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読者よりの質問ものみの塔 1965 | 2月1日
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読者よりの質問
● 献身したエホバのクリスチャン証者が,キリスト教国,その他,大いなるバビロンに所属する宗教組織に雇われて働くことは正しいですか。
この問題に対する答を決定するにあたり,偽りの宗教の世界帝国全体に関して,エホバがご自分の民に出された明確な命令の言葉に注意すべきです。その宗教帝国は,古代のバビロンよりずっと大規模ながら,エホバに敵対する宗教の台座となったその町の特徴のすべてをそなえているゆえに,大いなるバビロンと呼ばれます。大いなるバビロンに関し,黙示録 18章4,5節は強い言葉でこうすすめます。「わたしの民よ。彼女から離れ去って,その罪にあずからないようにし,その災害に巻き込まれないようにせよ。彼女の罪は積り積って天に達しており,神はその不義の行いを覚えておられる」。
さて,エホバに献身したクリスチャン証者とその良心を持つ人なら,どうして,その活動の全体がエホバ神に敵対する組織のために働く事ができますか。エホバ神は,こうした偽りの宗教組織の歴史が罪の記録であり,その罪は積り積って天に達したと言われます。これらの宗教組織は神について偽りを語り,命のためになされた神の愛の備えから人々を離し,かわって,諸国家の行なう殺りく行為を祝福してきました。自分の手が,そうした神を汚す帝国の活動を助けるために働く事を望む人がありますか。
献身したエホバのクリスチャン証者であることを自ら認める人が,そうした宗教組織に直接雇われて仕事をするならば,その者は,実際には,その組織の一部となっています。その者が,自分の行為の意味を知りつつ,なおそれを行なうならば,その者は背教者,つまり,クリスチャン会衆から背斥すべき者として扱わねばなりません。しかし,普通の商社に勤め,その商社が教会関係の仕事を専門に扱っている場合もあるでしょう。その仕事にたずさわっている者が,実際には,自分の会社の仕事をしているにすぎないのは事実ですが,その種の仕事を正規の仕事とするのは,クリスチャンとして未熟さのあらわれであり,御国の伝道者として自分の奉仕を報告する事はさしつかえないとしても,会衆内の模範となるべき僕とはなれません。商社が教会関係の仕事を扱っても,それが時おりの事であるならば,どんな仕事にもよくあることであり,それが会衆内の他の人々のつまずきとならないかぎり,その種の仕事をしたからといって,会衆内の僕としての資格を失うことはありません。しかしこの場合でも,雇い主に話して他の仕事にまわしてもらうこともでき,あるいは,自分の良心を守るために,偽りの宗教組織と関係の少い別の職場に変わることもよいでしょう。―ペテロ前 3:16。
もとよりあきらかな事ながら,大いなるバビロンについて聖書の述べるところを十分に知るクリスチャン証者なら,個人で定期的にも,あるいは一時的にも,偽りの宗教組織と仕事の契約を結ぶべきではありません。そして,問題の重要さを知らずして,この種の契約をした人がいるなら,神の前にあって良心を守り,神の組織との正しい関係を保つため,できるだけ早く事情を改めねばなりません。―コリント後 6:16,17。
現在の古い組織制度内にあっては,仕事を見つけることのむずかしい場合もあり,経済面で圧迫されることもありますが,エホバ神に忠実であるなら,「わたしたちの日ごとの食物を,日々お与え下さい」との私たちの祈りにエホバが答え,私たちの努力をエホバが祝福される事を確信でまきす。
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親切ものみの塔 1965 | 2月1日
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親切
◇ クリスチャンの親切な行為は人の心をエホバの真理に向けさせます。その良い例がカナダでありました。「巡回の僕の訪問のあった,ある土曜日の午後,主人と私は,その日の最後の家を訪ねるところでした。その時,隣家の婦人は外出するらしく,戸に鍵をかけていました。私たちはアンドーバーまで参りますが,もし良かったら私たちの車に一緒にお乗りになりませんか,と婦人に申し出たところ,この婦人も友人を訪ねてアンドーバーまでゆくところでした。私たちが先方に着くと,婦人の友人は知り会いに不幸があって,駆けつけるところであり,その晩は帰宅しないとの事でした。婦人はどうしようかと戸まどっていました。それで,私たちは,婦人をその晩集会にさそい,その後家までおくる事を申し出ました。婦人は私たちの申し出を受け入れ,その夜の集会に出席しましたが,その集まりを非常に喜んで,次の日曜日にブリストルで開かれた巡回の僕の講演会にも出席しました。これにも喜んだ婦人は,また次の週の講演も聞きに来て,自分もエホバの証者になりたいと言いました」。
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