神との平和を妨げる敵に対する最後の災い
「第二の禍害すぎ去れり,みよ,第三の禍害すみやかにきたるなり」― 黙示 11:14。
1 人間の平和に関して科学者は何を認めねばなりませんか。
今日の科学者は憂慮すべきある重大な事実をいよいよ認めざるを得なくなっています。それはなんですか。人間が創造物の働き,また全宇宙に働く諸勢力のいずれとも平和な関係にないという事実です。
2 (イ)科学者は「自然」を何に仕立てましたか。(ロ)人間はそれに対してどんな行動をとってきましたか。
2 それは人間が科学者の唱える「自然」と実際には戦っていることを示しています。科学者のいう「自然」とは,「特に,人間を取り巻き,かつ人間の諸活動とは別個に存在する物質界」,また「全宇宙に働く諸勢力のすべて」を意味しています。(アメリカン・カレッジ辞典)多年,科学者は「自然」を神格化し,「母なる自然」ということばを唱える科学者さえいます。こうして,「自然」は人間とその生活環境を左右するものであると唱え,「自然」を一種の女神とし,この女神が人間の生活環境を備え,かつ,そのような環境をつかさどる重要な諸法則を運用していると科学者は考えます。科学者のこうした見解からすれば,人間はこの女神との平和な関係にあるどころか,この女神と敵対関係にあると言う以外にありません。
3 (イ)科学者のこうした考え方は,古代異教徒のどんな行為に似ていますか。(ロ)このことから「自然」に関してどんな質問が生じますか。
3 こうした考え方は,古代の異教徒が「自然」界の諸勢力や働きを神,また女神として崇拝し,太陽・月・星・地球をさえ神としてあがめたこととなんと似ているのでしょう。現代の科学者がいわゆる「自然」をもって一種の女神としていることから,考え深い人は,「自然は常に存在してきたのだろうか。それとも自然は自らを創造したのだろうか」と尋ねざるを得ません。しかしそれは不可能です。宇宙のいわゆる「自然」界に見られる設計と調和,また運動などは,物事を見ることのできる,理知のある創造者,つまり全創造物の唯一の設計者また制御者の存在を裏づけ,かつ必要としています。この唯一の創造者は神です。物質の始まりを取り上げてしるした聖書巻頭のことばは,いかにも理にかなった次の表現で始まっています。「はじめに神 天地を創造たまへり」― 創世 1:1。
4 ゆえに人間はだれとの平和な関係を得ていませんか。
4 こうした事実の当然の帰結として,「自然」との平和な関係にない今日の人間は,「自然」の創造者であられるまことの神とも平和な関係にないと言わざるを得ません。これは重大な事柄です。
5 (イ)自らの生活環境および道徳風土をそこなっている人間と創造者との関係はどうなっているに違いありませんか。(ロ)現代の「科学」にたよる人間は,他のどんな面でも神との平和を失っていますか。
5 人間は,自らの自然環境,つまり地球上の生活環境を破壊し,自らの滅びを早めている以上,人間の創造者と平和な関係にあるとは言えません。人間はまた,自分たちの生活の道徳的風土をもそこなっており,その結果,増大する犯罪と不道徳の実を刈り取っています。人間が偽りの宗教の教えを捨て去るのは全く正しいことですが,他方において人々は偽って「科学」と称される一種の現代的な考え方や教えを誤ってたよりにしています。というのは,「科学」とは本来,「知識」すなわち真の知識を意味するからです。(テモテ前 6:20,21)こうして真理の理解を失った人間は,真理の本である聖書に対する認識をもそこなっています。そして人間は,イエス・キリストと戦っているのです。なぜなら,神のこの御子は神のみことばに関して,「汝のみことばは真理なり」と言われたからです。(ヨハネ 17:17)人間はその自然環境との関係においてだけでなく,こうした面でも,神との平和な関係にないことがわかります。生きておられるまことの神は道義と真理を愛する神だからです。―詩 31:5; 117:2。
6 神から離れた人間に対して神は何を望んでおられますか。そのため神は何を行なわれましたか。
6 したがって人間の永遠の救いは明らかに神との平和を取り戻すかどうかにかかっています。事実,人間の創造者は人間がそうすることを願っておられるのです。人間が神に対して行なっている戦いは人間の完全な滅び以外の何物でもないことを神は知っておられるからです。人間は神の仲介者イエス・キリストを通して神と和解しなければなりません。神はこのことを知るゆえに,神から離れた人々の心に訴えて,「我らキリストに代りて願ふ,なんぢら神とやはらげ」と語らせるために,キリストの忠実な追随者をつかわしてこられたのです。―コリント後 5:20。
7 不思議なことに,今日,神との平和に激しく逆らう敵はだれですか。彼らは使徒時代のだれに似ていますか。
7 しかし,19世紀前のイエス・キリストの十二使徒の時代に,人間がキリストを通して神との平和を得ることを妨げる多くの敵がいたように,今日でも同様の敵対者がいます。不思議なことに,今日,神との平和を妨げる最も凶暴な敵は,イエス・キリストの偽りの追随者である自称クリスチャン,なかんずくローマ・カトリック,ギリシア正教また新教の僧職者たちです。これら僧職者は神との平和に対する正当な根拠に基づく敵対行為で主役を演じています。そしてキリストの使徒たちの時代に,神との平和に激しく逆らったのは,依然エホバ神の選民であると唱えていた民だったのです。
8 (イ)キリスト教世界は世界人口のおよそどれほどの部分を占めていますか。(ロ)キリスト教世界とエホバの証人に関しどんな重大な問題が提出されてきましたか。これはどのように,また,どんな規準に基づいて解決できますか。
8 いわゆるキリスト教の奉じられている世界,すなわちキリスト教世界は信者数で今日最大の宗教領域を成しています。それは世界人口のおよそ3分の1を占めています。現在,世界の総人口は約34億2,000万人ですが,キリスト教世界は9億7,738万3,000人の自称クリスチャンで構成されているからです。ところがエホバのクリスチャン証人はキリスト教世界から完全に離れているため,教会諸宗派の僧職者からクリスチャンではないとのらく印を押されてきました。少数グループであるこのエホバのクリスチャン証人が,非キリスト教の世界からではなく,おもにキリスト教世界の諸宗派から出てきた人々で構成されていることをこれら僧職者はいまいましく思っています。したがって,神から任命された真のクリスチャンとはだれか,真の神の国を伝道しているのはだれか,それはエホバの証人か,あるいはキリスト教世界の諸宗派か,という問題が何千年にもわたって争われてきました。どんな規準を用いればこの問題は解決できますか。偽善的な偽りのクリスチャンに対する警告として次のように語ったイエス・キリストの規準を用いることができます。「さらば,その果によりて彼らを知るべし」― マタイ 7:20。
9 エホバの証人の行なっている予告されたどんな活動が特に反対を受けましたか。どんな勢力がこれに反対しましたか。なぜですか。
9 エホバの証人はこの事物の体制の終わりのしるしに関するイエスの預言,すなわち「御国のこの福音は,もろもろの国人に証をなさんため全世界に宣伝へられん,しかして後,終は至るべし」ということばを大いに重視してきました。(マタイ 24:14)彼らは拡声装置,印刷物,肉声はもとより,現代の広報手段を駆使して御国の音信を全地に広めてきましたが,神の国の良いたよりのこうした伝道の一環として,その良いたよりをはばむ敵に終わりの臨む神の報復の日,すなわち「われらの神の刑罰の日」の宣明も行なってきました。(イザヤ 61:1,2)神を認めない唯物主義に立脚した社会主義また共産主義政体を奉ずる急進勢力は,こうした神の国の伝道を忌みきらってきました。ところがクリスチャンと唱える人々に対する期待とはうらはらに,キリスト教世界すら神の国のこうした伝道を激しくきらってきたのです。神からの報復を宣べ伝えるわざはキリスト教世界と世の急進勢力の双方に対し,激しい苦痛を伴う壊滅的な影響を及ぼしてきました。それは黙示録 8章から11章に述べられている,天使の鳴り響かせるラッパの強大な音がもたらした結果に似ています。
壊滅的な影響
10,11 第1の天使がラッパを吹いたのちに生じた事態は,何に似た影響をもたらしましたか。
10 地表の3分の1が消失し,森林の3分の1,またそこにある他の植物すべてが焼き払われたとしたなら,あなたはどう感じますか。人間を取り巻く自然環境が当然重大な不均衡状態に陥ると考えられるでしょう。しかしラッパを携えた7人の御使いの第1の者がラッパを吹いたのちに生じたと考えられるのは,世界人口の約3分の1にあたる信者を擁するキリスト教世界の宗教感情からすればまさにこうした状態なのです。第一次世界大戦後エホバの証人が口頭で,また,ものみの塔聖書冊子協会の出版物を用いて宣明しはじめた事柄は,天からこの地に投げつけられた「血のまじりたる雹と火」に等しいものでした。―黙示 8:2,6,7。
11 その「樹」のような高位者たち,また「青草」にも似た低い立場の人々にとって,宣べ伝えられた音信は,激しくあびせられ,炎症を引き起こし,焼きつくすような致命的なものでした。
12 宣べ伝えられた音信はどのように,(イ)雹のような,(ロ)火のような,(ハ)血のような影響をもたらしましたか。
12 宣べ伝えられた音信は,書きしるされた神のみことばの天的な真理を含むものでしたが,その真理は生気を与える雨のようなものではありませんでした。それはむしろ牧師および教会の成員の両者を打ちのめす堅くて冷たい雹のように,聖書の強烈な真理をもって容赦なく彼らを倒すものとなりました。火のようなその真理は,「樹」に似た牧師,また「青草」のような平信徒のかぶっているキリスト教の仮面をいわば焼き払い,彼らをクリスチャンとしては焼きつくし,キリスト教世界は教理また慣行のいずれにおいてもキリスト教のものでないことを実証しました。第一次世界大戦はキリスト教世界の宗教的偽善をあらわにしました。その世界大戦中の流血行為はみじめな犠牲者に死をもたらしました。同様にその大戦後,エホバのクリスチャン証人の伝道は致命的な影響を与えました。というのは,キリスト教世界が最終的な死のさばきを受けていること,またその滅亡の時までキリスト教世界につき従う者はキリスト教世界もろともに滅びることを明らかにしたためです。今日でも霊的な生命はキリスト教世界を通しては得られません。(黙示 8:7)そして,反撃に出たキリスト教世界は,神の国のそれら伝道者を迫害することにより,自らが真のキリスト教を実践するものでないことをいよいよ露呈しました。
神のさばきを受ける急進主義
13,14 (イ)共産主義が台頭し,各地に広まったことは,どんな宗教組織の失敗に帰せられるべきですか。(ロ)第2の天使がラッパを吹いたのち,どんな劇的な光景が生じましたか。
13 多数の僧職者の率直なことばからもわかるとおり,神を認めない共産主義の台頭したおもな理由は,キリスト教世界の宗教的偽善と,物質的に富む政治権力者におもねて,抑圧された貧しい国民を退けるそのやり方にありました。唯物主義に基づく共産主義勢力は,キリスト教世界がイエス・キリストにならう生き方を実践しないために生じた空白を,さまざまな説得手段と暴力的強制処置を講じて埋めようとしました。こうして台頭し,かつ勢力を広げた国際共産主義は,燃えさかる政治上の大問題として,野望をいだきながらも困惑し動揺する地上の人々のまっただ中に投げ込まれたのです。
14 盛んに燃える壮大な山のような巨大な土の固まりが海に投げ込まれ,海の3分の1が血に変わり,海の中の生き物の3分の1が殺され,かつ,海上を行き来する船舶の3分の1が破壊されてしまう光景を映画で見たとしたなら,あなたはどう感じますか。身震いして,なんと恐ろしい光景だろうと言われるでしょう。ところが,ラッパを携えた7人の御使いの第2の者が,ラッパを吹いたのちに生じた劇的な結果はそのようなものだったのです。こうした劇的な結果の意味がおわかりですか。―黙示 8:8,9。
15 急進的な共産主義の問題は象徴的な「海」にどのように投げ込まれましたか。共産主義は自らをなんと唱え,また何を約束しましたか。
15 国際共産主義はかつての帝制ロシアにおけるその小さな始まりから発展して,幾つもの国々を席捲し,勢力を拡張して世界人口の3分の1を擁するに至りました。人類のための有望な支配体制と唱えられる急進的な共産主義のこの問題は,国家の象徴として聖書で用いられている巨大な山のようになって,第一次世界大戦末期,すなわち1917年11月,騒然として人類の海に突如投げ込まれたのです。そして共産主義は,しいたげられた人民の解放者と唱えられ,政治的また宗教的独裁を排除した,平等な同志関係で結ばれる,物質的に豊かな生活を約束しました。つまり,神のメシヤが到来して人間のために地上に楽園をもたらすことを不要と唱えたのです。
16 (イ)エホバの証人はこの問題に関し,どんな立場を直ちに取りましたか。(ロ)共産主義の衝撃はどのように象徴的な「血」また破船を生じさせましたか。
16 神の平安を持たない,もしくは神との平和な関係にないゆえに激しく動揺してやまない人類の海に,国際共産主義は何をもたらしましたか。(イザヤ 57:20,21)エホバの証人は1970年の今日に至って初めてその答えを歴史から知ったのではありません。神のメシヤすなわちキリストの大使として彼らは直ちに,神のメシヤの治める象徴的な山について大声で語りました。この山とは著しい対照をなす,神を否定する共産主義は,自らの焔で滅び,燃えつきる山のようでした。動揺する人類の海にもたらしたその衝撃は,命をもたらすどころか,流された血が象徴する死を招きました。それは数多くの若い人間の命を奪ったことを別にしても,その信奉者に霊的な死をもたらしました。また,その信奉者が復活を通して,神の国の治める地上の楽園で永遠の命を受けるという望みを断ち,ハルマゲドンの到来に際して,国際共産主義を支持している人々を死と滅びに定めています。神を否定する共産主義が人々にもたらした事柄に基づいて言えば,流血の罪を負うこの共産主義勢力の下であらゆる生き物の魂は死に,船舶にも似たあらゆる組織は崩壊せざるを得ませんでした。
宗教上の星がもたらした苦い水
17 第3の天使がラッパを吹いたのちヨハネは川の真水がどのようににがよもぎのようになるのを見ましたか。何によってそうなりましたか。
17 海水を血に変えることと,川の真水を苦い水に変えることとは別の事柄であり,原因を異にしています。それにしても,星が「真」水を苦くするということがあり得るでしょうか。にがよもぎ,またはアブサンと呼ばれる星が,その名のとおりに効果を発揮するとすれば,それはあり得ることです。中東地方には苦みを帯びたこの植物が幾種類か自生しています。使徒ヨハネは,ラッパを携えた神の天使の第3の者がラッパを吹いたのちに生じた劇的情景の中でこのことが起こるのを見ました。ヨハネが見ていると,『燈火のごとく燃ゆる星』が天から河川の3分の1と水の源の上に落ち,川の真水の3分の1がにがよもぎのように苦くなり,それを飲んだ「多くの人」が死にました。(黙示 8:10,11)にがよもぎ,またアブサンと呼ばれるこの星は,生気を与える命の水に人間を導き得る高い位置から落ちました。
18 天から落ちた燃える「星」はだれを表わしていますか。確かにそうであるとどうして言えますか。
18 象徴的に言って,「星」は,栄光を受けたイエス・キリストの右の手にあるのをヨハネが見た象徴的な七つの星のように,天的な光を人間に与えるべきものです。それら七つの星はクリスチャン会衆の霊的な監督を象徴しています。(黙示 1:16,20; 3:1)しかし,にがよもぎと呼ばれるこの「星」は,天から落ちた「星」であり,人々のおよそ3分の1の飲む水に恐るべき影響をもたらすものですから,これは世界人口のおよそ3分の1を占める「多くの人」を擁するキリスト教世界の僧職者を表わしています。神に任命されたクリスチャン奉仕者であると唱えるこれら僧職者は,背教した宗教組織が生み出した背教した宗教指導者です。それら指導者がキリスト教を実践できるすぐれた高い立場から落ちたことは,『燈火のごとく燃ゆる星』が天から落ちて自らの火炎で燃えつきたように,彼ら自身の破滅をもたらすものとなります。彼らは天の星のように,天的にすなわち霊的な光をキリスト教世界の人々に照らし,聖書に見いだされるキリスト教のさわやかな真理の水に人々を導き,そのような聖書の真理に一致した生き方を教えるべきでした。
19 象徴的に言って,にがよもぎと呼ばれるその「星」はどのようにして川の真水を多くの人にとって致命的なほど苦いものにしましたか。
19 1970年の今日,キリスト教世界の僧職者がになっていると自ら唱えるキリスト教の使命を果たす点でいかにみじめに失敗したかは,いよいよ明らかになっています。彼らが自分たちの教会の信者に教えた教理は,神のみことばに異教の教理を混ぜたり,霊感を受けない人間の作り上げた伝統を聖書以上に重視したりしたものであり,それらは信者にとって霊的な意味で苦い教理でした。また僧職者はキリスト教世界をこの邪悪な世との積極的な提携の道に導き,教会の信者を神の敵にし,その結果,教会の信者は今や霊的な死に陥り,かつ,差し迫った「われらの神の刑罰の日」における文字どおりの死へと追いやられています。こうして牧師たちはこれまで自分たちの教会の信者に苦い飲み物をのませてきました。しかしハルマゲドンにおいて,教会の信者たちは,僧職者の与える最も苦い飲み物をのまされるでしょう。にがよもぎと呼ばれる,天から落ちたこの「星」の与える教理と助言を飲み込み,かつそれに従う彼らの前途にあるのは,神の御手からもたらされる滅びにほかなりません。―ヤコブ 4:4。イザヤ 61:1,2。黙示 16:14,16。
光のあるべき所を閉ざす暗やみ
20 第4の天使がラッパを吹いたのち,何が起こるのをヨハネは見ましたか。
20 さて今度は,昼の3分の1が暗くなり,次に月と無数の星の光が消えて夜の3分の1が暗やみになった状態を想像してください。使徒ヨハネが次に見たのはそのような恐るべき現象でした。彼はこうしるしています。「第四の御使ラッパを吹きしに,日の三分の一と月の三分の一と星の三分の一と撃たれてその三分の一は暗くなり,昼も三分の一は光なく,夜もまたおなじ」― 黙示 8:12。
21 このことは人類史のどんな時代に起こりましたか。そのことが生じた人類の3分の1とはなんですか。
21 この預言的な情景は,人類史において現代人が啓発の時代と呼ぶ時期にその成就を見ました。こうした人間的な誇りのただ中にあってキリスト教世界は自らを地上で最も啓発された領域であると唱え,また世界の改宗計画によって今や全人類のおよそ3分の1を包含しているとみなしています。確かに科学の面では大いに啓発されました。しかし宗教面での啓発についてはどうですか。
22 この種類の暗やみはどこに存在しますか。しかし主張されている事柄からすれば,その領域はどんな状態にあるべきですか。
22 宗教上の最大の啓発を受けるべき,世界人口の相当の部分に最大の宗教的暗黒がたれこめています。その相当の部分とはほかならぬキリスト教世界です。宗教事情に関するキリスト教世界の見解によれば,それが異教の世界と呼ぶ領域は,偽りの崇拝の深い暗やみの中を手探りしている一方,キリスト教世界は神の真理と恵みの光に浴してきました。もしキリスト教世界が真のキリスト教の領域であるとの主張にふさわしく歩んできたのであれば,確かにそうであったはずです。光を与える唯一の本,聖書の頒布の点でキリスト教世界は幾世紀もの間恵まれてきました。そして今日までに聖書は1,300以上の言語に翻訳され,20億冊以上も頒布されました。また,キリスト教世界の僧職者はその聖書を説く者として任命され,生涯の全時間伝道者として聖書を教えるべく時間と給料とを与えられてきました。したがって当然,キリスト教世界は聖書の知識に最もすぐれ,かつ,神の恵みと祝福の光を受けるに最もふさわしい領域となっているべきだったでしょう。ところが使徒ヨハネの示した情景はそれとは異なるものでした。
23 (イ)エホバの証人は多年,真の光に関しキリスト教世界の状態をどのように指摘してきましたか。(ロ)証人たちは,キリスト教とキリスト教世界とに関するその問題にどのように答えてきましたか。
23 使徒ヨハネと同じように,今日のエホバのクリスチャン証人は,キリスト教世界の宗教事情があるべき姿とは異なることを多年指摘してきました。いわゆる「異教世界」が宗教的な深い暗やみに閉ざされていないというのではありません。キリスト教世界はその主張からすれば,そうした暗やみに閉ざされていなかったはずです。むしろ逆に,昼も夜も神の真理と恵みの光に浴してきたはずです。ところがキリスト教世界の実情は今やイエス・キリストの次のことばどおりです。「もし汝の内の光,闇ならば,その闇いかばかりぞや」。(マタイ 6:23)キリスト教世界が得ていると唱える宗教的啓発は単なる仮想にすぎず,実際には宗教的暗やみにありますから,キリスト教世界は自らを大いに欺いているわけです。エホバのクリスチャン証人が,「キリスト教世界それともキリスト教 ― どちらが『世の光』ですか」という挑戦的な質問を提起してきたのはもっともなことです。彼らは,この質問に対して,「それはキリスト教世界ではなくて,キリスト教です」と率直に答えてきました。キリスト教世界はその名にふさわしくないことを明らかにしました。キリスト教世界に聖書の真理がないことは,神の恵みと祝福の光を受けていないことの証拠です。神からの光は昼も夜も断たれており,キリスト教世界の前途は人類の世の他の部分のそれと同様,暗やみに閉ざされています。
さらに多くの災い
24,25 (イ)エホバの証人は明らかにどんな導きを受けて行動してきましたか。キリスト教世界は,これら四つのラッパに関連して証人たちの演じた役割からどんな影響を受けましたか。(ロ)さてヨハネはここで何を見,何を聞きましたか。
24 神の天使の最初の4人の者が吹いたラッパに続いて前述の預言的な光景が示された時,成就した諸事実を地の住民に指摘するため神が用いてこられた人々は確かに天使の導きを受けてきました。(ヘブル 1:14。マタイ 24:31)エホバのクリスチャン証人があたかもラッパを遠く広く鳴り響かせるかのように,これら四つの預言的な驚くべき光景の現代における成就を公に知らせてきたことは,人々,なかんずくキリスト教世界にとってすでに十分の苦しみをもたらしました。しかしキリスト教世界が,「もう十分だ!」と叫んでも,なんの役にもたちません。人々がいやおうなく見させられ,そうです,身をもって感じさせられねばならない預言的な驚くべき光景がほかにまだ三つもあるからです。これら最後の驚嘆すべき光景の成就は地に住む人々にとって著しい災いとなるのです。第4のラッパが吹かれたのちに生じたできごとの意味が解き明かされたため,わしの目のような鋭い先見をもってこの特別の災いに関する警告を広く伝えることができました。第5のラッパが吹かれる前のことを使徒ヨハネはこう書いています。
25 「また見しに,一つの鷲の中空を飛び,大なる声して言ふを聞けり。いはく『地に住める者どもは禍害なるかな,わざはひなるかな,わざはひなるかな,なほほかに三人の御使の吹かんとするラッパの声あるによりてなり』」― 黙示 8:13。
26 それら別の災いはどこから来ますか。それらの災いを恐れる必要がないのはだれですか。
26 それは天の御使に対する災いではなく,「地に住める者ども」つまり人間に対する災いです。それらの災いは,注意を喚起するラッパを吹くことを命じ,その務めを天使たちに与えた神からもたらされました。神との平和な関係にある人々はこれらの災いを恐れる必要は少しもありません。それを恐れるのは,神との平和を妨げる敵だけです。
苦しみを与えるいなごの災い
27 第一次世界大戦中,御国の証人に関し,キリスト教世界の僧職者は何を望み,どんな努力を払いましたか。僧職者は自分たちの目的をどの程度達成できましたか。
27 早くも第一次世界大戦当時(1914年-1918年),キリスト教世界の僧職者は政治また軍事上の同盟者とともに,エホバ神またキリストの治める神の国を支持するクリスチャン証人の手で宗教上の苦しみを十分に感じ,戦時下の事態と当時の法律を利用して,それら証人たちの公の活動をとどめました。しかし「異邦人の時」は1914年に終わり,キリストの治める神の国が異邦人諸国家を地上から排除する権威を受けてきた天で完全に支配権を執ると,幾年も前から指摘してきた証人たちの正しさは世界のできごとによって立証されました。このことが伝えられるのを好まなかった牧師たちは,「証人たちを殺せ!」と叫びました。それはとりもなおさず,これら国際的な聖書研究生に,メシヤすなわちキリストの治める神の国を公に証するわざをやめさせることでした。政治また軍事勢力の助けを得た僧職者は,1918年のなかば,つまり第一次世界大戦の終わる数か月前までに,『証人を殺す』ことに事実上成功したのです。
28 このことは「証人」たちの活動と組織にどんな影響を与えましたか。象徴的に言って,彼らはどんな低い立場に陥りましたか。
28 こうして,大規模な公の証言の仕事は終わり,この証のわざを進めたおもだった人々は長期の服役刑を受けて投獄され,また証のわざを進めるその組織は大いに砕かれ,その働きは阻害されました。「証人」たちはあたかも「底なき坑」に陥ったかのようでした。象徴的に言ってこうした卑しめられた立場に置かれた彼らは,メシヤの治める建てられた神の国の証をする,よく整えられ,よく組織された勇敢な証人という点からすれば,死んで姿を消した状態にありました。しかしそれも長い期間ではありません。ではだれが彼らを解放したのですか。
29 第5のラッパが鳴ったのち,ヨハネの見た象徴的な「星」は,その使命また名前から見て,だれであると言えますか。
29 第5の天使はラッパを大きく鳴り響かせるとともに,底知れぬ穴に入れられた「証人」たちの解放と,その後に行なうわざを発表しました。これは「地に住める者ども」にとって「禍害」となるものでしたか。使徒ヨハネは預言的な幻を見守っていました。するとどうでしょう,一つの「星」が海や河川にではなく,天から地に落ちたのです。しかしそのために地が災いを受けることはありませんでした。むしろこの「星」は自由を与える者また解放者として到来したのです。「この星は底なき坑の鍵を与へられたり」とあるからです。またこの者は王です。彼は「底なき所の使」であり,その穴から解放した者たちの王だからです。このことと一致してヨハネは,この王によって解放された者たちに「金に似たるかんむりのごときもの」があるのを見ました。この象徴的な「星」にはこの事態にかかわる名前があります。ギリシア語でその名前はアポリオンといい,ヘブル語ではアバドンといいます。前者は破壊者を意味し,後者は破壊を意味します。象徴的なこの「星」に関するこうした事柄すべては,それが栄光を受けたイエス・キリストであることを明らかに示しています。19世紀前,地上の人間であったイエスは神の国のために殉教の死を遂げて,底なき穴にはいりました。その後三日目に神はイエスを解放し,ご自分の右につかせられました。
30 この象徴的な「星」にはどんな鍵が与えられましたか。彼はだれを,いつ解放しますか。
30 よみがえって栄光を受けられたこのイエス・キリストに神は「死と〔ヘーデース〕との鍵」を与えられたのです。イエスがそれを用いて解放者として行動するためです。1914年,「異邦人の時」が終わり,天で王位についたイエスは,「底なき坑」に似た束縛された状態からある者たちを解放するためにやって来ます。それはだれですか。天でイエスとともに王となる召しを受けた,イエスの追随者の,地上にいる残れる者たちです。(黙示 1:6,17,18,〔新〕; 20:4-6)1919年,イエスは「底なき坑の鍵」を用いてその坑を開き,御国の共同相続者で悔い改めた忠実な残れる者を出させました。
31 解放されたこの残れる者は,ヨハネの描写にしたがえば,どんな姿をしていますか。
31 それにしても預言的な幻の中でヨハネの見た彼らはなんという姿をしているのでしょう。底なき所から立ち上り,太陽と空気とを暗くした大いなる煙の中から出てきた彼らは,世にも不思議ないなごの姿をしていたのです。ヨハネはこう語ります。「かのいなごの形は戦争のためにそなへたる馬のごとく,頭には金に似たるかんむりのごときものあり,顔は人の顔のごとく,これに女の頭髪のごときかみのけあり,歯は獅子の歯のごとし。また鉄の胸当のごとき胸当あり,その翼の音は軍車の轟くごとく,多くの馬の戦闘にはせゆくがごとし。またさそりのごとき尾ありて,これに刺あり,この尾に五月のあひだ人を害ふ力あり。このいなごに王あり。[彼は]底なき所の使(なり)」― 黙示 9:1-11。
32 この象徴的ないなごは,青草を食べるのでないとすれば,何を求めて出てゆきますか。これらのいなごはその攻撃目標とはどのように対照的な者ですか。
32 エホバの油そそがれた証人の残れる者は,天の王イエス・キリストの命令の下,1919年,燃える炉から出るかのように敬虔な熱意をいだいて,束縛された底なき穴のような状態から群れをなして飛び立ちました。これら象徴的ないなごは地の青草を食いつくそうとはしませんでした。彼らの攻撃の的は人間だったからです。どんな人間がその的になりましたか。「額に神の印なき人」だけでした。しかしそれら特定の人々を殺す権威が与えられたのではありません。いなごが生きて活動する夏の期間つまり,5か月のあいだ彼らを苦しめることだけが許されたのです。これら象徴的ないなごは確かに「額に神の印」を受けた者たちです。彼らは黙示録 7章1-8節に描かれているとおり,その印をしるされるのをヨハネが見た14万4,000人の霊的なイスラエル人の残れる者だからです。そしてこれら象徴的ないなごは,夫に柔順に従う,長い髪をもつ女のように,自分たちの王また花婿であるイエス・キリストに柔順に服従しています。
33 神の印のしるされていない「人」は今日だれを表わしていますか。
33 では,「額に神の印なき人」とはだれですか。それは神の宮にあるさまを使徒ヨハネが目撃して,黙示録 7章9-17節に描写した「大なる群衆」を含め,印を受けていない人々すべてのことですか。そうではありません。キリスト教世界で占めている僧職からすれば「額に神の印」を受けていると当然に考えられる者たちだけです。それはまずキリスト教世界の僧職者であり,彼らは仲介者キリストを通して神との新しい契約を結んだ霊的なイスラエル人であるとあからさまに唱えています。またその中には,教会の会員で牧師から最大の名誉と敬意とを受けている政治家,利をむさぼる実業家また主要な軍人などもともに含まれています。これら「額に神の印なき人」の行ないは,彼らが神の霊の実を生み出していないことを実証しています。神に所有されるものであることを示すその印は神の霊の働きによって,いわば額に,つまりだれにでも見えるようにつけられるものです。―ガラテヤ 5:19-23。コリント後 1:22。
34 (イ)神の印のしるされていないこれらの人々は特にどんな点で,象徴的ないなごに苦しめられますか。(ロ)それらの人はどれほどの期間その苦しみを耐えねばなりませんか。
34 象徴的ないなごは神の霊感のみことば聖書からのさばきの音信をもって彼らを突き刺しつつ苦しめています。それは毒をもつさそりの尾で刺されたときのような激しい苦痛を与えるものです。このさばきの音信は特に,世界の平和と安全のための国際的な機関にかかわるものです。僧職者はこの機関を「神の国の地上における政治的な表現」と唱えていますが,それら象徴的ないなごはその機関を,メシヤの治める神の国の単なる人間製の代用物とし,それゆえにその機関は失敗し,神の真の御国によって滅ぼされるものであることを宣明して,苦しみを与えています。キリスト教世界の,これら神の印のない人々は,象徴的ないなごのもたらすこうした宗教上の苦しみからのがれたいと願っています。彼らは苦しみを長く耐えるよりも死を望んでいます。しかしそれら「いなご」には神の印のないこれらの人を「殺す」権威は与えられていないので,それらの人は依然として生きています。また,象徴的ないなごも生き続け,苦しみを与え続けています。それは,苦しみを与えるこの仕事を『五か月』のあいだ行なうことが許されているからです,実際のいなごの一世代にあたるこの期間は,ハルマゲドンの戦いに至るまでの象徴的ないなごの生存期間全体を表わしています。
35 「鷲」がこのいなごの災いについて述べたことはおおげさな事柄ですか。
35 このことがこうしたいなごの災いから直接影響をこうむる人々にとって「禍害」であると発表した,なか空を飛ぶ「鷲」のことばは決しておおげさなものではありませんでした。では,第2の「禍害」とはなんですか。
「第二の禍害」
36 この一連の災いの次のものはどんな意味で「第二の禍害」ですか。
36 「第二の禍害」は必ずしも第1の災いが終わってから始まるのではありません。実際のところそれは別の災い,付け加えられる災い,すなわち第1の災いと時を同じくして生ずる災いなのです。それは第1の災いをいっそう苦しいものにし,より広範囲に及ばせるものとなります。
37 第6の天使の発表した「第二の禍害」はどんな解放のわざに続いて生じますか。その解放はだれのためですか。
37 「第二の禍害」は神の第6の天使がラッパを吹いて大声で告げ知らせました。この「禍害」もまた,解放のわざに続いて生ずるものとして描かれています。この解放とは,大いなるバビロン,すなわちバビロン的な偽りの宗教の世界帝国からの解放を意味しています。この大いなるバビロンを予表したのは,ユーフラテス河畔にあった古代の帝都バビロンです。紀元前7世紀,生来のイスラエル民族はこの古代都市バビロンにとらわれの身となりました。同様に,霊的なイスラエル人の油そそがれた残れる者は第一次世界大戦中,大いなるバビロンにとらわれの身となったのです。香の煙のようにささげられた誠実な祈りに答えたエホバ神は,古代バビロンの倒壊後,イスラエル民族をそのとらわれから解放されました。同様に,この同じ神は祈りに答えて第一次大戦終結の翌年つまり1919年,油そそがれた残れる者を現代の大いなるバビロンから解放されました。このことを幻で見た使徒ヨハネはそれを描写してこう言いました。
38 ヨハネはこの解放のわざの幻をどのように描写していますか。
38 「第六の御使ラッパを吹きしに,前なる金の香壇の四つの角より声ありて,ラッパを持てる第六の御使に『大なるユウフラテ川のほとりにつながれをる四人の御使を解き放て』と言ふを聞けり。かくてその時,その日,その月,その年に至りて,人の三分の一を殺さんために備へられたる四人の御使は,解き放たれたり」― 黙示 9:13-15。
39 (イ)「四人の御使」はだれに相当しますか。「御使」という名称はなぜ適切ですか。(ロ)彼らはいつ仕えたいと感じていますか。
39 1919年,バビロン的な束縛から解放された油そそがれたクリスチャン証人の残れる者はいわゆるこれら「四人の御使」に相当します。この「御使」という名称は文字どおりには「使者」という意味ですから,必ずしも天の霊者を意味するものではありません。使者,そうです,解放された残れる者は神の使者となり,異邦人の時の終結後,また第一次世界大戦中のキリスト教世界の誤った行為のなされたのちに,神からの特別な音信を携えようとしていたのです。神の使者として再び仕える自由を取り戻して喜びにあふれた油そそがれた残れる者は,神の定められた「その時,その日,その月,その年」がいつであっても,神の命ずるままに奉仕したいと感じました。彼らはいつなんどきでも,神の国の奉仕のあらゆる面に直ちに携わり得るよう自らを整えました。彼らが解放された4人の「御使」つまり使者として「備へ」ねばならなかった使命とはなんでしたか。それは『人の三分の一を殺す』ことでした。しかしどんな装備を用いるのですか。
40,41 (イ)その使命はなんですか。この仕事は災いとなりますか。場所はどのように変わって次の光景が展開されますか。(ロ)ヨハネはその騎兵隊をどのように描写していますか。
40 「人の三分の一」を殺すなら,それは確かに災いとなります。このことがキリスト教世界に対していかに行なわれるかを示し,ユーフラテス河畔の光景は直ちに一変して,騎兵隊の大規模な突撃の情景が展開されてゆきます。ヨハネはその突撃の模様を描いてこう語ります。
41 「騎兵の数は二億なり,我その数を聞けり。われまぼろしにてその馬とこれに乗る者とを見しに,彼らは火・煙・硫黄の色したる胸当をつく。馬の頭は獅子の頭のごとくにて,その口よりは火と煙と硫黄といづ。この三つの苦痛,すなはちその口よりいづる火と煙と硫黄とによりて人の三分の一殺されたり。馬の力はその口とその尾とにあり,その尾はへびのごとくにして頭あり,これをもて人をそこなふなり」― 黙示 9:16-19。
42 どんな事柄がより詳しく描写されていますか。「馬」は何を象徴していますか。
42 それらの騎手については,焼きつくすような滅びをもたらし得る火と煙また硫黄を暗示する胸あてを着けていること以外には何も述べられていません。他の説明はほとんどそれら騎手の乗った馬に関するものです。そして,口から出る災いと,へびのような尾をもって人を殺すのはこれらの馬です。したがってこれら「二億」もの「馬」は,解放された4人の「御使」が「人の三分の一」,つまりキリスト教世界の成員を殺すのに用いる道具です。これらの馬には騎手が乗っているのですから,その馬は人間に操縦されていることがわかります。
43 (イ)これら不思議な「馬」はさらに何を象徴していますか。(ロ)これらの乗り物はどのようにして備えられましたか。だれがそれを操縦しますか。
43 では,これら2億もの馬は何を象徴していますか。それは油そそがれた残れる者が「われらの神の刑罰の日」を宣明するために用いる道具,もしくは乗り物を象徴しています。これら乗り物とはなんですか。それは,神の報復の日に偽善的なキリスト教世界に臨む火のような徹底的滅びを告げ,また,へびにかまれた時のような痛みを「人」に与え,彼らの宗教感情を傷つけ,彼らが霊的に死んだものであることを示す聖書また聖書研究用の書籍,小冊子,雑誌,パンフレットなどを表わしています。(イザヤ 61:1,2)最新の聖書文書が大量に発行されはじめたのです。世の一般の出版社とは別個にこれら象徴的な「馬」を生産するため,ものみの塔聖書冊子協会は独自の印刷工場を設置し,時の経過とともにその印刷施設を拡張しました。またすべての文書の頒布は営利目的の一般書店にではなく,残れる者の手にゆだねました。
44 象徴的な2億の「馬」は備えられてきましたか。これらの馬を動かすどんな騎手が備えられてきましたか。
44 1920年,初めて小規模な印刷工場を設置したものみの塔協会は,以来絶えず印刷施設を拡張し,2億をはるかに上回る象徴的な「馬」を生産し,これを世に放ちました。油そそがれた残れる者はこれらの「馬」にかかわる責任を引き受ける,つまり戸別訪問を行なって幾千幾百冊もの聖書文書を配布しました。こうしてこれら象徴的な「馬」はそれぞれ人手と理知をもって御され,かつ進められました。特に1935年以来,献身してバプテスマを受けた「大なる群衆」は,油そそがれた残れる者に加わって聖書を頒布するわざを行なってきました。そしてこのわざは「人の三分の一」すなわちキリスト教世界の信徒一般にとってはなはだしい「禍害」となりました。
「第三の禍害」
45 「第二の禍害」に対する世の人々のどんな反応からすれば,ヨハネが「第三の禍害」について述べるのは適切ですか。
45 19世紀前,使徒ヨハネは,「第二の禍害」にもかかわらず「残の人々」が自分たちの罪深い世俗的な生き方を改めようとしない事態を見ました。同様に現代においても,キリスト教世界はもとより,人類の他の部分も「第二の禍害」に苦しめられながら,神の報復の日における滅びに至る歩みを変えようとはしません。彼らは神との平和な関係にはいることを拒んでいます。(黙示 9:20)使徒ヨハネは,悔い改めようとしないそれらの人々すべてに対し第3の災いを下す必要のあることを知りました。ここでヨハネはいみじくもこう報告しています。「第二の禍害すぎ去れり,みよ,第三の禍害すみやかに来るなり」。(黙示 11:14)この第3の災いとはなんですか。それは第7の天使が告げ知らせたのちに生ずることになっていました。
46 第7のラッパが吹き鳴らされた直後のことをヨハネはどのように描写していますか。
46 ヨハネはこうしるしています。「第七の御使ラッパを吹きしに,天に数多の大なる声ありて『この世の国は我らの主およびそのキリストの国となれり,彼は世々限りなく王たらん』と言ふ。かくて神の前にて座位に坐する二十四人の長老ひれふし神を拝して言ふ,『今いまし昔います主たる全能の神〔エホバ〕よ,なんぢの大なる能力を執りて王となり給ひしことを感謝す。諸国の民,怒をいだけり,なんぢの怒もまたいたれり,死にたる者をさばき,なんぢのしもべなる預言者および聖徒,また小なるも大なるも汝の名をおそるる者に報賞をあたへ,地をほろぼす者をほろぼしたまふ時いたれり』」― 黙示 11:15-18,〔新〕。
47 (イ)したがって「第三の禍害」とはなんですか。(ロ)主なる神はいつご自分の支配権を執って統治を開始されましたか。このことをどのように行なわれましたか。
47 ここにどんな「第三の禍害」を見ることができますか。それは「我らの主およびそのキリストの国」のことです。それは主エホバ神とそのメシヤつまりキリストとの共同統治を意味しています。すなわちそれは全人類を統治する,メシヤの治める神の国です。全能の神エホバがご自分の強大な支配権を執り,統治を開始されたのです。またそれは正当なことでした。なぜなら,全地はエホバのものであり,地とその上に住む人間はエホバによって造られたものだからです。エホバは,ユダヤ人以外の国民すなわち異邦諸国民に貸与した支配権の行使期間が西暦1914年に満了するのを待っておられました。その年の到来に際して異邦諸国民は「異邦人の時」の終わったことを認めず,また,エホバのメシヤすなわちキリストが自分たちの王として位につくことに反対しました。エホバ神はこの地に関する事柄の決定を異邦諸国民の手にまかせましたか。そうではありません。エホバは全能の力をもってご自分の強大な支配権を執り,それを行使されました。どのようにしてですか。ご自身の御子イエスをメシヤつまりキリストとして天で即位させることによってです。エホバはこうした統治上の措置を講じて,メシヤの治める御国を樹立されました。―ルカ 21:24。
48 (イ)メシヤの治めるこの御国が「禍害」であるかどうかに関してどんな疑問が生じますか。(ロ)地上の諸国民は自らが神との平和を妨げる敵であることをどのように示しましたか。
48 しかし,メシヤの治める神の国がどうして「禍害」,しかも最も著しい災いとなるのですか。この御国が建てられたのは人類世界全体に祝福をもたらすためではないのですか。キリストの追随者は,キリストの教えた次の祈りをささげているのではありませんか。「天にいます我らの父よ,願くは,御名の崇められんことを。御国のきたらんことを。御心の天のごとく,地にも行はれんことを」。(マタイ 6:9,10)そうです,まったくそのとおりです。しかし1914年,異邦人の時の終わりに際して世の諸国民の支配者たちが,「神の前にて座位に坐する二十四人の長老」の行なったことを見習うのを一般国民が目撃したわけではありません。諸国民の王たちは自分たちの王座をおりてひれ伏し,「今いまし昔います主たる全能の神〔エホバ〕よ,なんぢの大なる能力を執りて王となり給ひしことを感謝す」と言って神を崇拝したわけでもありません。(黙示 11:16,17,〔新〕)それとは正反対に,『諸国の民は怒をいだき』,メシヤの治める神の御国の良いたよりを伝道していた当時の油そそがれた「キリストの使者」を迫害して自分たちの怒りを表わしました。メシヤの治める神の国に対して怒りをいだいたこれら諸国民は,自らが神の平和を妨げる敵であることを示したのです。
49 (イ)ゆえにメシヤの治める神の国は諸国民にとってどんなものになったと言えますか。(ロ)どんな行動だけを考えてもこれら諸国民は滅びに値していますか。
49 こうした根拠からすれば,「我らの主およびそのキリストの国」は諸国民にとって重大な災いとなるに違いありません。神の怒りが敵意を示す諸国民に臨むのは不可避です。これら諸国民はほかならぬ「地をほろぼす者」なのです。彼らはきわめて現実的な意味で,すなわち地上の資源をむさぼり,また,地上を人間の居住にふさわしくない場所にして,文字どおり地をほろぼしています。しかも核兵器はもとより,細菌兵器また放射線兵器を用いる第三次世界大戦をもって地を破壊する脅威をさえもたらしているのです。メシヤの治める神の国の油そそがれた大使たちに怒りをいだいた諸国民の加えた迫害を,全能の神がたとえ度外視されたとしても,こうした破壊的なしわざだけで諸国民は滅びに値しています。
50 諸国民に対するこの「第三の禍害」はどんな最高潮を迎えますか。
50 荒廃をもたらす諸国民は思い違いをしてはなりません。「この世の国」の支配権を執られた全能の神エホバに対して怒りをいだいた諸国民は,そのエホバ神の御前で申し開きをする羽目に立たされるでしょう。そしてエホバは史上最大の戦い,すなわちハルマゲドンにおける「全能の神の大なる日の戦闘」で諸国民に滅びをもたらされるでしょう。(黙示 16:14-16)これはこの第3の最後の災いの最高潮となります。神はご自分のメシヤの治める御国を用いて,怒り狂う諸国民にこの災いを臨ませるのです。そののちに他の災いをもたらす必要はありません。
51 (イ)メシヤの治めるその御国はだれにとって喜びとなりますか。(ロ)神は事前に通知し,人々に警告すべきだったとして,諸国民が神を非難することはできません。なぜですか。
51 異邦人の時の終わった1914年,全能の神エホバは大いなる支配権を執り,このとき即位したメシヤを用いて王として永遠の統治を開始されました。このことでエホバ神に感謝をささげる,天と地のすべての者にとって,世の諸国民および,その見えない支配者また神である悪魔サタンに災いとなっている事柄は限りない喜びとなるでしょう。イエス・キリストは,「天にいます我らの父よ,願くは,御名の崇められんことを。御国の来らんことを」と祈るように教えました。これら感謝の心を持つ者たちがこの祈りをささげて願い求めているのは,その御国がそれら怒り狂い荒廃をもたらす諸国民に対し,ハルマゲドンにおいて,大いなる災いとなって現われることなのです。(マタイ 6:9,10)諸国民に対する通告は行なわれてきました。神は事前に通告を行ない,人々に警告すべきだったとして,神の公正を非難することはできません。神の7人の天使はこの「終わりの時」の現代,ラッパを吹き鳴らしてきました。それらラッパの音とともに発表され,紹介された幾つかのできごとは,およそ19世紀前の使徒ヨハネが幻の中で目撃した事柄の成就となって現実に生じてきました。これらの事柄はまもなく,神との平和を妨げる敵すべてに臨む「われらの神の刑罰の日」にその最高潮を迎えるでしょう。
52 (イ)『なんぢの怒りもまたいたれり』という預言が神に関して成就する予定の時とはいつですか。(ロ)したがって神はどのようにして地に平和をもたらし,どんな人々の心からの願いに答えられますか。
52 その日が始まるとき,諸国民は彼らの怒りをことごとく表わすでしょう。その時こそ多年忍耐してこられたエホバ神が諸国民を罰する絶好の時期となるでしょう。黙示録 11章18節に,「なんぢの怒もまたいたれり」とあるとおりです。神は永遠にご自分の怒りを押えておられるのではありません。神はこの世界を統治するご自分の権利に挑戦する諸国民に対し,ご予定の時に怒りを表わされるでしょう。1914年,異邦人の時が終わって以来,これら諸国民はこの地の無断居住者と化しました。その時以来,真正の王であられるエホバ神はそれら諸国民を放逐する正当な権利を持っておられます。そして今や神がこのことを行なわれる時が到来しようとしています。神が怒りをもってそのことを行なわれるとき,それは諸国民の滅びをもたらすものとなるでしょう。神との平和を妨げるこれらの敵をこうして滅ぼしたのちはじめて,神はこの地に平和をもたらされるのです。それは神と和解した人々が心から願い求めている永続する平和です。神のメシヤすなわちキリストを通して神と和解したこのような平和愛好者だけが,怒り狂う諸国民に臨む空前の災いの時を生き残るでしょう。
53 (イ)ゆえに神の治める平和な新しい事物の体制はだれとともに始まりますか。(ロ)平和の最大の妨害者はどのように処置されますか。その時,地上の全創造物は何をしますか。
53 平和のうちに神との和解を求めるこれらの人々に神の怒りは差し向けられません。買い戻された人々すべてのための,神の治める平和な新しい事物の体制は,神と和解したこれら地上の住民とともに出発するでしょう。平和の最大の妨害者である悪魔サタンとその悪霊は,完全に閉ざされた底なき穴に束縛され隔離されてその働きは押えられ,邪悪な「天」として人類の世界を支配することはもはやなくなります。地上の全創造物は,もはや滅ぼされたり汚染されたりする恐れなしに,平和と兄弟の愛とを喜び,賛美と感謝を神にささげるでしょう。
[1969年のエホバの証人の「地に平和」国際大会で,「神との平和を妨げる敵に対する最後の災い」と題する前記の内容の講演の終了後,下記の宣言が聴衆に提出され採択されました]
[138ページの図版]
神のみことばからの天的な真理の宣明は,「樹」のような牧師と「青草」のような信徒のまとうキリスト教の仮面を焼きつくし,「雹と火」のような影響を与えた
[140ページの図版]
燃える山にも似た,神を認めない共産主義の問題が,動揺する人類の海に投げ込まれ,致命的な影響をもたらした。
[145ページの図版]
さそりのような針を持ち,馬のかたちをした象徴的ないなごは,神のさばきの音信を携えた霊的なイスラエルの残れる者を表わし,その音信は偽りのクリスチャンすべてを苦しめる
[147ページの図版]
ししの顔を持ち,口から火を吐き出す2億の象徴的な「馬」は,御国の広報の利器,すなわち神のさばきの音信を宣明するために用いられている聖書文書を表わす