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聖書 Q&A
イ聖 記事83
天を見上げている男性

神かみを見みたことのある人ひとはいますか

聖せい書しょの答こたえ

文も字じ通どおりの意い味みで,神かみを見みたことのある人ひとはいません。(出しゅつエジプト記き 33:20。ヨハネ 1:18。ヨハネ第だい一いち 4:12)聖せい書しょによると,「神かみは霊れい」です。つまり,人にん間げんの目めには見みえない生せい命めい体たいなのです。―ヨハネ 4:24。テモテ第だい一いち 1:17。

しかし,み使つかい(天てん使し)は霊れいの被ひ造ぞう物ぶつなので,神かみを直ちょく接せつ見みることができます。(マタイ 18:10)また,ある人ひとたちは,死し後ごに天てんへ復ふっ活かつさせられて霊れいの体からだを着つけ,神かみを見みることができるようになります。―フィリピ 3:20,21。ヨハネ第だい一いち 3:2。

いま神かみを“見みる”には?

聖せい書しょはしばしば,“見みる”という概がい念ねんを,啓けい発はつを受うけることを指さして比ひ喩ゆ的てきな意い味みで用もちいています。(イザヤ 6:10。エレミヤ 5:21。ヨハネ 9:39-41)ですから人ひとは今いまでも,信しん仰こうを抱いだくことによって「心こころの目め」で神かみを見みることができます。そのようにして神かみを知しり,神かみの特とく質しつを理り解かいするのです。(エフェソス 1:18,19)聖せい書しょはそうした信しん仰こうを築きずく方ほう法ほうを教おしえています。

  • 創そう造ぞう物ぶつを通とおして,愛あいや寛かん大だいさ,知ち恵え,力ちからといった神かみの特とく質しつについて学まなびましょう。(ローマ 1:20)忠ちゅう実じつな人ひとヨブは,神かみの創そう造ぞうの業わざに注ちゅう目もくさせられた時とき,まるで神かみが自じ分ぶんの目めの前まえにいるかのように感かんじました。―ヨブ 42:5。

  • 聖せい書しょを学まなんで,神かみを知しりましょう。「もしあなたが神かみを求もとめるなら,[神かみは]ご自じ分ぶんをあなたに見みいだされるようにされる」と聖せい書しょは保ほ証しょうしています。―歴れき代だい第だい一いち 28:9。詩し編へん 119:2。ヨハネ 17:3。

  • イエスの生いき方かたから神かみについて学まなびましょう。イエスは,父ちちであるエホバ神かみの性せい格かくを完かん璧ぺきに反はん映えいしていたので,「わたしを見みた者ものは,父ちちをも見みたのです」と言いうことができました。―ヨハネ 14:9。

  • 神かみに喜よろこばれる生いき方かたをし,あなたのために神かみが行こう動どうしてくださることを経けい験けんしましょう。イエスはこう言いいました。「心こころの純じゅん粋すいな人ひとたちは幸さいわいです。その人ひとたちは神かみを見みるからです」。冒ぼう頭とうで述のべたとおり,神かみに喜よろこばれる人ひとたちの中なかには,天てんへ復ふっ活かつし,そこで「神かみを見みる」人ひとがいます。―マタイ 5:8。詩し編へん 11:7。

モーセやアブラハムといった人ひとたちは,実じっ際さいに神かみを見みたのではないか

聖せい書しょの記き述じゅつの中なかには,人にん間げんが文も字じ通どおり神かみを見みたと述のべているように思おもえる箇か所しょがあります。しかし,文ぶん脈みゃくを見みると,神かみはみ使つかいを代だい理りとして遣つかわしたり幻まぼろしによって現あらわわれたりした,ということが分わかります。

み使つかい。

古こ代だい,神かみはみ使つかいを代だい理りとして人にん間げんのもとに遣つかわし,ご自じ分ぶんの名な前まえにおいて語かたらせました。(詩し編へん 103:20)例たとえば,神かみが燃もえる茂しげみからモーセに語かたりかけた時ときのことについて,聖せい書しょはこう述のべています。「モーセは自じ分ぶんの顔かおを覆おおい隠かくした。まことの神かみを見みることを恐おそれたためである」。(出しゅつエジプト記き 3:4,6)モーセは文も字じ通どおり神かみを見みたのではありません。文ぶん脈みゃくからすると,実じっ際さいには「エホバのみ使つかい」を見みたのです。―出しゅつエジプト記き 3:2。

同どう様ように,聖せい書しょには,神かみが「顔かおと顔かおを向むかい合あわせてモーセに話はなされた」とありますが,これは神かみがモーセと親したしく会かい話わしたことを意い味みしています。(出しゅつエジプト記き 4:10,11; 33:11)モーセは,神かみの顔かおを実じっ際さいに見みたのではなく,神かみから「み使つかいたちを通とおし……伝つたえられ」た情じょう報ほうを受うけ取とったのです。(ガラテア 3:19。使し徒と 7:53)また,モーセは神かみに対たいする非ひ常じょうに強つよい信しん仰こうを持もっていたので,「見みえない方かたを見みている」ようだったと描びょう写しゃされています。―ヘブライ 11:27。

モーセの場ば合あいと同おなじく,アブラハムも,神かみからのメッセージをみ使つかいを通とおして受うけ取とりました。聖せい書しょを何なんとなく読よんだだけだと,アブラハムが文も字じ通どおり神かみを見みたように思おもえるかもしれません。(創そう世せい記き 18:1,33)しかし,文ぶん脈みゃくによると,アブラハムの所ところにやって来きた「三さん人にんの人ひと」は,実じっ際さいには神かみから遣つかわされたみ使つかいでした。アブラハムは,それらの人ひとたちが神かみの代だい理りであることに気きづき,み使つかいたちに対たいしてまるでエホバに直ちょく接せつ話はなしているかのように語かたりました。―創そう世せい記き 18:2,3,22,32; 19:1。

幻まぼろし。

神かみは,幻まぼろしつまり人にん間げんの思おもいに示しめされた情じょう景けいの中なかで現あらわわれたこともあります。例たとえば,聖せい書しょはモーセと他たのイスラエル人じんが「イスラエルの神かみを見みた」と述のべていますが,彼かれらは「まことの神かみの幻まぼろしを見み(た)」のです。(出しゅつエジプト記き 24:9-11)また,預よ言げん者しゃたちが「エホバを見みた」と述のべられている箇か所しょも幾いくつかあります。(イザヤ 6:1。ダニエル 7:9。アモス 9:1)これらの箇か所しょでも,文ぶん脈みゃくによれば,預よ言げん者しゃたちは神かみの幻まぼろしを与あたえられたのであって,直ちょく接せつ神かみを見みたのではありません。―イザヤ 1:1。ダニエル 7:2。アモス 1:1。

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