聖書の7番目の書 ― 裁き人の書
筆者: サムエル
書かれた場所: イスラエル
書き終えられた年代: 西暦前1100年ごろ
扱われている期間: 西暦前1450年ごろ-1120年ごろ
1 どのような意味で裁き人の時代は注目に値しますか。
ここに,イスラエルの歴史の活動に満ちた1ページがあります。それは,悪霊宗教にかかわったための災厄と,神の任命を受けた裁き人による,悔い改めた民のためのエホバの憐れみある救出とが交互に繰り返された時代です。オテニエル,エフド,シャムガル,またその後に続いた他の裁き人たちの力ある業はまさに信仰を鼓舞します。ヘブライ人への手紙の筆者はこう書いています。「さらにギデオン,バラク,サムソン,エフタ……について語ってゆくなら,時間が足りなくなるでしょう。彼らは信仰により,王国を闘いで撃ち破り,義を成し遂げ,……弱かったのに強力な者とされ,戦いにおいて勇敢な者となり,異国の軍勢を敗走させました」。(ヘブライ 11:32-34)この時期の12人の忠実な裁き人すべてを挙げれば,さらにトラ,ヤイル,イブツァン,エロン,アブドンがいます。(サムエルはふつう裁き人の中に数えられていません。)エホバは裁き人たちのために戦われ,彼らがその勲功を立てる時にはエホバの霊が彼らを包んでいました。彼らはすべての誉れと栄光を神に帰しました。
2 「裁き人の書」のヘブライ語の名はなぜ適切ですか。
2 セプトゥアギンタ訳の中で,この書は「クリタイ」と呼ばれ,ヘブライ語の聖書の中では,「ショーフェティーム」と呼ばれています。これは,訳せば,「裁き人たち」という意味です。「ショーフェティーム」という言葉は,「裁く,立証する,処罰する,治める」という意味の「シャーファト」という動詞から来ており,この語は,「すべてのものの裁き主なる神」から神権的な割り当てを受けたこれらの人々の職務をよく表現しています。(ヘブライ 12:23)これらは,神の民を異国の束縛から救出するため,それぞれ特別な場合にエホバによって起こされた人々でした。
3 「裁き人の書」はいつ書かれましたか。
3 「裁き人の書」はいつごろ書かれましたか。この書の中の二つの言葉がその答えを見いだす助けとなります。最初の言葉はこれです。「そのためエブス人は今日まで……エルサレムに住んでいる」。(裁き人 1:21)ダビデ王がエブス人から「シオンのとりで」を攻め取ったのは,その治世の第8年,つまり西暦前1070年のことでしたから,「裁き人の書」はその年よりも前に書かれたに違いありません。(サムエル第二 5:4-7)2番目は,「そのころイスラエルに王はいなかった」という,4回出て来る表現です。(裁き人 17:6; 18:1; 19:1; 21:25)その記録は『イスラエルに王が』いた時代に書かれたのですから,それはサウルが最初の王となった西暦前1117年より後のことです。したがってそれは,西暦前1117年から西暦前1070年の間に書かれたに違いありません。
4 「裁き人の書」の筆者はだれですか。
4 筆者はだれですか。明らかにそれはエホバに全く身をささげた僕です。裁き人たちの時代から列王の時代に至るこの移行期にエホバの崇拝の主要な擁護者としてひとり際立っているのはサムエルです。またこのサムエルは,一連の忠実な預言者たちの最初の人でもあります。このような人としてのサムエルを,裁き人たちの歴史の記録者とするのは筋の通った見方でしょう。
5 「裁き人の書」に含まれる期間はどのように計算できますか。
5 「裁き人の書」はどれほどの期間のことを扱っているでしょうか。これは列王第一 6章1節から計算できます。その節は,ソロモンはその治世の4年目にエホバの家を建てはじめたことを示しています。それは,「イスラエルの子らがエジプトの地を出てから四百八十年目」でもありました。(「四百八十年目」というのは序数ですから,それは満479年間を表わしています。)この479年間に含まれている期間で知られているものは,モーセのもとに荒野で過ごした40年間(申命記 8:2),サウルの治世の40年間(使徒 13:21),ダビデの治世の40年間(サムエル第二 5:4,5),そしてソロモンの治世の最初のまる3年間です。これらを合計した123年を,列王第一 6章1節の述べる479年から引くと,イスラエルがカナンに入ってからサウルの治世が始まるまでの期間として356年間が残ります。a 「裁き人の書」に記録される出来事は,おもにヨシュアの死からサムエルの時までで,ここに述べた356年の期間のうちのおよそ330年を扱っています。
6 「裁き人の書」の信ぴょう性は何によって証明されますか。
6 「裁き人の書」の信ぴょう性について議論の余地はありません。ユダヤ人は常にこれを聖書正典の一部とみなしてきました。ヘブライ語聖書の筆者もクリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者も共にその記録を参照しています。詩編 83編9節から18節,イザヤ 9章4節,10章26節,ヘブライ 11章32節から34節はその例です。それは,イスラエルの過ちや後退を何ら包み隠さず率直に述べ,一方では,エホバの限りない愛ある親切をたたえています。イスラエルにおける救出者としての栄光を受けるべき方はエホバであって,単なる人間の裁き人ではありません。
7 (イ)考古学は「裁き人の書」の記録をどのように裏付けていますか。(ロ)エホバがバアル崇拝者たちの絶滅を命じたのはなぜ正当なことでしたか。
7 さらに,考古学上の発見も,「裁き人の書」の真正さを裏付けています。最もはっきりしているのは,カナン人のバアル宗教の性格に関する点です。古代都市ウガリット(キプロス島北東端に面したシリア沿岸,現代のラス・シャムラ)の発掘が1929年に始まるまで,バアル崇拝に関しては,聖書が述べている事柄以外にはほとんど知られていませんでした。その発掘を通して,バアルの宗教が,物質主義,極端な国家主義,性崇拝などを特色としていたことが明らかにされました。カナン人の都市はそれぞれ,高き所として知られる聖場と共にバアルの聖なる所を有していたようです。聖場の中には,バアルの像があったことでしょう。また,外に置かれた祭壇の近くには,恐らくバアルの男根の象徴と思われる石柱が見られました。それらの聖場は忌まわしい人間のいけにえの血によって汚されていました。バアル崇拝によって汚染された時には,イスラエル人も自分たちの息子や娘を同じようにしてささげました。(エレミヤ 32:35)バアルの母親アシェラを表わす聖木もありました。多産豊穣の女神アシュトレテはバアルの妻であり,「聖別された」神殿男娼や神殿娼婦として囲われた男や女たちにより,みだらな性儀式をもって崇拝されていました。バアル崇拝とその獣欲的な信奉者たちの根絶をエホバが命令されたのも不思議ではありません。「あなたの目は彼らを哀れんではならない。彼らの神々に仕えてはならない」― 申命記 7:16。b
裁き人の書の内容
8 「裁き人の書」は論理的に見てどのような部分に分けられますか。
8 この書は論理的に見て三つの区分に分けられます。初めの二つの章はその当時のイスラエルの状態を描写しています。3章から16章までは,12人の裁き人たちによる救出の模様を描写しています。次いで17章から21章までは,イスラエルの内部抗争に伴う幾つかの出来事を描写しています。
9 「裁き人の書」の初めの二つの章によってどのような背景が示されていますか。
9 裁き人の時代のイスラエルの状態(1:1-2:23)。イスラエルの各部族がそれぞれ割り当てられた領地に入植するために広がってゆく様子が描写されています。しかし,イスラエル人はカナン人を完全に追い出すことをせず,その多くを強制労働に就かせて,自分たちの間に住みつづけることを許します。そのためエホバのみ使いは,「彼らは必ずあなた方のわなとなり,彼らの神々はあなた方のおとりとなるであろう」と宣言します。(2:3)それで,エホバもそのみ業も知らない新しい世代が起きると,民はじきにエホバを捨てて,バアルやその他の神々に仕えはじめます。エホバの手が彼らに敵していて災いを臨ませたために,彼らは「非常な窮境」に陥ります。彼らの頑固さ,また裁き人たちにさえ聴き従おうとしない態度のゆえに,エホバは,イスラエルを試みるために残した諸国民を一つとして追い出しません。このような当時の背景は以下に続く出来事を理解する助けになります。―2:15。
10 オテニエルはどんな力によって裁きを行ないますか。どんな結果を得ましたか。
10 裁き人オテニエル(3:1-11)。カナン人に捕らわれの状態となって苦難のうちにあったイスラエルの子らは,エホバに助けを呼び求めるようになります。エホバは最初に,オテニエルを裁き人として起こされます。オテニエルは人間的な力や知恵によって裁きを行なうのでしょうか。そうではありません。こう記されています。『エホバの霊が今や彼に臨み』,こうしてイスラエルの敵を屈服させた,「その後,その地には四十年のあいだ何の騒乱もなかった」。―3:10,11。
11 エホバはイスラエルに救出をもたらすためにエフドをどのように用いますか。
11 裁き人エフド(3:12-30)。イスラエルの子らがモアブの王エグロンに18年間服させられていた時,エホバは再び,助けを求める彼らの叫びを聞かれ,裁き人エフドを起こされます。王とのひそかな接見の機会を得た左利きのエフドは,外とうの下から自分の手製の剣を取り,それを太ったエグロンの腹に深く突き刺して殺します。イスラエルはすぐにエフドの側に集合してモアブに対する戦いに加わり,こうしてその地は再び神から与えられた休みを80年のあいだ楽しみます。
12 シャムガルの勝利がエホバの力によることを何が示していますか。
12 裁き人シャムガル(3:31)。シャムガルが600人のフィリスティア人を打ち倒してイスラエルを救います。その勝利がエホバの力によることは,彼の用いた武器が単なる牛の突き棒であったことにも示されています。
13 どんな劇的な出来事のクライマックスとしてバラクとデボラの勝利の歌が歌われますか。
13 裁き人バラク(4:1-5:31)。次にイスラエルはカナン人の王ヤビンとその軍の長シセラに服させられます。シセラは鉄の大鎌の付いた兵車900両を持って,それを誇りとしていました。イスラエルがエホバに再び叫びはじめると,エホバは裁き人バラクを起こされます。バラクは女預言者デボラからの適切な支援を受けます。バラクとその軍隊が何ら誇ることがないようにするために,デボラはその戦闘がエホバの指揮によることを示し,このように預言します。『女の手にエホバはシセラを売られるでしょう』。(4:9)バラクはナフタリとゼブルンの人々をタボル山に呼び集めます。次いで彼の軍1万人は戦闘に下って行きます。強固な信仰が勝利を収めます。『エホバは,シセラとそのすべての戦車またその全陣営を混乱させてゆかれた』。キションの谷の突然の洪水をもって彼らを圧倒されたのです。「その一人も残らなかった」。(4:15,16)シセラはケニ人ヘベルの妻ヤエルの天幕に逃げ込みますが,このヤエルが,その殺りくの頂点として,シセラの頭に天幕の留め杭を地面まで打ち込みます。『こうして神はヤビンを屈服させた』。(4:23)デボラとバラクは歌をもって歓喜を言い表わし,エホバの無敵の力をたたえます。エホバは,星がその軌道からシセラに対して戦うようにさえされたのです。確かにそれは『エホバをほめたたえる』べき時でした。(5:2)その後に40年間の平和が続きます。
14,15 ギデオンはエホバの後ろだてに関してどんなしるしを与えられますか。ミディアン人の最終的な敗北によってこの後ろだてはさらにどのように強調されますか。
14 裁き人ギデオン(6:1-9:57)。イスラエルの子らは再び悪を行なうようになり,その地は襲撃して来るミディアン人によって荒らされます。エホバはご自分のみ使いによってギデオンを裁き人として任命されます。そしてエホバ自ら,「わたしがあなたと共にいる」という言葉をもって保証を加えられます。(6:16)ギデオンの最初の勇気ある行為は,自分の郷里の都市にあるバアルの祭壇を打ち壊すことです。敵の連合軍が今やエズレルに渡って来ます。『エホバの霊がギデオンを包み』,ギデオンはイスラエルを戦闘に召集します。(6:34)脱穀場で羊の毛を露にさらすという試みによって,ギデオンは神が自分と共におられるという二重のしるしを与えられます。
15 ギデオンの3万2,000人の軍は大きすぎて,その規模のゆえに,勝利に関して人間的な自慢をするようになるかもしれないと,エホバはギデオンにお告げになります。恐れおののいている者たちがまず家に帰され,ただ1万人だけが残されます。(裁き人 7:3。申命記 20:8)次いで,水を飲む際の試みによって,機敏で油断のない300人のほかはすべて除かれます。ギデオンは夜間にミディアン人の宿営を偵察します。そして,一人の男が夢の説き明かしをするのを聞いて励みを受けます。「それは……ギデオンの剣にほかならない。まことの神はミディアンとその全陣営を彼の手に与えたのだ」というのがその夢の意味でした。(裁き人 7:14)ギデオンは神を伏し拝み,次いで自分の手勢を三つの組に分けてミディアンの宿営の周りに配置します。夜の静けさは,角笛の響き,大きな水がめを砕く音,燃え上がるたいまつ,ギデオンの一隊300人の「エホバの剣,ギデオンのもの!」という叫びによって突如打ち破られます。(7:20)敵の宿営は大混乱に陥ります。人々は同士討ちを始め,また逃走しはじめます。イスラエルはこれを追跡し,殺りくを加え,その君たちを殺します。イスラエルの民は今,自分たちの支配者となることをギデオンに求めます。しかし彼はそれを断わってこう言います。「エホバがあなた方を治められるのです」。(8:23)しかし彼は戦利品を用いて一つのエフォドを作り,後にそれが過度に尊崇されて,ギデオンとその家の者たちにとってわなとなります。ギデオンが裁き人として仕えた40年の間,その地は休息を得ます。
16 強奪者アビメレクはどんな最期を遂げますか。
16 そばめによるギデオンの息子の一人アビメレクは,ギデオンの死後に権力を奪って,自分の腹違いの兄弟70人を殺害します。ギデオンの末の息子ヨタムだけが生き延びて,ゲリジム山の頂上から,やがて来るアビメレクの滅亡をふれ告げます。木々に関するこのたとえ話の中で,彼はアビメレクの「王位」を丈の低い野いばらになぞらえます。やがてアビメレクはシェケムの内部抗争に巻き込まれ,一人の女に殺されて死を遂げるという辱めを受けます。その女は,テベツの塔から臼石をじかに投げつけて,彼の頭蓋を打ち砕いたのです。―裁き人 9:53。サムエル第二 11:21。
17 裁き人トラとヤイルについて記録は何を示していますか。
17 裁き人トラとヤイル(10:1-5)。エホバの力によって次に救出をもたらしたのはこれらの人々です。一方は23年間,他方は22年間裁き人として仕えました。
18 (イ)エフタはどんな救出をもたらしますか。(ロ)エフタはエホバに対するどんな誓約を忠実に果たしますか。どのように?
18 裁き人エフタ(10:6-12:7)。イスラエルが執ように偶像礼拝に傾くため,エホバの怒りが再びその国民に対して燃えます。民は今アンモン人とフィリスティア人による圧迫のもとに苦しみます。エフタは戦闘においてイスラエルを指導するようその亡命地から呼び戻されます。しかし,その論争において真の裁き人となるのはだれでしょうか。エフタ自身の言葉がその答えを提出しています。「裁き主なるエホバが今日,イスラエルの子らとアンモンの子らとの間を裁かれますように」。(11:27)エホバの霊が今や彼に臨み,彼は一つの誓約を立てます。アンモンから平安に戻って来たら,自分の家から最初に迎えに出て来る者をエホバのためにささげる,という誓約です。エフタは大いなる殺りくをもってアンモンを屈服させます。ミツパの自分の家に戻って来た時,エホバの勝利を喜びつつ最初に走り出て来て彼を迎えたのは,ほかならぬ彼の娘でした。エフタは自分の誓約を果たします。―いいえ,バアルの儀式に倣って異教風に人間のいけにえをささげたのではなく,この一人娘を,エホバの賛美となるよう,エホバの家での全き奉仕のためにささげたのです。
19 どんな出来事があって「シボレト」という言葉の試みが行なわれますか。
19 この時エフライムの人々は,アンモンに対する戦いのために自分たちが呼ばれなかったことに抗議し,エフタに脅しをかけます。エフタはやむなく彼らを追い返します。全部で4万2,000人のエフライム人が殺されます。その多くは,ヨルダンの渡り場で,「シボレト」という合い言葉を正しく発音できないで見分けられたためでした。エフタは6年の間イスラエルの裁き人として仕えます。―12:6。
20 次にどんな3人の裁き人のことが述べられていますか。
20 裁き人イブツァン,エロン,アブドン(12:8-15)。これらの人々についてはごくわずかなことしか述べられていませんが,裁きを行なった期間はそれぞれ7年,10年,8年とされています。
21,22 (イ)サムソンはどんな力ある業を行ないますか。どんな力によって?(ロ)どのようにしてサムソンはフィリスティア人に打ち負かされますか。(ハ)一連のどんな出来事が頂点に達して,サムソンの最大の偉業が成し遂げられますか。その時だれがサムソンのことを思い出されますか。
21 裁き人サムソン(13:1-16:31)。再びイスラエルはフィリスティア人による捕らわれに陥ります。今度はサムソンがエホバにより裁き人として立てられます。サムソンの両親は,その誕生の時から彼をナジル人としてささげます。このため,彼の毛にかみそりを当ててはならないという要求が課されます。成長するにつれ,エホバは彼を祝福され,『やがてエホバの霊は彼を駆り立てるように』なります。(13:25)彼の強さの秘密は,人間的な筋力によるのではなく,エホバが供給される力にあります。『エホバの霊が彼に働きはじめる』時に,彼は力を与えられてライオンを素手で打ち殺し,後にはフィリスティア人30人を打ち倒してその背信に報います。(14:6,19)フィリスティア人の娘とサムソンとの婚約に関してフィリスティア人が不実な行為を続けた時,サムソンはきつね300匹を捕らえ,尾と尾を向き合わせて尾の間にたいまつをくくり付けてこれを送り出し,フィリスティア人の穀物畑とぶどう園とオリーブ畑を焼きます。次いで彼は,『股の上に脚を積み重ねる』までにフィリスティア人の大々的な殺りくを成し遂げます。(15:8)フィリスティア人はサムソンの仲間のイスラエル人である,ユダの人々に説きつけて,サムソンを縛って引き渡させますが,再び『エホバの霊が彼に働くようになり』,そのかせは,あたかも溶けたかのように彼の両手から落ちます。サムソンは1,000人のフィリスティア人を打ち倒します ―「一山,二山!」(15:14-16)彼の破壊の道具ですか? それはろばの水気のあるあご骨です。エホバはその戦闘の場で水の泉を奇跡的にわき出させて,力尽きたご自分の僕に生気を取り戻させます。
22 次にサムソンはガザの,ある遊女の家に一晩の宿を取ります。フィリスティア人はやって来て静かに彼を取り囲みます。しかし,エホバの霊が彼と共にあることが再び示されます。彼は夜中に起き上がり,その都市の城門の扉と側柱を引き抜いて,ヘブロンに面する山の頂にまで運んで行ったのです。このことの後,彼は不信実なデリラとの恋に陥ります。フィリスティア人のために働く手先となったデリラは,しきりに彼を悩まし,ついに彼は,長い髪の毛によって象徴された,エホバに対するナジル人としての自分の専心が大きな力の真の源であることを明かします。彼が眠っている間に,デリラは彼の髪の毛を切り落とさせます。今度は,彼が起き上がって戦おうとしても,それは無駄でした。『エホバが彼から離れた』からでした。(16:20)フィリスティア人は彼を捕らえ,その両目をくじり取り,奴隷にして獄屋の中で粉をひかせます。彼らの神ダゴンのための大きな祭りの時が来ると,フィリスティア人は自分たちのために何かの楽しみ事を行なわせようとしてサムソンを引き出します。彼の髪が再び豊かに伸びはじめている事実を見落とした彼らは,ダゴンを崇拝するために用いられる家の2本の大きな柱の間にサムソンが立つことを許します。サムソンはエホバに呼びかけます。「主権者なる主エホバ,どうかわたしを思い出してください。どうかこの一度だけわたしを強くしてください」。エホバは確かに彼を思い出されます。サムソンはその2本の柱をつかんで,「力を込めて身をかがめ」ます。―エホバの力です ―『その家は崩れ落ちた』のです。「そのため,彼が自分の死のさいに死に至らせた死者は,生きている間に死に至らせた者より多く」なりました。―16:28-30。
23 17章から21章までにどんな出来事のことが述べられていますか。それらはいつごろ起きましたか。
23 わたしたちは今,17章から21章にきます。この部分は,この時期に不幸にしてイスラエルに災いとなった内部抗争の幾つかを描写しています。それらの出来事は,モーセとアロンの孫たちであるヨナタンとピネハスがまだ生きていたと述べられていることにも示されるとおり,裁き人の時代のごく初期に起きたものです。
24 一部のダン人はどのようにして独立した宗教を作りましたか。
24 ミカとダン人(17:1-18:31)。エフライムの人ミカは独立した自分自身の宗教,彫刻像とレビ人の祭司が備わった「神々の家」を設立します。(17:5)北方に相続地を得ようとしてやって来たダンの部族の人々がそこに立ち寄ります。彼らはミカの宗教的所有物と祭司とを奪い取り,ずっと北方に住んでいて,何の懸念もなく過ごしていたライシュの都市を滅ぼします。その場所に彼らは自らの都市ダンを建設し,ミカの彫刻像をそこに立てます。こうして彼らは,エホバの真の崇拝の家がシロにとどまっていた日の間中,彼ら自身の独立した宗教を奉じます。
25 イスラエルの内部抗争はギベアでどのように頂点に達しますか。
25 ギベアにおけるベニヤミンの罪(19:1-21:25)。次に記録されている出来事は,後の時代のホセアの言葉の背景となっています。「イスラエルよ,ギベアの日以来あなたは罪をおかしてきた」。(ホセア 10:9)エフライムの一人のレビ人は,自分のそばめを連れて家に帰る途中,ベニヤミンの都市ギベアで,ある老人のもとに一晩泊まります。その都市の,どうしようもない男たちがその家を取り囲んで,そのレビ人と性的な交わりを持たせてくれるようにと要求します。しかし,彼らはその代わりに彼のそばめを受け入れ,夜通し彼女を辱めます。翌朝彼女は入口の敷居のところで死んでいるのが見いだされます。レビ人は彼女の遺体を家に運び,それを12の部分に切り分けて,全イスラエルに送ります。こうして12部族は試みられます。彼らはギベアを処罰して,イスラエルから不道徳を除き去るでしょうか。ベニヤミンはこの悪らつな犯罪を大目に見ます。他の部族はミツパでエホバのもとに集合します。その場所で彼らは,くじを引いてベニヤミンのギベアに攻め上ることを決定します。2度にわたる血生臭い敗北の後,他の部族は伏兵を用いることによって成功し,ベニヤミンの部族をほとんど滅ぼし尽くします。わずかに600人がリモンの大岩に逃れます。後にイスラエルは,一つの部族が切り断たれたことを悔やみます。生き残っているベニヤミン人のために,ヤベシュ・ギレアデとシロの娘たちの中から妻を得させる機会が作られます。イスラエルにおける抗争と陰謀の記録はここで終わっています。「裁き人の書」の結びの言葉が繰り返して述べているとおり,『そのころイスラエルに王はおらず,自分の目に正しく見えるところを各自が行なっていた』のです。―裁き人 21:25。
なぜ有益か
26 「裁き人の書」の中のどんな強力な警告は今日にも当てはまりますか。
26 「裁き人の書」は単なる抗争と流血の記録などではありません。それはエホバを,ご自分の民の大いなる救出者として高めているのです。それは,そのみ名の民が悔い改めた心を持って近づくときに,その無比の憐れみと辛抱強さとがいかに表明されるかを示しています。「裁き人の書」は,エホバの崇拝をはっきりと擁護し,悪霊宗教,信仰合同,不道徳な交わりなどの愚かさに関する強力な警告を行なっている点で極めて有益です。エホバがバアル崇拝を厳しくとがめておられることは,わたしたちが今日,それに相当する物質主義,国家主義,性の不道徳などからはっきり離れているべきことを銘記させます。―2:11-18。
27 今日のわたしたちは裁き人たちの良い手本からどのように益を受けることができますか。
27 裁き人たちの示した,恐れのない勇敢な信仰について調べるとき,わたしたちの心の中にも同様の信仰が鼓舞されるはずです。ヘブライ 11章32節から34節で,彼らのことが輝かしい是認をもって言及されているのも不思議ではありません。彼らはエホバのみ名を神聖なものとするための戦士であり,自らの力に頼っていたのではありません。彼らは自分たちの力の源がエホバの霊であることを知っており,そのことを自ら謙遜に認めていました。同様に今日のわたしたちも,バラク,ギデオン,エフタ,サムソン,その他の人々を神が強められたのと同じように,わたしたちをも強めてくださるとの確信を持って,「霊の剣」である神の言葉を取ることができます。そうです,もしわたしたちがただエホバに祈り,エホバに頼るならば,サムソンが身体的に強力にされたのと同じようにわたしたちも霊的に強くされ,エホバの霊の助けによって強大な障害を克服することができるのです。―エフェソス 6:17,18。裁き人 16:28。
28 王国の胤によってエホバのみ名が神聖なものとされることを「裁き人の書」はどのように予示していますか。
28 預言者イザヤは2か所で「裁き人の書」を引照し,エホバが,ミディアンの時代に行なわれたと同じように,敵がご自分の民の上に課したくびきを必ず打ち砕かれることを示しています。(イザヤ 9:4; 10:26)これはまた,わたしたちにデボラとバラクの歌を思い起こさせます。その歌は次の熱烈な言葉で結ばれています。「エホバよ,あなたの敵は皆こうして滅びるように。あなたを愛する者たちは,太陽が力強く進み出る時のようになるように」。(裁き人 5:31)そして,それら愛する者たちとはだれでしょうか。それが王国の相続者たちであることを示して,イエス・キリスト自らマタイ 13章43節で同様の表現を用いています。「その時,義人たちはその父の王国で太陽のように明るく輝くのです」。こうして「裁き人の書」は,義なる裁き人であり王国の胤であるイエスが権能を行使される時のことを指し示しています。このイエスによって,エホバはご自身のみ名に栄光と聖化とをもたらし,神の敵対者たちに関する詩編作者の祈りの言葉のとおりにされます。「ミディアンに対して,キションの奔流の谷でシセラやヤビンに対して行なったように,彼らに行なってください……それは,人々が,その名をエホバというあなたが,ただあなただけが全地を治める至高者であることを知るためです」― 詩編 83:9,18。裁き人 5:20,21。
[脚注]
a 現代の大抵の翻訳は,使徒 13章20節の「およそ四百五十年」という期間が,裁き人たちの期間とは対応せず,それ以前の期間を指すことを証言しています。すなわち,それは,西暦前1918年のイサクの誕生から,西暦前1467年の約束の地の分割までの期間を指しているようです。(「聖書に対する洞察」[英文],第1巻,462ページ)ヘブライ 11章32節に述べられている裁き人たちの順序は,裁き人の書に出て来る順序とは異なっていますが,これは必ずしも,裁き人の書の中の出来事が時代順に書かれていないという意味ではありません。サムエルがダビデより後でないことは確かだからです。
b 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,228,229,948ページ。