13-14. 律法では,泥棒も被害者もどのように公平に扱われましたか。
13 モーセの律法は,憐れみに欠けた厳しい規則集ではありません。ダビデ王は聖なる力に導かれて,「エホバの律法は完全」と書きました。(詩編 19:7)ダビデもよく知っていた通り,律法は憐れみを示すことや人を公平に扱うことの大切さを教えています。そのことについて考えましょう。
14 現在,国によっては,法律によって被害者よりも犯罪者の方が守られているように思えるかもしれません。例えば,泥棒が衣食住のそろった刑務所で過ごす中,被害者は財産を失ったまま,税金を納めて犯罪者を支援しなければならない,ということがあります。モーセの律法では,被害者も犯罪者も公平に扱われました。古代イスラエルには現代のような刑務所はありませんでした。また,処罰が厳しくなり過ぎないように限度が定められていました。(申命記 25:1-3)とはいえ,泥棒は盗んだ物の弁償をしなければなりませんでした。さらに追加の支払いも科されましたが,その額は場合によって異なりました。裁判人たちが,罪人の悔い改めの度合いなど幾つかの要素を考慮に入れて決定したようです。レビ記 6章1-7節で泥棒に求められている賠償額が,出エジプト記 22章7節で言われている額よりずっと少ないのはそのためでしょう。
15. 誤って誰かを死なせてしまった人は,律法によってどのように憐れみ深く公正な扱いを受けましたか。
15 律法には,意図せずに罪を犯してしまった場合についての規定もありました。これもエホバの憐れみの表れです。例えば,誤って誰かを死なせてしまった人は,イスラエルに点在する避難の町に逃げれば,「命には命」という原則に基づいて死刑にされずに済みました。裁判人たちによる審理の後,その人は大祭司が死ぬまで避難の町にとどまらなければなりませんでした。その後は,どこでも自由に暮らせました。このようにして,その人は神の憐れみの恩恵を受けました。そしてこの法は,人間の命がとても大切であることをはっきり示すものでもありました。(民数記 15:30,31; 35:12-25)
16. 律法によってどのように個人の権利が守られましたか。
16 律法によって個人の権利も守られました。負債を抱える人がどのように保護されたかを考えてみましょう。貸したお金の担保となる物を取るために相手の家に入ることは,律法で禁じられていました。お金を貸した人は,借りた人が担保にする物を持ってくるのを外で待たなければなりませんでした。このように,誰も他の人の家に無理やり入ることはできませんでした。お金を貸した人が担保として外衣を預かった場合には,日が沈んだら相手に返さなければなりませんでした。夜間に体を温めるのに外衣が必要だったからです。(申命記 24:10-14)
17-18. 戦争に関して,イスラエルは他の国々とどのように違っていましたか。
17 律法には,戦争に関係する規定もありました。神の民は,単に権力欲や征服欲を満足させるために戦うのではなく,それが「エホバの戦い」だということを意識すべきでした。(民数記 21:14)多くの場合,イスラエル人はまず降伏条件を提示しなければなりませんでした。相手が降伏しない場合,町を攻囲することができましたが,神の命令に従ってそうする必要がありました。昔や今の多くの兵士たちとは違って,イスラエル軍の人たちは,女性を暴行したり住民を虐殺したりしてはなりませんでした。環境に配慮することも求められていて,敵の果樹を伐採することは禁じられていました。 そのような制限を課された軍隊はほかにありません。(申命記 20:10-15,19,20; 21:10-13)
18 幼い子供たちが兵士として訓練されている国もあると聞くと,ぞっとすることでしょう。古代イスラエルでは,20歳未満の男性は徴兵されませんでした。(民数記 1:2,3)成人した男性でも,恐怖で戦えない場合には免除されました。新婚の男性も兵役を1年間免除され,「家にいて,妻を喜ばせる」ことができました。それにより,危険な任務に出掛ける前に跡継ぎの誕生を見ることもできたでしょう。(申命記 20:5,6,8; 24:5)
19. 律法によって,女性,子供,家族,やもめ,孤児はどのように守られましたか。
19 律法によって,女性や子供や家族も守られました。親は,子供をいつも見守り,エホバについて教えるよう命じられていました。(申命記 6:6,7)あらゆる近親姦が禁じられ,行った人は死刑になりました。(レビ記 18章)姦淫も禁じられていました。家族をひどく傷つけ,家庭を崩壊させるからです。やもめや孤児のための法もあって,そうした人たちを苦しめてはならないと強い言葉で警告されていました。(出エジプト記 20:14; 22:22-24)
20-21. (ア)モーセの律法で一夫多妻が認められていたのはどうしてですか。(イ)離婚に関して,律法で認められていたこととイエスが教えたことが違っているのはどうしてですか。
20 「家族を守るはずの律法が,一夫多妻を認めていたのはなぜだろう」と考える人もいます。(申命記 21:15-17)この点を正しく理解するには,今の時代や文化に基づいてモーセの律法を見るのではなく,当時の状況を考慮に入れる必要があります。(格言 18:13)はるか昔にエデンでエホバが定めた結婚は,1人の夫と1人の妻が永続する絆で結ばれるものでした。(創世記 2:18,20-24)しかし,エホバがイスラエルに律法を与えた頃までには,すでに何世紀にもわたって一夫多妻が定着していました。エホバは,「民が強情」で,おそらく偶像崇拝の禁止といった基本的な命令にさえ従わない場合が多い,ということをよく分かっていました。(出エジプト記 32:9)それで賢明にも,その時代には結婚に関係する間違った慣習を全て正すことはしませんでした。とはいえ,覚えておきたいこととして,エホバが一夫多妻制を導入したわけではありません。むしろエホバは一夫多妻を規制し,女性たちが守られるようにしました。
21 モーセの律法では,妻に恥ずべき点がある場合,夫が妻と離婚することも認められていました。(申命記 24:1-4)イエスはそのことについて,神がユダヤ人の「頑固さを考えて」譲歩したと説明しています。そうした譲歩は一時的なものでした。イエスは弟子たちに,結婚に関するエホバの当初の基準を守るよう教えました。(マタイ 19:8)