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読者よりの質問ものみの塔 1957 | 7月15日
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読者よりの質問
★ マルコ伝 9章47,48節(新口)は次のように述べています,『もし,あなたの片目が罪を犯させるなら,それを抜き出しなさい。両眼がそろつたままで地獄に投げ入れられるよりは,片目になつて神の国に入る方が良い。地獄では,うじがつきず,火も消えることがない。』この聖句は,悪しき者に対する永遠の苦しみを証明しませんか。
悪しき者の魂が火の中で永久に苦しめられて,うじでもつて永久に食べられるためには,その魂は亡ぼすことのできないもの,不滅のものでなければなりません。しかし,以前の答の示す通り,魂は不滅のものではありません。罪を犯す魂は死ぬもので,全くの無意識になります。エデンの中で神は,不従順に対する罰は永遠の苦しみであるとアダムに告げていません。神はアダムに向つて『必らず死ぬべければなり』と言われました。それから幾千年経つた後でも,刑罰は同じで『罪の払う価は死なり。』永遠の苦しみではありません。―創世 2:17。
それでは,質問の中に引用されているマルコ伝 9章47,48節についてはどうですか。それは象徴的な言葉であつて,文字通りに取るべき言葉でないことは明白です。火の苦しみを信ずる者でも,目が欲望か貪欲を抱いて物を見るなら自分の目を抜き出す,などのことをしないでしよう。しかし,この聖句を文字通りに解釈して永遠の火焙りを避けたいなら自分の目を抜き出さねばならないのです。つきることのないうじや,消すことのできない火を避けねばならない,というのであるなら,救済の手段も実際文字通りのものでなければなりません。永遠の苦しみを信ずる人でも,正常な頭を持つているなら手や足を切り落したり,目を引き抜くことをしないでしよう。それらの器官が罪を犯すとしても,そのようなことをしないでしよう。この聖句は象徴的な言語です。うじや火についての言葉も象徴的です。
『地獄』と訳されている言葉は,ギリシャ語の言語ではゲヘナです。それは,ヘブル語のゲイーヒンノムから来たもので,昔のエルサレムの西南にあつた谷を示しました。ユダの後世の王たちの時には,この谷は偶像崇拝の為に用いられていました。このことを阻止する為に忠実なヨシア王はその谷をけがらわしいところにして,エルサレムの塵芥集積所および焼却場にしました。汚物焼却の火勢を強めるために硫黄が加えられました。死んだ動物の屍がこの谷に投げこまれて焼却され,時折りには処刑された囚人の死体も投げこまれました。それらはあまりに極悪であるから復活を受けるに値しない。と考えられる囚人たちです。死体が火の中に入れば,焼かれてしまい,もし深い谷の張り出し部分にひつかかつて火焰の中に入らないなら,ウジに食べられてしまいました。それで,硫黄の火が燃えていて,ウジが居り,かつ無価値な者の投げこまれるヒンノムの谷は,復活のない死を象徴すると,イエス時代のユダヤ人は考えていました。それは,絶滅,『第二の死』,永遠の亡びなる刑罰を意味しました。ヒンノムの谷なるゲヘナとその意味から,『火と硫黄の燃える池』という象徴の言葉が出て来たのです。復活の希望がない死を意味するものです。『火と硫黄の燃えている池が……第二の死である。』― 黙示 21:8; 19:20; 20:10。14,15。
それで,マルコ伝 9章47,48節を正しく理解するとき,罪に対する罰が死であると示す他の聖句と矛盾することはありません。かえつて,永遠の苦悩説を否定して,死の刑罰説を裏づけるものです。
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『ものみの塔』の研究ものみの塔 1957 | 7月15日
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『ものみの塔』の研究
8月11日: あなたのクリスチャン信用を守りなさい 1-19節 265頁
8月18日: あなたのクリスチャン信用を守りなさい 20-26節および他の人々に対するクリスチヤンの責任 1-9節 270頁
8月25日: 他の人々に対するクリスチャンの責任 10-22節 274頁
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1957年度の地域大会 ― 静岡市ものみの塔 1957 | 7月15日
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1957年度の地域大会 ― 静岡市
真のクリスチャンが互に集まることは大切なことです。それは神の命じている事柄です。このために8月14日-18日までの5日間にわたるヱホバの証者の全国大会が静岡県民会館で行われます。ヱホバの食卓からの良いすばらしいものを頂くために,みなさんの家族を伴うように取りきめて下さい。左記宛に宿舎請求書を早く送つて下さい。
静岡市大岩宮下町58,佐山志茂様方,福島 昭
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あなたの記憶調べものみの塔 1957 | 7月15日
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あなたの記憶調べ
この号の『ものみの塔』を読んで後に,次のことを憶えていますか。
✔ 楽観的な考えに対する真実の基礎は何ですか。264頁,2節。
✔ 私たちの訓練はどのように運動家の訓練のようですか。266頁,6節。
✔ 霊的な力をどのように得ますか。267頁,10節。
✔ 神の奉仕に自分は無用な者である,となぜ感じてはなりませんか。270頁,22節。
✔ 他の者からなぜ孤立してはなりませんか。272頁,3節。
✔ なぜクリスチャン制度は,あらゆる悪行のない状態でなければなりませんか。275頁,11節。
✔ クリスチャン責任に関して,テモテとパウロはどんな模範を私たちに残しましたか。276頁,16節。
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