聖書の9番目の書 ― サムエル記第一
筆者: サムエル,ガド,ナタン
書かれた場所: イスラエル
書き終えられた年代: 西暦前1078年ごろ
扱われている時期: 西暦前1180年ごろ-1078年
1 西暦前1117年に,イスラエル国民の組織にはどんな大きな変化が生じましたか。その後,どんな状態が続くことになりましたか。
西暦前1117年のこと,イスラエルの国家的組織には重大な変化が生じました。一人の人間の王が任命されたのです! このことはサムエルがイスラエルでエホバの預言者として仕えていた時に生じました。エホバはそれを予知し,予告しておられましたが,イスラエルの民の求めた君主政体への変化は,サムエルにとってはやはりがく然とさせるような一撃となりました。誕生以来,エホバへの奉仕にささげられ,またエホバの王権に対する敬虔な認識で満たされていたサムエルは,神の聖なる国民の仲間の成員に臨む悲惨な結果を予知していました。ただエホバの導きのもとに,サムエルは彼らの要求に従ったのです。こう記されています。「そこで,サムエルは王権に伴って当然受けるべきものについて民に話し,それを書に記して,エホバの前に納めた」。(サムエル第一 10:25)こうして,裁き人の時代は終わりを告げ,それからイスラエルが前例のない国力と威光を帯びた国へと興隆するのを見る,人間の王たちの時代が始まりましたが,結局最後には恥辱を被り,エホバの恵みから切り離されるに至りました。
2 サムエル記第一を書いたのはだれですか。その筆者たちはどんな資格を持っていましたか。
2 この重大な時期の神聖な記録を作る資格があったのはだれでしょうか。いみじくも,エホバは忠実なサムエルを選んで,その執筆を開始させられました。サムエルには,「神の名」という意味がありますが,彼は確かにその当時,エホバのみ名の擁護者として傑出した人でした。サムエルはその書の初めの24章を書いたと思われます。それから,その死後,ガドとナタンが執筆を続け,サウルの死に至るまでの最後の数年間の記録を完成しました。このことは歴代第一 29章29節に示唆されており,こう記されています。「王ダビデの事績は,最初のものも最後のものも,予見者サムエルの言葉,預言者ナタンの言葉,幻を見る者であるガドの言葉の中にまさしく記されている」。列王記や歴代誌とは異なって,サムエルの書にはそれ以前の記録に言及したところがほとんどないので,ダビデと同時代のサムエル,ガドおよびナタンが筆者であることが裏付けられています。これら3人の人々は皆,エホバの預言者として責任ある地位についており,その国家の威力を衰えさせた偶像崇拝に反対していました。
3 (イ)サムエル記第一はどのようにして聖書中の一つの書となりましたか。(ロ)それはいつ完成されましたか。それはどの期間のことを扱っていますか。
3 サムエル記の二つの書は元々一つの巻き物,つまり一巻でできていました。サムエル記が分けられたのは,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳のこの部分が出された時のことでした。セプトゥアギンタ訳では,サムエル記第一は王国の書第一と呼ばれていました。この区分と列王記第一という名称はラテン語ウルガタ訳に採用され,カトリックの聖書では今日でもそうなっています。サムエル記第一および第二が元々一つの書であったことは,サムエル記第一 28章24節のマソラの注記によって示されていますが,それによると,この節はサムエルの書の真ん中にあると述べられています。この書は西暦前1078年ごろ書き終えられたようです。したがって,サムエル記第一は,西暦前1180年ごろから1078年までの100年と少しの期間のことを扱っていると思われます。
4 サムエル記第一の記述の正確さはどのように裏付けられてきましたか。
4 その記述の正確さを示す証拠はたくさんあります。地理的な位置は,描写されている出来事と合致しています。興味深いことに,ヨナタンはミクマシュでフィリスティア人の一守備隊を首尾よく攻撃し,その結果フィリスティア人を完全に敗走させましたが,第一次世界大戦中,英国の一将校によって同様の攻撃が繰り返され,同将校は霊感を受けたサムエルの記述に述べられている陸標に従って進み,トルコ人を敗走させたと言われています。―14:4-14。a
5 聖書の筆者たちはサムエル記第一の真正さについてどのように証言していますか。
5 しかし,この書が霊感の所産であることやその信ぴょう性を示す,それよりもさらに強力な証拠があります。その一つは,イスラエルが王を求めることを示したエホバの預言の著しい成就です。(申命記 17:14。サムエル第一 8:5)何年も後に,ホセアはエホバの言われたことを次のように引用して,その記述を確証しました。「わたしは怒りのうちに王を与えた。そして,憤怒のうちにこれを取り去るであろう」。(ホセア 13:11)ペテロもサムエルをイエスの『時代のことをはっきり告げ知らせた』預言者の一人とみなして,サムエル記が霊感を受けて記されたものであることを暗示しました。(使徒 3:24)パウロはサムエル第一 13章14節を引用して,イスラエルの歴史を簡潔に際立たせています。(使徒 13:20-22)イエスご自身も当時のパリサイ人に,「あなた方は,ダビデおよび共にいた人たちが飢えた時にダビデが何をしたかを読まなかったのですか」と尋ねることにより,その記述は信ぴょう性があることを明確に示されました。それからイエスはダビデが供え物のパンを求めたことに関する記述について話されました。(マタイ 12:1-4。サムエル第一 21:1-6)エズラもまた,すでに指摘したように,この記述を真正なものとして認めました。―歴代第一 29:29。
6 聖書のほかのどんな内面的証拠はサムエル記第一の信ぴょう性を示していますか。
6 これはダビデの活動についての最初の記述ですから,聖書の至る所にあるダビデに言及している箇所は皆,サムエル記が霊感を受けて記された神のみ言葉の一部であることを確証しています。その出来事の幾つかは,詩編 59編(サムエル第一 19:11),詩編 34編(サムエル第一 21:13,14),および詩編 142編(サムエル第一 22:1,もしくはサムエル第一 24:1,3)の場合のように,ダビデの詩編の表題の中でさえ言及されています。このように,神ご自身のみ言葉の内面的証拠はサムエル記第一の信ぴょう性を決定的に立証しています。
サムエル記第一の内容
7 この書に含まれている歴史は,イスラエルのどの指導者たちの生活に関するものですか。
7 この書はイスラエルの指導者のうちの次の4人の人物の生涯の一部あるいは全体を扱っています。それは大祭司エリ,預言者サムエル,最初の王サウルおよびその次の王となるよう油そそがれたダビデです。
8 サムエルはどんな境遇のもとで生まれ,「エホバの奉仕者」となりますか。
8 エリの裁き人としての職と若いころのサムエル(1:1-4:22)。この記述は,レビ人であるエルカナのお気に入りの妻ハンナの紹介で始まります。ハンナには子供がいなかったので,エルカナのもう一人の妻ペニンナから軽べつされます。この家族は毎年,エホバの契約の箱の置かれているシロを訪れますが,この度もそうしている時,ハンナは男の子を求めてエホバに熱烈に祈ります。そして,もしその祈りが聞かれたなら,その子をエホバへの奉仕にささげると約束します。神はその祈りを聞かれ,彼女は男の子サムエルを産みます。その子が乳離れするや,彼女はこれをエホバの家に連れて行き,その子を『エホバに貸された』者として大祭司エリに預けます。(1:28)それから,ハンナは感謝と幸せを歌った歓喜の歌を作って,その感慨を言い表わします。その少年は「祭司エリの前でエホバの奉仕者」となります。―2:11。
9 サムエルはどのようにしてイスラエルの預言者となりますか。
9 エリにとっては万事都合よくいっていたわけではありません。彼は年を取っており,それにその二人の息子は「エホバを認め」ようとしない,どうしようもないならず者となりました。(2:12)二人はその祭司の職を利用して,自分の貪欲と不倫な肉欲を満たそうとします。エリはその二人を矯正し損ないます。そこで,エホバはエリの家に対して神聖な音信を送り,「あなたの家には年老いた者がいなくなる」こと,そしてエリの息子たちは二人とも同じ日に死ぬであろうということを警告されます。(サムエル第一 2:30-34。列王第一 2:27)最後に,エホバは少年サムエルをエリのもとに遣わし,耳に鳴り響くような裁きの音信を伝えさせます。こうして,若いサムエルはイスラエルの預言者とされます。―サムエル第一 3:1,11。
10 エホバはどのようにエリの家に裁きを執行されますか。
10 やがてエホバはフィリスティア人を上って来させ,この裁きを執行されます。戦況がイスラエルにとって不利になると,イスラエル人は大声で叫びながら,契約の箱をシロから自分たちの陣営に運びます。その叫びを聞き,箱がイスラエル人の宿営に運び込まれたことを知ると,フィリスティア人は奮い立ち,驚くべき勝利を収め,イスラエル人を完全に敗走させます。その箱は奪い取られ,エリの二人の息子は死にます。エリは心をわななかせながら,その報告を聞きます。その箱のことが述べられると,エリは座席からあお向けに落ちて,首を折って死にます。こうして,裁き人を務めたその40年の期間が終わります。確かに,「栄光はイスラエルを……去りました」。というのは,その箱はエホバがその民と共におられることを表わしているからです。―4:22。
11 箱は魔術的なお守りではないことがどのようにして示されますか。
11 サムエルはイスラエルを裁く(5:1-7:17)。さて,フィリスティア人もまた,エホバの箱は魔術的なお守りのように用いてはならないことを大いに悲しい思いをして学ばなければなりません。彼らがその箱をアシュドドのダゴンの神殿に持ち込むと,彼らの神はばったりうつ伏せに倒れます。次の日,ダゴンは再び敷居のところにばったり倒れます。この度は,その頭と両手のたなごころは切り離されます。このことがあって,「ダゴンの敷居を踏まない」というフィリスティア人の迷信的な習慣が始まります。(5:5)フィリスティア人は急いで箱をガトへ,それからエクロンへ送りますが,その努力はすべて無に帰します。恐慌,痔,およびねずみの災いなどの形で,責め苦が臨みます。死者の数が増すにつれ,ついには自暴自棄に陥ったフィリスティア人の枢軸領主たちは,その箱を乳を与えていた2頭の雌牛の引く新しい車に載せてイスラエルに返します。ベト・シェメシュでは,イスラエル人のある人々に災難が臨みます。それらの人が箱を見たからです。(サムエル第一 6:19。民数記 4:6,20)最後に,箱はキルヤト・エアリムにあるアビナダブの家に来て落ち着きます。
12 サムエルが正しい崇拝を擁護したためにどんな祝福がもたらされますか。
12 その箱は20年の間,アビナダブの家にとどまります。大人になったサムエルは,バアルやアシュトレテの像を取り除き,心をつくしてエホバに仕えるようイスラエルに勧めます。彼らはそのようにします。彼らが崇拝のためにミツパに集まると,フィリスティア人の枢軸領主たちはその機会を捕らえて戦いを仕掛けます。不意を突かれたイスラエルは,サムエルを通してエホバを呼び求めます。エホバからもたらされた激しい雷鳴のために,フィリスティア人は混乱に陥り,犠牲と祈りをささげて強められたイスラエル人は,大勝利を収めます。そのとき以降,『エホバの手はサムエルの時代中ずっとフィリスティア人に向かいます』。(7:13)しかし,サムエルには引退はありません。彼はその生涯中ずっとイスラエルを裁き続け,エルサレムのすぐ北にあるラマからベテル,ギルガル,そしてミツパへと毎年巡回します。ラマではエホバへの祭壇を築きます。
13 イスラエルは王としてのエホバをどのように退けるようになりますか。サムエルはどんな結果について警告しますか。
13 イスラエルの最初の王サウル(8:1-12:25)。サムエルはエホバへの奉仕に携わって年老いますが,その息子たちは父の道を歩もうとはしません。というのは,その息子たちはわいろを受けたり,裁きを曲げたりしているからです。その時,イスラエルの年長者たちはサムエルに近づいて,次のように要求します。「どうか今,諸国民すべてのように,私たちを裁く王を私たちのために立ててください」。(8:5)大変ろうばいしたサムエルは,祈りのうちにエホバを求めます。エホバはこう答えられます。「彼らが退けたのはあなたではない。彼らは,わたしが彼らの王であることを退けた(の)である。……それで今,彼らの声に聴き従いなさい」。(8:7-9)しかし,まず,サムエルは彼らの反抗的な要求の悲惨な結果について,つまり軍隊の編制,課税,自由の喪失,そしてついには悲痛な悲しみを味わい,エホバに泣き叫ぶようになることについて彼らに警告しなければなりません。人々はその願いを思いとどまることもなく,王を要求します。
14 サウルの王権はどのようにして確立されますか。
14 さて,ベニヤミンの部族のキシュの子サウルが紹介されます。彼はイスラエルのうちで飛び抜けて麗しく,最も丈の高い人です。彼はサムエルのもとに導かれ,サムエルは宴の席で彼に敬意を表し,これに油をそそぎ,それからミツパに集まった全イスラエルに彼を紹介します。サウルは最初,荷物の間に隠れていますが,ついにエホバの選ばれた者として示されます。サムエルはもう一度王権に伴って当然受けるべきものについてイスラエルに思い起こさせ,それを書に記します。しかし,アンモン人に対して勝利を収め,民がギレアデのヤベシュで包囲攻撃から解放されて初めて,サウルの王としての地位は強化され,民はギルガルで彼の王権を承認するようになります。サムエルは再び,エホバを恐れ,これに仕え,これに従うよう彼らに勧告し,またエホバを呼び求めて,季節はずれの雷鳴と収穫の時の雨という形でしるしをもたらすよう願います。エホバは恐るべき仕方でそれを起こして見せ,王としてのご自分を彼らが退けたことに対する怒りを示されます。
15 どんなせん越な罪のためにサウルは失脚しますか。
15 サウルの不従順(13:1-15:35)。フィリスティア人が引き続きイスラエルを悩ましている時,サウルの勇敢な息子ヨナタンがフィリスティア人のある守備隊を討ち倒します。その仕返しとして,敵は数の点で『海辺の砂のような』大軍を送り,彼らはミクマシュに陣を敷きます。不安な気持ちがイスラエル人の隊伍を襲います。『サムエルがやって来て,エホバの指示を与えてくれさえしたらよいのに!』サムエルを待ち切れなくなったサウルは,せん越にも自ら焼燔の犠牲をささげることにより,罪をおかします。すると突然,サムエルが現われます。そして,サウルのつじつまの合わない弁解をはねつけ,次のようにエホバの裁きを申し渡します。「それで今や,あなたの王国は長続きしません。エホバは必ずご自分のためにその心にかなう人を見いだされます。エホバはその人をご自分の民の指導者として任命されます。あなたはエホバの命じられたことを守らなかったからです」― 13:14。
16 サウルの早まった行為は,どんな困難な事態を招きますか。
16 エホバのみ名のために熱心に事を運ぶヨナタンは,再びフィリスティア人の前哨部隊を襲いますが,この度はその武具持ちとたった二人で出かけて,たちまち20人ほどの者を討ち倒します。地震も敵の混乱をあおります。彼らは敗走させられ,イスラエルは徹底的に追跡します。ところが,サウルは早まって,戦いが終わるまでは何も食べてはならないと戦士たちに禁じる誓いを立てたため,勝利の全き効果は弱められます。部下はたちまち疲れてしまい,殺したばかりの動物の肉を時間をかけて血抜きをせずに食べて,エホバに対して罪をおかします。しかしヨナタンは,その誓いについて聴かないうちに,蜜ばちの巣から蜜を取って食べ,元気を回復しました。彼は大胆にも,その誓いを妨げになるものとして公然と非難します。彼はイスラエルで行なった偉大な救いのゆえに,民により死から請け戻されます。
17 サウルはその2度目の重大な罪をおかしてから,さらにどのように退けられますか。
17 さて,エホバの裁きを卑劣なアマレク人に執行する時が訪れます。(申命記 25:17-19)アマレク人は完全に一掃されることになっています。人も獣も,何ものも容赦してはなりません。分捕り物もいっさい取ってはなりません。何もかもみな滅びのためにささげなければなりません。ところが,サウルは不従順にも,アマレク人の王アガグと,羊や牛の最良のものを,表向きはエホバにささげるという名目で生かしておきます。このためにイスラエルの神はたいへん不快に思い,サムエルに霊感を与えて,サウルを再び退ける意向を表明させます。面子を立てようとするサウルの言い訳を退けたサムエルは,次のように言明します。「エホバは,エホバの声に従うことほどに焼燔の捧げ物や犠牲を喜ばれるでしょうか。ご覧なさい,従うことは犠牲に勝り(ます)……あなたはエホバの言葉を退けたので,神もあなたを王としての立場から退けられます」。(サムエル第一 15:22,23)そこでサウルはサムエルに嘆願しようとして,その上着のすそをつかみますが,裂けてしまいます。サムエルは,同様にエホバが必ずサウルから王国を裂き取って,それをもっと勝った人にお与えになることをサウルに向かって断言します。サムエルは自ら剣を取ってアガグを処刑し,サウルに背を向けて,二度と再びこれを見ようとしません。
18 エホバは何に基づいてダビデを選ばれますか。
18 ダビデは油そそがれる。その武勇(16:1-17:58)。エホバは次にサムエルをユダのベツレヘムのエッサイの家に導かれ,将来の王を選び,油そそがせます。エッサイの息子たちは一人ずつ審査を受けますが,退けられます。エホバはサムエルに次のように思い起こさせます。「神の見るところは人の見るところと異なる(の)だ。人は目に見えるものを見るが,エホバは心がどうかを見るからだ」。(16:7)最後にエホバは,「赤みがかっていて,美しい目をした,容姿の麗しい若者」と描写されている一番年下のダビデを承認したことを示され,サムエルはダビデに油を注ぎます。(16:12)エホバの霊は今や,ダビデに臨みますが,サウルは悪い霊を現わします。
19 ダビデは初めに,エホバの名によってどんな勝利を得ますか。
19 フィリスティア人は再びイスラエルに侵入し,丈が非常に高くて,6キュビトと一指当たり(約2㍍90㌢)ある巨人のゴリアテという代表闘士を前に進ませます。その巨人はとてつもなく大きくて,その小札かたびらは重さが56.5㌔ほどあり,その槍の刃は重さが6.8㌔ほどあります。(17:4,5,7)このゴリアテは来る日も来る日も,不敬にも,またごう慢にも,一人の男を選んで出て来て戦わせるよう,イスラエルに挑戦しますが,だれもこたえ応じません。サウルは天幕の中で震えています。ところが,ダビデがやって来て,このフィリスティア人の嘲弄の言葉を聞きます。義憤にかられ,勇気を奮い起こさせられたダビデは,次のように叫びます。「生ける神の戦列を嘲弄するとは,この割礼を受けていないフィリスティア人は何者なのですか」。(17:26)かつて一度も使ったことがないのでサウルの武具を断わったダビデは,羊飼いの杖と石投げと五つの滑らかな石だけを用意して,戦いをするために出て行きます。この年若い羊飼いの少年を相手にするのは自分の体面にかかわることとみなしたゴリアテは,ダビデに災いを呼び求めます。すると,確信に満ちた答えが次のように響き渡ります。「あなたは剣と槍と投げ槍とを持ってわたしに向かって来るが,わたしは……万軍のエホバのみ名をもってあなたに向かって行く」。(17:45)一つの石がダビデの石投げからねらいを定めて飛ばされ,フィリスティア人のその代表闘士は地にくずおれてしまいます! そのもとに走り寄ったダビデは,両軍からよく見える所で,その巨人の剣を引き抜き,これを使ってその持ち主の首を切り落とします。エホバからの何と偉大な救出なのでしょう。イスラエルの陣営には何と大きな喜びがあるのでしょう。その代表闘士が死んだため,フィリスティア人は逃げ去り,歓喜したイスラエル人は激しく追跡します。
20 ダビデに対するヨナタンの態度はサウルのそれとどのように対照をなしていますか。
20 ダビデに対するサウルの追跡(18:1-27:12)。エホバのみ名のためのダビデの恐れのない行動は,ダビデにとって一つのすばらしい友好関係を開くものとなります。それはサウルの息子で,当然王国を得るはずのヨナタンとの関係です。ヨナタンは「自分の魂のように彼を愛するように」なり,二人は友好関係の契約を結びます。(18:1-3)ダビデの名声がイスラエルでほめたたえられるようになると,サウルは,その間に娘ミカルをこれに嫁がせたにもかかわらず,怒りを抱いて彼を殺そうとします。サウルの敵意はいよいよ気違いじみたものとなって行くため,ついにダビデはヨナタンの愛ある援助を得て逃げなければならなくなります。二人は別れに際して泣き,ヨナタンはダビデに対するその忠節を保つことを再び断言して,こう言います。「エホバがわたしとあなたとの間,またわたしの子孫とあなたの子孫との間に定めのない時までもおられますように」― 20:42。
21 どんな出来事はサウルのもとからのダビデの逃走を特徴づけていますか。
21 苦々しさを募らせたサウルのもとから逃げたダビデと飢えたその少数の支持者たちの一隊は,ノブにやって来ます。そこで,祭司アヒメレクは,ダビデとその部下が女から離れていて清い状態であることを確信すると,一行に聖なる供えのパンを食べることを許します。さて,ゴリアテの剣で武装したダビデは,フィリスティア人の領土のガトに逃げて行き,そこで気違いの振りをします。それから,彼はアドラムの洞くつへ,次いでモアブへ,そしてその後,預言者ガドの忠告を受けて,ユダの地に戻ります。ダビデを支持する反乱を恐れた,狂気なまでにしっとに燃えたサウルは,エドム人ドエグにノブの祭司である人々を打ち殺させます。ただ一人アビヤタルだけが逃れて,ダビデに加わり,その一行のための祭司となります。
22 ダビデはエホバに対する忠節とその組織に対する敬意をどのように実証しますか。
22 ダビデはエホバの忠節な僕として,今やフィリスティア人に対して効果的なゲリラ戦を行ないます。ところが,サウルはダビデを捕らえようとして全面的な作戦を続け,戦人を集めて,「エン・ゲディの荒野」でダビデを探し回ります。(24:1)エホバに愛されたダビデは,いつもなんとか事を運んで追跡者よりも一歩先を進みます。ある時,彼はサウルを討ち倒す機会に恵まれますが,そうすることを差し控え,ただその命を容赦した証拠としてサウルの上着のすそだけを切り取ります。この無害な行為さえダビデの心を打ちます。というのは,エホバの油そそがれた者に逆らって行動したと感じているからです。エホバの組織に対して何と優れた敬意を抱いているのでしょう。
23 アビガイルはどのようにしてダビデと和解し,ついにその妻となりますか。
23 さて,サムエルの亡くなったことが記されますが(25:1),その後継者である書記はさらにその記述を続けます。ダビデはナバルの羊飼いたちを助けたことに対する報酬として,自分と自分の部下のために食物を提供するよう,ユダのマオンのナバルに頼みます。ところが,ナバルはダビデの部下に対してただ『どなりつける』だけだったので,ダビデはこれを罰するために出かけます。(25:14)危険を悟ったナバルの妻アビガイルは,ひそかにダビデの所に食糧を持って行き,彼をなだめます。ダビデはその思慮深い行為のゆえに彼女を祝福し,平安のうちにこれを送り返します。アビガイルが起きたことをナバルに知らせると,その心は打ちのめされ,十日たって彼は死にます。ダビデのほうは今や,慈しみ深い美しいアビガイルと結婚します。
24 ダビデはどのようにサウルの命を再び容赦しますか。
24 サウルは3度目にも狂ったようにダビデを追跡しはじめますが,またもやダビデの憐れみを経験します。「エホバからの深い眠り」がサウルとその部下を襲います。そのために,ダビデは陣営に入って,サウルの槍を取ることができるようになりますが,「エホバの油そそがれた者に向かって」その手を出すことを差し控えます。(26:11,12)ダビデは難を避けてフィリスティア人のもとに再び逃げざるを得なくなりますが,彼らはチクラグを住む場所としてダビデに与えます。そこから彼はイスラエルの敵の他の者に対して出撃し続けます。
25 サウルは3度目のどんな重大な罪を犯しますか。
25 自殺を遂げるサウルの最期(28:1-31:13)。フィリスティア人の枢軸領主たちは連合軍をシュネムに移します。サウルは対抗手段としてギルボア山に陣取ります。逆上した彼は導きを求めますが,エホバからは何の答えも得ることができません。サムエルと連絡が取れさえしたらよいのに! サウルは変装して,フィリスティア人の戦線の背後にあるエン・ドルで一人の霊媒術者を捜しに出て行き,もう一つの重大な罪を犯します。彼女を捜すと,サウルはサムエルと連絡を取ってもらいたいと頼みます。結論を急ぐ余り,サウルはその亡霊を死んだサムエルだと考えます。しかし,“サムエル”は王にとって慰めとなる音信を持ってはいません。サウルは翌日死ぬことになり,エホバの言葉にたがわず,その王国は彼から取り去られます。他方の陣営では,フィリスティア人の枢軸領主たちが戦いに上って行こうとしています。彼らは自分たちの中にダビデとその部下たちがいるのを見ると,疑惑を抱くようになり,ダビデとその部下を帰します。ダビデの部下たちは丁度よい時にチクラグに帰って来ます。アマレク人の侵略者の一隊がダビデの家族や所有物とその部下たちをさらって行きましたが,ダビデとその部下たちはこれを追跡し,危害を被ることなくすべてのものを取り返します。
26 イスラエルの最初の王の悲惨な治世はどのように終わりを迎えますか。
26 さて,戦いはギルボア山で開始され,イスラエルは悲惨な敗北を被り,フィリスティア人はその地の戦略的な地域を支配します。ヨナタンと,サウルのほかの息子たちは打ち殺され,致命傷を負ったサウルは自分の剣で自害,つまり自殺します。勝ち誇ったフィリスティア人はサウルとその3人の息子たちの遺体をベト・シャン市の城壁に掛けますが,遺体はヤベシュ・ギレアデの人々によりその不名誉な場所から移されます。こうして,イスラエルの初代の王の不幸な治世はその悲惨な終わりを迎えます。
なぜ有益か
27 (イ)エリやサウルはどの点で失敗しましたか。(ロ)サムエルやダビデはどんな点で監督たちや年若い奉仕者たちにとって立派な模範ですか。
27 サムエル記第一には何という歴史が収められているのでしょう。その記述はあらゆる詳細な点において正直そのもので,イスラエルの短所や長所を両方とも同時にあらわに述べています。そこにはイスラエルの4人の指導者が出て来ますが,そのうちの二人は神の律法に留意しましたが,二人はそうしませんでした。エリとサウルがどのように失敗者となったかに注目してください。つまり,前者は行動を起こすことを怠りましたが,後者はせん越な行動を取りました。一方,サムエルとダビデは若い時からエホバの道に対する愛を示し,そのために栄えました。ここにはすべての監督たちに対する何と貴重な教訓があるのでしょう。監督たちが確固とした態度を取り,エホバの組織の清さと秩序を見守り,エホバの取り決めに敬意を表わし,恐れを抱かず,穏やかな気性を保ち,勇気を示し,またほかの人たちに愛ある思いやりを示すのは何と必要なことでしょう。(2:23-25; 24:5,7; 18:5,14-16)また,成功を収めたその二人は,若い時から神権的な良い訓練を受ける有利な立場に恵まれていましたし,二人共エホバの音信を語るという点で年若いころから勇敢で,自分にゆだねられた事柄を守っていたことにも注目してください。(3:19; 17:33-37)今日のエホバの年若い崇拝者たちも皆,若い“サムエル”や“ダビデ”になりますように!
28 どのように従順が強調されていますか。サムエル記第一のどんな助言が聖書のほかのどんな筆者たちによって後に繰り返されていますか。
28 この書のすべての有益な言葉の中でもはっきりと覚えておくべきなのは,「アマレクについて述べることを天の下からぬぐい去る」ことに失敗したサウルに対する裁きをエホバがサムエルに霊感を与えて述べさせた時の言葉です。(申命記 25:19)『従順は犠牲に勝る』という教訓は,ホセア 6章6節,ミカ 6章6節から8節,およびマルコ 12章33節などの様々の箇所で繰り返されています。(サムエル第一 15:22)今日,わたしたちがわたしたちの神エホバの声に十分に,また全く従うことにより,霊感によるこの記録から益を得るのは実に肝要なことです。サムエル第一 14章32節と33節では,血の神聖さを認める点での従順さにも注意が向けられています。正しく血抜きをせずに肉を食べることは,『エホバに対して罪をおかす』こととみなされました。このことはまた,使徒 15章28節と29節で明らかにされているように,クリスチャン会衆にも当てはまります。
29 サムエル記第一の書はイスラエルのどんな国家的な誤りのもたらす結果を例証していますか。同時に,それは片意地な人々に対するどんな警告となりますか。
29 サムエル記第一の書は,天からなされる神の支配を非実際的なものとみなすようになった一国民の憐れむべき誤りを例証しています。(サムエル第一 8:5,19,20; 10:18,19)人間による支配の陥りやすい過ちやむなしさは,鮮やかに,また預言的に描写されています。(8:11-18; 12:1-17)サウルは最初,神の霊を持っていた慎み深い人であることが示されていますが(9:21; 11:6),義に対する愛と神への信仰が少なくなるにつれ,その判断はあいまいになり,その心は苦々しくなりました。(14:24,29,44)その初めの熱心さの記録は,その後のせん越さ,不従順,および神への不忠誠の行ないによって取り消されました。(サムエル第一 13:9; 15:9; 28:7。エゼキエル 18:24)その信仰の欠如は不安を生み,それが高じて,しっと,憎しみ,および殺人をもたらしました。(サムエル第一 18:9,11; 20:33; 22:18,19)サウルは生きていた時にもそうであったように,その神とその民にとって落伍者として,また彼のように「片意地」になる人に対する警告として死にました。―ペテロ第二 2:10-12。
30 サムエルのどんな特質を培うことは現代の奉仕者にとって益となりますか。
30 しかし,それとは対照的な良いこともあります。例えば,欺まんを行なったり,えこひいきや偏愛を示したりすることなく,一生涯イスラエルに仕えた忠実なサムエルの歩みに注目してください。(サムエル第一 12:3-5)彼は少年時代から熱心に従う人で(3:5),礼儀正しく,丁重で(3:6-8),務めを果たす点で信頼でき(3:15),その献身と専心の点でも不動で(7:3-6; 12:2),喜んで聴き従い(8:21),進んでエホバの決定を支持し(10:24),人物にかかわりなく裁きの点で確固としており(13:13),従順を大いに重んじ(15:22),また根気強く任務を果たしました。(16:6,11)彼はまた,ほかの人たちからも良い評判を得ていました。(2:26; 9:6)その若い時代の奉仕は,今日,奉仕の務めに従事するよう若い人たちを励ますものとなっているだけでなく(2:11,18),その生涯の終わりまで引退することなくその務めを継続したことは,老齢のために疲れを感じる人たちを鼓舞するものともなるでしょう。―7:15。
31 ヨナタンはどんな点で優れた模範ですか。
31 それから,ヨナタンの目覚ましい模範があります。彼は,もしかしたら自分が継承したかもしれない王の職務にダビデが任じられたことで,少しも悪感情を示しませんでした。むしろ,彼はダビデの優れた特質を認め,ダビデと友好関係の契約を結びました。同様の利他的な親密な交際は,今日,エホバに忠実に仕える人たちの中でたいへん人を築き上げ,励ますものとなります。―23:16-18。
32 ハンナやアビガイルのような女性には,どんな優れた特性が認められますか。
32 女性にとっては,夫に同伴して,定期的にエホバの崇拝の場所に通ったハンナの模範があります。彼女はよく祈りをささげる謙そんな女性で,約束を守って,エホバのご親切に対する感謝を示すため,その息子との交わりを断念しました。彼女はその子が生涯にわたってエホバに実りの多い奉仕をする人生のスタートを切るのを見ましたが,それは本当にすばらしい報いでした。(1:11,21-23,27,28)さらに,アビガイルの模範があります。彼女は女らしい服従と,ダビデの称賛を勝ち得た分別を示したので,後にその妻となりました。―25:32-35。
33 ダビデの恐れを知らない愛と忠誠は,どんな歩みをするよう,わたしたちを促すはずですか。
33 エホバに対するダビデの愛は,ダビデが「エホバの油そそがれた者」である堕落したサウルにより荒野で追い回されていた時に作った詩編の中で,感動的に表現されています。(サムエル第一 24:6。詩編 34:7,8; 52:8; 57:1,7,9)そして,ダビデは嘲弄者ゴリアテに挑戦した時,何という心からの認識を抱いてエホバのみ名を神聖なものとしたのでしょう。こう記されています。「わたしは……万軍のエホバのみ名をもってあなたに向かって行く。この日,エホバはあなたをわたしの手に引き渡され……全地の人々はイスラエルに神がおられることを知るであろう。そして,この全会衆は,エホバが剣や槍で救うのではないことを知るであろう。戦いはエホバのものであって,神は必ずあなた方をわたしたちの手に渡されるからである」。(サムエル第一 17:45-47)エホバの「油そそがれた者」である勇敢で忠節なダビデは,エホバを全地の神として,また救いの唯一の真の源である方として大いなるものとしました。(サムエル第二 22:51)わたしたちも恐れを知らないこの模範に,いつも従えますように!
34 エホバの王国の目的はダビデに関連してさらにどのように展開しますか。
34 サムエル記第一は神の王国という目的の進展については何を述べていますか。さあ,これで聖書のこの書の本当に重要な部分に触れることになります。というのは,ダビデが出て来るのは,この箇所だからです。その名には多分,「愛する者」という意味があります。ダビデはエホバに愛され,「その心にかなう人」,イスラエルの王となるにふさわしい人として選ばれました。(サムエル第一 13:14)こうして,その王国は創世記 49章9節と10節にあるヤコブの祝福の言葉と一致して,ユダの部族に移り,その王権はすべての民族の従順が帰属する支配者の来る時まで,ユダの部族のうちにとどまることになりました。
35 ダビデの名は王国の胤の名とどのように結び付けられるようになりましたか。その胤はダビデのどんな特質をこれから示しますか。
35 その上,ダビデの名は,やはりベツレヘムで生まれてダビデの家系から出た王国の胤の名と結び付けられています。(マタイ 1:1,6; 2:1; 21:9,15)その方は,「ユダ族の者であるライオン,ダビデの根」,また「ダビデの根また子孫であり,輝く明けの星」であられる,栄光を受けたイエス・キリストです。(啓示 5:5; 22:16)王国の支配権を執って統治しておられる,この「ダビデの子」は,神の敵との戦いに際して,その傑出した祖先の不動の態度と勇気をことごとく示して敵を滅びに至らせ,全地でエホバのみ名を神聖なものとするでしょう。この王国の胤に対するわたしたちの確信は何と強いものでしょう。
[脚注]
a 「最後の十字軍の物語」(英文),1923年,ビビアン・ギルバート少佐,183-186ページ。