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読者からの質問ものみの塔 1966 | 12月1日
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読者からの質問
● 黙示録 3章15,16節には熱いことと冷たいことが述べられていますが,キリストは,なまぬるい者だけを吐き出すであろうと語っています。それはどうしてですか。―アメリカの一読者より
イエス・キリストは「ラオデキヤにある教会の御使」に不満の意を示して,次のように言われました。「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく,熱くもない。むしろ,冷たいか熱いかであってほしい。このように,熱くもなく,冷たくもなく,なまぬるいので,あなたを口から吐き出そう」。(黙示 3:14-16)ラオデキヤのクリスチャン会衆の人々は,霊的にさわやかな態度を示していなかったのです。彼らはなまぬるく,無関心で冷たんでした。霊的に富んでいて,なんの不自由もないと思っていたのです。しかし,彼らは,「みじめな者,あわれむべき者,貧しい者,目の見えない者,裸なる者」であるというのが,主の見解でした。それで適切にもイエス・キリストは彼らに悔い改めを促しておられます。―黙示 3:17-19。
黙示録 3章15,16節に述べられている熱い状態は,熱意とか愛に燃えていることであり,それに対して,冷たい状態は,熱意とか愛が不足して冷たんになったことを示していると,考える人があるかもしれません。しかしキリストは次のように言われました。「熱くもなく冷たくもなく。なまぬるいので,あなたを口から吐き出そう」。冷たい者も熱い者も吐き出されることはありません。冷たさが,愛や熱意のないことであれば,冷たい者は,吐き出されてしまったはずです。主にとって,冷たい者は熱い者と同じように受け入れられるものでした。イエスは,なまぬるい者だけを吐き出しました。そういうわけで,黙示録 3章15,16節の「冷たい」ことは「熱い」ことの対照となっているのではありません。
この場合,明らかに,ラオデキヤの人々の無関心を打破しようとして比喩が使われています。彼らが「忠実な,まことの証人」のことばを理解できたことは確かです。ラオデキヤの近くには温泉と冷泉がありました。また,宴会の時にもなまぬるい飲物ではなくて冷たい飲物や熱い飲物を出すのが習慣でした。
寒い日には,熱いスープのような熱い汁物がよろこばれ,飲む人を元気づけます。気温が高いときは,冷たいレモネードのような冷たい飲み物が気分をさわやかにします。なまぬるい飲み物はどちらの場合でも歓迎されないでしょう。
黙示録 3章14節から19節のことばにより明らかに主イエス・キリストは,ラオデキヤのクリスチャンの霊的になまぬるい状態がひじょうに思わしくないことを意味していたのです。彼らは,無関心を排除し,霊的なおもいを増して,はっきりした立場をとることが必要でした。
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発表ものみの塔 1966 | 12月1日
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発表
野外奉仕
平和の君の地的な関心事を増加させるために働くエホバの証人は,12月中,家から家の活動で,「神が偽ることのできない事柄」と「御心が地になるように」の2冊の美しい聖書の手引きを,2冊の小冊子とともに400円の寄付で人々に提供します。
「神は生きている! どうしてわかるか」
風,電気あるいは重力の法則の存在をあなたが信ずるのはなぜですか。これらを見たことがありますか。神を見た者はだれもいませんが,それは神の存在を否定したり「神は死んでいる」という確かな理由になりますか。「神は生きている! どうしてわかるか」。これは広く親しまれている「神が偽ることのできない事柄」と題する,世界中の人々に読まれている本の第1章です。この本は神の存在を証明するだけでなく,神が目的をお持ちになることをも証明し,神の目的の理解を助けるために聖書を解明しています。あなたもご自分のために神の目的を知ることが必要です。この本をご注文ください。1冊200円です。時宜にかなった無料の小冊子とともにお送りします。
「ものみの塔」の研究
12月18日: エホバが神であることをバビロン的な敵意の中で擁護する,1~18節,713頁。
12月25日: エホバが神であることをバビロン的な敵意の中で擁護する,19~25節と,「敵意の的」イエスはエホバが神であることを擁護する,1~11節,719頁。
1月1日: 「敵意の的」イエスはエホバが神であることを護擁する,12~32節,725頁。
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