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  • 近 第28章 280–289ページ
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  • 「あなただけが揺るぎない愛に満ちる方です」
  • エホバに近づきなさい
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エホバに近づきなさい
近 第28章 280–289ページ
夜空に月が浮かんでいる。

第28章

「あなただけが揺ゆるぎない愛あいに満みちる方かたです」

1-2. ダビデ王おうは,揺ゆるぎなく支し持じしてくれるはずの人ひとたちにどのように裏うら切ぎられましたか。

ダビデ王おうは,揺ゆるぎなく支し持じしてくれるはずの人ひとたちに裏うら切ぎられました。一いち部ぶのイスラエル人じんが謀む反ほんを起おこしたこともあり,ダビデの治ち世せいは波は乱らんに満みちていました。ダビデに背そむいた人ひとたちの中なかには,家か族ぞくや友ゆう人じんもいました。例たとえば,ダビデの最さい初しょの妻つまだったミカルです。当とう初しょ,ミカルは「ダビデを愛あいして」いました。王おうとしての務つとめを果はたそうとするダビデを支ささえていたに違ちがいありません。しかし後のちに,「心こころの中なかでダビデのことを軽けい蔑べつし」,「まるで愚おろか者もの」のようだと非ひ難なんすることさえしました。(サムエル第だい一いち 18:20。サムエル第だい二に 6:16,20)

2 ダビデの顧こ問もん官かんアヒトフェルも,裏うら切ぎった人ひとの1人ひとりです。アヒトフェルはダビデが信しん頼らいしていた友ゆう人じんで,この人ひとの助じょ言げんはあたかもエホバが語かたったものであるかのように見みなされていました。(サムエル第だい二に 16:23)しかしやがて,アヒトフェルはダビデに対たいする反はん逆ぎゃくに加くわわりました。その陰いん謀ぼうの首しゅ謀ぼう者しゃは,何なんとダビデの息子むすこアブサロムでした。アブサロムは策さく略りゃくを巡めぐらして「イスラエルの人ひとたちの心こころを盗ぬすんで」いき,機きが熟じゅくした時ときに自じ分ぶんが王おうだと宣せん言げんしました。アブサロムの反はん乱らんの勢いきおいに押おされ,ダビデ王おうは命いのちからがら逃にげました。(サムエル第だい二に 15:1-6,12-17)

3. ダビデはどんなことを確かく信しんしていましたか。

3 そういう中なかで,決けっしてダビデから離はなれなかった方かたがいます。それはエホバ神かみです。ダビデはそのことをよく分わかっていたので,エホバについてこう言いいました。「あなたは,揺ゆるぎない愛あいを示しめす人ひとに,揺ゆるぎない愛あいを示しめす」。(サムエル第だい二に 22:26)揺ゆるぎない愛あいとはどういうものでしょうか。揺ゆるぎない愛あいを示しめす点てんで,エホバが最さい高こうの手て本ほんだと言いえるのはどうしてでしょうか。

揺ゆるぎない愛あいとはどういうものか

4-5. (ア)「揺ゆるぎない愛あい」とはどういうものですか。(イ)「揺ゆるぎない愛あい」と「忠ちゅう実じつ」にはどんな違ちがいがありますか。

4 ヘブライ語ご聖せい書しょで「揺ゆるぎない愛あい」と訳やくされている言こと葉ばには,対たい象しょうから離はなれることなく一いっ貫かんして支し持じする,変かわらない深ふかい愛あい情じょうという意い味みがあります。「忠ちゅう実じつ」という言こと葉ばにも変かわらずに対たい象しょうを支し持じするという意い味み合あいがありますが,揺ゆるぎない愛あいはそれ以い上じょうのものです。忠ちゅう実じつだといわれる人ひとが単たんなる義ぎ務む感かんや習しゅう慣かんによって行こう動どうしている場ば合あいもありますが,揺ゆるぎない愛あいはそういうものではありません。また,「忠ちゅう実じつ」という言こと葉ばは無む生せい物ぶつについて使つかわれることもあり,例たとえば「詩し編へん」では月つきが「忠ちゅう実じつな証しょう人にん」と呼よばれています。毎まい晩ばん必かならず,規き則そく正ただしく空そらに姿すがたを現あらわすからです。(詩し編へん 89:37,脚きゃく注ちゅう)しかし,当とう然ぜんながら月つきが揺ゆるぎない愛あいを示しめすことはありません。

月つきは忠ちゅう実じつな証しょう人にんと呼よばれているが,エホバに倣ならって揺ゆるぎない愛あいを示しめせるのは天てん使しや人にん間げんだけ

5 誰だれかが揺ゆるぎない愛あいを示しめす場ば合あい,示しめす相あい手てとの間あいだに温あたたかくて強つよい絆きずながあります。ですから揺ゆるぎない愛あいは,状じょう況きょうによって簡かん単たんに変へん化かするようなものではありません。吹ふき荒あれる風かぜに翻ほん弄ろうされる海うみの波なみのようではないのです。どんな問もん題だいや障しょう害がいも物ものともしないほど強つよく,安あん定ていしています。

6. (ア)世よの中なかでは揺ゆるぎない愛あいに欠かけたどんな行おこないが広ひろく見みられますか。そういう状じょう況きょうについて聖せい書しょに何なんと書かかれていますか。(イ)揺ゆるぎない愛あいについて学まなぶ一いち番ばんの方ほう法ほうは何なんですか。どうしてそう言いえますか。

6 現げん代だいでは,そのような揺ゆるぎない愛あいを示しめす人ひとはますます少すくなくなっています。家か族ぞくや友ゆう人じんが「互たがいを傷きずつける」こともよくあります。夫おっとが妻つまを,妻つまが夫おっとを捨すてることも増ふえています。(格かく言げん 18:24。マラキ 2:14-16)不ふ誠せい実じつな行おこないがあまりにも多おおいので,預よ言げん者しゃミカのように,「揺ゆるぎない愛あいを示しめす人ひとは地ち上じょうから消きえ[た]」と言いいたくなるほどです。(ミカ 7:2)対たい照しょう的てきに,エホバは揺ゆるぎない愛あいに満みちています。ですから,揺ゆるぎない愛あいについて学まなぶ一いち番ばんの方ほう法ほうは,エホバがそれをどのように表あらわしてきたかを調しらべることです。

エホバだけが揺ゆるぎない愛あいに満みちている

7-8. エホバだけが揺ゆるぎない愛あいに満みちているとはどういうことですか。

7 聖せい書しょによれば,「[エホバ]だけが揺ゆるぎない愛あいに満みちる方かたです」。(啓けい示じ 15:4)どうしてそう言いえるのでしょうか。神かみに尽つくし,そのような愛あいを示しめした人にん間げんや天てん使しもいるのではないでしょうか。(ヨブ 1:1。啓けい示じ 4:8)イエス・キリストも,神かみを誰だれよりも「揺ゆるぎなく支し持じ」してきました。(詩し編へん 16:10,脚きゃく注ちゅう)そうであれば,エホバだけが揺ゆるぎない愛あいに満みちているとはどういうことでしょうか。

8 「神かみは愛あい」であり,まさしく愛あいを体たい現げんしているので,エホバ以い上じょうに揺ゆるぎない愛あいを示しめすことができる者ものは誰だれもいません。(ヨハネ第だい一いち 4:8)天てん使しや人にん間げんも神かみに倣ならうことはできますが,最さい高こうの愛あいを示しめせるのは,「年ねん月げつを経へた方かた」として誰だれよりも長ながく揺ゆるぎない愛あいを実じっ証しょうしてきたエホバだけです。(ダニエル 7:9)エホバが誰だれも及およばないほどの揺ゆるぎない愛あいをどのように表あらわしてきたか,幾いくつかの例れいを考かんがえてみましょう。

9. エホバは「揺ゆるぎない愛あいに基もとづいて」どんなことをしますか。

9 エホバは「揺ゆるぎない愛あいに基もとづいて物もの事ごとを行おこなう」方かたです。(詩し編へん 145:17)詩し編へん 136編ぺんを読よむと,そのことがよく分わかります。その詩しには,エホバがイスラエル人じんを救すくった例れいが幾いくつか挙あげられていて,劇げき的てきな奇き跡せきによって紅こう海かいを渡わたらせた時ときのことも書かかれています。どの節せつも,「神かみの揺ゆるぎない愛あいは永えい遠えんに続つづく」という言こと葉ばで終おわっています。289ページの「じっくり考かんがえたいこと」にも挙あげられているこの詩しを読よむと,エホバが自じ分ぶんの民たみのために行おこなったさまざまな事こと柄がらに揺ゆるぎない愛あいが表あらわれていることが分わかって,感かん動どうを覚おぼえるに違ちがいありません。エホバは,自じ分ぶんに忠ちゅう実じつに仕つかえる人ひとたちが助たすけを求もとめるときにその祈いのりを聞きき,一いち番ばん良よいタイミングで助たすけることにより,揺ゆるぎない愛あいを示しめします。(詩し編へん 34:6)私わたしたちがエホバを揺ゆるぎなく愛あいし続つづける限かぎり,エホバも揺ゆるぎない愛あいを示しめし続つづけてくれます。

10. どんなことにもエホバの揺ゆるぎない愛あいが表あらわれていますか。

10 エホバの善ぜん悪あくの基き準じゅんが変かわらずに一いっ貫かんしていることも,自じ分ぶんに仕つかえる人ひとたちへの揺ゆるぎない愛あいの表あらわれです。その場ばの思おもい付つきや感かん情じょうに左さ右ゆうされがちな人にん間げんの見み方かたとは違ちがって,善ぜん悪あくについてのエホバの見み方かたは決けっして揺ゆれ動うごくことがありません。何なん千ぜん年ねんも前まえから,心しん霊れい術じゅつ,偶ぐう像ぞう崇すう拝はい,殺さつ人じんなどに対たいするエホバの見み方かたは変かわっていません。預よ言げん者しゃイザヤが書かいている通とおり,エホバは「あなたが年としを取とっても私わたしは変かわらない」と言いいました。(イザヤ 46:4)ですから私わたしたちは,何なにが善ぜんで何なにが悪あくかに関かんする聖せい書しょのはっきりとした指し針しんに従したがうなら必かならず自じ分ぶんのためになる,と確かく信しんできます。(イザヤ 48:17-19)

11. エホバが約やく束そくを守まもると確かく信しんできるのはどうしてですか。

11 エホバが必かならず約やく束そくを守まもることについても考かんがえてみましょう。エホバが予よ告こくしたことは全すべてその通とおりになるので,エホバはこう言いっています。「私わたしの口くちから出でる言こと葉ばも,成せい果かを収おさめずに私わたしのもとに戻もどることはない。必かならず私わたしの望のぞむことを成なし遂とげ,私わたしが託たくした使し命めいを確かく実じつに果はたす」。(イザヤ 55:11)エホバがそのように約やく束そくを守まもることも,自じ分ぶんの民たみに対たいする揺ゆるぎない愛あいの表あらわれです。行おこなうつもりのないことを約やく束そくして,むなしい希き望ぼうを持もたせたりはしません。エホバは完かん全ぜんに信しん頼らいできるので,ヨシュアはこう言いいました。「エホバがイスラエル国こく民みんにした全すべての良よい約やく束そくのうち,果はたされない約やく束そくは一ひとつもなかった。全すべてその通とおりになった」。(ヨシュア 21:45)それで,エホバが約やく束そくを破やぶって私わたしたちをがっかりさせるようなことは絶ぜっ対たいにないと確かく信しんできます。(イザヤ 49:23。ローマ 5:5)

12-13. エホバの揺ゆるぎない愛あいが永えい遠えんに続つづくと言いえるのはどうしてですか。

12 エホバの揺ゆるぎない愛あいが「永えい遠えんに続つづく」と聖せい書しょに書かかれていることにもう一いち度ど注ちゅう目もくしましょう。(詩し編へん 136:1)どうして永えい遠えんに続つづくと言いえるのでしょうか。1つの点てんとして,エホバが一いち度ど許ゆるした罪つみは永えい遠えんに許ゆるされたままだからです。第だい26章しょうで考かんがえた通とおり,エホバは人ひとを許ゆるした後あとに過か去この罪つみを再ふたたび持もち出だしたりはしません。「全すべての人ひとは罪つみ人びと」であり,「神かみの栄えい光こうに達たっすることができ[ない]」ので,エホバの揺ゆるぎない愛あいが永えい遠えんに続つづくというのは私わたしたち皆みなにとって本ほん当とうにありがたいことです。(ローマ 3:23)

13 エホバの揺ゆるぎない愛あいが永えい遠えんに続つづくと言いえる別べつの理り由ゆうは,エホバが自じ分ぶんに忠ちゅう実じつに仕つかえる人ひとたちを永えい遠えんに祝しゅく福ふくするということです。聖せい書しょによると,正ただしい人ひとは「水みずの流ながれのほとりに植うえられた木きのようになり,時じ期きが来くると実みを結むすび,その葉はは枯かれ」ません。そして,「行おこなうことは全すべて成せい功こう」します。(詩し編へん 1:3)葉はが決けっして枯かれない,青あお々あおと茂しげった木きを想そう像ぞうしてみてください。私わたしたちも,神かみの言こと葉ばを愛あいしてよく学まなぶなら,そういう木きのように実みのり豊ゆたかで平へい和わな人じん生せいをいつまでも楽たのしむことができます。エホバが間まもなく実じつ現げんさせる,正ただしいことが行いき渡わたる新あたらしい世せ界かいで,従じゅう順じゅんな人ひとたちは永えい遠えんにわたってエホバの揺ゆるぎない愛あいを味あじわうことになるのです。(啓けい示じ 21:3,4)

エホバが「ご自じ分ぶんに尽つくす人ひとを見み捨すてることはない」

14. エホバは自じ分ぶんに尽つくす人ひとたちを大たい切せつに思おもっていることをどのように示しめしますか。

14 エホバはこれまでずっと,忠ちゅう実じつな人ひとたちに揺ゆるぎない愛あいを示しめしてきました。そして,それはこれからも変かわりません。ある詩し編へん作さく者しゃはこう書かきました。「若わかかった私わたしも,今いまは年とし老おいた。だが,正ただしい人ひとが見み捨すてられるのを見みたことも,その子こ供どもたちがパンを探さがすのを見みたこともない。エホバは公こう正せいを愛あいする方かた。ご自じ分ぶんに尽つくす人ひとを見み捨すてることはない」。(詩し編へん 37:25,28)エホバは,自じ分ぶんは創そう造ぞう者しゃなのだから人にん間げんが自じ分ぶんに尽つくすのは当とう然ぜんだ,などと考かんがえたりはしません。(啓けい示じ 4:11)揺ゆるぎない愛あいがあるので,私わたしたちの忠ちゅう実じつな行おこないを大たい切せつに思おもってくれます。(マラキ 3:16,17)

15. エホバはイスラエル人じんにどのように揺ゆるぎない愛あいを示しめしましたか。

15 揺ゆるぎない愛あいに満みちるエホバは,自じ分ぶんの民たみが苦くるしんでいると必かならず助たすけます。「詩し編へん」にはこう書かかれています。「神かみはご自じ分ぶんに尽つくす人ひとたちの命いのちを守まもっている。その人ひとたちを悪あく人にんの手てから助たすけ出だす」。(詩し編へん 97:10)神かみがイスラエル国こく民みんを助たすけた例れいをもう一いち度ど思おもい起おこしてみましょう。イスラエル人じんは,奇き跡せきによって紅こう海かいを渡わたって救すくわれた後あと,エホバに向むかってこう歌うたいました。「あなたは,救すくい出だした民たみを揺ゆるぎない愛あいを示しめして導みちびいた」。(出しゅつエジプト記き 15:13)紅こう海かいでの救きゅう出しゅつはまさしくエホバの揺ゆるぎない愛あいの表あらわれだったので,モーセはイスラエル人じんにこう言いいました。「エホバが愛あい情じょうを示しめして皆みなさんを選えらばれたのは,皆みなさんが全すべての民たみの中なかで最もっとも数かずが多おおい民たみだったからではありません。皆みなさんは全すべての民たみの中なかで一いち番ばん少すくなかったのです。ただ,エホバは皆みなさんを愛あいし,父ふ祖そたちにした誓ちかいを守まもるために,エホバは力ちから強づよい手てで皆みなさんを連つれ出だし,奴ど隷れいとなっていた土と地ちから,エジプトの王おうファラオの手てから救すくい出だしたのです」。(申しん命めい記き 7:7,8)

16-17. (ア)イスラエル人じんがエホバに全まったく感かん謝しゃしていなかったことは,どんなことから明あきらかでしたか。それでもエホバはどうしましたか。(イ)大たい半はんのイスラエル人じんが「矯きょう正せいしようがないほどになった」ことは,どんなことに表あらわれていましたか。彼かれらの例れいから何なにを学まなべますか。

16 残ざん念ねんなことに,イスラエル国こく民みんは全ぜん体たいとして,エホバの揺ゆるぎない愛あいに感かん謝しゃしませんでした。救きゅう出しゅつされた後あと,「神かみに対たいして罪つみを犯おかし続つづけ……至し高こう者しゃに反はん逆ぎゃく」しました。(詩し編へん 78:17)何なん世せい紀きもの間あいだ,繰くり返かえし反はん逆ぎゃくし,エホバから離はなれて偽にせの神かみ々がみを崇すう拝はいし,異い教きょうの慣かん習しゅうに従したがって自じ分ぶんたちを汚けがしました。それでもエホバはイスラエル人じんとの契けい約やくを守まもりました。そして,預よ言げん者しゃエレミヤを通とおして民たみにこう訴うったえ掛かけました。「背はい信しんのイスラエルよ,戻もどりなさい。……私わたしは怒いかってあなたたちを見み下さげることはしない。揺ゆるぎない愛あいを抱いだいているからである」。(エレミヤ 3:12)しかし,第だい25章しょうで取とり上あげた通とおり,大たい半はんのイスラエル人じんは悔くい改あらためませんでした。「真しんの神かみの使し者しゃたちをばかにし続つづけ,神かみの言こと葉ばを侮あなどり,預よ言げん者しゃたちをあざけった」のです。「ついには矯きょう正せいしようがないほどになった」ので,「エホバはご自じ分ぶんの民たみに激げき怒ど」しました。(歴れき代だい第だい二に 36:15,16)

17 このことから何なにを学まなべるでしょうか。エホバの揺ゆるぎない愛あいは盲もう目もく的てきなものではないということです。エホバは「揺ゆるぎない愛あいに満みち」ていて,もっともな理り由ゆうがある場ば合あいには喜よろこんで憐あわれみを示しめしますが,罪つみ深ぶかい行おこないをやめようとしない人ひとをいつまでも許ゆるすことはしません。自じ分ぶんの正ただしい基き準じゅんに基もとづいて処しょ罰ばつします。モーセに対たいして語かたった通とおり,「罪つみがある人ひとを処しょ罰ばつしないことは決けっして」ありません。(出しゅつエジプト記き 34:6,7)

18-19. (ア)エホバが悪わるい人ひとたちを処しょ罰ばつすることも揺ゆるぎない愛あいの表あらわれだと言いえるのはどうしてですか。(イ)エホバは,迫はく害がいを受うけて命いのちを落おとした忠ちゅう実じつな人ひとたちへの揺ゆるぎない愛あいをどのように示しめしますか。

18 神かみが悪わるい人ひとたちを処しょ罰ばつすることも,揺ゆるぎない愛あいの表あらわれだと言いえます。どうしてでしょうか。「啓けい示じ」の書しょに書かかれていることに注ちゅう目もくしてみましょう。エホバが7人にんの天てん使しに,「行いって,神かみの怒いかりの7つの鉢はちの中なか身みを地ちに注そそぎ出だしなさい」と命めいじた時ときのことです。第だい3の天てん使しが自じ分ぶんの鉢はちの中なか身みを「川かわと泉いずみに」注そそぎ出だすと,それらは血ちになります。その後ご,天てん使しはエホバにこう言いいます。「今いまおられ,かつておられた方かた,揺ゆるぎない愛あいに満みちる方かた,あなたは正ただしい方かたです。このような裁さばきをなさったからです。聖せいなる人ひとたちと預よ言げん者しゃたちの血ちを流ながした者ものたちに,あなたは血ちを与あたえて飲のませました。彼かれらはそうされて当とう然ぜんです」。(啓けい示じ 16:1-6)

19 処しょ罰ばつについてのこのメッセージの中なかで,天てん使しがエホバを「揺ゆるぎない愛あいに満みちる方かた」と呼よんでいるのはどうしてでしょうか。エホバは悪わるい人ひとたちを滅ほろぼすことにより,自じ分ぶんに仕つかえる人ひとたちへの揺ゆるぎない愛あいを示しめすからです。エホバに仕つかえた人ひとたちの中なかには,迫はく害がいを受うけて命いのちを落おとした人ひとも少すくなくありません。エホバはその人ひとたちを心こころから愛あいしていて,忘わすれたりせず鮮せん明めいに覚おぼえています。忠ちゅう誠せいを貫つらぬいたそのような人ひとたちに再ふたたび会あいたいと願ねがっていて,聖せい書しょに書かかれている通とおり必かならず生いき返かえらせます。(ヨブ 14:14,15)亡なくなった忠ちゅう実じつな人ひとたちは「皆みな,神かみにとっては生いきているのです」。(ルカ 20:37,38)エホバが自じ分ぶんの記き憶おくの中なかにいる人ひとたちを生いき返かえらせるというのは,揺ゆるぎない愛あいを抱いだいていることの紛まぎれもない証しょう拠こです。

揺ゆるぎない愛あいに満みちるエホバは,命いのちを懸かけて忠ちゅう誠せいを貫つらぬいた人ひとたちを覚おぼえていて,生いき返かえらせる

ベルナルト・ルイメス(左ひだり)とウォルフガング・クセロウ(中ちゅう央おう)はナチスによって処しょ刑けいされた

モーセス・ニャムスア(右みぎ)はある政せい治じ団だん体たいによって,やりで刺さし殺ころされた

エホバの揺ゆるぎない愛あいのおかげで私わたしたちは救すくわれる

20. 「憐あわれみの器うつわ」とは誰だれのことですか。エホバはその人ひとたちに揺ゆるぎない愛あいをどのように示しめしていますか。

20 エホバはこれまでずっと,忠ちゅう実じつな人ひとたちに揺ゆるぎない愛あいを示しめしてきました。その一いっ環かんとして何なん千ぜん年ねんもの間あいだ,「滅ほろぼされても当とう然ぜんな憤いきどおりの器うつわを辛しん抱ぼう強づよく容よう赦しゃして」きました。それは,「憐あわれみの器うつわに対たいしてご自じ分ぶんの豊ゆたかな栄えい光こうを示しめすためでした。その憐あわれみの器うつわは,神かみが栄えい光こうを与あたえるために前まえもって用よう意いしたもの」です。(ローマ 9:22,23)この「憐あわれみの器うつわ」とは,聖せいなる力ちからによって選えらばれて神かみの王おう国こくでキリストと共ともに統とう治ちするクリスチャンたちのことです。(マタイ 19:28)エホバはその人ひとたちが救すくわれるようにしました。そうすることにより,アブラハムへの揺ゆるぎない愛あいも実じっ証しょうしました。アブラハムに語かたった次つぎの約やく束そくが実じつ現げんするようにしたのです。「あなたの子し孫そんによって地ち上じょうの全すべての国こく民みんが祝しゅく福ふくを受うける。あなたが私わたしの言いったことに従したがったからである」。(創そう世せい記き 22:18)

いろいろな人種や年齢の兄弟姉妹がほほ笑んでいる。

揺ゆるぎない愛あいに満みちるエホバは,自じ分ぶんに忠ちゅう実じつに仕つかえる人ひとたち全すべてに素す晴ばらしい将しょう来らいを約やく束そくしている

21. (ア)エホバは「大だい群ぐん衆しゅう」に揺ゆるぎない愛あいをどのように示しめしていますか。(イ)エホバの揺ゆるぎない愛あいについて考かんがえると,あなたはどうしたいと思おもいますか。

21 エホバは,「大だい患かん難なん」を生いき残のこることになる「大だい群ぐん衆しゅう」にも揺ゆるぎない愛あいを示しめしています。(啓けい示じ 7:9,10,14)その人ひとたちが不ふ完かん全ぜんであるにもかかわらず,パラダイスとなる地ち球きゅうで永えい遠えんに生いきるという希き望ぼうを与あたえています。忠ちゅう実じつな人ひとたちがそのような希き望ぼうを持もてるのは,エホバの揺ゆるぎない愛あいの最さい大だいの表あらわれである贖あがないのおかげです。(ヨハネ 3:16。ローマ 5:8)正ただしいことを愛あいする人ひとたちは,エホバの揺ゆるぎない愛あいに引ひき寄よせられます。(エレミヤ 31:3)あなたも,エホバがこれまで揺ゆるぎない愛あいを示しめしてくれたことや,これからも示しめしてくれることを考かんがえると,エホバをとても身み近ぢかに感かんじるのではないでしょうか。私わたしたちは神かみにいっそう近ちかづいて絆きずなを強つよめたいと思おもっていますから,何なにがあっても神かみから離はなれず揺ゆるぎない愛あいを示しめし続つづけることを決けつ意いしましょう。

じっくり考かんがえたいこと

  • サムエル第だい一いち 24:1-22 ダビデはサウル王おうに対たいして,エホバに喜よろこばれる揺ゆるぎない愛あいをどのように示しめしましたか。

  • エステル 3:7-9; 4:6–5:1 エステルは同どう胞ほうのユダヤ人じんに対たいして,神かみに倣ならった揺ゆるぎない愛あいをどのように示しめしましたか。

  • 詩し編へん 136:1-26 この詩しから,エホバの揺ゆるぎない愛あいについてどんなことが分わかりますか。

  • オバデヤ 1-4,10-16 エホバがエドム人じんを処しょ罰ばつしたことは,自じ分ぶんの民たみへの揺ゆるぎない愛あいの表あらわれだと言いえます。どうしてですか。

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