第2章
秘義の巻き物を開く者
1 神の秘義の巻き物が開かれることにより,わたしたちはどんな事柄を学べるでしょうか。
秘義の巻き物は解かれ,わたしたちの時代にかかわるその秘められた内容は,明らかになってきています。それは,この驚くべき20世紀に,劇的な事件となって表われ,現実のものとなるのです。この秘義の巻き物を開き,世界の舞台で繰り広げられる,人の興奮を引き起こす出来事に関連して,その奥義を説明する資格を持つ者が見いだされました。巻き物を開くこの熟練者はだれですか。彼はどのようにしてその巻き物を手にしたのですか。また,なぜその任務を託されたのですか。19世紀前のクリスチャン使徒ヨハネは,こうした同じ質問に深い関心を抱いていました。それは,人の関心をそそる,現代の他のすべての驚異にまさって,わたしたちの関心に値する質問です。その答えを得ようと努めるなら,豊かに報われることでしょう。では,使徒ヨハネに加わり,答えを学んで行きましょう。
2 天のみ座の幻を見ていたヨハネは,次に何を見ましたか。
2 霊のうちに天へ上って来て見るよう,ヨハネに招待を差し伸べた幻は,天のみ座に着いておられる全能のエホバ神が,栄光のうちに座し,天の被造物から賛美を受けておられるところを見せました。しかし,それで終わってしまっていたわけではありません。光彩陸離たるみ座に着いておられる神を表わす,まばゆいばかりの美しい輝きの中から,手が出されたのです。それは右手で,しかも何かを持っていました。啓示を明らかにする義務を負った使徒ヨハネは,それについて次のように述べています。「それからわたしは,み座にすわっておられるかたの右手に,内部にも裏側にも書き込まれた巻き物があるのを見た。それは七つの封印で堅く封印されていた。そして,ひとりの強い使いが,『巻き物を開いて,その封印を解くにふさわしい者はだれか』と大声でふれ告げているのを見た。しかし,天にも地にもまた地の下にも,巻き物を開きあるいはその中を見ることのできる者はひとりもいなかった。それで,巻き物を開きあるいはその中を見るにふさわしい者が見いだされなかったので,わたしは激しく泣きだした」― 啓示 5:1-4。
3 (イ)ヨハネの見た巻き物を書いたのはだれですか。神がそれを右手に持っておられることは何を象徴していますか。(ロ)七つの封印は,神が決して秘義を啓示されないということを意味していましたか。それとも何を意味していましたか。
3 封印を破って内側を見ようとして,全能の神の右手からその巻き物を奪い取ることはだれにもできません。神ご自身が望まれる時にのみ,特に力を象徴するその右手は,ふさわしく,適当と認める者に,その巻き物を渡します。神ご自身が,その巻き物の内容を内側と外側に書かれました。つまり,神の秘義の終了に関連した出来事についての,非常に興味深い預言を,神が記録されたのです。それら預言的な事柄は,天と地のいかなる被造物であろうと,ふさわしい者でない限り決して探知できないよう,完全に封印されていました。七つの封印はそのことを示しています。しかし全能の神は,巻き物がご自分の右手にあるのを見せるだけで,それを見る者すべてをじらし,七つの封印全部を破って巻き物の預言的内容を明らかにするにふさわしい者を,決して備えてくださらないのでしょうか。いいえ。被造物のもっともな関心を満足させ,ご自分の意志に関する神聖な秘義を啓示するのが目的でなかったのなら,この秘義の巻き物を見せることはされなかったでしょう。神は定めの時に,ふさわしい者により,ご自分の秘義を啓示されるのです。
4 エホバは秘義に対するヨハネの関心をどのように試されましたか。それは現代どのような成就を見ましたか。
4 「巻き物を開いて,その封印を解くにふさわしい者はだれか」という,大いに興味をそそる問いを大声でふれ告げることにより,その強いみ使いは,神の評価にかなう者を天と地の生きている者たち,および地下の死人の中から捜し出すよう促します。使徒ヨハネ自身は,ふさわしくありませんでした。それで,他のどの被造物もふさわしくないように見えた時,彼は泣き出しました。ヨハネは,巻き物の秘義が正確に解かれることを切望したのです。それは,七つの封印がついに一つ一つ順を追って開かれるにつれてヨハネが見た,その象徴的な事柄の意味を理解したいという,現代20世紀に聖書を研究する真のクリスチャンの切なる願いを予影していました。第一次世界大戦終了前の1918年に,それら真剣なクリスチャンの聖書研究者に与えられた説明は,彼らを満足させるものとはなりませんでした。しかし神は,ヨハネの関心の程を試されたのと同じく,20世紀のクリスチャンの関心の程を試されたのです。
5,6 封印を開くに値する者はだれかが,使徒ヨハネに少なくとも部分的に明らかにされました。どのようにですか。
5 長く試されたわたしたちの関心と切望の涙は,19世紀前のヨハネの熱い涙と同じく乾くことになります。しかしだれによってですか。自分たちの黄金の冠を神の足下に投げ出した二十四人の長老のひとりがヨハネを助け,重要な発見を彼に知らせました。「しかし長老のひとりがわたしにこう言う。『泣くのをやめなさい。見よ,ユダ族の者であるしし,ダビデの根が勝利を得たので,巻き物とその七つの封印を開くことができる』」。(啓示 5:5)ユダヤ人のクリスチャン使徒ヨハネは,「ユダ族の者であるしし,ダビデの根」がだれかをよく知っていました。彼は,西暦前1711年,族長ヤコブが臨終に際して,ユダという名の四番目の息子について述べた預言を思い起こしました。それは創世記 49章9,10節〔新〕に記録されています。
6 『ユダは獅子の子のごとしわが子よ汝は所掠物をさきてかへりのぼる彼は牲獅子のごとく伏し牝獅のごとくうづくまるたれか之をおこすことをせん〔笏〕ユダを離れず法を立る者〔の杖〕その足の間をはなるることなくしてシロの来る時にまでおよばん彼にもろもろの民したがふべし』。
7 (イ)ヤコブの預言は,「ユダ族の者であるしし」および,その者に対する神の目的に関して何を示していますか。(ロ)シロという名には,どんな意味また意義がありますか。
7 神の秘義あるいは神聖な奥義に関する,この部分的な解き明かしによると,「ユダ族の者であるしし」は,正義の王,ししのように恐れることなく神の公正を施行する王であるはずです。王としての支配の笏は,最後には必ずその者に至ります。神は,世界を支配する王としての笏を,決してこのししから転じさせません。また,その笏が他の者に転じることも,絶対に許されないのです。あらゆる国民の従順は,その者に属するからです。彼のもとに必ず来るものは,『法を立つる者の杖』であり,それは彼が世界支配の座に着く時,そのひざおよび足の間に置かれます。彼が来る時,「シロ」が到来します。その名は,神から付与される支配権を意味します。なぜなら,シロは(ヘブライ語で)「それが属する者」,「その所有になる者」という意味だからです。ユダ族は,西暦前1711年から西暦33年に至る,1,743年間存在するのですが,笏と法を立つる者の杖は,他に転じることなく,確実に,「ユダ族の者であるしし」の永久の所有に帰します。それが神のご意志だったのです。
8 (イ)ダビデ王はどの家系の者でしたか。神はいつ彼と契約を結ばれましたか。(ロ)「ユダ族の者であるしし」が「ダビデの根」でもあるのはどうしてですか。
8 このユダ族から,ベツレヘム-ユダの町に住む,エッサイの一番末の息子ダビデが出ました。ダビデはまだ羊飼いの少年であった時,将来イスラエルの全十二部族の王となるべく,神の命令に基づき,預言者サムエルによって油そそがれました。西暦前1077年には,ユダの部族の王となるため,ヘブロン市で油そそがれました。それから七年半後,西暦前1070年,ついに彼はイスラエル全十二部族の王として油そそがれました。彼は自分の首都をエルサレムに移しました。エホバ神はその都において,ご自分の選んだ民を治める神の王国が常にダビデの家系にとどまるという,厳粛な契約を彼と結ばれたのです。(サムエル後 7:8-29)このダビデ王の家系は,王座の永久相続者に至りますが,そのとこしえの相続者は,「ユダ族の者であるしし」です。それは,西暦前607年に異教バビロニア人によって倒されたダビデの王国を回復するため,神によって用いられるかたなのです。その後,この最終相続者は「ダビデの根」となり,「根」としてダビデの王国に新しい命を与え,それを永遠に存続させます。
9,10 (イ)巻き物とその封印を開く資格を持つ者には何が要求されましたか。(ロ)ヨハネの幻の中で,そのふさわしい者はどんな姿をしていましたか。
9 神の手にある秘義の巻き物を受け取り,その七つの封印を開くにふさわしい者であることを証明するため,この「ユダ族の者であるしし」はまず征服を遂げねばなりません。しかし何を,どのように征服するのですか。その父祖ダビデは,征服を遂げ,神の助けを得てイスラエル国民のために約束の地全体を従わせました。彼の永久相続者は,どのように征服し,ふさわしい者であることを証明するのですか。その永久相続者がだれかを確かめるなら,彼がどのように「勝利を得たので,巻き物とその七つの封印を開くことができる」かを知る助けとなります。問題のふさわしいかたは,見いだされたのです。使徒ヨハネは,そのかたが緊張の瞬間に天の場面に登場する幻を与えられました。そのかたはどんな姿をしていますか。ししのような姿ですか。ヨハネよ,話してください! わたしたちの願いにこたえ,彼はこう記します。
10 「するとわたしは,み座と四つの生き物との中央[または,み座の中心]に,また長老たちの中央に,ほふられたかのような子羊が立っているのを見た。それには七つの角と七つの目があり,その目は,全地に送り出された神の七つの霊を表わしている。そして彼は行って,み座にすわっておられるかたの右手からそれを直ちに受け取った」― 啓示 5:6,7。
11 ヨハネは子羊がだれを象徴しているか十分に理解できました。どうしてですか。
11 使徒ヨハネはたぶん驚いたことでしょう。象徴的なししの代わりに,象徴的な子羊を見たのです。つまり,ほふられたにもかかわらず,「み座にすわっておられる」全能の神の力によって生き返らされた,象徴的な子羊を見たのです。これで,「ユダ族の者であるしし」の実体は,取り違えようがありません。使徒ヨハネは西暦29年,使者バプテストのヨハネの言葉を聞きました。イエスは水によってバプテスマを受け,次いで天から神の霊によって油そそがれましたが,バプテストのヨハネは自分の近くにいたそのイエスを指して,『見なさい,神の子羊です!』と言ったのです。その前日,バプテストのヨハネは,傍観者の聞こえるところで次のように言いました。「見なさい,世の罪を取り去る,神の子羊です!……わたしは,霊が天からはとのように下って来るのを見ましたが,それは彼の上にとどまりました。わたしも彼を知りませんでしたが,水でバプテスマを施すべくわたしを遣わしたそのかたが,『あなたは霊が下ってある人の上にとどまるのを見るが,それがだれであろうと,その者こそ聖霊でバプテスマを施す者である』とわたしに言われました。そしてわたしはそれを見たので,このかたこそ神の子であると証ししたのです」― ヨハネ 1:29-36。
征服を遂げた「子羊」
12 (イ)「神の子羊」はどのように,またどんな目的のためにほふられましたか。(ロ)ヨハネはどんな事柄に基づいて,このかたが征服者でもあることを知りましたか。
12 それから約三年半の後,西暦33年のニサン14日,つまり過ぎ越しの日に,使徒ヨハネは自ら,「神の子羊」がエルサレムの城壁の外で刑柱にくぎづけにされ,ほふられて殺されるのを見ました。彼は,外見上はのろわれた犯罪人のように映りましたが,実際には「世の罪を取り去る」象徴的な過ぎ越しの子羊として死んだのです。イエスの刑柱の近くに立っていた使徒ヨハネは,文字どおりの過ぎ越しの羊の場合と同じく,イエスの死体が刑柱から降ろされて埋葬される前に,その骨の一つとして折られなかったと告げています。(ヨハネ 19:25-37。出エジプト 12:43-46)その前夜,使徒ヨハネはイエスが忠実な追随者たちに次のように言うのを聞きました。「世にあってあなたがたには患難がありますが,勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」。(ヨハネ 16:33)世のこの征服者がほふられ,埋葬されてから三日目に,使徒ヨハネは,彼が全能の神の力によって死人の中から復活させられ,再び生きているのを見ました。そして,それから四十日目,この復活したイエスがオリーブ山から天へ昇り,雲に隠れて見えなくなるのを目撃したのです。―ヨハネ 20:19-25。ルカ 24:36-53。使徒 1:1-12。
13 子羊はどのようにしてししとなりましたか。その七つの角は何を象徴していますか。
13 邪悪な世を征服し,刑柱の死に至るまで全能の神に対する忠実を実証した報いとして,神のこの象徴的な子羊は,「ユダ族の者であるしし,ダビデの根」となりました。全能の神は彼に全権を,つまり,一度ほふられたこの子羊が自分に関する神の目的を完全に遂行するのに必要な,全権限を付与されたのです。子羊の頭の上にある「七つの角」は,その全権を象徴していました。
14 子羊が七つの目を持っていることは何を示していますか。
14 彼は一切の権限だけでなく,そうした絶大なる権限を付与されるにふさわしい,完全な知覚力,識別力そして知識を具備しておられます。それは,この特異な子羊の「七つの目」によって象徴されており,子羊はこの十全の知覚力と知識を,全能の神より受けました。その理由で,七つの目は「全地に送り出された神の七つの霊」であると言われているのです。霊(ギリシャ語でプニューマ)は活動力であり,「七つの目」また「七つの霊」は,神からの活動力の満ち満ちた様を意味しています。子羊はこの力を用いて,全地で行なわれているすべての事柄を遠く天から見極め,その意義を識別されるのです。―ゼカリヤ 4:10と比較してください。
15 (イ)ヨハネは子羊がどんな行動を取るのを見ましたか。(ロ)彼が神の手から巻き物を取るのを許されたことは何を示していましたか。
15 一度ほふられたにもかかわらず,世を征服したこの子羊こそ,一点の疑問の余地なく,「巻き物を開いて,その封印を解くにふさわしい者」だったのです。それで,子羊は,神のみ座の回りの王座に円状に着いている二十四人の長老を通り過ぎ,また,み座の四方に向かって中心に位置している四つの生き物ケルブを通り過ぎ,そうです,ししに似た生き物を通り過ぎて直接神のみ座のもとに出,その右手から秘義の巻き物を受け取りました。神の手から巻き物を取るのを許されたということは,彼が巻き物に書かれている事柄を天と地の創造物に啓示する使命を与えられた,という意味です。また,巻き物に書かれている預言の真の成就に必要なことは何であれ,それを行なう権限が彼に与えられたことをも意味していました。子羊の象徴的な「七つの目」,「七つの霊」そして「七つの角」が有用になるのはその点なのです。
16 (イ)ダニエル書 7章の預言に記録されている幻の中で,ダニエルが何を見たか説明しなさい。(ロ)その幻はいつ成就しましたか。(ハ)ここで比較されている二つの預言には,どんな一つの相違点が認められますか。
16 このように見てくると,この天の場景は,ダニエル書 7章13,14節に記録されている,預言者ダニエルの幻とは異なる点があります。ダニエルは,人の子のような天の者が,大いなる誉れを受けるため,日の老いたる者のもとに導き入れられるのを幻で見ました。日の老いたる者である全能の神は彼に,イスラエルの国の十二部族に限らず,全人類に及ぶ支配権,尊厳そして王国を授けました。「諸民 諸族 諸音をしてこれに事へしむ」るためです。これは,異邦人の時の終わり,つまり西暦1914年のティシュリ15日(10月4/5日)ごろ天で成就しました。彼はその時から,「汝はもろもろの仇のなかに王となるべし」との神の命令に従っておられます。(詩 110:1,2。ヘブライ 10:12,13)ダニエルの幻は,地上のそれらすべての敵が最終的に滅ぼされ,その結果,対抗する地的政府の存しない,人の子の王国による,諸民,諸族,諸音に対する支配の道が開かれることを示しています。(ダニエル 7:11,12,17-26)しかし,ダニエルに与えられたこの幻は,人の子が神の右手から奥義の巻き物を受け取り,その秘義の内容を明らかにするため七つの封印を破るところは示していません。
17 (イ)幻の示すところによると,だれがふさわしいかに関する決定を,神は子羊が巻き物を受け取りに現われる時に下されるのですか。(ロ)幻は,クリスチャンの深い関心事となってきたどんな事柄を明らかにしていますか。
17 すると,いつ,子羊つまり「ユダ族の者であるしし」は到来し,神の右手から巻き物を受け,七つの封印を開き始めたのでしょうか。ヨハネの幻の成就としてこの子羊が実際に現われ,神の手から巻き物を取る時に初めて,天のみ座に着いておられるエホバ神は決定を下し,巻き物を取ってその内容を表わすにふさわしい者を全創造物に示す,というのではありません。使徒ヨハネはその幻を西暦1世紀の終わり近くに与えられたようであり,伝統によると,それは西暦96年ごろとされています。この幻は当時,そのような秘義の巻き物があるであろうこと,そしてそれを解く誉れと権威が象徴的な子羊,「ユダ族の者であるしし」,すなわち,天で栄光を受けるイエス・キリストのために取って置かれていることを明らかにしたのです。その時以来,聖書を研究するクリスチャンは,天のイエス・キリストが神の手からその巻き物を受け取り,その預言的な内容の成就に関する理解を啓示してくださることを待ち望みました。
18,19 (イ)七つの封印が破られるのはいつであると考えられますか。(ロ)神の子羊が封印を開く用意をする時,見えない天では何が起こりますか。
18 西暦1914年以来地上で起きているすべてのことを考えると,秘義の巻き物の七つの封印が20世紀に破られているというのは,奇妙であり,不合理なことでしょうか。いいえ。わたしたちはこの可能性に導かれて,七つの封印が逐一破られた後に天と地で何が起きるかを,深い関心を抱いて調べるべきです。それは実に,「神の秘義」の終了を包含するのです。しかし,幻の中でそのふさわしい者である子羊が巻き物を手にした時,使徒ヨハネは何を見ましたか。そしてわたしたちは,この子羊が巻き物によって表わされているものを実際に取り,神の是認の下にその七つの封印を開こうとする時,見えない天で何が起きることを期待すべきですか。ヨハネよ,どうぞ話してください。
19 「そして彼が巻き物を受け取った時,四つの生き物と二十四人の長老は子羊の前にひれ伏した。彼らはおのおのたて琴と,香のいっぱいはいった黄金の鉢とを持っていた。その香は聖なる者たちの祈りを表わしている。そして彼らは新しい歌をうたって言う,『あなたは巻き物を受け取ってその封印を開くにふさわしいかたです。あなたはほふられ,自分の血をもって,あらゆる部族と国語と民と国民の中から神のために人びとを買い取ったからです。そして,彼らをわたしたちの神に対して王国また祭司とし,彼らは地に対し王として支配するのです』」― 啓示 5:8,10。
20 この時点において,適切にも,天のケルブと二十四人の長老は何をするように動かされますか。
20 四つの生き物によって表わされている天のケルブでさえ,子羊に敬意をささげ,神の選ばれたこのかたをふさわしい者と認めるため,「聖なるかな,聖なるかな,聖なるかな,全能者なる神エホバ,かつておられ,今おられ,これから来られるかた」と言い続けることを中断します。(啓示 4:8)二十四人の長老によって表わされている者たちは,み座に着いておられる神の前でしたように,子羊の前で冠を投げ出すことはしません。しかし彼らに加わり,子羊に神のふさわしい者としての敬意をささげるのです。
21 (イ)啓示が書かれたギリシャ語によると,たて琴と黄金の鉢を持っている者は二十四人の長老であることがどのように分かりますか。啓示 14章1-3節はこの点をどのように支持しますか。(ロ)香のはいった黄金の鉢は何を象徴していますか。
21 ヨハネが幻を書き記したギリシャ語によると,おのおのたて琴と,香のいっぱいはいった黄金の鉢とを持っている者たちは,四つの生き物であるケルブではなく,二十四人の長老です。「長老のおのおのはたて琴を持ち,彼らは黄金の鉢を持っていた」,と新英語聖書は5章8節の聖句を訳していますa。後程(啓示 14:1-3),神の子羊の足跡に忠実に従う14万4,000人の追随者たちは,たて琴を持ち,新しい歌をうたっていると示されています。彼らは「聖なる者」で,黄金の鉢から出るかのような「香」にも似た「祈り」を神にささげるのです。
22 二十四人の長老はだれについて新しい歌をうたっていますか。彼らは自分自身に賛美と誉れを帰しているのですか。
22 ですから,14万4,000人を表わす二十四人の長老は,子羊がふさわしいかたであることを認めて彼に次のように歌う時,実際には自分たちについての「新しい歌」をうたっているのです。「あなたはほふられ,自分の血をもって,あらゆる部族と国語と民と国民の中から神のために人びとを買い取ったからです。そして,彼らをわたしたちの神に対して王国また祭司とし,彼らは地に対し王として支配するのです」。祭司とされ,地を支配するそれら子羊の追随者は,天の栄光を得る「第一の復活」にあずかり,「聖なる者」と呼ばれます。(啓示 20:4-6; 14:4,5)14万4,000人の者たち(使徒ヨハネはその一人であった)は,そうした栄光ある将来を,かつてほふられた子羊に大きく負っており,極めて適切にも,彼をふさわしいかたと認めるのです。
超人的な被造物から,ふさわしい者として歓呼を受ける
23 み使いは自分たちの認識をどのように表わしますか。
23 聖なるみ使いは,子羊の血によって神のために買われた者ではありませんが,その彼らでさえ,無私の認識に動かされて,子羊すなわち「ユダ族の者であるしし」がふさわしいかたであることを認めます。使徒ヨハネはこう述べています。「それから,わたしが見ると,み座と生き物と長老たちの回りにいる多くの使いたちの声が聞こえた。彼らの数は数万の数万倍,数千の数千倍であり,大声でこう言った。『ほふられた子羊は,力と富と知恵と強さと誉れと栄光と祝福を受けるにふさわしいかたです』」― 啓示 5:11,12。
24 (イ)復活後,ご自分の弟子たちを残して天に昇った時,イエスはどんな歓迎を受けましたか。(ロ)幻のどんな点から,その成就の時を定めることができますか。
24 わたしたちは,この天の場景から,イエス・キリストが西暦33年,天でどのような歓迎を受けたかを想像できます。彼はその年のユダヤ太陰月イヤルの25日,つまり,死人の中から復活して四十日目に,ご自分を見守る弟子たちを残して,エルサレム市の東にあるオリーブ山から天に昇られたのです。(ルカ 24:50-52。使徒 1:1-12。ヨハネ 6:62; 20:17。ヘブライ 1:3,4。ペテロ第一 3:22)使徒ヨハネが見た天の場景には,悪魔サタンもその悪霊たちも見当たりません。これは,ヨハネの幻が成就する時までに,悪魔サタンと悪霊たちが天から放逐され,地の周辺に封じられていることを示唆しています。(啓示 12:7-13)ヨハネの幻の成就は,西暦1914年の異邦人の時の終了後のもの,また,それに続いて生じた天の戦争,つまり,「ユダ族の者であるしし」の子羊が征服を遂げた,その戦争後のものということになります。(啓示 5:5)それゆえ,清められた天において,すべての霊の被造物は,かつてほふられ,今や復活させられた神の子羊を,エホバ神からの報いである力,富,知恵,強さ,誉れ,栄光そして祝福を受けるにふさわしいかたとして,歓呼して迎えるのです。
25,26 (イ)地上の人間は子羊に対してみ使いと同じ感謝を示すべきです。なぜですか。(ロ)ヨハネの幻はどんな願わしい状態を描いていますか。それはいつ生じますか。
25 人間は「み使いたちより少し低い者」として造られました。(ヘブライ 2:5-9。詩 8:4,5)人間より勝ったみ使いたちが,ご自分を犠牲にされた子羊イエス・キリストを,神から恵みと誉れを受けるにふさわしいかたとしてこれほど歓呼して迎えるのであれば,地上にいるわたしたちが,子羊に対して同様の感謝を示すべきなのは当然のことではありませんか。わたしたちは,み使いに加わり,子羊イエス・キリストが天で栄光を受けたことを認め,それを称賛すべきではありませんか。ヨハネの幻の後の部分の成就にあずかりたいのであれば,最終的にはそうしなければならなくなるでしょう。ヨハネの幻のその後の部分は,遠い将来を,そうです,天と地の生ける全創造物がエホバ神の最高の代表者である子羊の下に一つとなる,千年後の将来を見通しているのです。それが実現するためには,悪魔サタンと悪霊,そして悪魔に仕えることをよこしまにも選ぶ者すべてが,将来最終的に滅ぼされねばなりません。ヨハネはこの願わしい状態をわたしたちに約束し,次のように記しています。
26 「そして,天と地と地の下と海の上とにいるあらゆる被造物,およびそこにあるすべてのものがこう言うのが聞こえた。『み座にすわっておられるかたと子羊とに,祝福と誉れと栄光と偉力がかぎりなく永久にあらんことを』。すると,四つの生き物は『アーメン』と言い,長老たちはひれ伏して崇拝した」― 啓示 5:13,14。
27 「地の下」にいるすべての被造物がエホバ神と子羊に祝福と誉れを帰するという表現は,どんな驚くべき将来を見通していますか。
27 『地の下……にいるあらゆる被造物』が天のみ座にすわっておられるエホバ神,および神の子羊に祝福と誉れと栄光そして偉力を帰しているのを見聞きした,とヨハネが述べる時,わたしたちは大きな感動を覚えるではありませんか。それにしても,なぜそれほどにまで感動させられるのでしょうか。なぜなら,そのような奇跡は,死人が地の墓から復活して来ることを意味しているからです。神の子羊は地上で人間であった時,次のように言われたことがあります。「このことを驚き怪しんではなりません。記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです。良いことを行なった者は命の復活へ,いとうべきことをならわしにした者は裁きの復活へと出て来るのです」― ヨハネ 5:28,29。
28 復活させられる者たちにはどんな機会が開かれますか。彼らが神と子羊に感謝を示さず,祝福を帰さないならどうなりますか。
28 神の子羊および,彼に追随する,栄光を受けた14万4,000人の者たちによる天の支配の下で,死人が復活してきます。その結果,復活を受けるすべての死人は,自分たちのために神が子羊を通して設けてくださった備えに十分あずかれます。彼らのうち,神と子羊に祝福と誉れと栄光そして偉力を永久に帰すことを最終的に選ばない者たちは,悪魔サタンおよび悪霊の使いたちと共に滅ぼされます。(啓示 20:7-15)つまり,彼らは復活の備えを正しく用いず,感謝を示さなかったことを証明するのです。神の王国の下に,復活を通して自分たちのために開かれた輝かしい機会を誤用したことになります。最終的に,いとうべき事柄を再びならわしにすることによってそうするのです。エホバ神は,その歩みゆえに彼らに不利な裁きを執行し,その結果,彼らは永遠の滅びを受けます。
29,30 (イ)すべてのよこしまなものが永久に取り除かれ,宇宙は清められますか。答えの理由を述べなさい。(ロ)エホバの宇宙主権がこのように表わし示される時,天の者たちはどのようにこたえ応じますか。
29 生存の全領域から,すべての邪悪な霊者と人間がやがて必ず除かれます。それにより,すべての天と地から,邪悪なものが永久に,完全に取り除かれるのです。全能の神エホバは,目に見える創造物および目に見えない創造物すべての間に,この極めて願わしい状態をもたらすことができ,また,そうすることを約束しておられます。神はご予定の時にそうなさいます。それにより,ご自分の約束の言葉と偉力,そして力を実証されるのです。神のみ座の回りにいる生き物,すなわちケルブすべては,み座にすわっておられるエホバ神と子羊とに,このように祝福と誉れと栄光そして偉力が最終的に帰されるさい,それに忠実に同意します。彼らはそれにアーメンと言うのです。
30 二十四人の長老によって表わされ,そして,この勝利の時に生きている14万4,000人の栄光を受けるクリスチャンも,エホバ神の宇宙主権に対し同様に忠実を示すでしょう。彼らはエホバ神のみ座の前にひれ伏し,崇拝します。神の子羊すなわち「ユダ族の者であるしし」を,全能の神がこの壮大な宇宙的結果をもたらし,それを永続させるために用いる,神に愛されるかたとして認めるのです。
31 地上の幾百万もの人びとは子羊のことを否認します。わたしたちはそのことに動揺すべきですか。それとも,どうすべきですか。
31 このように,神が,子羊つまり「ユダ族の者であるしし」を,ご自分の右手にある秘義の巻き物を開くにふさわしい者として選ばれたことに対し,天では圧倒的な是認が与えられます。それら幾億を数える超人間的なみ使いとケルブすべてが表明する是認の価値は,幾十億の混乱し,誤導された人類による否認,また無関心な,支持の欠如をことごとく相殺し,かつそれを凌駕します。わたしたちは,この問題の真の評価を正しく認めていますか。そうであれば,使徒ヨハネに加わり,神が誉れを与えた子羊に希望の眼を向けるでしょう。また,彼が神の右手から受け取った巻き物を開くため,七つの封印を一度に一つずつ破るとき何が起こるかを見守るでしょう。預言的な巻き物が漸次開かれるにつれ,興味をそそる驚くべき事柄がわたしたちの霊的視界に啓示されるはずです。そして,ついには巻き物全体が開かれ,「神の秘義」は終了するのです。
[脚注]
a ギリシャ語原文で「生き物」に当たる語は中性ですが,『おのおの……持っている』という表現は男性形になっています。