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「大患難」を地上で生き残る者たち『その時,神の秘義は終了する』
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25 神はなぜ,またどのようにしてご自分の天幕を「大群衆」の上に広げられますか。
25 エホバ神は,汚れたこの世の不敬かつ致死的な業を避け,神聖な奉仕をご自分にささげる彼らを保護されます。啓示 7章15節に述べられているとおりです。「み座にすわっておられるかたは彼らの上にご自分の天幕を広げられるであろう」。その上,「大群衆」が「大患難」を生き残った後,彼らおよびその後に復活させられる人類に関し,啓示 21章3節の予告が成就します。「見よ! 神の天幕が人とともにあり,神は彼らとともに住み[ギリシャ語,天幕または幕屋を張る],彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らとともにおられるであろう」。こうして,神は今や,ご自分の天幕を「大群衆」の上に広げられるのですから,それは,神が彼らを世話し保護されること,そして彼らが神と親密な交友を持つことを意味します。
「ほかの羊」
26,27 (イ)神が「大群衆」の上にたてられる羊飼いはだれですか。彼らを集めることは何の始まりですか。(ロ)彼らはどのように残りの者と共に一つの群れを成しますか。両者の数はどのように比較されますか。
26 「大群衆」の成員たちが今,『その神殿で昼も夜も神聖な奉仕をささげている』神は,彼らの上に羊飼いをもたてられます。この羊飼いを頂く益は,啓示 7章16,17節に述べられています。「彼らはもはや飢えることも渇くこともなく,太陽が彼らの上に照りつけることも,どんな炎熱に冒されることもない。み座の中央におられる子羊が,彼らを牧し,命の水の泉に彼らを導かれるからである。そして神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去られるであろう」。
27 このように,「大群衆」に属する者たちは羊に,また神の子羊は彼らの羊飼いに例えられています。そしてこれは,明らかにイエス・キリストの予告された集める業の始まりなのです。彼はご自分が,天の召しを受ける14万4,000の羊の囲いを世話する,「りっぱな羊飼い」であることを話した後,その集める業についてこう言われました。「また,わたしにはほかの羊がいますが,それらはこの囲いのものではありません。それらもわたしは連れて来なければならず,彼らはわたしの声を聴き,一つの群れ,ひとりの羊飼いとなるのです」。(ヨハネ 10:1-16)「大群衆」の者たちは,「りっぱな羊飼い」によって大患難の前に連れて来られるのですから,「りっぱな羊飼い」が連れて来る贖われた人類の「ほかの羊」の最初の者たちです。それら「ほかの羊」を連れて来る業は,王国相続者の油そそがれた残りの者がまだ地上にいる間に行なわれるので,「ほかの羊」の「大群衆」は今,「ひとりの羊飼い」の下で,残りの者と「一つの群れ」になるのです。こうした統一の結果,地上における象徴的な羊の「一つの群れ」は,人の住む全地で14万4,000人をすでにはるかに超えています。しかしそのすべてが,「ひとりの羊飼い」すなわち,栄光を受けたイエス・キリスト,「神の子羊」の下にあるのです。
28 彼らがもはや飢えることも渇くこともないというのは,どんな意味においてですか。
28 忠実な羊飼いは,羊が十分の食物と水を得られるよう取り計らいます。それと同じく,「ほかの羊」の「大群衆」ももはや,霊的な意味で飢えることも渇くこともありません。彼らは定期的に教えを受け,滋養になる神のことば,聖書の理解を与えられ,また,イエスご自身の場合と同じく,自分にとって食物や飲み物ともいうべき,王国の奉仕つまり,「神聖な奉仕」に豊かにあずかっているのです。―ヨハネ 4:32。
29 彼らの上に照りつけることのない炎熱とは何ですか。彼らがそれから保護されるのはなぜですか。
29 そうした食物や飲み物に加えて,「りっぱな羊飼い」は「ほかの羊」のために十分の日陰を見いだしてくださいます。彼らが恐れねばならないのは,正しいことをするためにもたらされる人の激怒ではなく,神の不興を買うような何かをすることに対して示される,燃えるような神の憤りです。それで,「りっぱな羊飼い」は,彼らに神の是認,祝福,そして心身をさわやかにするものを得させるため,神のご意志を行なうよう教え導きます。彼らは「りっぱな羊飼い」を通して,自分の罪に対する神のゆるしを得,象徴的な白くて長い衣を清く保つことができます。「りっぱな羊飼い」は,大患難の間に照りつける炎熱から,「ほかの羊」を守ってくださるのです。
30 (イ)「大群衆」はどのようにさわやかにされますか。(ロ)象徴的な命の水の泉とは何ですか。
30 「ほかの羊」の「大群衆」には,太陽からの焼けつくような光線や,神の不興からの炎熱の代わりに,自分たちの羊飼いの導きにより,さわやかさがもたらされます。彼らは,致死的な脱水状態や乾燥状態,あるいは致命的な鉱物塩の欠如に苦しむことはありません。「りっぱな羊飼い」は,「命の水の泉に彼らを導かれる」のです。それは,管で運ばれる,化学処理を施された水ではなく,すでにその源から澄んだ,冷たい,健康的な水なのです。それらの象徴的な水は,聖書の真理という意味での水を意味するだけでなく,神の新秩序の地的パラダイスにおける幸福を伴う,永遠かつ完全な人間の命を「大群衆」に得させる,神の備えすべてを意味します。
31 「大群衆」に対する約束を,イザヤ書 49章10節に述べられている,油そそがれた残りの者に対する預言的な約束と比較しなさい。
31 このように,「ほかの羊」の「大群衆」は,「大患難」の前の今,「小さな群れ」の油そそがれた残りの者との交わりを通して,次の予告と同様な状態を享受しています。それは,大いなるバビロンを出て,エホバ神の組織に復帰させられた残りの者たちに関する予告です。「かれらは飢ずかわかず 又やけたる砂もあつき日もうつことなし 彼等をあはれむもの之をみちびきて泉のほとりに和かにみちびき給ふべければなり」― イザヤ 49:10。
32 (イ)神はどのように『彼らの目からすべての涙をぬぐい去られ』ますか。(ロ)彼らが関心を持っている主要な事柄は何ですか。彼らの前にはどんな見込みが置かれていますか。
32 神は,霊的神殿で昼も夜もご自分に神聖な奉仕をささげている,それら「ほかの羊」の増えゆく「大群衆」を愛しておられます。彼らは以前には,宗教上の無知のため,また,唯一の生けるまことの神との関係が悪いものであったため,泣いたかもしれません。しかし今では,神のみ座の前で清められた立場を得,神殿で神に貴い神聖な奉仕をささげているので,もう泣くことはありません。彼らに関する神の約束は成就を見ているのです。「そして神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去られるであろう」。(啓示 7:17)彼らは,子羊イエス・キリストを通して神に負っている救いに歓喜します。しかし,子羊による自分個人の救いより,さらに高いところに目を留めています。悪魔サタンが神として君臨した現在の邪悪な事物の体制を全地から一掃するため,神が「大患難」をもたらされることにより,エホバ神の宇宙主権が立証され,その栄光に満ちたみ名が神聖にされるのを,喜びを抱きつつ待ち望んでいるのです。彼らにとってその大患難を生き残ることは,なんという喜びでしょう。
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最初の四つのラッパが吹かれる『その時,神の秘義は終了する』
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第16章
最初の四つのラッパが吹かれる
1 第六の封印が開かれることによって啓示される事柄は,どんな啓示をもって終了しましたか。そして何が残りましたか。
秘義の巻き物の第六の封印が開かれることによって明らかにされる事柄は,神のみ座の前および子羊イエス・キリストの前に立つ,地上の「大群衆」に関する啓示をもって終了しました。栄光に輝く天のみ座にすわっておられる神の右手から子羊が受け取ったその巻き物には,もう一つの封印,七番目の封印が開かれずに残っていました。
2 「地の四方の風」を抑え始める時はいつでしたか。それを抑える理由は何でしたか。
2 第六の封印が開かれることによって啓示された場面は,地の四隅にいる「四人の使い」が「地の四方の風」を抑えているところでした。それは,神がご自分の予備的な業を終了し,彼らに合図を送られるまでであり,そのとき神は,ご自分から出る全世界的な滅び
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