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  • アフリカの祭りの歌い手としての私の生涯
    目ざめよ! 1974 | 5月22日
    • アフリカの祭りの歌い手としての私の生涯

      クェシオノールというのはキッシ語で,職業歌手であり踊り手であった時の私の肩書です。この肩書は,チーワという本名よりも好まれるようになりました。私は,7人の男性歌手と踊り手から成るグループの女性先導歌手兼踊り手でした。このグループは,踊りのための歌と伴奏曲を自分たちで作りました。そしてチェケラン(ヒョウタンのまわりにタカラガイをつり下げたもの)や他の種々の型のドラムの伴奏に合わせて歌いまた踊りました。活気のあるその音楽と踊り,それに私たちの服装は,人目を引くと同時に人びとの心を浮き立たせました。

      私たちは1回の公演で2万円を上回るお金を集めました。この地方の人びとにとってはそれは大きな額で,ある家庭の2,3か月分の収入よりも多かったでしょう。私たちの歌と舞踊のグループは,西アフリカの町々や酋長の治める村,近隣の国々などで行なわれる祭りにひっぱりだこでした。

      私は結婚したばかりでした。夫が父に花嫁金を払ったからでした。この種の結婚は,地方裁判所に前もって正式に届け出ることをしないものですが,私たちの国では一般に認められています。私の両親は,私がクェシオノールになる者として正式にささげられていることを夫に話しました。夫はそのことをあまり喜びませんでした。私が非常に忙しくなることと,そのことが調和のとれた結婚生活を築く助けにはならないことを夫は知っていたようでした。それに夫は聖書の勉強を始めたところでした。聖書のある原則について学んだ夫は,祭りの歌い手兼踊り手という職業を私に持たせることをためらっていました。しかし私はというと,思いも関心も,神から遠く離れていました。

      私の地方は,両親の権威も因習も非常に強いところです。それで両親は自分たちの思い通りに事を運びました。クェシオノールになることしか考えていなかった私はそのことを喜びました。実際のところ,結婚したときの私はまだほんの少女でした。村の娘たちは,13歳か14歳で結婚する場合が多いのです。

      就職と巡業

      クェシオノールの職につくときの儀式はすばらしいものに思えました。両親は村の婦人の長老たちに,定まった量の米とヤシ油とコラの実を渡し,彼女たちもまたいくらかのお金を払い,私の儀式用の衣装を作る白生地を6ヤールくれました。儀式は歌あり踊りありで非常に楽しく,多くの村人がそれに参加したり,見物したりしました。

      それで,結婚を完了するために夫の村に連れてこられる時までには,私は歌手としてまた踊り手として出発する用意がほとんどととのっていました。新しい職業に就き,経験をつんでくると,巡業期間がしだいに長くなり,時には4か月も夫から離れていなければなりませんでした。しかしそのころまでには夫は第二の妻を迎えることを決意していました。それで私たちの家庭は一夫多妻の家庭になりました。

      私がそのように長く家をるすにすることを夫はどう思ったでしょうか。私がいないので淋しい思いをしたのか,当時の私にはよくわかりませんでした。しかし,巡業のたびにたくさんのお金を持って帰っても,夫がそれを喜んでいなかったことはわかりました。でもとにかく夫の世話をする私の“仲間”(第二の妻)がいるんだからかまわない,と私は考えていました。

      巡業中には,今なら恥ずかしくて言えないようなさまざまなことが起きました。泥酔や姦淫はごく普通のことでした。

      あるとき私は,巡業からもどるのが遅すぎて,常食であるイネの植付けの準備を手伝うことができなかったことがありました。これは大げんかのもとになりました。別の時には夫は私をたたき,私を家から一時追い出しました。

      聖書は夫を変えた

      しかしそういうことがあった間もエホバの証人は毎週やって来て,夫と聖書の勉強をしていました。彼の訪問は夫のものの考え方によい影響を与えはじめ,そのことは私に対する夫の態度が寛大になったことに表われているように思えました。夫は私に対して以前よりもやさしくおだやかになり,自分が新しく見つけた宗教から学んでいることをもっと自由に話すことができるようになったようでした。

      村人はほとんど全部が精霊崇拝者でしたから,夫が聖書で学んで話すことは,私にもほかの人たちにも耳新しいことばかりでした。

      しかし私の真の転機となったのは,夫が私をそばに呼んで,男はただひとりの妻の夫でなければならないということを聖書で学んだ,と私に話したときでした。(テモテ第一 3:2,12)それで妻のうちのひとりを親もとにもどす,と夫は言いました。私の心は沈みました。私の“仲間”(第二の妻)のほうが私よりも若かったからです。夫は年上の妻である私のほうを里にもどすでしょうか,それとも若い女のほうをもどすでしょうか。この決心をすることがいかにむずかしかったかを夫が説明していくうちに,私の心配は大きくなりました。しかしその時夫は言いました。「婚姻届けをするので地方裁判所までいっしょに行ってくれないか」と。

      私は胸をなでおろしました。そして直ぐに承諾しました。地方裁判所へ行って正式に結婚をし,登録することを考えると,興奮さえおぼえました。夫にこの重大な決定をさせたのは何だったでしょうか。エホバの証人が,もしほんとうのクリスチャンになりたいなら,法律で定められているとおりに結婚届けをしなければならない,と夫に言ったのです。つまり花嫁金を払う以上のことが必要だったわけです。また,『若い時の妻』を,そして彼女だけを妻とすべきであることも説明しました。(箴 5:18)それで夫は第二の妻を里にもどしました。

      私自身の生活の変化

      夫の愛のこもった扱いと,今後は他の女と夫を共有しなくてもよくなるのだという思いに,私は心を強く動かされました。そして私の所有者としての夫をますます尊敬するようになりました。

      同時に,歌手という自分の職業に対する熱意はしだいにさめていきました。ある日のこと,大きな祭りで歌っている最中に,「ここにはクリスチャンがいる。ふたまたかけようとするような者がここに来ることは絶対に許さない」とひとりの女が叫びました。群衆の中で,クリスチャンの妻は私だけでしたから,もちろん私は勇気をくじかれました。こういうことがあったので,私は祭りが終わるまでそこにいませんでした。そしてその時その場で,夫の新しい信仰をもっと深く調べてみることを決意しました。

      私は夫といっしょにエホバの証人の集会に出席しはじめました。集会は15㌔ほど離れたところにある,市のたつ町で開かれていました。それらの集会では,すべてが非常に平和に思えました。この世の祭りの,チェケランや太鼓の騒音,群衆の叫びなどと非常に対照的です。これらの集会でも私はちがう種類の歌が歌われるのを聞きました。聖書の主題にもとづいた,エホバを賛美する歌でした。それらの歌は私たちの話す言語で歌われました。そしてその歌詞は私にとってほんとうに意味のあるものとなり始めました。

      集会で教えられることがいつもみな理解できたわけではありませんが,私は集会に出ることがとても好きになりました。ある日,集会が終わって家にもどったとき,私は夫に,もう私を「クェシオノール」と呼ばないでください,と頼みました。私も決意をしたのです。私はもう祭りの歌手はやめるのです。

      村の婦人指導者たちは,私がクェシオノールの生活を捨てたことにとりわけ憤慨し,村の伝統を破ったことに対して罰金を課しました。問題は村の長老たちの前に持ち出されました。そこで夫が進み出て,親切にしかしき然とした態度で私の代わりに話してくれました。その結果,長老たちは罰金を課すことをやめ,私を解放してくれました。私はどんなにほっとしたことでしょう。これからは夫とともに自由にエホバに奉仕できるのです。

      エホバへの奉仕から来る祝福

      私が1972年にバプテスマを受けて以来,私たちは夫婦げんかをしなくなりました。外部の人たちは私たちが神の真理によって変わったことを見ましたが,それは彼らに対するすばらしい証言となりました。私が取った立場にまだ気づいていない人たちは私をやはり歌手の肩書で呼んでいますけれど,私はこの世の祭りで歌ったり踊ったりすることから身を引きました。

      そして驚いたことに,私が属していた舞踊団のなかの幾人かの男性が,エホバに対して賛美の歌を歌う者となりました。そのうちのひとりで,その古い舞踊団の最年長者だった人は,ひどく反対され,嘲笑されたにもかかわらず,聖書の真理を受け入れました。

      エホバに賛美の歌を歌う者となるために,クェシオノールとしての生活を捨てる決意をしたことを私は後悔しているでしょうか。いいえ,少しも後悔してはいません。エホバへの献身と,祭りの歌手という職業をやめることを公にしたとき,仲間の歌手のひとりは,「今のように着る物や金が手にはいるかい?」と言って私を嘲笑しました。

      もちろん私は決意していました。今は何ものも私の思いを変えることはできません。そして結果はどうなったでしょうか。バプテスマを受けて以来私は喜ばしいことを数々経験しました。ただひとりの妻として私を愛してくれる,そして私と同じようにエホバを愛する良い夫との家庭生活に私は心から満足しています。また夫や私が変化したのと同じように生活を変えるよう他の人びとを助ける特権も楽しんでいます。

      物質のことにかんするかぎり,それほど重要とは思わなくなりました。私は夫と農良仕事をしていますが,それで生活に必要なものはまかなえます。それに歌手をやめてお金がたやすくはいらなくなったので,この世的な人たちをもてなしたり,たくさんの遠い親せきの世話をしたりしなくてもよくなりました。ほとんどのお金は結局そういうことに使われていたのです。その代わりに私たちは霊的祝福と繁栄を得ました。クェシオノールとしての生活をやめて,エホバへの賛美を歌う者となれたことを,私はほんとうに感謝しています。―寄稿

  • 静かに飛ぶフクロウ
    目ざめよ! 1974 | 5月22日
    • 静かに飛ぶフクロウ

      ● フクロウは,えさを求めて飛び回る時にかなりのスピードを出す。しかしそのさいでも,たいていの鳥が出すような空気を切る音も出さない。最近になって,ジェットエンジン用の圧縮装置の騒音を低くする方法を開発している技術者たちが,この静かに飛ぶフクロウについて研究した。そして,フクロウの翼を調べた結果,翼がのこぎりの歯のように独特の形をしており,そのために鳥の中でも最も静かに飛ぶことができる,という点がわかった。騒音を引き起こすきっかけを生じさせないために,技術者たちは,エンジンの回転子の刃の端をのこぎりの歯状にすることを考えている。『フクロウの翼は技術者たちに名案を思い付かせた』と,プロダクト・エンジニアリング誌は報じた。

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