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わたしたちの行動は会衆に影響を及ぼすものみの塔 1981 | 7月1日
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わたしたちの行動は会衆に影響を及ぼす
箴言 11章11節(新)にはこう書かれています。「廉潔な者たちの祝福ゆえに町は高く掲げられ,邪悪な者たちの口ゆえにそれは打ち壊される」。
廉潔な道に従う町民は平和と幸福を促進し,他の人々を築き上げるので,町は繁栄します。中傷的で,人を傷付け,誤った事柄を話す人々は,不穏な状態や不幸,不一致,問題などをもたらします。そうした者たちが影響力のある立場にいる場合は特にそう言えます。そのような町は不一致,腐敗,道徳および経済上の退廃を被ります。
エホバのクリスチャン証人は町にも似た会衆に「住んで」いるので,ここに述べられている原則はエホバの証人の間にも当てはまります。聖書と調和した,霊的な人々が影響力を持っている会衆は,幸福で,活発で,その成員に力を与え,神に誉れをもたらします。神はそれを見て喜ばれ,会衆を霊的に繁栄させます。しかし,不満を抱き,粗捜しをし,物事の行なわれる仕方を辛らつな言葉で批判する人々は,広がりかねない「有害な根」のようなもので,当初は影響を受けていなかった他の人々をも毒します。(ヘブライ 12:15)問題を起こす者は大抵より多くの権力や目立った存在になることを求めるものです。そうした者たちは,会衆の中に,あるいは長老たちの側に,怠慢や不公正,人種的偏見があるなどといううわさを巻き起こして,分裂を生じさせます。
別の箴言はこの原則を個人に当てはめ,こう述べています。「舌の穏やかであるのは命の木であるが,そのゆがみは霊を打ち砕く」。(箴 15:4,新)柔和さと親切と謙遜さをもって巧みに真実を語る人は聞く人に良い影響を及ぼします。それは聞く人を元気付け,霊的に築き上げるので,結果として会衆全体の霊的健康に寄与します。しかし,ゆがんだ舌は聞く人の霊を傷付け,打ち砕き,命への道を歩む面で聞く人に役立つ考えや力となる考えを何一つ与えません。実際に,ふさわしくない舌は他の人々に霊的な破滅と死をもたらしかねません。
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覚えていますかものみの塔 1981 | 7月1日
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覚えていますか
あなたは最近号の「ものみの塔」誌を注意深くお読みになりましたか。もしそうでしたら,きっと次の点を覚えておられるでしょう。
● 「大群衆」が「ナオス」,つまり「聖所」で神に仕えていると示されてはいても,彼らが天に行くことを意味していないと言えるのはなぜですか。
ギリシャ語の「ナオス」は神殿の奥の「聖所」を指すだけでなく,より広い意味で神殿域全体あるいは神殿の取決め全体をも指しています。(イザヤ 66:6,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳。マタイ 27:5,39,40。マルコ 15:29,30。ヨハネ 2:19-21)数えきれない「大群衆」がその「神聖な奉仕」を行なっている様子が描かれていますが,それは神の霊的神殿のこの地上の中庭でのことです。「大群衆」はグループとして「大患難」を生き残ります。また,エホバとの霊的な関係において彼らには今すでに次の約束が成就しています。「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去られるであろう」― 啓示 7:9-17。―80年11月15日号,14-20ページ。
● 「神聖な奉仕」には,家族の世話をし,立派な行状を保つことなど日常生活の様々な活動が含まれますか。
いいえ。「神聖な奉仕」は神に対するわたしたちの崇拝に直接関係のある奉仕に当てはまります。それには,公式および非公式の証言,王国会館での崇拝に加わること,集会場所の世話と管理,聖書や聖書文書を供給することと関連したすべての活動,および兄弟たちがエホバの業に活発に携わっていけるよう彼らを霊的に励まし,物質的に援助するためにわたしたちの払う犠牲も含まれます。―80年11月15日号,30,31ページ。
● あらゆる種類の賭博を避けるのはクリスチャンにとって賢明なことであると言えるのはなぜですか。
物質の利得を得るための賭け事は,たとえ少額の金銭を得るだけのものでも,貪欲や強欲その他,好ましくない肉的な特質を培う道へ至りかねません。それは,怠惰など,人が王国の祝福を得るのを妨げるものとなる悪い実を生み出します。(コリント第一 6:9,10。ガラテア 5:19-23)クリスチャンは勤勉に働いて自活し,物質の所有物を神にささげられたものとみなし,「幸運の神」の前で金銭を浪費すべきではありません。(イザヤ 65:11,12,新)―80年12月1日,29ページ。
● 配偶者のいない親たちは,現代の社会にあってどのように問題に対処することができますか。
神とその約束に信頼を寄せ,エホバとの個人的関係を緊密なものに保ち,有意義な仕事に忙しく携わることによって対処してゆけます。クリスチャン会衆の他の成員も愛のある実際的な援助によってそうした人たちの心を喜ばせる面で貢献できます。―80年12月15日号,14-21ページ。
● わたしたちが1914年以来,「終わりの日」に住んでいることを示すどんなはっきりした証拠がありますか。
マタイ 24章および25章でイエスが与えておられる「しるし」は確信を抱かせるような成就を見てきました。エホバの証人の世界的な宣べ伝える業は,諸国民に警告を与え,神の「新秩序」へ生き残れるよう「大群衆」を集めるという神の目的を成し遂げてきました。この組織的な王国宣明の業が最高潮に達し,「それから終わりが来るのです」とイエスは言われました。―81年1月1日号,29ページ。
● バビロンが覆される直前にユーフラテス川の水が減少したことにはどんな預言的な意味がありますか。
今日,偽りの宗教の世界帝国,「大いなるバビロン」は,「多くの水の上に座(って)」おり,その水は大いなるバビロンを支持する「人々」を表わしています。しかし現代において,特にキリスト教世界では教会員や僧職者,宗教組織の職員などの数がいずれも大幅に減少しています。「大いなるバビロン」への支持がこうして減少していることは,エホバが間もなく大いなるクロス,キリスト・イエスを遣わし,「大娼婦」に裁きを執行されようとしていることを示しています。(啓示 17:1,4,15-17)―81年1月15日号,17-23ページ。
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