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秘義の巻き物の封印を破る『その時,神の秘義は終了する』
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7,8 (イ)ヨハネは次に何を見ましたか。(ロ)この場景は,ヨハネの時代に存在していたローマ帝国に対する,パルチヤ人の侵入を予影していたのですか。
7 使徒ヨハネは,わたしたちが今日,霊的な識別の目をもって見るであろうものを象徴する,何を見たのでしょうか。彼はこう述べています。「そして,見ると,見よ,白い馬がいた。それに乗っている者は弓を持っていた。そして,その者に冠が与えられ,彼は征服しに,また征服を完了するために出て行った」― 啓示 6:2。
8 この場景は,東方からパルチヤ人がローマ帝国へ侵入することを予影していたのではありません。確かにパルチヤ人は馬上から弓を操るのが巧みでした。退却すると見せかけておいて,ねらい定めた弓から後方に,いわゆる“最後の一矢”を射るのがその騎兵の戦術でした。こうしたことを思い出させるとはいえ,使徒ヨハネがここで見た場景は,それよりはるかに重大なことを予告していたのです。
9 詩篇 45篇は白い馬の騎士がだれであることを明らかにしていますか。
9 この白い馬に乗っているかたの実体は,ある王に関する霊感の詩,つまり詩篇 45篇から明らかになります。4-7節〔新〕は,その王に預言的に語りかけ,こう述べています。『なんぢ真理と柔和とただしきとのために威をたくましくし勝をえて乗すすめ なんぢの右手なんぢに畏るべきことををしへん なんぢの矢は鋭して王のあたの胸をつらぬき もろもろの民はなんぢの下にたふる 神〔こそ〕なんぢの宝座いやとほ永く なんぢの国のつえは公平のつえなり なんぢは義をいつくしみ悪をにくむこのゆえに神なんぢの神はよろこびの膏をなんぢの侶よりまさりて汝にそそぎたまへり』。この預言的な言葉は,その五百年余の後,ヘブライ人への手紙の筆者がその1章1,2,8,9節で,神の子であるイエス・キリストに当てはめました。この事実と調和して,ヨハネに与えられた幻の他の詳細は,白い馬に乗っているこのかたが,「ユダ族の者であるしし」,栄光を受けた,神の天のみ子であることを証明しています。したがって,巻き物の最初の封印が開かれた時,神の子羊はご自分が王として行動に移るところを見たことになります。
10 (イ)この騎士は,啓示 19章11-16節に描かれている白い馬の騎士とどのように外見が違いますか。(ロ)それら二人の騎士の使命はどこが違いますか。
10 この予備的な幻における白い馬の騎士は,啓示 19章11-16節に描かれている騎士と外見が異なります。後者の場合,その騎士は,頭に「多くの王冠」を着け,そして,地の諸国民を打ち,彼らに神の裁きの執行を宣告する鋭くて長い剣を,自分の口から突き出しているかたとして描かれています。しかしこの後者の幻における騎士は,「ヘブライ語でハルマゲドン[アーマゲドン]と呼ばれる場所」で戦われる,「全能者なる神の大いなる日の戦争」に馬を進めているのです。(啓示 16:14-16)その戦争において,予告されていた地の諸国民の「終わりの時」は終結します。(ダニエル 12:4,新)しかし,巻き物の最初の封印が開かれた後に白い馬の騎士が弓を携えて現われる時は,「終わりの時」の始まりに相当します。それは七つの異邦人の時が終わった時ですから,第一次世界大戦のぼっ発した年,つまり1914年の初秋です。それゆえ,白い馬の騎士は,平和の使命を帯びて出発するわけではありません。
11,12 馬,馬の色,騎士が手にしている弓は,それぞれ何を象徴していますか。
11 天の騎士が馬に乗っているということ自体,その使命が戦争にかかわるものであることを明らかにしています。昔の聖書時代において馬は,箴言 21章31節にあるとおり,戦いの象徴でした。「戦闘の日のために馬を備ふ」。(ヨブ 39:19-25もごらんください。)騎士の馬が白馬であることは,それが義にかなった戦争,神の公正と義を立証する戦争であることを確証します。この事実と調和して,白い馬の騎士は,同じく戦争の武器である,弓を持っています。聖書時代のイスラエルの王は,弓の名手でした。(サムエル後 1:22)しかし,油そそがれて間もないイスラエルのエヒウ王は,白い馬の騎士のように馬上からではなく,兵車から弓を使って敵を殺しました。―列王下 9:20-24。
12 聖書時代には,騎兵のある者は,よく槍を携えました。しかし,その場合には敵に近寄って,やりを相手に突き刺さねばなりませんでした。走る馬の上から正確に矢を射るのは一つの芸でしたが,それにより白い馬の騎士は遠くから,矢をもって敵の心臓を貫くことができるのです。―詩 7:11-13。
13 (イ)この点イエス・キリストは,どのように詩篇 110篇1,2節を成就しますか。(ロ)彼の矢は何を象徴しますか。
13 天におられる主なる神が詩篇 110篇1,2節を,エルサレムのダビデ王の子孫であり,主である,み子イエス・キリストに関して成就させる時が明らかに来ていたのです。「我なんぢの仇をなんぢの承足とするまではわが右にざすべし」。「エホバなんぢのちからの杖をシオンよりつきいださしめたまはん 汝はもろもろの仇のなかに王となるべし」。異邦人の時の終わりであった1914年には,目に見えない聖なる天においてさえ,神とキリストの敵がいました。そのため,神から権限を与えられた王イエス・キリストは,啓示の書の後の章に示されているように,まずそれら天の敵に対して行動を起こすのです。ゆえに彼は,いわば白い馬に乗って遣わされ,弓で武装しているのです。彼が軍馬の上から射る矢は,神と神の民に敵する者たちを的とする,『エホバよりの救いの矢,救いの矢』となります。(列王下 13:17)ねらいたがわずに放たれるその象徴的な矢は,敵が最終的に滅ぼし尽くされるまで,敵に対する神の裁きの表明となります。
14,15 (イ)弓の使用が秀でたことで有名な国はどの国でしたか。(ロ)白い馬の騎士が弓で武装していることは,彼がどんな預言的な役割を果たすことを示唆していますか。
14 ここで,古代ペルシャの地が馬の国であったこと,また,ペルシャ人が弓の名手であったことを思い起こすのは適切です。歴史によると,彼らは弓を武器として盛んに用いました。ペルシャ人がバビロニア人を倒して,今日に至るまで人類史に出現した七つの世界強国中,四番目の地位を築いたのは,弓の使用に大きく依存していました。
15 したがって,白い馬の騎士が弓で武装しているということは,そのかたが,西暦前539年,ユーフラテス川に位置するバビロンを攻略し,第三世界強国としてのその地位を覆した,古代ペルシャ帝国のクロス大王の果たした役割を演じることを示唆しています。ペルシャの王たちの乗った白い馬を思い起こしてください。また,ローマ人の勝者たちが首都への凱旋行列のさいに乗った馬については言うまでもありません。(エステル 6:8-11)これは,白い馬の騎士が,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンを覆し,次いで,その支配下からエホバの民を解放するため,大いなるクロスとしてエホバ神に用いられることを意味しています。神の民すべてがそのご命令に従って大いなるバビロンから出た後,この大いなるクロスは,バビロン的な偽りの宗教の,邪悪な世界帝国を滅亡させるのです。―イザヤ 13:17-19。啓示 16:12; 17:1-18。「『大いなるバビロンは倒れた!』神の王国は支配す」(英文)の197-199ページをごらんください。
16,17 (イ)白い馬の騎士はいつ馬を進め始めますか。彼に与えられる冠は何を表わしますか。(ロ)この冠が西暦前607年以来,彼のために取って置かれていたことを聖書から示しなさい。
16 それにしても,白い馬の騎手が馬に乗り始めるのはいつですか。まず,王として冠を授けられる後です。彼は王冠を着けて馬を進めるのです。啓示(6:2)は続けてこう述べているからです。「そして,その者に冠が与えられ,彼は征服しに,また征服を完了するために出て行った」。これで時間について疑問の余地はありません。それは,西暦1914年の異邦人の時の終わりからです。その時こそ,エホバ神が,ダビデ王の永久相続者,すなわち「ユダ族の者であるしし」の頭上に冠を授ける時だったのです。執行力を有する王権の表象であるその冠は,王都エルサレムが異教徒のバビロニア人に滅ぼされた西暦前607年以降,ダビデ王の子孫のだれにも授けられませんでした。その冠を着けた最後の地上の王,ゼデキヤ王の時代に異邦人の時は始まりましたが,エホバ神は彼に向かってこう言われました。
17 『汝刺透さるる者罪人イスラエルの君主よ汝の罪その終を来たらしめて汝の罰せらるる日至る 主エホバかく言ふ かぶりものを去り冠を除り離せ是は是ならざるべし卑き者は高くせられ高き者は卑くせられん 我覆すことをなし覆すことをなし覆すことを為ん権威を持つべき者の来たる時まで是は有ることなし彼に我之を与ふ』― エゼキエル 21:25-27。
18 (イ)王権に対する法的権利を持つかたはだれでしたか。そのかたが西暦1914年に至るまで王権を取ることができなかったのはなぜですか。(ロ)ここで起こったことは,西暦前607年に生じたことの正反対です。どのようにですか。
18 冠によって表わされている,王国に対する法的権利を持たれるかたは,神の子羊,すなわち,ダビデ王の永久相続者であるイエス・キリストです。彼は,西暦1914年の異邦人の時の終わりが来るまでは,神のみ手にある王権の冠を頂くために到来することはできませんでした。しかしその終わりが来た時には,たしかに到来されたのです。それはダニエル書 7章13,14節の幻に示されているとおりです。日の老いたる者であるエホバ神は,冠と王権に対する彼の法的権利を認められました。そしてその時に,「我之を与ふ」との神の約束が成就したのです。(詩 21:1-3)それは目に見えない天で生じたことです。もはや,古代のダビデ王の家系は「卑き者」ではなく,逆に,地上の異邦人の王たちは「高き者」ではありませんでした。2,520年前,つまり西暦前607年とは正反対の行動が取られたのです。今や,神から王権を付与され,冠を頂いた「高き者」イエス・キリストは,白い馬の騎士として弓を帯び,すべての敵に立ち向かうことができます。彼は神の王国の敵を滅ぼさなければなりません。
19 (イ)キリストは西暦1914年,どのように『征服しに出て行った』のですか。彼はどのように「征服を完了する」のですか。(ロ)第一次世界大戦が始まった原因は何ですか。
19 冠を授けられ,義の戦いに携わる白い馬にまたがる王は,その時からずっと馬を進め,成功を収めておられます。彼は征服を開始し,完全な勝利をもって征服を終了されるのです。ご自分に最も近い敵,つまり,目に見えない天にいるサタンとその悪霊に注意を向けることにより,『彼は征服しに出て行き』,神の聖なるケルブ,セラピムまたみ使いたちと親しく接することのできる天から,彼らを完全に追放されました。使徒ヨハネは,秘義の巻き物の第七の封印が開かれた後に,このサタンの放逐についての幻を与えられたのです。(啓示 12:1-13)1914年7月28日,世界支配の問題に関し,異邦諸国の間に始まった第一次世界大戦は,キリストが始めたものではありません。悪魔サタンは,交戦する自分の諸国民のいるこの地に,悪霊たちと共に監禁されており,聖なる天に二度と再び入ることはできません。
20 (イ)白い馬の騎士は征服を完了しましたか。答えの理由を述べなさい。(ロ)征服が完了するのはいつですか。
20 今日の地上の状況から判断すると,冠を着けた,白い馬の騎士は,まだ征服を完了してはいません。敵の異邦諸国民は,今のところ宗教的な大いなるバビロンの支配下にあって依然存続しています。イエス・キリストは,第一次世界大戦が最高潮に達した時,彼らを容易に滅ぼすことができました。しかし,その時,またそのような方法で彼が征服を完了することは,神の時にかなっていなかったのです。使徒ヨハネに与えられた啓示が明らかにしているように,他の事柄がまず引き続き起こらねばなりませんでした。その時は,まだ「全能者なる神の大いなる日」ではなく,地上の異邦諸国民は戦場に,つまり,「ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所」にまだ行進していなかったのです。(啓示 16:14,16)冠を授けられた騎士は,その場その時において征服を完了するのです。彼は今や勝利の行進の終わりに近づいています。その時わたしたちはどちらの側にいるでしょうか。
21,22 聖書は白い馬の騎士が確かに征服を完了することをどのように示していますか。だれがそれを見ますか。
21 白い馬の騎士の目的がざ折することはありません。彼の目的は征服することであり,それゆえ,ギリシャ語原文のこの個所には目的節が使われています。「彼は征服しに,また征服するために出て行った」。(啓示 6:2,ロ,ヤ)ギリシャ語本文中,接続法の動詞の不定過去は,「ここでは究極的な勝利を指している」のです。(A・T・ロバートソン「新約聖書の語描写」〔英文〕第六巻,340ページ)騎士の目的は「征服を完了する」ことであり(新),彼は必ずやそうするでしょう。最終的に,彼は「王の王また主の主」と宣言されることになるからです。―啓示 19:16; 17:14。
22 この世代の人類の中のふさわしい者たちは,冠を頂く,白い馬の騎士が,全能のエホバ神の助けを借りて征服を完了するのを見ることでしょう。使徒ヨハネは,第一の封印が開かれた後に,この勝利を得る騎士の幻を見ました。それは,啓示が書かれたとされている西暦96年のことです。しかし,わたしたちのだれかがこの幻の現代の成就を見たのはいつだったのでしょうか。
23 「終了した秘義」と題する,啓示に関する協会の注解書は,騎士と弓の幻の成就を明らかにしましたか。
23 ヨハネの忠実な仲間のクリスチャンの残りの者は,冠を頂いた騎士とその弓の幻の成就を,西暦1914年の異邦人の時の終了後に識別しました。彼らがそれを識別したのは,1917年の夏ではありません。その年の七月,ものみの塔聖書冊子協会は,「聖書研究」の第七巻としても知られる,「終了した秘義」(英文)と題する本を出版しました。(1917年8月1日号の「ものみの塔およびキリストの臨在の告知者」〔英文〕,226ページ,第2欄をごらんください。)この本は啓示全体の注解を載せていましたが,啓示 6章1,2節を説明しようとする試みは時機的に少し早すぎました。
24 この幻に関する理解はいつ,どのように神の民に啓示されましたか。
24 しかしその13年後の1930年8月11日,ものみの塔協会は,2巻から成る「光」(英文)と題する本をブルックリン本部で発表しました。ついにこの本が,1914年の異邦人の時の終了後の出来事,胸を躍らせる数々の聖書預言の成就となった出来事に基づき,啓示 6章1,2節の説明を与えたのです。20世紀に住む,ヨハネの仲間のクリスチャンたちは,この出版物により,ヨハネの幻の意味を識別しました。彼らは,武装し,冠を頂いた,白い馬の騎士がだれか,また,彼が神の敵すべてに対する,だれもとどめることのできない勝利の行進をどのように始めたかを学びました。彼らは理解の眼前に展開される幻に魅せられ,だれも打ち負かすことのできない騎士が,近づく「全能者なる神の大いなる日の戦争」において,勝利に向かって突撃するのを見守るのです。
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第二,第三および第四の封印が開かれる『その時,神の秘義は終了する』
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第4章
第二,第三および第四の封印が開かれる
1 「ユダ族の者であるしし」が,西暦1914年以来究極の征服を遂げるために乗り進んでいることを示すどんな証拠がありますか。この点に関し,さらに詳しい情報をもってわたしたちを大いに助けてくださるかたはだれですか。
「ユダ族の者であるしし」は1914年,ご自分の天の王国に入り,以来,象徴的な戦場ハルマゲドンにおいて,地上の敵すべてに対し究極の征服を遂げるべく,馬を進めておられます。しかし,わたしたち人間にそれがどうして分かるのですか。こうした極めて重大な事柄を証明するものとして,見えない天で生起するこの出来事に関し,わたしたちはどんな見える証拠を持ち,また,どんな経験をこの世でしてきたでしょうか。わたしたちは,ヨハネが秘義の巻き物の残りの封印が開かれた時に幻で見た事柄,その事柄に関する現代の成就の中に証拠を持っています。天で七つの封印を破るその同じかたイエス・キリストが,完全な人間として地上におられた時に必要な情報を備えてくださいました。彼は,ご自分が人の目に見えない様で天の王国に臨在し,地上におけるご自分の王の権利すべてに注意を向けていることを証明する,目に見える有形的証拠が現われるであろうと予告されたのです。他の封印が開かれることにより明らかになる事柄は,彼が神の子羊としてご自分を犠牲にする前に予告されたことと一致するでしょうか。西暦33年,つまり,ヨハネに啓示を与える約63年前,彼は何を予告されましたか。
2 イエスの使徒たちはどんな質問を尋ねることにより,西暦1914年以後に生じる事態に関する預言を聞き出しましたか。
2 イエスの使徒のうちの四人が,1914年に終わる異邦人の時以後に生じる世界の出来事や情勢について尋ね,彼から預言を聞き出しました。使徒マタイは,彼らがイエス・キリストにした質問をこう述べています。「そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。(マタイ 24:3)弟子マルコは,この質問を次のような言葉で表現しています。「そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,これらのすべてのものが終結に至るように定まった時のしるしには何がありますか」。(マルコ 13:1-4)弟子ルカも同様な言葉で質問を記しています。「そうしたことは実際にはいつあるのでしょうか。また,そうしたことが起きるように定まった時のしるしはなんですか」。(ルカ 21:7)彼が予告された恐ろしい滅びの直前に生ずる「しるし」,同時に,目に見えない彼の到来と霊者としての臨在を示す「しるし」が何かあったでしょうか。彼ご自身は,聖書の時間表また年代表に触れて日時を決めたりはなさいませんでした。ですから,その「しるし」は,定められた日時と同じく,いやそれ以上に警報の役割を果たすことになるのです。
3 使徒たちは自分たちの質問の全範囲に気づいていませんでしたが,その質問に答えたイエスは何を思いに留めておられましたか。
3 使徒たちは間違った質問をしたわけではありませんが,その質問の全範囲に気づいていませんでした。しかしイエスは,その質問が原型および対型において包含するすべての事柄を知っておられたのです。そこで,最初に,ご自分が天の神の右手にすわった時から,西暦70年における地的エルサレムの滅亡に至るまでの期間に当てはまる預言を彼らに与えられました。それは,来たるべきより大きな,同様な事柄に対する原型としての役割を果たします。将来のより大きな事柄,対型的な事柄は,同じ型を取るので,原型に関する彼の預言は対型にも当てはまります。この見地から見ると,滅びに定められていた不忠実なエルサレムとユダヤの領域は,キリスト教世界,つまり不忠実な霊的イスラエルを表わし示していました。―ルカ 21:20-24。マタイ 24:15-22。マルコ 13:14-20。
4 したがって,イエスの答えを読むさい,わたしたちは何を思いに留めるべきですか。
4 したがって,対型的な適用をなし,キリスト教世界とその世俗的な隣人たちを考慮に入れると,イエスの次の預言は20世紀に対し意味を帯びてきます。「国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がるでしょう。そして,大きな地震があり,そこからここへと疫病や食糧不足が起こります。また,恐ろしい光景や天からの大いなるしるしがあるでしょう」。(ルカ 21:10,11)では,こうした事柄は,世界の重要な出来事のどの段階を指し示すものなのでしょうか。それは,イエスの使徒たちが「事物の体制の終結」と語った時期,つまり,「終わりの時」の始まりをしるしづけるものでしょうか。―ダニエル 12:4,新。
5,6 ルカ 21章10,11節とマタイ 24章7,8節を比較すると,それらの聖句が「終わりの時」の始まりに当てはまることをどのように確かめられますか。
5 そのとおりです。マタイ 24章7,8節によると,イエスはそれらの事柄が世界の苦難のどの部分を占めるかを説明し,次のように話されたからです。『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,またそこからここへと食糧不足や地震があります。これらすべては苦しみの劇痛のはじまりです』。したがって,世界の「苦しみの劇痛」は,まず,国民と国民また王国と王国の間の敵対行為である戦争,さらに,飢きんや食糧不足,地震,疫病の形を取って表われます。それらの事柄は相互に密接に結びついていて,古い「事物の体制」の存続を脅かすかに見えますが,その「事物の体制」の完全な終わりはその時点で,あるいは世界情勢のこの危機的段階で到来するのではありません。
6 むしろ,苦しみをもたらすそれらすべての事柄は,体制の「苦しみの劇痛」の開始,はじまりにすぎません。それらをこの見地から考えるなら,イエス・キリストの弟子たちは,苦しみをもたらすそうした事柄が,「事物の体制」の完全な終わりに対する前触れにすぎなかったことを理解するでしょう。それらは,「事物の体制の終結」の初期的局面だったのです。
7 (イ)使徒たちが質問した時,彼らはどの「事物の体制」の終結を考えていましたか。(ロ)イエスの答えは使徒の時代にも当てはまりましたか。
7 一つの「事物の体制」― 割礼を受けた生来のユダヤ人に特別な関係があった ― が,西暦70年,エルサレムとその崇拝の神殿が崩壊した時に終わったことは真実です。イエスはその少し前に,この悲惨な出来事を弟子たちの聞こえる所で予告されたばかりでした。したがって,4人の使徒はこの点に関する事前の情報を,直接求めていたものと思われます。イエスは彼らの考えに合わせてその質問に答え,そのさい,マタイ 24章15-20節,マルコ 13章14-18節,ルカ 21章20-24節で,文字どおりのエルサレム市の滅びについて話されたのです。その前節で,エルサレムの滅びる前に起こるとイエスが預言された事柄は,当時の歴史が示すとおり,西暦33年から西暦70年に至るまでの間に疑いなく成就しました。
8 (イ)エルサレムに関するイエスの言葉に,原型的成就および対型的成就の両方があることを説明しなさい。(ロ)イエスの預言は啓示 6章1,2節とどんな関係がありますか。
8 とはいえ,わたしたちは,イエスの時代における,滅びに定められた不忠実なエルサレムが,預言的な意義,すなわち原型としての意味を持っていたことを覚えておかねばなりません。生来のイスラエル人のこの首都に生じたことは,それ自体,後に,文字どおりのエルサレムによって表わし示される,不忠実な霊的イスラエルの宗教組織に起きることの預言,また原型でした。したがって,西暦70年のエルサレムの崩壊前に起きるとイエスが予告された事柄は,それ自体同時に,対型的エルサレム,つまり不忠実な霊的イスラエル(キリスト教世界)の滅びる近い将来に至るまでの間に地上で生じるであろう事柄を予示していました。不忠実なエルサレムとその神殿の崩壊が「事物の体制」の終わりを画したのと全く同様に,対型的エルサレムつまり不忠実な霊的イスラエル(キリスト教世界)の滅亡は,久しく存続してきた「事物の体制」の終わりを画するのです。冠を頂いた,白い馬の騎士が,弓を携え,「征服しに,また征服を完了するために」出て行った後に使徒ヨハネの見た出来事は,イエスの預言に対するこの理解を支持するものとなっています。―啓示 6:1,2。
9 したがって,第一の封印が破られる後に起こる事柄はいつ成就しますか。
9 子羊イエス・キリストが第一の封印を開かれた後に使徒ヨハネの見た事柄は,「事物の体制の終結」を開始させるものとなります。というのは,第一の封印の幻は1914年の異邦人の時の終了後に実現するからです。他の封印を破ることにより,その証拠が得られるでしょうか。得られるのです!
10 ヨハネは次に何を見ますか。
10 では,使徒ヨハネに注意を向けてみましょう。彼は神の子羊が秘義の巻き物の封印を破る幻を見ています。「また,彼が第二の封印を開いた時,わたしは,第二の生き物が,『来なさい!』と言うのを聞いた。すると,別の,火のような色の馬が出て来た。そして,それに乗っている者には,人びとがむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許された。そして大きな剣が彼に与えられた」― 啓示 6:3,4。
火のような色の馬に乗った者
11 第二の生き物によって象徴されている神の力は,第二の封印が破られたさいに起きた事柄をなぜ阻止しなかったのですか。
11 使徒ヨハネは,次の情景を見に来るよう自分を招待している「生き物」の声を聞きましたが,それは第二の生き物,つまり,特に神の力を示していた,あの『若い雄牛に似た』生き物でした。(啓示 4:7)神の力,その全能の力は,第二の封印を破ることにより明らかにされた幻の成就として起きた事柄を,阻止することもできたはずです。しかし,白い馬の騎士が冠を授けられ,神のご意志にしたがって進み出た時,地上の諸国や王国がどんな行動を取る
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