神の勝利 ― 苦悩する人類にそれが意味するもの
1 「神の勝利」ということばは何を意味していますか。
神の勝利! わたしたちはこのことばによって,神格者の勝利を意味しています。しかし,古代ギリシャ神話に出てくる,翼のついた勝利の女神ニケについて述べているのではありません。この女神の名は,アメリカ軍の地対空ミサイル,ナイキ・ハーキュレスの名に取られています。わたしたちが述べているのは,天と地の創造者,地上の全人類の創造者なる神の勝利です。この神の勝利は,非常な苦悩をかかえた今日の人類に良いものを意味しうる勝利です。
2 「勝利」ということばはどんなことと多分に結びついてきましたか。
2 人間の全歴史を通じて,「勝利」ということばには,多分に戦争が,あるいは,少なくとも競争,論戦,克服すべき好ましくない状態などが結びついてきました。確かに,地上のあらゆる国民の今日の苦悩と苦もんは好ましくない状態であり,人類の永遠の益のために克服すべきものです。
3 「神の勝利」ということに結びついた意味を考え,わたしたちは神に関してどんなことを尋ねますか。わたしたちは何をしなければなりませんか。
3 では,「神の勝利」と言う場合,これは,万物の創造者なる神が,何かの戦争に,競争に,あるいは論戦に関係しようとしておられる,という意味ですか。そうした戦いは,もし神が意図されるものであれば,わたしたち人類と何か関係がありますか。それは全人類に,そして苦悩の時代にあるわたしたちに,良い結果をもたらすものですか。こうした質問に対する答えが『はい』であるなら,当然わたしたちは,その戦争に関心を持つべきです。そうです,神の勝利を真に願うのであれば,この戦争において自分がどちらの側に立つべきなのかを知らなければなりません。
4 今日の世界的な苦悩と苦もんのゆえに,「神の勝利」について正しい意味を知る必要のあることを述べなさい。
4 「神」ととなえられるものに対する見方は人によってさまざまです。反宗教的な共産主義者には,神に対する彼らの見方があります。キリスト教を奉じるとされるキリスト教世界には神に関するそれ自身の見方があります。回教世界には,その奉じるアラーに対する回教世界の見方があり,ユダヤ教徒には彼らなりの特有な見方があります。非キリスト教世界の他の部分にもさまざまな宗教があり,神に対してそれぞれの見方をいだいています。したがって,「神の勝利」が人類の将来に何を意味するかについては,個々の宗教グループまた非宗教グループがそれぞれ独自の概念を持つことでしょう。それゆえ,「神の勝利」が何を意味するかについてそれらの見解が一致することはないでしょう。それで,実際に近づいている真の意味での神の勝利が,彼らすべての予期するものと異なっているとしても不思議ではありません。今日の世界的な苦悩と苦もんのゆえに,この問題に対する正しい理解が求められることは明白です。
5 わたしたちはこの戦争に関する情報をどんな権威に求めねばなりませんか。権威となるその書物はどんな主題でその記録を締めくくっていますか。
5 明らかにわたしたちは,神の勝利をもって終わるこの戦争に関して,信頼できる権威に情報を求めねばなりません。その権威とは,千数百の重要な言語に訳され,全世界に幾十億冊も配布されている一冊の本,つまり聖書です。天地の唯一の創造者なる神が決定的な勝利を得てご自身の立場を立証されるこの宇宙的な戦争について述べているのは,世界でただこの本だけです。したがってわたしたちは,この重要な問題に関する権威ある情報を,聖書の神聖なことばに求めなければなりません。わたしたちが聖書と言うのは,ヘブライ人もしくはユダヤ人が限定しているただ「二十四冊の聖典」のことではなく,それらヘブライ語聖典のみならず,霊感を受けたクリスチャン聖典をも含む聖書全体のことです。その聖書全巻の最後の本はクリスチャン使徒ヨハネによって1,900年前に記され,「啓示」(黙示録)と呼ばれています。適切にもこの本は,霊感による神の聖書を,神の勝利という主題で締めくくっています。
6 キリスト教世界がそのような神の勝利から益を受ける立場にあるかどうかについてどんな入り交じった感情がありますか。
6 なるほど,キリスト教世界に属する各地の聖書協会は聖書を世界じゅうに頒布する点で多くのことをしてきましたし,キリスト教世界そのものも,聖書に従っていると唱えています。それでは,キリスト教世界が,やがて来る神の勝利によって益を受ける立場にあるのですか。聖書に予告されたきたるべき戦争は,キリスト教世界のために,その存続のために行なわれるのですか。キリスト教世界の宗教的な人びとはそのように考えたいことでしょう。一方,無神論的な共産主義者および非キリスト教世界は,そのような考えを好みません。そして,それを好まないことにはもっともな理由があります。
7 キリスト教世界と共産主義諸国とは人口の点でどのように比較できますか。なぜキリスト教世界は戦争において勝利を得られると考えていますか。
7 宗教的な観点から見れば,事態は,表面的にはキリスト教世界に有利に見えるでしょう。キリスト教世界の教会人や牧師たちは,キリスト教世界と聖書の神との間に論戦があるとは考えていません。一方,急進的な共産主義者について見れば,彼らは神と,すなわち,単に聖書の神のみならず,いかなる宗教の神とも公然と戦っています。ヨーロッパの共産主義諸国はかつてはキリスト教国をもって自任していましたが,今ではキリスト教世界との関係を否認し,もはやその一部ではないと考えています。とはいえ,それら諸国は,自国内で活動を許している宗教組織を,政治目的のため,また戦争協力を得るために,喜んで利用しています。数の点で見るかぎり,ヨーロッパ,アジア,アフリカの,反神的共産主義勢力は,宗教的なキリスト教世界の勢力を上回っているように見えます。最近の推計によると,キリスト教世界は,985,363,400人の教会員を擁しています。しかし,神が自分たちの側にいると信ずるキリスト教世界は,すべての反神勢力に対する戦いに勝利を得られるものと考えています。
8 キリスト教世界の国々は戦争時における責任をどのように神に負わせましたか。勝利を決したものはなんでしたか。
8 宗教国家が自分たちの神もしくは神々を国家の戦争と結び付けるのは珍しいことではありません。そのことは最古の昔から,すなわち,西暦四世紀にキリスト教国が設立されるずっと以前から行なわれてきました。古代のエジプト人,アッシリア人,バビロニア人,メディア人やペルシャ人,ギリシャ人,ローマ人などはそれぞれ自分たちの神を奉じ,他国の征服を目ざす戦争のさいには,そうした神に自国の勝利を呼び求めました。歴史に通じた人であれば,共産主義者でもそのことは知っています。ところが奇妙なことに,キリスト教世界の場合には,そこに属する国どうしが戦い,しかも,戦争し合うそれらの国が同じ神に祈ってきました。カトリック教徒がカトリック教徒と戦い,またカトリック教徒が新教徒と戦い,新教徒が新教徒と戦いました。こうして彼らは,キリスト教世界内のどちらの側に勝利を与え,どちらの国の祈りを聞き入れるかの決定を,神の責任としました。キリスト教世界で始まった第一次世界大戦の場合がそうであり,同じくキリスト教世界内で始まった第二次世界大戦の場合もそうでした。そうした事情のもとでのキリスト教世界の戦争において,どちらの側が勝つかを決めたのは神の決定でしたか,それとも軍備や戦闘技術の優劣でしたか。
9 たとえ神がキリスト教世界に勝利を与えたとしても,苦悩する人類にとってそれが永続的な安らぎとならないのはなぜですか。
9 しかしながら,宗教的なキリスト教世界と,神を認めない国際共産主義との間の核戦争となれば,神のみ手の介入が求められ,反宗教勢力を押えて宗教勢力に有利に導くため,神の登場が必要になるのでしょうか。わたしたちがよく知るとおり,資本主義の民主主義陣営と無神論の共産主義陣営との間の“究極戦争”の準備がこれまで何十年ものあいだ進められてきました。唯一の生けるまことの神はキリスト教世界の加勢にまわるものと考えてよいのですか。仮にキリスト教世界が勝利を得るとすれば,それは同世界をさらに存続させることになるでしょう。しかし,同世界の今日までの歴史から判断する場合,キリスト教世界は保護して存続させるに価しますか。キリスト教世界の牧師みずから率直に認める点ですが,国際共産主義が世界的な勢力となるまでに進出したことの背後には,キリスト教世界の偽善,また同世界が真のキリスト教を実践しなかったことがあります。したがって,キリスト教世界を保護して存続させても,やがて再び,神を認めない共産主義の台頭を招き,両者の対決をもう一度繰り返す事態にならないとだれが言えるでしょうか。それゆえ,キリスト教世界が勝利を得ても,苦悩する人類に安らぎを保証することにはなりません。
記された神のことばはどう述べているか
10 神がいずれかの側に組しておられるか,あるいはいずれの側にも組しておられないかをどうすれば知ることができますか。その答えはなんですか。
10 したがって,今わたしたちに起きる疑問は,宗教的なキリスト教世界と反宗教的な共産主義との間のこうした軍事対決がある場合,神はそのいずれかの側に立たれるのだろうか,という点です。両陣営の間に多年続いてきた“冷たい戦争”においてさえ,神はそのいずれかの側に組してこられたのですか。わたしたちが公正な見方をして,満足のゆく正しい答えを得る唯一の方法は,神ご自身に語っていただくことです。神はそれを,ご自分の預言と霊感のことば,つまり聖書の中で行なっておられます。神の答えは簡明であり,誤解の余地を残しません。神はどちらの陣営をも支持されません。どちらも神に敵対しているのです。
11,12 神のどんな定めに基づいて,キリスト教世界を神の敵の中に入れることは間違いでないと言えますか。
11 神がご自分の敵のために戦わないというのはもっともなことです。しかし,キリスト教世界は神の敵なのですか。そこには幾十万もの教会があるのではありませんか。その世界は千に余る教派から成っているのではありませんか。そこには幾十万人もの牧師がおり,それぞれの教会で仕え,イエス・キリストの名によって神に厳粛な祈りをささげているではありませんか。それゆえ,キリスト教世界を神の敵の中に入れるのは何かの間違いではありませんか。いいえ,このことにはなんの間違いもありません。神は,あからさまにご自分の敵となる者だけでなく,その敵の友となる者をも非とされるのです。古代エルサレムのある王が邪悪な王の戦いに加勢して戻ってきた時,神はその者にこう言われました。『なんぢ悪しき者を助けエホバを憎む者を愛してよからんや これがためにエホバの前より怒りなんぢの上に臨む』。(歴代志下 19:1,2)ずっと後代に至って,この同じ神は,キリストの弟子ヤコブを通してこう言われました。
12 「あなたがたは世との交友が神との敵対であることを知らないのですか。したがって,だれでも世の友になろうとする者は,自分を神の敵としているのです」― ヤコブ 4:4。
13 共産主義に対して“冷たい戦争”をしていても,それはキリスト教世界が世の友であることを否定するものではありません。なぜですか。
13 キリスト教世界がこの世の緊密な友であることをだれが否定できるでしょうか。キリスト教世界の国々と共産主義陣営との間に“冷たい戦争”つまり敵意が存在するとしても,それは,キリスト教世界がこの世全体の親密な友であることを否定するものではありません。キリスト教世界の国々と共産主義陣営との間に横たわる難しい問題は宗教上の論争によるものではありません。それは政治上の論争によるものです。二つの大きく異なった政治イデオロギーが関係しています。キリスト教世界の主要な国々は,第二次世界大戦中に,共産主義ソ連をその同盟国としました。そして今,132の加盟国を持つ国際連合機構において,キリスト教世界のほとんどすべての国が,共産主義ソ連,共産主義中国,および他の共産主義国と肩を並べた成員国となっています。事実,国際連合の成員国の少なくとも半数はいわゆるキリスト教の国ではありません。キリスト教世界の国々はこの世の諸政府と外交関係を維持しています。また,条約を結んで常時通商を行なっています。文化面での交流も盛んです。世界最大の宗教組織の首長が統轄するバチカン市は,世界のできるだけ多くの国と外交使節の交換を行なっています。
14 (イ)ヤコブは,キリスト教世界がこれまでの歩みによって世の友となってきたことを否定するでしょうか。(ロ)神はどのような態度を取っておられますか。キリスト教世界が最終的な攻撃を受ける時,神に何を期待することはできませんか。
14 キリスト教世界の国々は,キリスト教世界外の国々と友好的な関係を維持することに努めています。また,この世の政治に深く関係しています。そして,国家が世の国々をまねて紛争解決のために破壊的な兵器を取るとき,キリスト教世界の諸教会はそれぞれ自国の政府をあと押しし,その牧師たちは神を呼び求める祈りをささげて神を国家間の闘争に関係させようとしています。キリストの弟子ヤコブは,こうしたことのすべてを,キリスト教世界が持つ「世との交友」の表われと呼ばないでしょうか。また,キリスト教世界はこうして世の友となっているがゆえに「自分を神の敵としている」と言わないでしょうか。そうです,それ以外の正しい答えはありません。そのきわめて宗教的な態度にもかかわらず,キリスト教世界は大いに責められるべき神の敵として断罪されています。キリスト教世界は,神を認めない共産主義やこの世の他の構成要素とともに,神に敵対しているのです。それゆえに神はキリスト教世界に敵対しておられます。神は同世界を支持しておられるのではありません。世の急進的な勢力が結束して宗教に対する世界的な攻撃をしかけるのは,それ自体がハルマゲドンの戦争に入る前のことですが,そのとき神がキリスト教世界のために立ち上がることは期待できません。(啓示 17:1-16)苦悩する人類に,キリスト教世界が安どをもたらすことは期待できません。
15 抗争する人びとが前途に見ているものが宗教的な戦争であるかどうかについてなんと言わねばなりませんか。だれの苦しみが続いていますか。
15 キリスト教世界は,きたるべき最終的な戦争における神の勝利にあずかることは期待できません。同世界の国々は唯物主義の共産主義陣営との戦争に備えてはいても,それは実際のところ,キリスト教を存続させることを目ざしているのではありません。政治上の主権を維持し,その統治形態を存続させようとしているのです。抗争する人びとが前途に見ているものは宗教的な戦争ではありません。論争の主点は,だれが地を所有するか,だれが地を支配するか,という点です。そして,政治的に分裂した諸国家の,この点をめぐる激しい論争の結果として,人類は絶え間ない苦悩と苦もんを続けています。
16 今や一度かぎり永久に解決されなければならない主要な論争はなんですか。それによって,関連のあるどんな祈りに答えが与えられますか。
16 人類史上の他のいかなる時期にもまして,だれが地を支配するかという,統治に関するこの論争が一度かぎり永久に解決されねばならない時が今や来ています。その論争を正しく解決して永続的な平和をもたらすことができるのは,地球そのものの創造者でありまた所有者であられる神おひとりです。全人類の住まいであるこの地球をだれが支配すべきかを決定する面で,神以上の権限を持つ者がどこにいるでしょうか。神は,書き記された不変のみことば聖書の中で,定めの時にご自身の意向を明確に表明することを宣言しておられます。その定めの時は今や近いのです! 幾世代にもわたってささげられてきた祈りに神が答えを与える時が今や到来しました。それは,1900年前に天から来られた神ご自身のみ子が教えた祈りです。つまり,イエス・キリストがご自分の真の弟子たちに教えた祈りです。その忠実な追随者たちは,「天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においても成されますように」というその祈りを,今日に至るまで従順にささげてきました。―マタイ 6:9,10。
神の支配を求める祈りに答える
17 (イ)この祈りは何を求めるものですか。キリスト教世界はその祈りに対する答えとなってきましたか。(ロ)それゆえ,何は除き去られねばなりませんか。そして,だれの祈りに対する答えとして,何が到来しなければなりませんか。
17 これは,神の支配,神の政府,そうです,神の勝利を求める祈りです。キリスト教世界の幾十億の人びとは,この祈りの意味を理解せずに,家庭や教会で幾世紀もの間それをささげてきましたが,キリスト教世界の国々が行なった数々の血なまぐさい戦争は,その王国をもたらしていません。彼らが行なっている方法は,神がご自分の政府を実現させる方法ではありません。キリスト教世界は神の王国とはなりませんでした。キリスト教世界という名はそれを暗示しても,実際には,キリストの王国にはなりませんでした。キリスト教世界は,全人類のためのキリストの王国が持つ栄光と美と祝福に関する聖書の預言を成就するものとはなりませんでした。キリスト教世界は,キリストの王国を誤り伝えるものにすぎません。神はキリスト教世界を,み子イエス・キリストの真の王国として是認したり受け入れたりすることはできません。キリスト教世界は除き去られねばなりません! キリストによる真の意味での神の王国が到来しなければなりません! 神の愛するみ子が教えた祈りが答えを得ずに終わることはありません。キリストの真の,そして偽善のない弟子たちは,その祈りをいたずらに唱えてきたのではありません。
18 (イ)その祈りに対する答えはだれに対する勝利となりますか。(ロ)牧師は,異邦人の時に関し,政治家への務めをどのように怠ってきましたか。
18 イエス・キリストの真の追随者と異なり,キリスト教世界および世の残りの部分の大多数の人びとは神の王国を望んでいません。それゆえに,神の王国が設立されて全地に対する完全な支配を行なうことはほんとうに神の勝利となります。だれに対する勝利ですか。地に対する神の所有権を無視し,人間製の政治機関のもとでの国家的な主権を存続させようとして戦う宗教また政治上のすべての勢力に対してです。人間の政治機関による地の支配の存続を主張するこれらの勢力は,異邦人の時がすでに終わったことを認めません。神は,世の諸国家が神の王国の干渉を受けずに全地を支配する異邦人の時を定めましたが,その時は1914年の秋にすでに満了しました。(ルカ 21:24,文)キリスト教世界の牧師は,諸国家の政治支配者にこの事実を一度といえ指摘したことがありません。彼らは,異邦人の時の終わりにこの事実を一度といえ指摘したことがありません。彼らは,異邦人の時の終わりに,紀元前607年のその期間の始まりに起きたとは逆のことが起きるということを,一度といえ指摘していません。
19 異邦人の時が始まったさい,神は地上から何を取り去りましたか。どのように?
19 異邦人の時は紀元前607年の秋に始まりましたが,それは,神が模型的な神の王国を地上から取り去り,異邦人の諸強国,つまり非ユダヤ人の諸強国が全地の諸国を支配することを許された時です。神は,異教バビロンの軍隊を用いて模型的なメシアたるエルサレムの王を退位させ,聖都とその神殿を破壊させ,エルサレムとユダの地を70年のあいだ荒廃させることによってそれを行なわれました。
20 (イ)その逆のこととして,神は異邦人の時の終わりに何を行なわれましたか。(ロ)神のその行動が地上の政治支配者たちに見えなかったのはなぜですか。
20 その逆のこととして,1914年の異邦人の時の終わりに,神はご自分の王国を再興されました。しかしこのたびは,模型的なメシアを王とする模型的な形でではなく,ほんとうの,つまり対型的な形でです。神がその年に再確立されたものが,中東のエルサレムにおけるダビデ王家の王国でないのはそのためです。神はその王国を,地上で人間として生活していた時には古代のダビデ王の血筋上の子孫であったイエス・キリストの掌中に設立されました。また,イエス・キリストはもはや地上の人間ではなく,その殉教の死ののち天の霊的な生命への復活を受けているので,神はこのダビデ王の子孫の王国を天に,つまり「天のエルサレム」と呼ばれるところに設立されました。(マタイ 1:1。ペテロ第一 3:18。ヘブライ 12:22)メシアを王とするその王国の,1914年におけるその誕生が,キリスト教世界および異教世界の政治支配者たちに見えなかったのはそのためです。しかし,その誕生は所定の時に起きなければなりませんでした。そして,それが誕生したことは,それによって天と地に及んだ影響から知ることができました。
21-23 (イ)天におけるその「戦争」が不信仰な態度でただ笑って過ごすべきものでないのはなぜですか。(ロ)ヨハネは啓示第12章の中でこのことの原因をどのように描写していますか。
21 わたしたちは,そのメシアによる王国が無事に誕生した結果として,つまり,女から生まれる子どものようにして神の天的な組織から生み出された結果として,天に戦争が起きたことを悟りますか。これは不信仰な態度でただ笑って過ごすべきことではありません。どんな戦争も他に影響を与えるものであり,天のこの見えない戦争は地上に住むわたしたちに影響を与えてきたからです。その戦争の影響は笑ってすませるものではありません。わたしたちはそれを痛切に感じているからです。これはこの問題の現実性を示すものです。その天的な見えない原因は,クリスチャンの使徒ヨハネに対して預言的に描き出されました。『新世界訳聖書』によると,ヨハネはこう描写しています。
22 「彼女[つまり,神の天的な組織]は子を産んだ。男子であり,あらゆる国民を鉄の杖で牧する者である。そして彼女の子どもは神のもとに,そのみ座のもとに連れ去られた。……また,天で戦争が起こった。ミカエルとその使いたちが龍と戦った。龍とその使いたちも戦ったが,優勢になれず,彼らのための場所ももはや天に見いだされなかった。
23 「こうして,大いなる龍,すなわち,初めからのへびで,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者は投げ落とされた。彼は地に投げ落とされ,その使いたちもともに投げ落とされた。そして,わたし[ヨハネ]は大きな声が天でこう言うのを聞いた。『今や,救い[勝利,新英訳聖書; エルサレム聖書]と力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した! わたしたちの兄弟を訴える者,日夜彼らをわたしたちの神の前で訴える者は投げ落とされたからである。そして彼らは,子羊の血のゆえに,また自分たちの証しのことばのゆえに彼を征服し,死に面してさえ自分の魂を愛さなかった。このゆえに,天と天に住む者よ,喜べ! 地と海には災いが来る。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りをいだいてあなたがたのところに下ったからである」― 啓示 12:5-12。
24 (イ)その『天での戦争』はどれほど続きましたか。(ロ)その戦争の結末が陸や海にいるわたしたちにとって災いとなるのはなぜでしたか。
24 聖なるみ使いたちと悪魔に従う悪霊たちとの間に起きたこの『天での戦争』がどれほどの期間続いたかについては記録の中に述べられていません。しかし,1918年11月11日に終わった第一次世界大戦より長く続いたとは考えられません。いずれにしても,さらに身近な問題は,天でその戦争が起きたことに気づいていなかった地上のわたしたちにそれがどのような影響を与えたかという点です。聖なる天は神の勝利を喜ぶようにと呼びかけられましたが,この地上にいるわたしたちについてはどうですか。天の大きな叫び声は,「地と海には災いが来る」と述べています。陸にいるにせよ海にいるにせよ,なぜわたしたちには「災い」となるのですか。「悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りをいだいてあなたがたのところに下ったから」です。―啓示 12:12。
25,26 (イ)サタンとその使いである悪霊たちの存在を嘲笑する人びとに対し,第一次世界大戦終結以来の情勢に関してどんな質問が提出されますか。(ロ)最後に,原因と結果に関してわたしたちは何を尋ねますか。
25 聖書を嘲笑する人びとは,悪魔サタンとその使いである悪霊たちがこの地球の近くに投げ落とされているという考えを笑いぐさとするかもしれません。しかし,そうした人びとは,地と海が今日経験している「災い」を笑うことができますか。そして,現に笑っていますか。いいえ,そうではありません。それらの嘲笑者たちは悪魔サタンを肉眼で見ることができなくても,サタンおよびその使いとして働く無数の悪霊たちがまわりに,わたしたちの近くにいることを知る理由は得ているはずです。もしそれを信じないと言うのであれば,第一次世界大戦後まもなく組織された国際連盟が世界平和と安全のための国際機構となりえなかった理由を説明してください。戦争に狂奔する政治独裁者がヨーロッパに出現することを,それが阻めなかったのはなぜですか。1939年の第二次世界大戦のぼっ発をそれが阻止できなかったのはなぜですか。それは,広島と長崎の住民に災いをもたらした二つの原子爆弾の爆発を頂点とする戦争となりました。
26 また,国際連合機構が,1945年の第二次世界大戦終結時に創設されて以来,その後のすべての戦争,革命,領土の侵略,その他今日に至るまでのいろいろな政治混乱を阻止できなかったのはなぜですか。世界の強国によって核戦争のための恐るべき軍備増強がなされているのはなぜですか。通貨危機が起きているのはなぜですか。労働者と資本家の間に不断の紛争があり,政府および政府関係従業員の間にさえ紛争が絶えないのはなぜですか。熱狂的な国家主義,人種抗争や偏見,犯罪の増加,道徳の崩壊,性病の疫病的な広がりなどのすべてはなぜですか。人類の住みかである地球が汚染によって破滅してゆくのはなぜですか。人口が増えてゆく一方で食糧不足が増大してゆくのはなぜですか。イエス・キリストがわたしたちの時代について次のように預言されたのはなぜですか。「地上では,海のとどろきとその動揺のゆえに逃げ道を知らない諸国民の苦もんがあるでしょう。同時に人びとは,人の住む地に臨もうとする事がらへの恐れと予想から気を失います。天の諸勢力が揺り動かされるからです」。(ルカ 21:25,26)どのような結果にも,それを導いた原因があります。こうした苦悩に満ちる結果をきたしていることの真の原因はなんですか。
人類の苦悩の原因が除かれる時は近い
27 聖書によれば,人類の苦悩が増大しているおもな原因はなんですか。
27 利己的で愛のない人間たちがとがめを免れないことは確かです。しかし,人類の苦悩が増大していることの主要な理由は,悪魔サタンとその使いである悪霊たちが聖なる天からこの地球の近隣に投げ落とされ,それら放逐された悪霊たちがたけり狂っていることにあります。彼らがたけり狂っているのは,『天での戦争』が神の勝利という結果になったからです。彼らがたけり狂っているのは,神の真実のメシアによる神の王国が,異邦人の時の終わった1914年に天で誕生し,彼らがそれを阻みえなかったからです。彼らがたけり狂っているのは,その活動をこの地球に限定されている時が短く,そののちにはこの地球からさえ放逐されて底知れぬ深みに監禁されるからです。そこにおいて彼らは,全人類に対して邪悪な影響力を働かせることはもはやできません。―啓示 20:1-3,7。
28,29 (イ)悪魔サタンが目ざしているものは,すでに死んだ独裁者ヒトラーが目ざしていたものとどのように似ていますか。(ロ)サタンの意図は人間の生命を存続させることではありませんが,それを示すためになぜ啓示 12章13-17節が引用されていますか。
28 すでに死んだナチスの独裁者アドルフ・ヒトラーの場合,その政治上の目標は,『支配せよ,さもなければ破滅させよ!』ということでした。彼はこの考えを,それ以前の独裁者たちと同じところ,すなわち悪魔サタンから得ました。異邦人の時の間そしてそれ以前にも全人類を支配してきたサタンは,まもなくそうすることができなくなるのを知って,全人類を破滅させることを決意しています。そうすればメシアによる神の王国が支配できる人間はひとりも地上に残らない,というのがその考えです。核戦争による人類の自殺,また汚染による人類の自滅ということは,悪魔サタンの意図を思いとどまらせるものとはなりません。人類に対するサタンの意図は殺人的なものであり,そのことはヨハネへの啓示のその後の部分に次のように示されています。
29 「さて,自分が地に投げ落とされたのを見た時,龍は,男の子を産んだ女を迫害した。……それで龍は女に向かって憤り,彼女の胤のうちの残っている者たち,すなわち,神のおきてを守り,イエスについての証しの業を持つ者たちと戦うために出て行った」― 啓示 12:13-17。
ハルマゲドンでの戦争
30,31 (イ)象徴的な龍サタンはだれに対する戦争を宣言していますか。そして,いつまで?(ロ)サタンは,それと知らない地の支配者たちを何に導いていますか。彼のこの働きかけは啓示 16章13-16節の中でどのように描かれていますか。
30 龍によって象徴されるサタンは,神の組織(「女」によって象徴されている)に対する最後までの戦争を宣言しています。キリスト教世界および異教世界の政治支配者はそれと気づいていなくても,「大いなる龍」サタンは彼らを最終的な戦争における滅びへと導いています。それは,核兵器や生化学的な手段を用いた彼らどうしの戦争ではなく,「女」に例えられる神の組織から誕生した,メシアによる天の王国の父たる神に対する戦争です。このことは,反神的な共産主義陣営の国々だけでなく宗教的なキリスト教世界の国々についても真実です。苦悩する人類世界の支配者たちは今日,龍によって象徴されるサタンの戦争宣伝に従っています。こうして政治支配者たちを惑わすことは,啓示 16章13-16節にある,その働きかけに関する描写の中で次のように預言的に描き出されています。
31 「そしてわたしは,かえるのように見える三つの汚れた霊感の表現が,龍の口から,野獣の口から,偽預言者の口から出るのを見た。それらは実は悪霊の霊感による表現であってしるしを行ない,また人の住む全地の王たちのもとに出て行く。全能者なる神の大いなる日の戦争に彼らを集めるためである。……そして,それは王たちを,ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所に集めた」。
32 (イ)その霊感の表現は実際には何から出ていますか。その主要な出所はなんですか。(ロ)霊感の表現はどんな目的で地の王たちを集めますか。彼らはハルマゲドンでどんな戦陣を組みますか。
32 それら汚れた霊感の表現は,見えない龍なるサタンの口から,そして,サタンの見える地上の手先,すなわち,サタンの用いる野獣にも似た全世界的政治機構と,人間政治の全分野にわたって偽の預言をする政治上の世界強国の口から出ます。この政治上の預言者は偽預言者ですから,神の代弁者また宣伝者ではありません。こうしてこれら三つの霊感の表現がどこから出ているかを考えると,それらは確かにかえるのように汚れたものであり,それらが地の王たちやその軍勢をハルマゲドンに集めるのは汚れた目的のためです。その汚れた目的が推進されることは苦悩する人類にとって「災い」となるにすぎません。かえるのような霊感の表現のうちその主要な部分は,天から放逐されてたけり狂う象徴的な龍,つまりサタンから出ているからです。サタンが地に落とされることは,『地と海に災い』となることが預言されていました。(啓示 12:12)「人の住む全地の王たち」は汚れた霊感の表現に駆り立てられて一つ所に集められますが,それは国家間の戦争において互いに戦い合うためではなく,ハルマゲドンの戦場において一方の側に結集するためです。
33 (イ)ハルマゲドンの戦場の他方の側にはだれがいますか。(ロ)近づいて来る戦争が何をめぐって戦われるものかをどのように判断できますか。
33 では,その戦場の他方の側にはだれがいますか。明確に述べられている点ですが,放逐されて卑しめられた「龍」が怒りと憤りを表わすのは,メシアによる天の王国を産んだ女に例えられる神の組織に対してです。啓示 12章17節にはこう記されています。「龍は女に向かって憤り,彼女の胤のうちの残っている者たち,すなわち,神のおきてを守り,イエスについての証しの業を持つ者たちと戦うために出て行った」。メシアによる王国が,異邦人の時の終わった1914年に天で誕生して以来,このイエスはメシアなる王として支配しておられます。したがって,これら証し人たちが証言をささげているのは,生まれたばかりの赤子としてのイエスではなく,支配しているメシアなる王イエスに対してです。これはどういう意味ですか。今支配している神の王イエス・キリストと,王国を産み出した女のような天の組織とがハルマゲドンの戦場の他方の側におり,まだ支配している「人の住む全地の王たち」と向き合っているという意味です。きたらんとする戦争が,地に対する王国の支配権をめぐるものであることは明らかです!
34 (イ)王国をめぐる戦争がいつ起きるかをどのように判断できますか。(ロ)地の王たちが神を支持しているかいないかはどのように示されていますか。
34 王国をめぐる戦争がいつ行なわれるかを示すものとして,「人の住む全地の王たち」が「全能者なる神の大いなる日の戦争」のために集められることが述べられています。キリスト教世界の牧師たちがそれら集められた王たちのためにどれだけ祈りをささげようとも,全能の神はそれらの政治支配者たちとともにはおられません。それらの「王たち」は神を支持しているのではなく,悪魔を支持しているのです。彼らは反キリストです。彼らは新たに誕生したキリストの王国に敵対しているからです。全能の神はハルマゲドンにおけるこの戦争に関係しないでいることはできません。神は,新たに誕生した,キリストの王国の父だからです。神は,ご自分のメシアによる王国が異邦人の時の終わった1914年以降ずっと支配権を執り,この天の王国が全地とそのすべての住民とを支配することを決意しておられます。「人の住む全地の王たち」は,こうして設立されたメシアによる王国の存在を承認しようとしません。彼らは,自分の王冠を脱ぎ,自分の地的な王座から降りて,自分の王国の支配権を神のメシアによる王国に明け渡すということを拒んでいます。
35 自分がハルマゲドンのどちらの側に立っているかを調べることはなぜ今急を要する問題ですか。どんな場合に,わたしたちは自分の立つ側を変えることを願うでしょうか。
35 今きわめて重要な質問は,わたしたちひとりひとりがハルマゲドンの戦場においてだれの側に立つかという点です。わたしたちがこの質問に対する自分の態度を決定するための時間は今や尽きようとしています。異邦人の時が1914年に終わって以来すでに60年近く経過しており,「全能者なる神の大いなる日の戦争」がいつまでも限りなく延期されることはありません。その戦争はいつの時か必ず始まります。このハルマゲドンでの戦争の時を定めるのは全能の神ご自身です。神が厳密にどの時を定めておられるかはわからないとしても,それが近いことを知る根拠はことごとくそろっているのですから,決定にのんびり時間をかけてよいのだと考えてはなりません。自分が今,「人の住む全地の王たち」の側に,つまり全能の神に敵対する側にいないかどうかをどうしたらわかるでしょうか。自分の場合を調べ,自分がどこにいるかを知ることは全く急を要する問題です。もし自分が全能の神およびメシアによるその王国の側にいないことを知るなら,わたしたちは自分の立つ側を変えることを誠実に願うでしょう。そうでなければ,そのままの状態にとどまってその報いを身に受けることになります。
戦争に関する予告はわたしたちの導きのため
36 (イ)ハルマゲドンにおける地上勢力の整列に注目した今,わたしたちはほかのどんな点を知りたいと思いますか。(ロ)ヨハネへの啓示は,地上の勢力がだれに敵対して整列していることを明確に示していますか。
36 こうして聖書巻末の本は,戦争に狂奔する「人の住む全地の王たち」がハルマゲドンに整列する模様を預言的な幻の形で伝えていますが,今や差し迫ったその「戦争」の成り行きについて沈黙しているのではありません。ヨハネへの啓示はその戦争がどのような結果になるかを描写しています。そして,その口からかえるのような汚れた霊感の表現を吐き出す象徴的な「野獣」と「偽預言者」に何が起きるかを述べています。また,「人の住む全地の王たち」とその軍勢,およびそれを支援し支持する者たちに何が臨むかをも明らかにしています。そうです,ヨハネへの啓示は,これらの王たち,その軍勢,「野獣」,「偽預言者」が,ハルマゲドンと呼ばれる世界情勢においてだれと戦うために今整列しているかを明確に告げています。彼らは,今や王冠をいただいて支配する王イエス・キリストおよびその天の軍勢と戦うために整列しているのです。
37 啓示 19章11-16節はハルマゲドンにおける天軍の整列をどのように描いていますか。
37 クリスチャン使徒ヨハネは霊感のもとにこう告げています。「わたしは天が開かれているのを見た。すると,見よ,白い馬がいた。そして,それに乗っている者は忠実かつ真実と称えられ,その者は義をもって裁きまた戦う。……その称えられる名は神のことばである。また,天にある軍勢が白い馬に乗って彼のあとに従っていたが,彼らは白くて清い上等の亜麻布をまとっていた。……(彼は)全能者なる神の憤りの怒りの酒ぶねも踏む。そして,彼の外衣に,実にそのもものところに,王の王また主の主と書かれた名がある」― 啓示 19:11-16。
38,39 (イ)わたしたちがこの戦争に関していずれかの側に立たなければならないのはなぜですか。(ロ)支配者たちの中にキリスト教世界の支配者のいることが何かの相違をきたすかどうかはどのように示されていますか。いずれかの側に加わることによって何が明白になりますか。
38 では,わたしたちはだれの側に立つことを決意していますか。この,王の王たる者の側ですか,それとも,「人の住む全地の王たち」の側ですか。ハルマゲドンと呼ばれる世界情勢において中立的な立場はありえません! これは全地の所有権また支配権をめぐる戦いであり,今や近づいたこの戦争によってそれが一度かぎり決着を見るのです。
39 「王たち」もしくは政治支配者たちの中に,宗教的なキリスト教世界の国々の支配者がいても,それはこの点で相違をきたすものではありません。そうした「王たち」も,地上の自分たちの占める部分に対する自分たちの主権を保とうと決意し,王の王なるイエス・キリストの天からの統治に全地をゆだねようとはしていません。ヨハネへの啓示は,キリスト教世界の王や大統領と非キリスト教世界のそうした支配者たちとの間に区別を設けていません。使徒ヨハネは地のすべての王たちをまとめてこう述べています。「そしてわたしは,野獣と地の王たちとその軍勢が,馬に乗っているかたとその軍勢に対して戦いをするために集まっているのを見た」。(啓示 19:19)キリスト教世界の王たちならびに異教世界の王たちは,この政治的な「野獣」および政治的な「偽預言者」の口から出る霊感の表現の導きに従ってきました。したがって,それら「地の王たち」の「軍勢」や支持者たちに加わるなら,自分がだれに敵対する側に整列しているかは明白になります。それら「王たち」の側につくことを選ぶのであれば,わたしたちは,ハルマゲドンにおけるその「戦争」の結末について考えるべきでしょう。
40 戦争の結末についてだれのことばを聴くかに関し,わたしたちはどんな決定をしなければなりませんか。使徒ヨハネはその点についてなんと書いていますか。
40 この宇宙的な戦争の結末について,わたしたちは,政治上の「偽預言者」の語ることに耳を傾けますか,それとも霊感を受けた使徒ヨハネのことばを聴きますか。今日のわたしたちに対するあらかじめの警告として,ヨハネは次のように書きました。「そして,野獣は捕えられ,それとともに,野獣の前でしるしを行ない,それによって,野獣の印を受けた者とその像に崇拝をささげる者とを惑わした偽預言者も捕えられた。彼らは両方とも生きたまま,いおうで燃える火の湖に投げ込まれた。しかし,そのほかの者たちは,馬に乗っている者の長い剣で殺された。その剣は彼の口から出ているものであった。そして,すべての鳥は,彼らの肉を食べて満ち足りた」― 啓示 19:20,21。
41 ヨハネへの啓示の中に描かれている事がらを,わたしたちはだれの勝利と呼びますか。そして,詩篇作者のどんなことばを,わたしたちも叫びますか。
41 ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」の結末について霊感による予告的な幻を得たわたしたちはなんと言えばよいでしょうか。それは神の勝利を意味していますか。使徒ヨハネ自身はその記録の中で,戦争の結末に対する歓喜を言い表わしてはいませんが,地に対する正しい支配を愛するわたしたちは,それをまさに全能者なる神の勝利と呼ばずにはいられません。信仰によってわたしたちは,霊感を受けた詩篇作者のことばどおりにこう叫びます。「新しき歌を主にむかってうたえ。主はくすしきみわざをなされたからである。その右の手と聖なる腕とは,おのれのために勝利を得られた。主はその勝利を知らせ,その義をもろもろの国民の前にあらわされた。……地のもろもろのはては,われらの神の勝利を見た」― 詩篇 98:1-3,日本聖書協会口語訳。新英; 欽定; アメリカ訳; モファット; 新アメリカ聖書。
神の勝利の目撃証人たち
42 「野獣」と「偽預言者」の滅びの時に生き残る人びとがいることを,ヨハネは直接に述べていますか。それでもヨハネの記述から何を理解できますか。
42 わたしたちは,主なる神エホバにその新しい歌をうたうことを願いますか。それは単に,いま信仰によってその『新しい歌』をうたうだけのことではありません。神の勝利の目撃証人となり,地上において神のその勝利の時に生き残り,この地上において『新しい歌』をうたう人びとが実際にいるのです。使徒ヨハネは直接には言及しませんでしたが,彼の書き記した事がらから理解できる点として,地上にいながら「地の王たちとその軍勢」の側に立たない人びとは,「野獣」と「偽預言者」が「いおうで燃える火の湖」によって象徴される永遠の滅びに生きたまま投げ込まれる時に生き残ります。つまり,利己的な統治を行なう人間製の政治機構が永久に除き去られる時に,それらの人びとは生き残るのです。
43 (イ)その戦争のさい,「地の王たちとその軍勢」およびその支持者たちにはどんなことが臨みますか。(ロ)龍なるサタンが戦いをしかけるために出て行った者たちは生き残りますか。ヨハネはその者たちについて,啓示第15章の中でなんと述べていますか。
43 「地の王たちとその軍勢」およびその支持者たちは「全能者なる神の大いなる日の戦争」の剣によって殺され,その体は殺されたままハルマゲドンの戦場に横たわり,腐肉を食う鳥がそうした死がいの肉をくらいます。しかし,王の王たる者の側に立つ人びとは救われて生き残ります。そうした人びとは「われらの神の勝利」,「われらの神の救いの力」の生きた証人となるでしょう。(詩篇 98:3,エルサレム訳)そうした生残者の中には,「[女]の胤のうちの残っている者たち,すなわち,神のおきてを守り,イエスについての証しの業を持つ者」,龍なるサタンが「戦うために出て行った」者たちがいます。(啓示 12:17)これらは,使徒ヨハネが,「野獣とその像とその名の数字から勝利を得る者」と述べる人びとです。ヨハネの描写によると,これらの人びとはモーセと子羊イエス・キリストの歌をうたいつつ,「全能者なるエホバ神,あなたのみわざは偉大であり驚くべきものです。とこしえの王よ,あなたの道は義であり真実です」と語っています。―啓示 15:2,3。
44 (イ)使徒ヨハネがあらかじめ見たとおり,ほかにだれがハルマゲドンの戦争を生き残りますか。(ロ)そうした生残者すべてに対して戦いをしかけたのはだれですか。それによってだれの戦闘行動を誘いましたか。
44 地上の生残者の中には,使徒ヨハネが,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆」と呼ぶ人びとも含まれています。これらの人びとも神とイエス・キリストの側に立つからです。使徒ヨハネは,この「大群衆」が「大患難から出て来る者たち」から成っていることをはっきり告げられています。またヨハネは,彼らが生残者として神のみ座の前および神の子羊の前に立ち,「み座にすわっておられるわたしたちの神に,そして子羊に勝利!」と大声で叫ぶのを見ています。(啓示 7:9-15,新英)これらの人びとは「[女]の胤のうちの残っている者たち」に加わって,神の勝利をたたえる『新しい歌』をエホバ神にうたいます。これら地上の生残者すべては,大いなる龍サタンが「地の王たちとその軍勢」を駆り立て,エホバ神とそのメシアによる王国の擁護者として滅ぼし去ろうとした人びとです。これらの人びとと戦うことによって,「地の王たちとその軍勢」は実際には神に対して戦いをしかけるのであり,神および王の王の戦闘行動を誘うことになります。
45 (イ)それら生き残る人びとは地の王たちに対して武力攻撃をしかけますか。彼らは自分の行動の導きとして,神の預言者たちのどんなことばを覚えていますか。(ロ)地上の生残者たちは,紅海から救い出されたのちのイスラエル人をどのように見倣いますか。
45 「全能者なる神の大いなる日の戦争」の全期間を通じて,これら生き残る者たちは,「地の王たちとその軍勢」に対してなんら武力行動は取りません。彼らはただ,全能者なる神に保護を仰ぎます。以前の戦争のさい,神がご自分の忠実な民に言われた,『なんぢらの戦ひにあらずエホバの戦ひな(り)』ということばを覚えているからです。(歴代志下 20:15)彼らはまた,紅海のほとりに立った時の預言者モーセのことばをも覚えています。エジプトの戦車がモーセの民を滅ぼそうとして迫った時,モーセはこう語りました。『立ちてエホバが今日なんぢらのためになしたまはんところの救ひ[勝利,新ア]を見よ』。(出エジプト 14:13)そして,ちょうどモーセとその救い出された民がエホバの勝利をたたえる歌をうたったと同じように,「全能者なる神の大いなる日の戦争」のこれら地上の生残者たちも,全能者エホバ神の勝利をたたえる『新しい歌』をうたいます。(出エジプト 15:1-21)わたしたちはそうした歌い手たちの中に入ることを願いますか。
勝利の祝い
46,47 (イ)地は神の勝利を祝ってどのように祝祭の様子を帯びますか。(ロ)アダムとエバに対する神の命令の成就として,全地にわたってどのように勝利が得られますか。
46 国家的な勝利の時に国じゅうが祝祭の様子を帯びるのと同じように,「全能者なる神の大いなる日の戦争」ののち,大いなる龍サタンとその使いである悪霊たちが底知れぬ所に閉じ込められた時には,その神の勝利を祝って全地が祝祭のような様子を帯びはじめます。(啓示 16:14,16; 20:1-3)地球は今,戦争挑発者や汚染者たちによって破滅の過程をたどっていますが,その時には,新しい王,すなわち,神のメシアなる王イエス・キリストが支配しているしるしを表わし示すようになります。生き残って神の勝利の証人となる人びとは直ちに,この地球全体を,海から海,極から極に至るまで一つのパラダイスとすることに努力を振り向けます。全地にわたって勝利が得られ,エデンの園で最初の男女に与えられた神の命令は輝かしい成就を見ます。
47 『神彼らを祝し 神彼らに言ひたまひけるは 生めよ殖えよ地に満てよ これを従はせよ また海の魚と天空の鳥と地に動くところのすべての生き物を治めよ』― 創世記 1:28。
48 (イ)この勝利は,美しさや食物の生産という面で,地球にとって何を意味しますか。(ロ)贖い取られた人類のため神が死に対する勝利を得てくださることに関し,わたしたちには実際の場合のどんな保証がありますか。
48 こうして全地が従えられるとき,人類の住みかであるこの地球は庭園のように美しい所となるだけでなく,地上のすべての住民に豊富な食物を供給するようになります。その時,貧困という状態は全くありません。全能の神は,ハルマゲドンにおける神の大いなる日の戦争を生き残ってエホバの勝利の目撃証人となる人びとのためだけでなく,贖われた死者,すなわち,墓から復活してきてパラダイスの地をここちよく満たす人びとのためにも,イザヤの預言の第25章の中で約束した事がらを,文字どおりにも霊的にも成し遂げ,「もろもろの民のために」命を支える食物の宴を設け,『とこしへまで死をのみ』込まれます。(イザヤ 25:6-8)そうです,全能の神は,贖い取られたすべての人びとのために,死に対する勝利を得てくださるのです。神は,歴史的な年である西暦33年,殉教の死を遂げたみ子イエス・キリストをその三日めによみがえらせ,彼のために死に対する勝利を収められました。そして,キリストの足跡に従う人びとから成る真の教会のためにも同じことを行なわれます。すなわち,全能の神は,地上の人間として死んでいる彼らを復活させ,天の霊的な被造物としての不滅,不朽の生命を得させるのです。
49 その復活に関し,使徒パウロは,永久に死をのみ込むことにおける勝利をだれに帰していますか。
49 この,偽善のない,真のキリストの追随者たちの天への復活に関し,使徒パウロは,その希望にあずかるクリスチャンたちにあててこう書きました。「朽ちるものは不朽を着け,死すべきものは不滅性を着けねばならないのです。しかし,朽ちるものが不朽を着け,また死すべきものが不滅性を着けたその時,『死は永久にのみ込まれる』と書かれていることばがそのとおりになります。『死よ,おまえの勝利はどこにあるのか。死よ,おまえのとげはどこにあるのか』。死を生み出しているとげは罪であり,罪への力は律法です。しかし,神に感謝すべきです。わたしたちの主イエス・キリストを通して勝利を与えてくださるからです!」―コリント第一 15:53-57。
50,51 (イ)キリストの千年統治の間,神はどのように死に対するいっそうの勝利を収められますか。その益にあずかる人にはどんな機会が開かれますか。(ロ)きたらんとするエホバ神の勝利は苦悩する人類にどんな意味を持ちますか。そのことを心に留めるとき,わたしたちの願いはなんですか。
50 メシア・イエスと,復活して栄光を受けたイエスの教会もしくは会衆による,きたるべき千年統治の間,全能の神は,贖い取られた死者を死の眠りからよみがえらせ,パラダイスとなった地上での生命の機会を得させることにより,死に対するいっそうの勝利を収められます。不従順な最初の人間からわたしたちが受け継いだ死が永久にのみ込まれるのは,贖い取られた人びとの墓がことごとくからになった時であり,そのことは「義者と不義者との復活」の時に起こります。(使徒 24:15)復活してきた人びとが神のメシアによる王国に従順であるなら,義にかなった,神の全宇宙的な主権支配のもとで完全になったこの地上での永久の幸福をかち取ることになるでしょう。
51 人類がこうした貴重な祝福すべてを楽しむための道は,きたらんとするエホバ神の勝利によって開かれます。輝かしい神の勝利は,苦悩する今日の人類に対して,確かにすばらしい意味を持っています。わたしたちすべてがその意味をしっかり心に留め,神の勝利による永遠の益を受けるにふさわしいことを実証し,わたしたちの主イエス・キリストを通して神へのふさわしい賛美となれますように。