その「正しい状態」は今日のわたしたちにとって何を意味しますか
1 1914年にどんな大戦が始まりましたか。それは献身してバプテスマを受けた聖書研究生にとってなぜ驚くべきことではありませんでしたか。
西暦1914年,教暦の大陰年はエルサレムでは,3月27から28日の日没から日没までに相当するニサン1日に始まりました。史上最初の世界大戦が人類世界に勃発したのは同年夏のことでした。これは,第一次世界大戦を始めたキリスト教世界との関係を断った聖書研究生が全然予期しなかった事がらではありませんでした。なぜですか。なぜなら,それら献身してバプテスマを受けた聖書研究生は,イエス・キリストが「世の終」に関する預言の中で予告された「異邦人の時」がその1914年の初秋に終わることを何十年もの間指摘していたからです。(ルカ 21:24。マタイ 24:3)異邦人の時は西暦前607年陰暦チスリの半ばに始まりましたから,その2,520年の期間は1914年チスリ15日ごろ,つまり同年10月4日か5日に終わります。その時までに大英帝国およびキリスト教世界の他の諸帝国は戦争に巻き込まれていました。英米二重世界強国の他方の成員国は1917年の春参戦しました。
2 (イ)1919年に平和条約が批准された結果,どんな国際的な制度が効力を発しましたか。(ロ)第一次世界大戦中,エホバの「聖所」におけるエホバへの公の崇拝はどうなりましたか。1919年,そのことに関して何がなされましたか。
2 1918年の秋,英米二重世界強国およびその同盟国は当時の世界大戦の勝者となりました。1919年,パリ平和条約が調印,批准され,それとともに,同条約の国際連盟規約として知られる条項が発効しました。当時,エホバをその「聖所」あるいは「聖なる場所」で崇拝する,献身してバプテスマを受け,霊によって生み出されたクリスチャンの残れる者がいました。第一次大戦中,それら残れる者は,聖書預言の中の第七世界強国である英米二重世界強国の領土を包含するキリスト教世界の中でひどい迫害を受け,崇拝を妨げられました。1919年の春,エホバ神は彼らを霊的に疲弊した状態から回復させ,ご自分の聖所で公に勇敢に崇拝をさせるべく再び集められました。それら残れる者はマタイ伝 24章14節(新)に予告されていたとおり,神の王国の良いたよりを宣べ伝えるわざを再び開始しました。
3 この残れる者は,国際連盟に対してどんな態度を取る点でキリスト教世界に同調しませんでしたか。1921年,残れる者は連盟を,預言されていたどんなものであるとしてその実体を明らかにしましたか。
3 彼らは自分たちが,異邦人の時の終わった1914年に天で樹立されたエホバのメシヤの王国の大使であることを悟りました。それゆえ,神の聖所で仕える崇拝者たちのこの残れる者は,キリスト教世界に同調して国際連盟を「地上における神の王国の政治的表現」でもあるかのようにたたえることはしませんでした。1919年の夏,つまりパリ平和条約およびその国際連盟規約が条約成立に必要とする最低数の国々によって批准される前でさえ,残れる者は,神の王国のその政治的代用物はエホバの支持を受けていないゆえに必ず失敗すると断言しました。「ものみの塔」誌はこの点に対してさらに聖書的裏づけを行ない大胆に論じました。同誌1921年1月1日号はその12ページで「ダニエルにより話された」という副見出しのもとに,平和と安全のための世界機構,国際連盟をマタイ伝 24章15節でイエス・キリストが予告した「荒す悪むべき者」であると考えるべき理由を提示しました。
4 (イ)世界の平和と安全のためのその人間製の機構は一つの世界強国であるとして実体を明らかにされたのは,どこで,また何年のことですか。(ロ)それは第二次世界大戦のためにどんな経験をしましたか。しかし,どのようにしてその機能を維持してきましたか。
4 1926年の5月25日から31日にわたり,油そそがれた残れる者は英国,ロンドンで国際大会を開きました。その時の公開講演で,世界の平和と安全のための人間製の同機構は,黙示録 17章3-11節に描かれている七つの頭と十の角を持った象徴的な緋色の獣であると暴露されました。そのような獣ですから,それは聖書預言の中の第八世界強国でした。a その預言が述べるとおり,国際連盟という形を取った同国際機構は1939年,第二次世界大戦が勃発したため効力を失って消滅しました。が,1945年,国際連合機構という形を取って再興されました。こうして,第八世界強国は今に至るまでその構能を維持してきました。
5 1926年,どんな挑戦的な質問が,油そそがれた残れる者に提出されましたか。彼らが1931年に新しい名称を採用したのは僭越なことではありませんでした。なぜですか。
5 歴史に残るできごととなった1926年のロンドン大会の何か月か前のこと,宇宙で最も偉大な名前,つまり偉大な神権統治者エホバの名が前面に現われはじめました。1926年1月1日号の「ものみの塔」誌が「エホバに誉れを帰するのはだれか」と題する主要な記事を読者に提出するに及んで,このことはいっそう顕著になりました。油そそがれた残れる者はその挑戦的な質問に言行両面で答えました。その後年々,それら残れる者は,エホバの名前とこのメシヤの王国を全世界で広く告げ知らせることによって,自分たちがだれに誉れを帰しているかを証明してきました。広く告げ知らせるこのわざは彼らがエホバの真の証人であることを確かに明らかにしました。では,この油そそがれた残れる者が1931年7月26日,アメリカ,オハイオ州コロンバス市の国際大会で「エホバの証人」という名称を採用したからといって,だれが彼らのことを僭越な人間として非難できますか。そうすることはだれにもできません。それら残れる者は,エホバの聖所で仕える地上の崇拝者ですから,「彼の聖所の確立された場所」だったのです。
6 順序として次に,どんな形態の支配の問題が前面に押し出されましたか。だれがそうした支配にのっとって自分たちの生活と会衆の組織を形作ってゆくべきでしたか。
6 順序として次に,きわめて時宣を得たこととして神の指導のもとに神権政治すなわち神の支配の問題が前面に押し出されました。確かにそうした支配こそエホバをその聖所で崇拝する人たちの見える組織に適用されるべきものです。その組織の中では確かにエホバが神として支配者であってしかるべきです。その聖所で仕えるすべての崇拝者は,宇宙の主権者であられる至高の神の神権政治に合わせて自分たちの生活と会衆の組織を形作ってゆくべきです。
7 油そそがれた残れる者とその仲間についていえば,神権政治を支持する決定はなぜいっそう肝要なものとなりましたか。彼らを導く指示はいつ出されましたか。
7 残れる者がこのことを支持して下した決定は,政治的全体主義および独裁支配が国々に広まり,また政治国家が国家主義に基づき,みずからを神として国民全体から崇拝を要求するにつれ,いっそう重要性を帯びてきました。世界の状態はますますむずかしくなり,油そそがれた残れる者とその献身した仲間は,自分たちに反対して圧迫を加える役人や判事たちに,「人に従はんよりは神に従うべきなり」といよいよ断言せざるをえなくなりました。(使行 5:29)そしてついに,第二次世界大戦が始まって世界の多くの国々に戒厳令が敷かれ,国際連盟がたちまち葬り去られるに至る15か月前,神権組織に関する公式の指示が出されました。
8 1938年,「ものみの塔」誌の6月1日および15日号には何が発表されましたか。提出された決議は何を求めるものでしたか。
8 「ものみの塔」誌1938年6月1日号は,「組織」と題する記事の第1部を掲げました。その冒頭の次のような文を読んだ,エホバの聖所で仕える崇拝者たちは非常な感動をおぼえました。「エホバの組織は決して民主主義的なものではない。エホバは至高者であられ,その政府もしくは組織は全く神権的なものである。この結論は首尾よく反駁できるものではない」。1938年6月15日号の「ものみの塔」誌は,「組織」と題する記事の第2部を発表し,エホバの証人の諸会衆の採択する決議を掲げました。その冒頭の節はこう述べます。「御名のために取り出されたわれわれ神の民の会は,今……において,神の政府は純粋の神権政府であり,キリスト・イエスは神殿にあってエホバの用いられる見えない組織はもとより,その見える組織をも完全に管理,監督しておられることを認めるものである」。(182ページ)これは,すべての会衆のそれぞれの務めを持つすべてのしもべたちを神権的に任命することつまり上から下に及ぶ任命の必要を示すものでした。
9 (イ)1939年における第二次世界大戦の勃発は,神権的に組織されたエホバの民にどんな質問を提起するものとなりましたか。なぜ?(ロ)その答えは,いつ,またどのように出されましたか。どんな趣旨の答えでしたか。
9 国際連盟が存続していたにもかかわらず,1939年9月1日,第二次世界大戦が勃発したとき,エホバの民は神権的に組織された状態にありました。その民は,最初の世界大戦同様キリスト教世界で突如始まったこの2度目の世界大戦に対してどんな態度を取ることになりましたか。最初の世界大戦時のように妥協をする余地は少しもありませんでした。今やそれはあやふやで決定しかねる問題ではありませんでした。国際連盟は致命的な打撃をこうむりましたが,エホバの天のメシヤの王国は依然として存在し,統治を行ないました。今日に至るまでその王国を絶えず宣明しつづけてきたエホバの証人は,その新たな大戦中も,非神権的なこの世の諸王国のいずれにも組するわけにはゆきませんでした。第二次世界大戦を早めた,ヒトラーのナチ軍隊がポーランドに侵入してからちようど2か月後,エホバの油そそがれた残れる者は戦い合う世界に正式の通告を出しました。どのようにして?「エホバの王国を知らせる,ものみの塔」誌,1939年11月1日号に「中立」と題する主要な記事を掲げることによってです。昔のイスラエルの時代の神権的な戦いがどんなものであるかを明らかにしたその記事は,「『キリスト教世界』は神権的なものではない」と断言しました。キリスト教世界の戦争に対してわたしたちは中立の立場を取ります。
10 英米二重世界強国が行なうことを示すものとして,ダニエル書 8章10-12節は,その『小さき角』が何を行なうであろうと述べましたか。
10 さて,途方もなく大きくなった「小き角」つまり英米二重世界強国は,エホバの油そそがれた残れる者およびその献身した忠節な仲間たちの取ったこうした神権的な立場に対してどう応じようとしていましたか。ダニエル書 8章10-12節〔新〕の預言は的確にもその成り行きを予見して,こう述べました。「[それは]天軍におよぶまでに高くなりその軍と星数箇を地に投くだしてこれを踏みつけまた自ら高ぶりてその軍の主に敵してその常供の物を取のぞきかつ〔彼の聖所の確立した場所〕を毀てり 一軍罪の故によりて常供の物とともに棄られたり彼者はまた真理を地に擲ち事をなしてその意志を得たり」。
毀たれた「彼の聖所の場所」!
11,12 (イ)『小さき角』のそうした行為はエホバに関していえば何を意味していましたか。(ロ)この点を説明するものとして,み使いガブリエルはどんな簡潔な注解を述べましたか。
11 ここに述べられている行動は,至高の神,つまり「天軍」および「星」の創造者の正当な領域もしくは関心事をおかし,あまつさえ,「常供の物」として神に定期的にささげられていた犠牲を取り去ることを意味しています。このことは容易に理解できます。この点に関するみ使いガブリエルの簡潔な注解は,預言を正しく理解する助けとなります。こうしるされています。
12 「[彼,つまり猛悪な顔をした王は]権能ある者等と聖民とを滅さん 彼は〔洞察力〕をもて詭譎をその手に行ひ遂げ心にみづから高ぶり平和の時に衆多の人を打滅しまた君の君たる者に敵せん然ど終には人手によらずして滅されん」― ダニエル 8:24,25。
13 第二次世界大戦中,第七世界強国はエホバに対してどのようにふるまい,「天軍」そうです,「星」を投げ落とすことさえしましたか。
13 第二次世界大戦中,聖書の歴史における第七世界強国は多くの人びとを,そうです,権能ある人たちを滅ぼし,真の神権政治を顧みませんでした。そしてイギリス連邦とアメリカでは戒厳令が敷かれ,戦争目的達成のため,また神のメシヤの王国を制して世界支配を実現すべく国家総動員態勢が整えられました。こうして第七世界強国は,君の君たる者,つまり全宇宙の主権者なる「君」エホバに逆らうほどにさえ高ぶりました。英米二重世界強国は,エホバの「天軍」すなわちエホバの霊的な「聖所」で従属の祭司たちとして仕えていた,エホバの油そそがれた残れる者を投げ落とし,神のメシヤの王国の大使としての残れる者をその立場から引きおろしました。エホバの証人の諸会衆内の「星」のような人たちさえ,身分の低い者とみなされ,会衆に対して霊的な光を掲げる者,つまり徴兵免除の適用を受ける資格のある霊的な「監督」とは考えられず,神権的任命など受けていない単なる世の俗人とみなされました。(黙示 1:20; 2:1)戦時下の宣伝や激しい戦争熱また熱狂的な国家主義などのために「聖民」は残忍な迫害をこうむりました。
14 「彼の聖所の確立された場所」はどのようにこぼたれましたか。
14 それらの人たちは「[エホバの]聖所の確立された場所」を代表していましたから,それらの人たちが毀たれるとともに,その場所も毀たれました。これはエホバ神への彼らの霊的な犠牲をそこなうものとなりました。
15 「常供の物」は第七世界強国によってどのように取り去られましたか。
15 昔のイスラエルのエホバの神殿の聖所ではその奥の中庭で,「常供の物」が小羊の犠牲という形で朝夕,神にささげられていたことを思い起こしてください。(出エジプト 29:38-42)同様に,エホバの「聖所」で崇拝する霊的な残れる者は,霊的な種類の犠牲をエホバに朝夕,日毎に,常に供えていたのです。それら常供の「犠牲」の中でも顕著なのは,エホバの名前とそのメシヤの王国つまりエホバの神権政府を公に宣明する残れる者のくちびるの実でした。第七世界強国は戦時下の条令や禁令を用いて,またエホバの証人を非合法団体としたり証人たちの戸別伝道を禁じたりさえして,この霊的な「常供の物」を取り去りました。証人たちは地下活動をしいられ,証人の男女はクリスチャンとしての中立を守ったために投獄されました。
16 第七世界強国はイギリス連邦じゅうで証人たちをどのように激しく打ち,「常供の物」を供えるわざを妨げましたか。
16 記録は,『猛悪な顔の王の憤り』のほどをまざまざと示しています。第二次世界大戦という暗黒時代中,彼は世界じゅうでエホバの証人を激しく打ちました。イギリス連邦諸国では特にそうでした。1940年7月4日,イギリス連邦の一成員国,カナダ自治領はエホバの証人のわざを禁じました。同年,ニュージーランドはエホバの名前の公の宣明を禁じ,ほとんど時を同じくして黄金海岸(ガーナ)でのわざも禁止されました。以来,犠牲の「常供の物」つまりくちびるの実は確かに妨げられました。1941年1月,オーストラリアおよびフィジーの証人たちのわざは禁じられ,また同年,アフリカ最南端の国,南アフリカ政府も証人たちの活動を禁止しました。こうした禁令は1941年6月17日のナイジェリアの禁令を含め,アフリカのイギリス領のほとんどすべてに広まりました。アジア各地のイギリス領でも同様の措置が取られました。1941年にはビルマ,セイロンそしてインドのわざが禁止されました。1942年にはグレート・ブリテンで中立の問題が世の注目を浴びました。徴兵が実施されたとき,若いエホバのクリスチャン証人たちは兵役を拒否したのです。起訴された1,593人の男女の審理を行なった英国裁判所は,その大半の者を投獄しました。それら服役者のうち334人は女性でした。こうした処置は,賛美の犠牲を公に神にささげる奉仕から大ぜいの活発な宣布者を取り去る結果となりました。
17 その何年か前,ナチ-ファシスト-カトリックの勢力はどのようにエホバの「聖所の確立された場所」をこぼつべく努めていましたか。
17 こうした事態の生ずるわずか二,三年前,ナチ-ファシスト-カトリックのあおる戦意はヨーロッパ全土を制圧していました。エホバの証人は禁令や投獄に会わされ,ものみの塔聖書冊子協会の支部事務所は次々に閉鎖されてゆきました。エホバの「聖所の確立された場所」を毀つべく圧力が加えられはじめたのです。b
18 1940年から1943年にかけてエホバの証人はアメリカ合衆国でどんな苦難に遭遇しましたか。
18 アメリカでは,エホバの証人のわざは公式には禁止されなかったものの,証人たちを沈黙させようとするさまざまの企てがなされました。当時の48州の多くの場所で暴徒行為が企てられました。1940年6月3日,米最高裁が国旗敬礼を国民に義務づけることを8対1で決定したとき,暴力行為と憎悪の炎があおられました。国旗敬礼を拒否する児童はみな放校処分に付されることになったのです。それ以後,エホバの証人は盛んに迫害されました。1940年6月16日,米全国放送会社の全国ラジオ放送網を通じて法務次官がこう述べました。「エホバの証人は再三再四襲われ打たれてきたが,彼らは犯罪を行なったわけではない。しかし,暴徒は証人たちが犯罪を行なったと考えて,集団で暴行を加えて罰したのである。法務長官はこうした乱暴な不法行為を直ちに調査するよう命じた」。1943年6月14日,米最高裁が国旗敬礼問題で前回の決定を翻して初めて,アメリカにおける迫害はようやくおさまりはじめました。c
19 協会の支部事務所の数および王国伝道者の増加率から考えて,『常供の物をささげるわざ』が拘束されたことはどのように明らかですか。
19 また,たいへん興味深いことですが,1938年,つまり第二次世界大戦勃発の前年までに,ものみの塔聖書冊子協会はエホバの証人のわざを監督するために世界中に39の支部を設置しました。1942年までには王国の良いたよりを伝道するエホバの証人はおよそ10万6,000人になっていましたが,支部の数は25に減少していました。そのころには圧力は増大し,地上のほとんどの場所でわざは禁令下におかれました。史上最も激烈な戦争の続いたその後の3年間,エホバの証人に対する迫害はさらに激しさを加えました。各地でわざが禁止され,さらに多くの支部事務所が閉鎖されたため,1943年には全世界でわずか21の支部事務所が運営されていたにすぎません。エホバの証人は,良いたよりを伝道するという神から与えられた割り当てにしっかりつき従ってはいましたが,伝道者の数が10万6,000人ほどだった1942年から1944年の終わりまでにはわずか4,000人増加したにすぎませんでした。『常供の物をささげる』わざは確かに拘束されました。
「何時まで」
20 エホバの崇拝者たちの「軍」および「常供の物」が罪のために棄てられたさい,第七世界強国が犯した「荒廃を来らする罪」とはなんですか。
20 ダニエル書 8章12節によれば,エホバの聖所で仕える崇拝者たちで成る霊的な「軍」は犠牲の「常供の物」とともにこうして棄てられることになっていました。たとえエホバに対するなんらかの「罪」がエホバの証人のがわにあったにせよ,象徴的な「小き角」つまり第七世界強国のがわに「罪」があったことはまぎれもない事実です。ダニエルの聞いているところでみ使いが提起した質問は明らかにこの点を引き合いに出すものとなっています。み使いはこう尋ねました。「常供の物と荒廃を来らする罪とにつきて異象にあらはれたるところの事 聖所とその軍との棄られて踏つけられる事は何時まで斯てあるべきか」。(ダニエル 8:13)確かに,犠牲の「常供の物」を取り去らせ,次いで,従属の祭司たちであるエホバの油そそがれた残れる者によって代表される,エホバの神権的な「聖所」を踏みにじることによって,第七世界強国は「荒廃を来らする罪」を犯していました。それは,エホバの神権政治とその神殿における崇拝とにかかわる地上の関心事を荒らしていました。つまり,不敵にもエホバ神にとって聖なる物事を侵害して,「罪」を犯していたのです。
21 「荒廃を来らする罪」という表現は,第七世界強国が犯した別のどんなあやまちをその罪と結びつけていますか。
21 さらに,その「荒廃を来らする罪」という表現は,第七世界強国が犯した別のあやまちをその罪と結びつけているように見えます。そのあやまちとはなんですか。それは,取り除かれた「常供の物」に代わるものとして,すなわち「荒す悪むべき者」つまり「荒廃をひき起こす嫌悪すべきもの」を立てたことです。(マタイ 24:15。ダニエル 11:31,新)すでに指摘したとおり,1921年,その「荒す悪むべき者」は世界平和のための国際機構であるとしてその実体が公に明らかにされました。同機構は1919年から1939年までは国際連盟として存続しました。それは,エホバの「聖所」で犠牲の「常供の物」をささげることに反対して国際的な崇拝の対象となるべく政治的な「獣」の「像」のごとくに立てられました。―黙示 13:1-15。
22 獣のような第八世界強国はいつ,またなぜ「底なき所」にはいりましたか。
22 黙示録 17章7,8節に予告されていたとおり,その獣のような第八世界強国は,第二次世界大戦勃発とともに死のような無活動の「底なき所」にはいりました。その主要な支持者であり提唱者であった大英帝国は,カトリック・アクションの支援するナチ主義およびファシズム両勢力の軍事侵略の前に同機構の存続を図ることはできませんでした。
23 アメリカが第二次世界大戦参戦を余儀なくされたのち,国際的な偶像崇拝の対象とされたその「像」が考慮されずに放置されたわけではないことを示すどんなことが1942年1月に起きましたか。
23 しかしながら,君の君たる者,つまり偉大な神権統治者エホバに逆らって大いに高ぶっていた者たちが,国際的な偶像崇拝の対象とされたその「像」のことを考慮せずに放置していたわけではありません。1941年12月7日,日曜日,第七世界強国の成員国アメリカは英米世界強国の成員国イギリスと並んで第二次世界大戦への参戦を余儀なくされました。次いで,世界の平和と安全のための人間製の機構を偶像視するそれら崇拝者たちに関して生じた事がらに注目してください。ナチ主義・ファシズム・東洋帝国主義の3勢力から成るいわゆる「枢軸国」が依然攻勢に出ていた当時の1942年1月2日,金曜日,重大なできごとが生じました。それはなんですか。「アメリカ年報」に掲げられた1942年の事件に関する年表によれば,「枢軸国と交戦中の26か国すべては,単独休戦もしくは単独構和は行なわず,ワシントンで調印された『反枢軸連合国による宣言』にしるされている敵国に対して軍事もしくは経済上の総力を投ずることを誓った」のです。―1943年「アメリカナ年報」737ページ。d
24 次いで,獣のような第八世界強国は何を企てているかに見えましたか。1942年9月20日,エホバはどのようにご自分の民をしてこのことに注目させましたか。
24 獣のような第八世界強国はその「底なき所」でゆさぶり動き,国際的崇拝を受けるべく,そこから出てくる企てをしているかに見えました。エホバ神はご自分の聖霊とその預言的なみことば聖書によりご自身の民をしてこの事実に注目させました。その結果として1942年9月20日,日曜日,一連の「新しい世の神権的大会」の主要開催地,アメリカ,オハイオ州クリーブランド市における同大会の最終日に,ものみの塔聖書冊子協会の会長は,「平和 ― それは永続するか」と題する公開講演を行ないました。電話およびラジオ網を通じて全米51都市に同時に放送され,また時を同じくして南北両米,ヨーロッパ,アフリカおよびハワイの大会でも行なわれたこの講演は,黙示録 17章7,8節に言及して,第二次世界大戦が終了すると平和な時期がそれに続き,その間に緋色の獣,つまり世界の平和と安全のための国際機構が「底なき所」から出てくるであろうということを明らかにしました。そののち,この「荒す悪むべき者」は,エホバ神の統治する王イエス・キリストによって滅ぼされる時までその働きを続けるのです。―黙示 17:12-14。e
25 この「罪」はどんな世界強国が犯した罪ですか。それはだれに逆らって立ち上がることでしたか。
25 象徴的な「小き角」つまり英米二重世界強国が政治的な「獣」の偶像視される「像」を再興し,第二次世界大戦後,あらゆる民族にそれを崇拝させるべく事を運んで「罪」を犯したということは,もはやだれも否定しえない事実です。こうして英米二重世界強国は洞察力を行使し,「詭譎をその手に行ひ遂げ」たのです。このことはその世界強国が犠牲の「常供の物」を妨げ,またエホバの「聖なる場所」を踏みにじっていたその同じ時に起こりました。それはまさに「罪」でした。それは,君の君たる者であられるエホバに逆らって立ち上がることにほかなりませんでした。その時,エホバの「聖所」で仕える崇拝者たちは反対され,抑圧され,迫害されていたのです。予告されていた『猛悪な顔の王』は,「〔心配からの自由〕」にかんする誤った観念に屈した者たちすべてを利用して,「真理」を,それも特にイエス・キリストによるエホバ神の神権政府に関する真理を「地に擲ち」つづけました。―ダニエル 8:17,25〔新〕。
「二千三百の夕と朝」
26 「常供の物」および「罪」に関してどんな質問が提起されましたか。み使いはどんな答えを与えましたか。
26 さて,ダニエルの聞いているところでみ使いが提起した例の質問を思い起こしてください。こうしるされています。「常供の物と荒廃を来らする罪とにつきて異象にあらはれたるところの事聖所とその[神殿のしもべたちの]軍との棄られて踏つけらるゝ事は何時まで斯てあるべきか」。この問いに対するみ使いの答えはこうしるされています。「二千三百の夕と朝までである。そして聖なる場所は確かにその正しい状態にされるであろう」。―ダニエル 8:13; 8:14,新。
27 それら2,300の晩と朝の期間は,早くてもいつから数えはじめられますか。ユダヤ人の太陰暦によれば,それはいつでしたか。なぜですか。
27 この2,300の夕と朝の期間はいつ始まりましたか。この点がわかれば,その期間がいつ終わるか,したがってエホバの「聖なる場所」はいつ「その正しい状態にされる」か,もしくは「その正当な状態に回復される」かがわかります。(改訂標準訳)f もしエホバの「聖なる場所」がそのあるべき姿に「される」もしくは「回復される」のであれば,それがかつてエホバの見地から見て「正しい状態」にあった時からその日数を算定すべきでしょう。それは早くとも1938年6月1日となります。その時,エホバの聖所で仕える従属の祭司たちである,エホバの油そそがれた残れる者の公式の機関誌すなわち「ものみの塔」誌は,「組織」と題する記事の第1部を掲げ,組織に対する神権的な要求をさらに十分に述べました。ユリウス暦やグレゴリオ暦が紹介される何世紀も昔,ダニエルが幻を見た当時用いられていたユダヤ人の太陰暦にしたがって計算すれば,1938年6月1日は陰暦シワンの月の2日にあたります。その14日後,つまり1938年6月15日はシワン16日に相当します。その時,「ものみの塔」誌は「組織」と題する記事の第2部をその決議文を添えて発表しました。それで,今わたしたちの質問を考慮しましょう。
28,29 (イ)その重大な時期から数えれば,それら2,300日はいつ終わることになりましたか。(ロ)当時,第八世界強国に関連してどんな重要なできごとが起きていましたか。
28 こういうわけで,神権組織がエホバの証人の諸会衆内にいっそう十分に確立されることになったその重大な時期を起点として計算するとすれば,2,300日はいつ終わりましたか。
29 これは預言的な期間であることを思い起こしてください。ですから,360日で成る預言的な年が関係しています。(黙示 11:2,3; 12:6,14)したがって,2,300日は太陰暦の6年4か月と20日に相当します。この期間は,1938年シワン2日(6月1日)から起算すると,1944年チスリ21日(10月8日)に終わりますし,1938年シワン16日(6月15日)から数えれば,1944年マルケスワン5日(10月22日)に終わります。g その当時,世界の情勢は,第二次世界大戦終了後まもなく獣のような第八世界強国を底なき所から引き上げ,このたびは世界の平和と安全のための国際連合機構という形で出現させる方向にいっそう近づいていました。「アメリカナ年報」は1944年の年表の中で次のような日付の注目すべきできごとを報告しています。
10月9日 ― 米合衆国,グレート・ブリテン,ソビエト連邦および中華民国は,国際平和機構の創設を提唱したダンバートン・オークス会議の決定を発表す。同機構は「国際連合」と呼ばれ,「国際平和と安全を維持もしくは回復するために必要とあれば,陸・海・空軍兵力を用いる軍事行動を取る」権限が付与されることになる。
10月23日 ― 国務長官代理エドワード・R・ステティニアス・ジュニアはフランス臨時政府に対するアメリカの正式承認を発表。かくてフランスは国際連合の中でその地位を高められ,急速な復興への道が備えられた。ソビエト連邦,連合王国およびカナダも同様の発表を行なう。―1945年のアメリカ年報,730ページ。
30 その当時,神権的な領域では,たとえばニューヨーク州バッファローでの8月のできごとのように物事はどんな方向に向かって動いていましたか。
30 このころまでには第二次世界大戦の戦局は連合国側に決定的に有利な状態に変わり,ヒトラー配下のドイツもすでに連合国軍の侵入を受けていました。それにしても,1944年のその年,エホバの「聖所」で仕えるエホバの崇拝者たちの神権的な領域では何が起きていましたか。その領域では2,300日の終わりに至る注目すべき事態に向かって物事が動いていたのです。その年は,1914年の異邦人の時の終わりにさいして天で生じた,神のメシヤの王国の誕生の30年目に当たります。同年8月9日から13日にわたりアメリカ,ニューヨーク州バッファロー市で「一致した告知者たち神権大会」が開かれ,同市を主要都市としてほかに全米16都市の大会が電話網で結ばれました。同8月12日その大会で,ものみの塔協会の会長は「この福音は宣伝へられん」と題する講演を行ないました。講演の終わりに,「王国は近づいた」と題する384ページの本が聴衆に発表されました。そして,その2日前には別の出版物が発表されました。それは神の名前エホバを用いることを特色としたアメリカ標準訳聖書で,しかも協会の印刷機で印刷したものでした。
31,32 (イ)1944年,ペンシルベニア州ピッツバーグにおける3日間の大会の最初の2日を特色づけるものとなったのはどんなできごとですか。(ロ)10月2日のその大会の最終日は,神権的組織の点でなぜ注目に値するものでしたか。
31 1944年9月30日から10月2日にわたり,ものみの塔聖書冊子協会の登記された事務所のある,アメリカ,ペンシルベニア州ピッツバーグで特別の奉仕および業務のための大会が開かれました。その初日,協会の会長は出席者5,000人を前にして,「今日の神権的路線」と題する講演を行ないました。翌日,「一つの世界,一つの政府」と題する公開講演が行なわれました。そして協会の年次業務総会はその日から翌10月2日月曜日に延期されました。当日午前10時に始まったその業務総会は注目に値するものとなりました。どうしてですか。
32 協会の理事および役員が,同席した出資会員によって選出されたのち,60年前,1884年ペンシルベニア法人として設立された協会の定款を6箇所修正する案が検討されたのです。それは第2,3,5,7,8そして10条をそれぞれ修正する案でした。採択された第1修正条項決議は,協会の目的を敷衍して,前途の世界的な大規模なわざを正しく取り扱えるようにすることを提案したものでした。同時に,この修正条項は神の名前エホバを同定款に挿入するものとなりました。第3修正条項は,協会の会員としての資格を協会に対する金銭的寄付額に基づいて付与することを定めた従来の定款の規定を廃しました。この時以来,協会の会員は500人以下に限られることになり,会員はすべてエホバに対する活発な奉仕に基づいて選ばれることになりました。「ものみの塔」誌1944年11月1日号はその報告の中でこう述べました。「この修正条項は国の法律が許すかぎりにおいて定款を神権的取り決めに近づける効果をもつものとなるであろう」。それら六つの修正条項決議はみな採択されました。
33 それら修正条項はいつ協会の定款に記載されましたか。以来,協会はだれの用いる機関として奉仕してきましたか。
33 それら修正条項すべてを合法化するには州裁判所の認可を得なければなりませんでした。翌年(1945年)それら修正条項は正式に記載され,こうして協会の定款の一部となりました。こうして修正された定款を持って,ものみの塔協会は以来,エホバをその「聖所」で崇拝する油そそがれた残れる者の用いる合法的な機関として奉仕してきました。
34 (イ)その後たいへん時宜を得たこととして,「ものみの塔」誌はどんな情報を発表しましたか。(ロ)「会長」また「統治体」についてどんなことが述べられましたか。
34 油そそがれた残れる者は当時それに気づいてはいませんでしたが,たいへん時宜を得たこととして,1944年10月15日号の「ものみの塔」誌は「最終的なわざのために組織される」と題する主要な記事を掲げました。これを追うようにして,「活躍する神権組織」と題する主要な記事が11月1日号に発表されました。その記事は幾つかの適切な副見出しのもとに,「会長」「ディアコノス,つまりしもべ」「資格」「統治体」「神権的行動」などについて論じました。そこで取り上げられた「会長」という語は,ものみの塔協会の会長をさすものではありません。その記事の12節はこう述べています。「諸会衆の長老たちは,同時に会衆の霊的な監督たちでもあって,弟子たちの集会を主宰していた。集会の司会者としてこのような務めを行なう長老はみなその場合の集まりの会長ということができよう」。「統治体」と題する副見出しのもとで33,4節はこう述べています。「1世紀当時,地上のエホバの神権組織の見える統治機関を構成したのは,特に使徒たちの一団およびエルサレムで使徒たちと交わっていた長老たちの一団であった。……その統治体は完全な人間で構成されてはいなかった」。
35 「今日の神権的路線」と題する次の記事は,「統治体」についてなんと述べましたか。
35 その同じ「ものみの塔」誌上,前述の記事に続く「今日の神権的路線」と題する記事はその3節でこう述べました。「神権組織の見える統治体は,最高の支配者であられるエホバ神とその教会のかしらなるキリスト・イエスによってのみ任命されており,またそうされるのでなければならない。統治体の目的は神の民すべてに指示と霊的な糧を供することである。神権組織全体およびその仲間はすべて統治体と一致して行動し,全地にわたって一致団結して行動する」。
「真実なり」
36 前ページの表に示されていますが,その重大な時期のそれら重要な意義のあるできごとはすべて何を示していますか。
36 この重大な時期におけるそれら重要な意義のあるできごとすべてはいったい何を意味していますか。それはすなわち,エホバの「聖所」つまり「聖なる場所」が,時をたがえず,2,300の夕と朝の終わりに当たる1944年初秋(10月8日-22日)に「その正しい状態にされ」たということにほかなりません。それはみ使いが,「前に告たる朝夕の異象は真実なり」とダニエルに語ったとおりです。(ダニエル 8:26)あらゆる点でエホバ神に属するものである神権政治がたたえられたのです。他のいかなる場所にもましてまず第一にエホバの神権政治が行き渡るべきところは,エホバの「聖所」つまり「聖なる場所」です。そして確かに神権政治はそこに行き渡りました。1944年の秋以来このことにはまさに著しいものがあります。
37 第二次世界大戦中,エホバの聖所で仕える霊的な従属の祭司たちである油そそがれた残れる者はどんな点で試験されましたか。しかし彼らは何をすることに成功しましたか。
37 第二次世界大戦中,エホバの「聖民」の残れる者で代表される「彼の聖所の確立された場所」は毀たれました。霊的な従属の祭司たちであるその油そそがれた残れる者は確かに自分たちの神権的な態度および神権組織の点で1938年6月以降,厳しい試験を受けました。英米二重世界強国とその同盟国が,エホバの公の崇拝と奉仕で成る犠牲の「常供の物」を奪い去る点で成功したことはすべて,神権的な「聖民」が人間よりも支配者としての神に服従しつづけるのを至難にしました。ところが,それにもかかわらず,それら聖民はエホバの聖所内で神権政治を首尾よく維持しました。
38 (イ)第二次世界大戦中,「聖民」の残れる者は,第七世界強国の講じた政治的措置で欺かれましたか。(ロ)1944年10月以後の残された約10か月間の大戦中の試練のさい,残れる者はその影響を受けたかどうかをどのように示しましたか。
38 「荒廃を来らする罪」それも特に,英米二重世界強国が第二次世界大戦中でさえ「荒す悪むべき者」を「底なき所」から引き上げるべく講じた措置も,「聖民」の残れる者を欺く,つまりエホバの聖所におけるエホバへの神権的な崇拝から残れる者を逸脱させるものとはなりませんでした。重大な試練の時となった2,300日が終了するころ,彼らはキリストによるエホバの神権政府を支持する点で以前にもまして強力な者であることを示しました。1944年10月から第二次世界大戦とそれに伴う圧迫が終わりを告げるまでになおおよそ10か月の時が残されていたのは事実です。しかし,それら2,300日の最高潮に至って,残れる者は神の聖所における神の支配を擁護する組織的な立場を取りました。そして,今日に至るまで,そうした神権的支配を断固として支持してきました。歴史はこのことを遺憾なく示しています。h
39 それら2,300日の間,「聖なる場所」をその正しい状態にすべく努力したのは,油そそがれた残れる者だけでしたか。この点にかんして使徒ヨハネはどんな幻を見ましたか。
39 それら2,300日の試練の間,神の指導のもとで神の「聖なる場所」をその正しい状態にすべく努力したのは,ひとりエホバの証人の油そそがれた残れる者だけではありません。エホバの霊的な「聖所」で仕える残れる者には忠節な仲間の支持者たちがいました。それはだれですか。使徒ヨハネはそれらの人たちを予見して言いました。「視よ,もろもろの国・族・民・国語の中より,誰も数へつくすこと能はぬ大なる群衆,しろき衣をまとひて手に棕梠の葉をもち,御座と羔羊との前に立ち,大声に呼はりて言ふ『救は御座に坐したまふ我らの神と羔羊とにこそ在れ』……『かれらは大なる患難より出できたり,羔羊の血に己が衣を洗ひて白くしたる者なり。この故に神の御座の前にありて昼も夜もその聖所にて神に事ふ』」。(黙示 7:9-15)小羊イエス・キリストに従う,それら献身してバプテスマを受けた追随者たちは,エホバの「聖民」の油そそがれた残れる者と全く同様に神権的な人たちです。
40 「終わりの定められた時」の最後に至って,第七世界強国とその支持者および敵対者はどうなりますか。エホバの神権政治および地上におけるその神権組織についてはなんといえますか。
40 今やまもなく,つまり現在の「終わりの定められた時」の最後に至って,預言的な『猛悪な顔の王』つまり第七世界強国はその政治的支持者および敵対者もろとも「全能の神の大なる日の戦闘」で「滅され」るでしょう。その滅びは「人手によらずして」成し遂げられます。つまりエホバのクリスチャン証人が手を上げてそうした滅びをもたらすのではありません。(黙示 16:14,16。ダニエル 8:19,新)しかし,エホバの「聖所」で仕える忠実な崇拝者たちが終始一貫堅持してきたエホバの神権政治は勝利を得て存続します。地上のエホバの見える神権組織は全地に行き渡って永続し,従順な人類すべてを,唯一無二の神権統治者であられるエホバの崇拝と奉仕において永遠に一致結合させるでしょう。
[脚注]
a 「ものみの塔」誌(英文)1926年7月15日号の「ロンドン大会」という見出しの箇所をごらんください。
b 「神の目的とエホバの証人」(英文)の153ページをごらんください。
c 「神の目的とエホバの証人」(英文)の181,206-210ページをごらんください。
d 1944年のアメリカナ年報701ページにはこうしるされています。「反枢軸連合国,1942年1月1日,ワシントンで結成され,枢軸侵略国に対する戦争を最後まで遂行し,戦場で勝利を収めた後は,正義に立脚する恒久平和の確立のため協働する旨誓約して国際的提携関係に入った諸国家の総称。関係26か国はそれぞれ自国の代表を通して発布当日の日付けで共同宣言に調印し,1944年2月1日までにはさらに8か国が調印した」
e 1942年10月15日号「ものみの塔」誌(英文)の317-320ページ,「クリーブランドにおける主要な神権的大会」の見出しの記事をごらんください。
f ジュダ・J・スロトキ文学修士・哲学博士はダニエルの預言に関するソンチノ出版部判の68ページで,ダニエル書 8章14節の「夕と朝」についてこう述べています。「もし丸1日の意味であるとすれば,これは合計2,300日,つまり約7年を意味することになり,当然その期間は神殿が汚される前あるいはその後の任意の時期を起点として計算しなければならないことになる」。
g 6年4か月と20日の期間は次のように計算されます。1938年シワン2日(6月1日)から数えて6年は,1944年シワン1日(5月23日)に終わります。それから後の太陰暦4か月(シワン,タンムズ,アーブ,エルル)は1944年チスリ1日(9月18日)に終わります。それに20日を加えると,この期間は1944年チスリ21日(10月8日)に終わります。この全期間を1938年6月15日から数えると,さらに14日を加算するので,その期間は1944年マルケスワン5日(10月22日)に終わることになります。
h 「ものみの塔」誌,1971年2月15日号の「わたしたちは,自分が崇拝しているものを知らねばならない」の記事の17-27節をごらんください。
[150ページの囲み記事]
2,300日の始まりと終わりをしるしづけるできごと
日付 俗界 神権的領域
1938年 6月 1日 「ものみの塔」誌は「組織」と題する
記事の第I部を発表
1938年 6月15日 「ものみの塔」誌は「組織」と題する
記事の第II部を発表
1944年10月 2日 ペンシルベニア州ピッツバーグで
開かれた,ものみの塔聖書冊子協会の
年次業務総会は,修正条項に関する
決議を採択し,協会の定款を前途の
最終的なわざおよび神権的な取り決め
によりよく沿えるものにした
1944年10月 8日 1938年6月1日から計算した場合の
2,300日の終わり
1944年10月 9日 アメリカ合衆国,グレート・ブリテン,
ソビエト連邦および中華民国は,
「国際連合」建設を提唱する決定
を発表
1944年10月15日 「ものみの塔」誌は「最終的なわざのため
に組織される」と題する記事を発表
1944年10月22日 1938年6月15日から計算した場合の
2,300日の終わり
1944年10月23日 フランス臨時政府に対するアメリカ
の承認が発表され,フランスは
国際連合の中で地位を高められた。
ソビエト連邦,連合王国および
カナダも同様の発表を行なう
1944年11月 1日 「ものみの塔」誌は,「活躍する神権組織」
および「今日の神権的路線」と題する
記事を発表