研究記事1
「エホバに 導 みちび きを 求 もと める 人 ひと は, 良 よ いものに 不 ふ 足 そく しない」
2022 年 ねん の 年 ねん 句 く : 「エホバに導 みちび きを求 もと める人 ひと は,良 よ いものに不 ふ 足 そく しない」。詩 し 編 へん 34:10
4 番 ばん の 歌 うた 「エホバは私 わたし の牧 ぼく 者 しゃ 」
何 なに を 学 まな ぶか
ダビデは大 たい 変 へん な状 じょう 況 きょう の中 なか でも,「良 よ いものに不 ふ 足 そく し」ていないと感 かん じていた。(1-3節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
1. ダビデはどんな大 たい 変 へん な状 じょう 況 きょう を経 けい 験 けん しましたか。
ダビデは身 み の危 き 険 けん を感 かん じて逃 に げていました。イスラエルの強 きょう 力 りょく な王 おう であるサウルから命 いのち を狙 ねら われていたのです。ダビデは食 た べる物 もの が必 ひつ 要 よう になった時 とき ,ノブという町 まち へ行 い き,祭 さい 司 し アヒメレクにパンを5つだけ求 もと めました。(サム一 いち 21:1, 3 )その後 ご ,ダビデと部 ぶ 下 か たちは洞 どう 窟 くつ に逃 のが れました。(サム一 いち 22:1 )どうしてこのような状 じょう 況 きょう になったのでしょうか。
2. サウルはどんな危 き 険 けん なことを行 おこな っていましたか。(サムエル第 だい 一 いち 23:16,17 )
2 サウルはダビデのことを非 ひ 常 じょう にねたんでいました。ダビデが人 ひと 々 びと からの人 にん 気 き を集 あつ め,戦 たたか いでも多 おお くの勝 しょう 利 り を収 おさ めていたからです。サウルは,不 ふ 従 じゅう 順 じゅん になったために自 じ 分 ぶん がエホバから退 しりぞ けられ,イスラエルの王 おう 権 けん がダビデに与 あた えられることを知 し っていました。( サムエル 第 だい 一 いち 23:16,17 を 読 よ む。) それでも,王 おう であるサウルには,大 おお きな軍 ぐん 隊 たい や大 おお 勢 ぜい の支 し 持 じ 者 しゃ たちがいました。それで,ダビデは命 いのち を守 まも るために逃 に げなければなりませんでした。サウルは,エホバがダビデに王 おう 権 けん を与 あた えるのを阻 そ 止 し できる,と本 ほん 気 き で思 おも っていたのでしょうか。(イザ 55:11 )そのことについて聖 せい 書 しょ には何 なに も書 か かれていませんが,次 つぎ のことは確 たし かです。サウルは神 かみ に逆 さか らうことによって,非 ひ 常 じょう に危 き 険 けん なことを行 おこな っていた,ということです。神 かみ と戦 たたか って勝 か てる人 ひと など,一人 ひとり もいないのです。
3. ダビデは大 たい 変 へん な状 じょう 況 きょう の中 なか でも,どう感 かん じていましたか。
3 ダビデは,野 や 心 しん に燃 も える人 ひと ではありませんでした。王 おう になりたいと自 じ 分 ぶん から言 い ったのではなく,エホバからその立 たち 場 ば に任 にん 命 めい されたのです。(サム一 いち 16:1, 12,13 )サウルはダビデのことを憎 にく み,生 い かして おけない敵 てき と見 み なすようになりました。でもダビデは,自 じ 分 ぶん が危 き 険 けん な目 め に遭 あ っていることで,エホバを悪 わる く言 い ったりはしませんでした。食 た べ物 もの が少 すく ないことや洞 どう 窟 くつ に隠 かく れなければならないことについて,文 もん 句 く を言 い うこともありませんでした。それどころか,この洞 どう 窟 くつ に隠 かく れている時 とき に,美 うつく しい詩 し 編 へん 34編 ぺん を作 つく ったと思 おも われます。そこには,この記 き 事 じ の主 しゅ 題 だい 聖 せい 句 く である次 つぎ の言 こと 葉 ば が含 ふく まれています。「エホバに導 みちび きを求 もと める人 ひと は,良 よ いものに不 ふ 足 そく しない」。(詩 し 34:10 )
4. これからどんな点 てん を考 かんが えますか。こうした点 てん を考 かんが えるのが大 たい 切 せつ なのはなぜですか。
4 現 げん 代 だい のエホバの証 しょう 人 にん も,食 た べる物 もの や生 せい 活 かつ 必 ひつ 需 じゅ 品 ひん などが足 た りなくて困 こま るということがあります。 最 さい 近 きん のパンデミックの状 じょう 況 きょう 下 か では,こうした経 けい 験 けん をしている兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい が増 ふ えています。また,「大 だい 患 かん 難 なん 」が近 ちか づくにつれて,私 わたし たちは一 いっ 層 そう 難 むずか しい時 じ 期 き を経 けい 験 けん することになります。(マタ 24:21 )こうしたことを思 おも いに留 と めつつ,次 つぎ の4つの点 てん を考 かんが えましょう。ダビデはどういう意 い 味 み で「良 よ いものに不 ふ 足 そく しない」と言 い ったのでしょうか。私 わたし たちが今 いま あるもので満 まん 足 ぞく すべきなのはなぜですか。エホバが私 わたし たちを必 かなら ず助 たす けてくださると信 しん じられるのはなぜですか。将 しょう 来 らい に備 そな えて,今 いま どんなことができるでしょうか。
「 私 わたし は 何 なに も 不 ふ 足 そく しない」
5-6. 詩 し 編 へん 23編 ぺん 1-6節 せつ からすると,ダビデはどういう意 い 味 み で,神 かみ に仕 つか える人 ひと は「良 よ いものに不 ふ 足 そく しない」と言 い っていましたか。
5 ダビデはどんな意 い 味 み で,エホバに仕 つか える人 ひと は「良 よ いものに不 ふ 足 そく しない」と言 い ったのでしょうか。詩 し 編 へん 23編 ぺん にある似 に た表 ひょう 現 げん について考 かんが えると,ヒントが得 え られます。( 詩 し 編 へん 23:1-6 を 読 よ む。) 詩 し 編 へん 23編 ぺん の最 さい 初 しょ で,ダビデはこう言 い っています。「エホバは私 わたし の牧 ぼく 者 しゃ 。私 わたし は 何 なに も 不 ふ 足 そく しない 」。そして続 つづ く部 ぶ 分 ぶん でダビデは,エホバを牧 ぼく 者 しゃ と見 み ることによって経 けい 験 けん してきた,たくさんの素 す 晴 ば らしい祝 しゅく 福 ふく について述 の べています。これは私 わたし たちにとっても重 じゅう 要 よう な点 てん です。例 たと えば,エホバはダビデを「正 ただ しい道 みち に導 みちび いて」いました。そして,順 じゅん 調 ちょう な時 とき にもそうでない時 とき にも,ダビデを支 ささ え続 つづ けました。ダビデは,エホバの「青 あお 々 あお とした牧 ぼく 草 そう 地 ち 」にいるとしても,何 なに かしらの問 もん 題 だい を経 けい 験 けん する,ということを理 り 解 かい していました。時 とき には落 らく 胆 たん し,「深 ふか い陰 かげ が覆 おお う谷 たに 」を歩 あゆ んでいるような気 き 持 も ちになることもありましたし,敵 てき からの反 はん 対 たい に直 ちょく 面 めん することもありました。それでも,ダビデはエホバを牧 ぼく 者 しゃ と見 み ていたので,「何 なに も悪 わる いものを恐 おそ れ」ませんでした。
6 ここから,ダビデがどういう意 い 味 み で,「良 よ いものに不 ふ 足 そく しない」と言 い っていたかが分 わ かります。ダビデはエホバとの絆 きずな を保 たも つのに必 ひつ 要 よう なものを全 すべ て持 も っていました。ダビデの幸 しあわ せは,お金 かね や物 もの に依 い 存 ぞん してはいませんでした。ダビデはエホバから与 あた えられているもので満 まん 足 ぞく していました。ダビデにとって一 いち 番 ばん 大 だい 事 じ だったのは,エホバからの祝 しゅく 福 ふく や保 ほ 護 ご だったのです。
7. ルカ 21章 しょう 20-24節 せつ によると,1世 せい 紀 き のユダヤに住 す んでいたクリスチャンはどんな難 むずか しい状 じょう 況 きょう を経 けい 験 けん しましたか。
7 ダビデの言 こと 葉 ば から,お金 かね や物 もの に対 たい してふさわしい見 み 方 かた をすることの大 たい 切 せつ さを学 まな べます。私 わたし たちは持 も っている物 もの を活 かつ 用 よう することができますが,それを生 せい 活 かつ の中 ちゅう 心 しん にしてはいけません。1世 せい 紀 き のユダヤに住 す んでいたクリスチャンも,この点 てん を理 り 解 かい することになりました。( ルカ 21:20-24 を 読 よ む。) イエスは,エルサレムが「陣 じん 営 えい を張 は った軍 ぐん 隊 たい に囲 かこ まれる」時 とき が来 く ると警 けい 告 こく していました。その時 とき ,クリスチャンは「山 やま に逃 に げ始 はじ め」る必 ひつ 要 よう がありました。逃 に げるなら命 いのち を守 まも ることができましたが,これには大 おお きな犠 ぎ 牲 せい が伴 ともな いました。以 い 前 ぜん の「ものみの塔 とう 」誌 し にはこう述 の べられています。「彼 かれ らは……畑 はたけ と家 いえ を後 あと にし,家 いえ から持 も ち物 もの を取 と り出 だ すことさえしませんでした。エホバが保 ほ 護 ご してくださり,支 ささ えてくださると確 かく 信 しん し,大 たい 切 せつ に思 おも える他 た のどんなものよりもエホバの崇 すう 拝 はい を優 ゆう 先 せん したのです」。
8. 1世 せい 紀 き のユダヤに住 す んでいたクリスチャンに起 お きたことから,どんな大 たい 切 せつ な点 てん を学 まな べますか。
8 1世 せい 紀 き のユダヤに住 す んでいたクリスチャンに起 お きたことから,どんな大 たい 切 せつ な点 てん を学 まな べますか。先 さき ほどの「ものみの塔 とう 」誌 し にはこうあります。「前 ぜん 途 と には,わたしたちが物 ぶっ 質 しつ 上 じょう のものをどう見 み るかについて試 こころ みがあるかもしれません。物 ぶっ 質 しつ 上 じょう のものが最 もっと も重 じゅう 要 よう なのでしょうか,それとも神 かみ の側 がわ にいるすべての人 ひと に施 ほどこ される救 すく いのほうが重 じゅう 要 よう でしょうか。そうです,逃 に げる際 さい ,わたしたちは何 なに かの困 こん 難 なん や欠 けつ 乏 ぼう を経 けい 験 けん するかもしれません。ユダヤから……逃 に げた,1世 せい 紀 き の仲 なか 間 ま たちの場 ば 合 あい と同 どう 様 よう ,わたしたちも,何 なん であれ求 もと められる事 こと 柄 がら を行 おこ なう心 こころ 構 がま えができていなければならないでしょう」。
9. パウロがヘブライ人 じん のクリスチャンに与 あた えたアドバイスから,どんな励 はげ みを得 え られますか。
9 これらのクリスチャンにとって,持 も ち物 もの をほぼ全 すべ て後 あと にし,新 あたら しい場 ば 所 しょ での生 せい 活 かつ を始 はじ めるのは,どれほど大 たい 変 へん だったことでしょう。生 い きていくのに必 ひつ 要 よう なものに関 かん してエホバに頼 たよ るには信 しん 仰 こう が必 ひつ 要 よう でした。それでも,助 たす けが全 まった くなかったわけではありません。エルサレムがローマ軍 ぐん に囲 かこ まれる5年 ねん 前 まえ ,パウロはヘブライ人 じん のクリスチャンに対 たい して,次 つぎ のような貴 き 重 ちょう なアドバイスを与 あた えました。「お金 かね を愛 あい するような生 い き方 かた をせず,今 いま あるもので満 まん 足 ぞく しましょう。 神 かみ はこう言 い っています。『私 わたし は決 けっ してあなたを離 はな れず,決 けっ してあなたを見 み 捨 す てない』。それで,私 わたし たちは勇 ゆう 気 き を持 も ってこう言 い えます。『エホバは私 わたし を助 たす けてくださる。私 わたし は恐 おそ れない。人 ひと が私 わたし に何 なに を行 おこな えるだろう』」。(ヘブ 13:5,6 )ローマ軍 ぐん が攻 せ めてくる前 まえ に,パウロのこのアドバイス を真 しん 剣 けん に受 う け止 と めた人 ひと たちは,逃 に げた先 さき での簡 かん 素 そ な生 せい 活 かつ に順 じゅん 応 のう しやすかったことでしょう。生 い きていくのに必 ひつ 要 よう な物 もの をエホバが必 かなら ず与 あた えてくださると確 かく 信 しん できました。私 わたし たちもパウロのアドバイスを心 こころ に留 と めるなら,エホバが必 かなら ず世 せ 話 わ してくださるという確 かく 信 しん を持 も つことができます。
「それで 満 まん 足 ぞく します」
10. パウロの「秘 ひ 訣 けつ 」とは何 なん ですか。
10 パウロは,同 おな じようなアドバイスをテモテにも与 あた えました。それは私 わたし たちにも当 あ てはまるものです。パウロはこう述 の べました。「ですから,食 しょく 物 もつ と衣 い 服 ふく があれば,[私 わたし たちは]それで満 まん 足 ぞく します」。(テモ一 いち 6:8 )これはつまり,おいしい料 りょう 理 り を食 た べたり,立 りっ 派 ぱ な家 いえ に住 す んだり,時 とき 々 どき 新 あたら しい服 ふく を買 か ったりしてはいけない,ということでしょうか。そうではありません。パウロは今 いま 持 も っているもので満 まん 足 ぞく すべき であると言 い っていたのです。(フィリ 4:12 )これがパウロの「秘 ひ 訣 けつ 」でした。私 わたし たちにとって,最 もっと も貴 き 重 ちょう なのは神 かみ との絆 きずな です。お金 かね や物 もの ではありません。(ハバ 3:17,18 )
イスラエル人 じん は荒 こう 野 や で過 す ごした40年 ねん 間 かん ,「何 なに にも不 ふ 足 そく しなかった」。私 わたし たちは,今 いま 持 も っているもので満 まん 足 ぞく できるだろうか。(11節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
11. モーセがイスラエル人 じん に対 たい して語 かた った言 こと 葉 ば から,満 まん 足 ぞく することについてどんなことを学 まな べますか。
11 私 わたし たちがどんなものを必 ひつ 要 よう としているかについての考 かんが え方 かた は,エホバと私 わたし たちで違 ちが っているかもしれません。荒 こう 野 や で40年 ねん 過 す ごした後 あと ,モーセはイスラエル人 じん に対 たい して次 つぎ のように言 い いました。「エホバ神 かみ はあなたがした全 すべ てのことを祝 しゅく 福 ふく し, あなたがこの広 こう 大 だい な荒 こう 野 や を歩 ある いてきたことをよく知 し っている。この40年 ねん 間 かん ,エホバ神 かみ はあなたと共 とも におり, あなたは何 なに にも 不 ふ 足 そく しなかった 」。(申 しん 2:7 )40年 ねん の間 あいだ ,エホバはイスラエル人 じん に食 た べ物 もの としてマナを与 あた えました。服 ふく も擦 す り切 き れなかったので,イスラエル人 じん はエジプトを出 で た時 とき に着 き ていた服 ふく をずっと使 つか うことができました。(申 しん 8:3,4 )中 なか には,エホバから与 あた えられている物 もの は十 じゅう 分 ぶん ではない,と考 かんが えた人 ひと もいたかもしれません。それでも,モーセはイスラエル人 じん に対 たい して,必 ひつ 要 よう な物 もの は全 すべ て与 あた えられていることを思 おも い起 お こさせました。私 わたし たちも満 まん 足 ぞく し,エホバが与 あた えてくださる基 き 本 ほん 的 てき な物 もの をエホバからの祝 しゅく 福 ふく と見 み て感 かん 謝 しゃ するなら,エホバは喜 よろこ んでくださいます。
エホバが 必 かなら ず 助 たす けてくださると 信 しん じる
12. ダビデが自 じ 分 ぶん ではなくエホバに頼 たよ っていたことは,どんなことから分 わ かりますか。
12 ダビデは,エホバが忠 ちゅう 実 じつ な方 かた で,ご自 じ 分 ぶん を愛 あい する人 ひと たちを深 ふか く気 き 遣 づか ってくださる,ということを理 り 解 かい していました。詩 し 編 へん 34編 ぺん を作 つく った時 とき ,ダビデは命 いのち が危 き 険 けん な状 じょう 態 たい でした。それでも,信 しん 仰 こう の目 め で「エホバの天 てん 使 し 」が自 じ 分 ぶん の「周 まわ りにとどま」っているのを見 み ました。(詩 し 34:7 )ダビデは,エホバの天 てん 使 し を,陣 じん 営 えい で敵 てき を見 み 張 は っている兵 へい 士 し に例 たと えていたのかもしれません。ダビデは強 きょう 力 りょく な戦 せん 士 し で,エホバから王 おう 権 けん を与 あた えると約 やく 束 そく されていました。それでも,石 いし 投 な げ器 き や剣 つるぎ を使 つか う自 じ 分 ぶん の能 のう 力 りょく に頼 たよ ることはしませんでした。(サム一 いち 16:13; 24:12 )神 かみ に頼 たよ り,エホバの天 てん 使 し が「神 かみ を畏 おそ れる人 ひと たち……を助 たす け出 だ す」ことを信 しん じていました。もちろん,私 わたし たちは奇 き 跡 せき によって守 まも られることを期 き 待 たい してはいません。それでも,神 かみ に頼 たよ るなら,どんなつらいことを経 けい 験 けん するとしてもいつか必 かなら ず救 すく い出 だ される,ということを理 り 解 かい しています。
大 だい 患 かん 難 なん の際 さい ,マゴグのゴグの軍 ぐん は私 わたし たちの家 いえ を襲 しゅう 撃 げき してくるかもしれない。でも,イエスと天 てん 使 し たちがそのことを見 み 逃 のが すことなく私 わたし たちを守 まも ってくれるので,私 わたし たちは恐 おそ れる必 ひつ 要 よう がない。(13節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
13. マゴグのゴグの攻 こう 撃 げき に対 たい して私 わたし たちが無 む 防 ぼう 備 び に見 み えるのはなぜですか。それでも恐 おそ れる必 ひつ 要 よう がないのはなぜですか。(表 ひょう 紙 し の絵 え を参 さん 照 しょう 。)
13 近 ちか い将 しょう 来 らい ,私 わたし たちは,エホバが守 まも ってくださるということをどれほど信 しん じているかを試 ため されることになります。マゴグのゴグ,つまり諸 しょ 国 こっ 家 か の連 れん 合 ごう 体 たい がエホバに仕 つか える人 ひと たちを攻 せ める時 とき ,私 わたし たちは命 いのち の危 き 険 けん を感 かん じるかもしれません。その時 とき ,私 わたし たちは,エホバが私 わたし たちを救 すく い出 だ すことができ,そうしたいと思 おも っているということを確 かく 信 しん している必 ひつ 要 よう があります。諸 しょ 国 こっ 家 か は,私 わたし たちのことを無 む 防 ぼう 備 び な羊 ひつじ のように考 かんが え,勝 か つのは簡 かん 単 たん だと思 おも うことでしょう。(エゼ 38:10-12 )私 わたし たちは武 ぶ 器 き を持 も っておらず,戦 たたか いの訓 くん 練 れん を受 う けているわけでもないからです。でも,私 わたし たちは信 しん 仰 こう の目 め で,天 てん 使 し の大 たい 軍 ぐん が周 まわ りにとどまり,助 たす けようとしてくれていることを見 み ています。諸 しょ 国 こっ 家 か はこの様 よう 子 す を見 み ることができません。信 しん 仰 こう がないからです。それで,天 てん の軍 ぐん 勢 ぜい が私 わたし たちを助 たす けに来 く る時 とき ,諸 しょ 国 こっ 家 か は非 ひ 常 じょう に驚 おどろ くことになるでしょう。(啓 けい 19:11,14,15 )
将 しょう 来 らい に 備 そな える
14. 将 しょう 来 らい に備 そな えて,今 いま どんなことができますか。
14 将 しょう 来 らい に備 そな えて,今 いま どんなことができるでしょうか。お金 かね や物 もの に対 たい してふさわしい見 み 方 かた を持 も つことが必 ひつ 要 よう です。そうしたものは,いずれ手 て 放 ばな さなければならなくなるからです。また,今 いま あるもので満 まん 足 ぞく し,エホバとの絆 きずな を持 も っていることを喜 よろこ ぶことも大 たい 切 せつ です。エホバについて知 し れば知 し るほど,マゴグのゴグの攻 こう 撃 げき からエホバが守 まも ってくださるという確 かく 信 しん を強 つよ めることができるでしょう。
15. ダビデはどんな経 けい 験 けん をしていたので,エホバが必 かなら ず助 たす けてくださると確 かく 信 しん できましたか。
15 ダビデが試 し 練 れん に備 そな える上 うえ で,ほかにもどんなことが助 たす けになったか考 かんが えてみましょう。その点 てん は,私 わたし たちにも役 やく 立 だ つものです。ダビデはこう言 い いました。「エホバが善 よ い神 かみ であることを味 あじ わい知 し れ。神 かみ のもとに避 ひ 難 なん する人 ひと は幸 しあわ せだ」。(詩 し 34:8 )この言 こと 葉 ば から,エホバが必 かなら ず助 たす けてくださるとダビデが確 かく 信 しん していたのはなぜかが分 わ かります。ダビデはエホバにいつも頼 たよ っていました。そして,エホバはそのたびにダビデを助 たす けました。例 たと えば,ダビデは若 わか い頃 ころ ,フィリスティア人 じん の恐 おそ ろしい巨 きょ 人 じん ゴリアテと対 たい 決 けつ した時 とき ,「今日 きょう ,エホバはあなたを私 わたし の手 て に渡 わた [す]」と言 い いました。(サム一 いち 17:46 )後 のち にサウル王 おう に仕 つか えていた時 とき には,サウルから何 なん 度 ど も命 いのち を狙 ねら われました。それでも,「エホバはダビデと共 とも にい」て助 たす けました。(サム一 いち 18:12 )ダビデは,それまでエホバが何 なん 度 ど も助 たす けてくださったことを経 けい 験 けん していたので,今 いま ぶつかっている問 もん 題 だい についてもエホバが必 かなら ず助 たす けてくださると確 かく 信 しん していたのです。
16. エホバが善 よ い神 かみ であることを「味 あじ わい知 し 」るために,どんなことができますか。
16 今 いま ,導 みちび きを求 もと めてエホバに頼 たよ れば頼 たよ るほど,将 しょう 来 らい エホバが必 かなら ず助 たす けてくださるという確 かく 信 しん を強 つよ めることができます。雇 やと い主 ぬし に大 たい 会 かい のための休 きゅう 暇 か を願 ねが い出 で たり,集 しゅう 会 かい に欠 か かさず出 しゅっ 席 せき し,奉 ほう 仕 し にもっと出 で るために,仕 し 事 ごと の時 じ 間 かん を調 ちょう 整 せい してほしいと頼 たの んだりするには,信 しん 仰 こう や決 けつ 意 い が必 ひつ 要 よう です。もしかすると,雇 やと い主 ぬし に願 ねが いを受 う け入 い れてもらえず,首 くび になってしまうかもしれません。そうなるとしても,エホバが私 わたし たちを見 み 捨 す てることなく,生 い きていくのに必 ひつ 要 よう な物 もの を与 あた えてくださる,ということに信 しん 仰 こう を置 お くでしょうか。(ヘブ 13:5 )大 おお 勢 ぜい の全 ぜん 時 じ 間 かん 奉 ほう 仕 し 者 しゃ が,一 いち 番 ばん 必 ひつ 要 よう な時 とき にエホバが助 たす けてくれたということを経 けい 験 けん しています。エホバは忠 ちゅう 実 じつ な方 かた なのです。
17. 2022年 ねん の年 ねん 句 く は何 なん ですか。それがふさわしいのはなぜですか。
17 エホバが共 とも にいてくださるのですから,将 しょう 来 らい を恐 おそ れる必 ひつ 要 よう はありません。私 わたし たちが王 おう 国 こく を第 だい 一 いち にするなら,エホバは必 かなら ず助 たす けを与 あた えてくださいます。私 わたし たちは,将 しょう 来 らい の難 むずか しい時 じ 期 き に備 そな えて今 いま できることを行 おこな い,エホバに見 み 捨 す てられることは決 けっ してないという確 かく 信 しん を持 も つ必 ひつ 要 よう があります。私 わたし たちがこのことを思 おも い起 お こせるよう,統 とう 治 ち 体 たい は2022年 ねん の年 ねん 句 く として,詩 し 編 へん 34編 ぺん 10節 せつ の次 つぎ の言 こと 葉 ば を選 えら びました。「エホバに 導 みちび きを 求 もと める 人 ひと は, 良 よ いものに 不 ふ 足 そく しない」。
38 番 ばん の 歌 うた 神 かみ はあなたを強 つよ い人 ひと にしてくださる