者
29 第四の封印が開かれた時,『飛んでいるわしに似た』生き物がヨハネに招待を差し伸べました。これはなぜ適切でしたか。
29 使徒ヨハネが見た第四の生き物は,「飛んでいるわしに似て」いました。(啓示 4:7)この生き物ケルブは,遠くを見通し,素早く動く,全能の神エホバの知恵を特に表わしていました。第四の封印が開かれた時,見に来るようにと,この生き物がヨハネに差し伸べた招待は,極めて適切なものでした。なぜなら,神の知恵は,第四の封印が秘義の巻き物の該当部分を明らかにするため破られ,それにより予表される事柄を,わしのようにそれよりはるか以前に見抜いていたからです。
30 青ざめた馬に乗った第四の騎士である“死”は,どのような死を象徴していますか。
30 ひゆ的な第四の騎士が,世界情勢の場面に突如現われます。彼の馬は黄ばんだ青白い色を帯び,鉛色で,病人の顔に似た色をしています。それは,騎士の“死”という名になんと適合した色だったのでしょう。しかし,これは単に,人類最初の地的な親であるアダムとエバの罪に起因する,通常の死ではありません。(ローマ 5:12)それは,一定数の,特別な原因に帰せられる早死にです。それらの原因は後程挙げられますが,やがては最初のアダムから受け継いだ死を遂げていたであろう人びとの死を早めるのです。この死はその犠牲者を普通よりも早く,聖書の中で死と親密な関係にあるとされている者の懐に送り込みます。それはだれですか。幻は何を示していますか。
31 第四の騎士に親しく付き添っていたのはだれですか。彼は何をしましたか。
31 それは,「第二の死」すなわち,存在のない永遠の滅びの象徴である,ゲヘナあるいは「いおうで燃える火の湖」ですか。(マタイ 10:28。マルコ 9:43-47。啓示 19:20; 20:14,15)いいえ,そうではありません。象徴的な騎士である“死”にはハデスが従っています。使徒ヨハネが言うように,「その騎士の名は“死”で,ハデスがそのすぐ後を追った」。(啓示 6:8,新英)ハデスも馬に乗っているのか,それとも徒歩なのか,それは明らかにされていません。もっとも,馬上の“死”と歩調を合わせるには,ハデスも馬に乗っているものと想像されはします。聖書の著名な注解者は次のように述べています。「……死と歩調を合わせているが,同じ馬またはそのわきの別の馬に乗っているのか,あるいは徒歩なのか,ヨハネは述べていない」。b いずれにせよ,ハデスは,第四の騎士である“死”の犠牲者に追いつき,彼らを捕まえます。それら哀れな犠牲者は,永遠に滅ぼされるのではなく,収容された者を出す鍵のある場所に行くのです。
32,33 騎士の“死”と仲間のハデスとに捕まえられる者たちにどんな希望があるか説明しなさい。
32 エルサレムの外で杭にかけられて死んだイエスでさえ,ハデスに行きました。しかし全能の神エホバは,鍵を使って,三日目にみ子をそこから出されました。(使徒 2:27-32)そして今や,ハデスの鍵は復活させられたイエス・キリストに与えられているので,彼は勝利を得た者としてこう言うことができます。「わたしは死んだが,見よ,かぎりなく永久に生きており,死とハデスの鍵を持っている」― 啓示 1:18。
33 こうした事柄はなんという希望を提供するのでしょう。第四の騎士である“死”によってハデスに陥れられた者たちは,イエス・キリストと同じく,死人の中から復活するのです。彼らが行く,またイエスの行かれたハデスは,古代の異教ギリシャ人のハデスではなく,人類共通の墓です。彼らはそこで死の眠りにつき,保証されている復活を待つのです。どうしてそう言えますか。なぜなら,コリント第一 15章20節は次の保証を述べているからです。「今やキリストは死人の中からよみがえらされ,死の眠りについている者たちの初穂となられたのです」― 使徒 17:31。
34,35 (イ)第四の騎士“死”がハデスに送り込む人びとの数はどれほどでしたか。(ロ)「地の四分の一に対する権威が彼らに与えられた」という表現は何を意味していますか。
34 第四の騎士“死”がハデスに陥れる者は,大勢になるはずでした。地の四分の一の人びとが殺される事態を想像してください。それは当時の人口の四分の一の人びとが殺されることかもしれず,それは地の四分の一の人口密度がたまたまどれぐらいかにかかっていました。
35 さて,第四の騎士とその仲間ハデスについてこう述べられています。「地の四分の一に対する権威が彼らに与えられた」。(啓示 6:8)地のどの“四分の一”かは明示されていませんが,地の人口の四分の一を占めると思われる人びとが,死とハデスの脅威にさらされる,という考えが伝えられています。言い換えると,その時の全人口あるいは大半の人びとが殺されるのではなく,大きな部分をなす一部の人びとが殺されるにすぎません。つまり,ハデスに伴われた第四の騎士,“死”の行進に生き残る者たちがいるということです。それにしても,これは異常なことであり,第一の騎士イエス・キリストが冠を授けられ,異邦人の時の終わった西暦1914年以来,勝利の行進を開始されたことをさらに証拠づけるものとなるはずでした。
36,37 (イ)第四の騎士はハデスに犠牲者を送り込むため,どんな手段を用いましたか。(ロ)これは過去のどんな別の裁きを思い起こさせますか。
36 しかし,第四の騎士である“死”は,どのようにして多数の犠牲者をハデスに送り込むのでしょうか。啓示 6章8節は続けて,「長い剣と食糧不足と死の災厄をもって,また地の野獣によってそれを殺すため」と述べています。
37 災害をもたらす四つの手段が挙げられています。これら四つの破壊的要素が猛威を振るうなら,地には死体が累々と転がり,その惨状はいかばかりでしょう。恐怖を引き起こすこれら四つのものは,エホバ神が西暦前7世紀に不忠実なエルサレムにもたらされた四つの裁きの表現を思い出させます。「主エホバかくいひたまふ然ばわが四箇の厳き罰すなはち剣と飢饉と悪き獣と疫病をエルサレムにおくりて人と畜をそこより絶さらんとする時は如何にぞや」。(エゼキエル 14:21)エルサレムとユダの地の住民のうち数千人が,神のそれら四つの裁きの表現に生き残りましたが,彼らは遠く離れたバビロンに流刑者として送られ,エルサレムとユダは西暦前607年から西暦前537年までの七十年間,人も家畜も住まない荒廃の地となりました。
38 要約として,異邦人の時が始まる直前より,異邦人の時が終わった直後の困難や荒廃のほうが,はるかに規模が大きかったことを示しなさい。
38 西暦前607年,つまりユダとエルサレムが荒廃した後に,異邦人の時は始まりました。しかし,2,520年間続いたその異邦人の時は,西暦1914年に終わりを告げ,四人の騎士はこの時から行進を始めたのです。青ざめた馬に乗った第四の騎士が地の至る所に馬を進め,何百万人もの犠牲者をハデスのえじきにさせるのは,まさに恐怖の念を催させるものでした。まず,(1)世界戦争という「長い剣」があり,それに,小規模な戦争,さらには第二次世界大戦などの他の戦争が続きました。また,(2)「食糧不足」が生じ,それ以後の世界の食糧事情は決して改善されることがありません。さらに,(3)「死の災厄」,文字どおりには「死」がありました。イエスは「そこからここへと疫病」の起こることを予告されました。(ルカ 21:10,11)それは定められた時に到来し,幾百万人もの人びとに「死」をもたらしました。1918年,死亡率の高いインフルエンザがスペインで最初に発見され,それゆえに「スペインかぜ」と呼ばれたこの疫病は,第一次世界大戦に関係した国々だけでなく,地のすべての国,北極のエスキモー人にまで広まりました。そして1918-1919年の冬の間猛威を振るい,「史上最悪の疫病の一つ」となりました。数か月のうちに2億人が病床に就き,12か月間に2,000万人が,人類共通の墓であるハデスまたシェオールの犠牲者となりました。
39 第四の騎士はどのように「地の野獣によって」多くの者を殺しましたか。
39 人びとは,現代の戦争に加わる獣のような人間や国家によって殺されるだけでなく,(4)文字どおりの「地の野獣」によっても殺されることになっていました。第四の騎士と,死人のような形相をした仲間のハデスに,「地の野獣によって……殺す」権威が与えられるのです。広範にわたる戦争,飢きん,また疫病による人間社会の荒廃は,その被害を被った国々の野生動物に影響を与えることでしょう。(出エジプト 23:29)それにより,野獣の数は増え,その結果,多くの地域で飢えに狂った野獣が人間を脅かすことが考えられます。多くの人が,野獣の群れや,人食いに変じた個々の動物に殺されたことが報告されました。こうしたことすべてが,この人類の事物の体制の「終わりの時」が始まったばかりの時に,第四の騎士“死”のもたらした大量の収穫に加えられたのです。
40,41 その四つの破壊的要素は,古代エルサレムおよび西暦1914年以後の世界に恐るべき災いをもたらしましたが,後者の場合は何に対する反論の余地ない証拠を提出しましたか。
40 こうして,古代エルサレムに臨んだ神の四つの裁きと同じく,戦争(「長い剣」),飢きん(「食糧不足」),「死の災厄」あるいは「疫病」,さらに「地の野獣」という四つの破壊的な要素は,西暦前607年に異邦人の時が始まる前,また,西暦1914年にその時が終わった直後に,予告どおり猛威を振るいました。この後者の場合のすべての災害は,火のような色の馬の騎士,黒い馬の騎士,そして青ざめた馬の騎士の行進の結果もたらされたものです。
41 これまでに,使徒ヨハネに与えられた幻の中で,四つの封印が開かれたにすぎませんが,それにより,最初の馬,すなわち,白い馬に乗った騎士が,王として冠を授けられ,また手に弓を携え,「征服しに,また征服を完了するために」馬を進めておられることに対する,議論の余地のない証拠が明らかにされました。第五の封印を開くことにより,この輝かしい事実に対する証拠がさらに付け加えられるでしょうか。では,ヨハネが告げることを聞いてください。
[脚注]
a 1918年2月1日号の「ものみの塔」誌,「ものみの塔からの展望」と題する主要記事(英文),35ページ5節から,37ページの副見出し「悪しき飢饉の矢」の6節までをごらんください。
b A・T・ロバートソン著「新約聖書の語描写」(英文),1933年版,第6巻,342,343ページからの引用。