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  • 塔研20 11月号 24–29ページ
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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2020
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2020
塔研20 11月号 24–29ページ

研究記事48

将しょう来らいを真まっすぐ見みつめましょう

「あなたの目めは真まっすぐ前まえを見みるべきである。前ぜん方ぽうを真まっすぐ見みつめるのだ」。格かく言げん 4:25

77番ばんの歌うた 闇やみに差さす光ひかり

何なにを学まなぶかa

1-2. どうすれば格かく言げん 4章しょう25節せつにあるアドバイスの通とおりにできますか。

次つぎのような兄きょう弟だい姉し妹まいのことを考かんがえてみてください。年ねん配ぱいの姉し妹まいが,楽たのしかった昔むかしのことを思おもい出だしています。昔むかしに比くらべて大たい変へんなことが増ふえましたが,今いまでもエホバのためにできることを精せい一いっ杯ぱい行おこなっています。(コリ一いち 15:58)楽らく園えんで家か族ぞくや友とも達だちと過すごす自じ分ぶんの姿すがたを毎まい日にち思おもい描えがいています。別べつの姉し妹まいは,仲なか間まのクリスチャンから傷きずつけられましたが,怒いかりの気き持もちを捨すて,そのことについて考かんがえ続つづけるのをやめました。(コロ 3:13)ある兄きょう弟だいは,自じ分ぶんの過か去この失しっ敗ぱいを忘わすれてはいませんが,エホバに忠ちゅう実じつに仕つかえていこうと努ど力りょくしています。(詩し 51:10)

2 この3人にんに共きょう通つうしていることは何なんでしょうか。過か去このことを忘わすれていませんが,そのことばかり考かんがえてはいません。将しょう来らいを真まっすぐ見みつめています。(格かく言げん 4:25を読よむ。)

3. 将しょう来らいを真まっすぐ見みつめるのが大たい切せつなのはなぜですか。

3 将しょう来らいを真まっすぐ見みつめるのが大たい切せつなのはなぜでしょうか。後うしろばかり見みている人ひとは,まっすぐ前まえに進すすむことができません。それと同おなじように,過か去こにばかり目めを向むけていると,エホバに十じゅう分ぶん仕つかえていくことが難むずかしくなります。(ルカ 9:62)

4. この記き事じでは,どんなことを考かんがえますか。

4 この記き事じでは,過か去このことばかり考かんがえないために注ちゅう意いするべき3つのわなを取とり上あげます。(1)昔むかしに戻もどりたいという気き持もち,(2)怒いかりの気き持もち,(3)自じ分ぶんを責せめ過すぎる気き持もちです。それぞれの状じょう況きょうに当あてはまる聖せい書しょの原げん則そくを考かんがえましょう。そうすれば,「後うしろのもの」に思おもいを奪うばわれることなく,「前まえのもの」に向むかって身みを伸のばすことができます。(フィリ 3:13)

昔むかしに戻もどりたいという気き持もち

年配の兄弟,姉妹,若い兄弟が,1本ずつロープを引っ張っている。それぞれのロープには,「昔に戻りたいという気持ち」,「怒りの気持ち」,「自分を責め過ぎる気持ち」と書かれている。

将しょう来らいを真まっすぐ見みつめるのを難むずかしくするものには何なにがあるか。(5,9,13節せつを参さん照しょう。)e

5. 伝でん道どう 7章しょう10節せつからすると,どんなわなに注ちゅう意いすべきですか。

5 伝でん道どう 7:10を読よむ。ここには,「『昔むかしは良よかった』と言いってはならない」とは書かかれていません。良よい思おもい出では,エホバからの贈おくり物ものです。ソロモンは,「『昔むかしの方ほうが良よかった』と言いってはならない」と書かきました。つまり,昔むかしと今いまを比ひ較かくして,何なにもかも今いまの方ほうが悪わるいと考かんがえることに注ちゅう意いすべきだ,ということです。

イスラエル人の男性が,マナを不満そうに手ですくいながら,エジプトでの生活を思い出している。1. その男性がスイカを食べている。2. エジプト人がイスラエル人の奴隷たちを棒でたたいて,ひどく扱っている。

エジプトを脱だっ出しゅつした後あと,イスラエル人じんはどんな間ま違ちがいをしたか。(6節せつを参さん照しょう。)

6. 昔むかしの方ほうが良よかったと考かんがえ続つづけるべきでないのはなぜですか。どんな例れいがありますか。

6 昔むかしの方ほうが良よかったと考かんがえ続つづけるべきでないのはなぜですか。昔むかしに戻もどりたいという気き持もちが強つよくなると,良よいことしか思おもい出ださなくなり,つらかったことは忘わすれてしまうことがあるからです。古こ代だいのイスラエル人じんがそうでした。エジプトを脱だっ出しゅつした後あと,そこでの生せい活かつがどれほどつらかったかをあっという間まに忘わすれ,エジプトのおいしい食たべ物もののことばかり考かんがえるようになりました。「エジプトでただで食たべていた魚さかなが本ほん当とうに懐なつかしい。それに,キュウリやスイカ,ネギ,タマネギ,ニンニクもだ」と言いいました。(民みん 11:5)しかし,イスラエル人じんは本ほん当とうに「ただで」こうしたものを食たべていたのでしょうか。決けっしてそうではありません。エジプトにいた時ときは,奴ど隷れいとしてひどい扱あつかいを受うけていたからです。(出しゅつ 1:13,14; 3:6-9)それなのに,そうしたつらい経けい験けんをすっかり忘わすれ,昔むかしに戻もどりたいと思おもうようになりました。エホバがしてくださった良よいことではなく,エジプトでの“古ふるき良よき時じ代だい”のことばかり考かんがえていたのです。エホバは,そのような態たい度どを喜よろこばれませんでした。(民みん 11:10)

7. ある姉し妹まいにとって,昔むかしに戻もどりたいという気き持もちが強つよくなるのを避さけるのに,何なにが役やく立だちましたか。

7 どうすれば,昔むかしに戻もどりたいという気き持もちが強つよくなるのを避さけられますか。1人ひとりの姉し妹まいの経けい験けんを考かんがえてみましょう。姉し妹まいは,1945年ねんにブルックリンでベテル奉ほう仕しを始はじめました。数すう年ねん後ご,ベテル奉ほう仕し者しゃと結けっ婚こんし,夫ふう婦ふで長なが年ねんベテル奉ほう仕しを行おこないました。しかし,1976年ねんに夫おっとが病びょう気きになりました。自じ分ぶんの死しが近ちかいことを知しった夫おっとは,姉し妹まいがやもめになった時ときのために良よいアドバイスをしました。「わたしたちの結けっ婚こん生せい活かつは幸こう福ふくだったね。同おなじような経けい験けんができる夫ふう婦ふはそれほど多おおくないと思おもうよ。[でも,]過か去こに生いきてはいけないよ。思おもい出でが続つづくとしてもね。時じ間かんが心こころの傷きずをいやしてくれるだろう。苦にが々にがしく思おもったり自じ分ぶんを哀あわれんだりしてはいけないよ。うれしいことや祝しゅく福ふくを経けい験けんできたことを喜よろこぼう。……思おもい出では神かみからの贈おくり物ものなんだ」。これは本ほん当とうに良よいアドバイスだと思おもいませんか。

8. この姉し妹まいが本ほん当とうに満まん足ぞくのいく人じん生せいを送おくれたのはどうしてですか。

8 この姉し妹まいは,夫おっとのアドバイスを心こころに留とめました。92歳さいで亡なくなるまで,エホバに忠ちゅう実じつに仕つかえました。亡なくなる数すう年ねん前まえにこう語かたりました。「エホバへの全ぜん時じ間かん奉ほう仕しに携たずさわった63年ねん余あまりを振ふり返かえってみますと,本ほん当とうに満まん足ぞくのいく人じん生せいだったと思おもいます。……人じん生せいを本ほん当とうに満まん足ぞくのいくものにするのは,素す晴ばらしい兄きょう弟だい関かん係けいであり,楽らく園えんとなった地ち上じょうで偉い大だいな創そう造ぞう者しゃ,唯ゆい一いつまことの神かみエホバにとこしえにお仕つかえしながら,わたしたちの兄きょう弟だい姉し妹まいと共ともに生せい活かつできるという希き望ぼうなのです」。b 将しょう来らいを真まっすぐ見みつめる点てんで本ほん当とうに素す晴ばらしい手て本ほんです。

怒いかりの気き持もち

9. レビ 19章しょう18節せつに従したがって怒いかりの気き持もちを捨すてるのは,どんな時ときに難むずかしいかもしれませんか。

9 レビ 19:18を読よむ。仲なか間まのクリスチャンや親したしい友とも達だちや親しん族ぞくからひどいことをされると,相あい手てを許ゆるすのは難むずかしいものです。例たとえば,ある姉し妹まいは会かい衆しゅうの姉し妹まいから,お金かねを盗ぬすんだと言いわれましたが,それは事じ実じつではありませんでした。後あとになって,間ま違ちがいだったと謝あやまってくれましたが,姉し妹まいは疑うたがわれたことで傷きずつき,そのことが頭あたまから離はなれませんでした。あなたも同おなじような気き持もちになったことがありますか。この姉し妹まいと同おなじような経けい験けんをしたことはないとしても,怒いかりの気き持もちが湧わいてきて,絶ぜっ対たいに許ゆるせないと感かんじたことはあるかもしれません。

10. 怒いかりの気き持もちが湧わいてきたら,どうしたらよいですか。

10 怒いかりの気き持もちが湧わいてきたら,どうしたらよいでしょうか。エホバが全すべてを知しっておられることを覚おぼえておくのは大たい切せつです。私わたしたちが経けい験けんしたひどい扱あつかいを含ふくめ,私わたしたちのことも全すべて知しっておられるのです。(ヘブ 4:13)私わたしたちがつらい気き持もちになると,エホバもつらく感かんじます。(イザ 63:9)私わたしたちがひどい扱あつかいを受うけてどんなつらい経けい験けんをするとしても,エホバは必かならず私わたしたちの心こころの傷きずを癒いやしてくださいます。(啓けい 21:3,4)

11. 怒いかりの気き持もちを捨すてることは,どのように私わたしたちのためになりますか。

11 怒いかりの気き持もちを捨すてることは私わたしたちのためになる,ということを覚おぼえておくのも大たい切せつです。疑うたがわれて傷きずついた先さきほどの姉し妹まいは,このことを学まなびました。やがて,姉し妹まいは怒いかりの気き持もちを捨すてることができるようになりました。自じ分ぶんが人ひとを許ゆるすなら,エホバに許ゆるしていただける,ということを理り解かいしたからです。(マタ 6:14)姉し妹まいは,起おきたことに目めをつぶったわけでも,なかったことにしたわけでもありませんが,怒いかりの気き持もちを捨すてることにしました。その結けっ果か,姉し妹まいは気き持もちが晴はれ,エホバへの奉ほう仕しに打うち込こめるようになりました。

自じ分ぶんを責せめ過すぎる気き持もち

12. ヨハネ第だい一いち 3章しょう19,20節せつから,どんなことが分わかりますか。

12 ヨハネ第だい一いち 3:19,20を読よむ。誰だれでも自じ分ぶんを責せめることがあります。例たとえば,真しん理りを学まなぶ前まえにしてしまったことやバプテスマの後あとにしてしまった失しっ敗ぱいのために罪ざい悪あく感かんを感かんじることがあります。(ロマ 3:23)私わたしたちは皆みな,正ただしいことをしたいと思おもっていますが,「何なん度ども過あやまちを犯おかします」。(ヤコ 3:2。ロマ 7:21-23)罪ざい悪あく感かんを感かんじるのはうれしいことではありませんが,良よい面めんもあります。罪ざい悪あく感かんがあると,自じ分ぶんの歩あゆみを正ただし,同おなじ間ま違ちがいを繰くり返かえさないようにしようという気き持もちになれるからです。(ヘブ 12:12,13)

13. 自じ分ぶんを責せめ過すぎる気き持もちと闘たたかう必ひつ要ようがあるのはなぜですか。

13 時ときには,自じ分ぶんを責せめ過すぎることもあります。悔くい改あらためてエホバに許ゆるしてもらったのに罪ざい悪あく感かんを感かんじ続つづけてしまうのです。そのような気き持もちは私わたしたちのためにはなりません。(詩し 31:10; 38:3,4)過か去この罪つみのことで自じ分ぶんを責せめる気き持もちと闘たたかっていた1人ひとりの姉し妹まいは,こう言いっています。「私わたしの場ば合あい,どうせもう手て遅おくれなんだから,エホバへの奉ほう仕しに励はげんでも仕し方かたがない,と思おもいました」。私わたしたちも同おなじように感かんじることがあるかもしれません。しかし,エホバが私わたしたちのことを諦あきらめていないのに,私わたしたちが自じ分ぶんのことを諦あきらめてしまうなら,サタンを喜よろこばせることになってしまいます。ですから,自じ分ぶんを責せめ過すぎる気き持もちと闘たたかうのは重じゅう要ようなことなのです。(コリント第だい二に 2:5-7,11と比ひ較かく。)

14. エホバが私わたしたちのことを諦あきらめていないと言いえるのは,どうしてですか。

14 それでも,「エホバが私わたしのことを諦あきらめていないとどうしたら分わかるのだろう」と思おもうかもしれません。しかし,そう考かんがえていること自じ体たい,エホバに許ゆるしていただけることの証しょう拠こです。以い前ぜんの「ものみの塔とう」誌しには,このように書かかれていました。「わたしたちは,自じ分ぶんの以い前ぜんの生せい活かつの型かたに殊ことのほか深ふかく根ねざした何なんらかの悪わるい癖くせがあって,何なん度どもそれにつまずいて倒たおれる[かもしれません]。……絶ぜつ望ぼうしてはなりません。許ゆるされない罪つみを犯おかしたのだと決きめてかからないでください。サタンはあなたがまさにそう推すい論ろんすることを望のぞんでいるのです。あなたが自じ分ぶん自じ身しんのことで憂うれえ,悩なやんでいるということ自じ体たい,いい気きになっているわけではないことの証しょう拠こです。神かみの許ゆるしと清きよめと助たすけを求もとめることに,決けっしてうみ疲つかれてはなりません。へりくだって真しん剣けんに神かみに頼たよってください。同おなじ弱よわさのことでどれほど頻ひん繁ぱんに近ちかづかなければならないとしても,子こ供どもが困こまった時ときに父ちち親おやのもとに行いくようにエホバに近ちかづいてください。そうすれば,エホバは過か分ぶんの親しん切せつを施ほどこす方かたですから,慈いつくしみ深ぶかく助たすけを与あたえてくださ……るでしょう」。c

15-16. エホバが許ゆるしてくださっていることを知しると,どんな気き持もちになりますか。

15 多おおくのエホバの証しょう人にんが,エホバが許ゆるしてくださっていることを知しって,慰なぐさめを得えています。例たとえば,数すう年ねん前まえ,ある兄きょう弟だいは「聖せい書しょは人ひとの生いき方かたを変かえる」のシリーズの経けい験けんに心こころを動うごかされました。その記き事じに出でてくる姉し妹まいは,過か去このつらい経けい験けんのために,エホバが自じ分ぶんを愛あいしてくださるとは思おもえませんでした。バプテスマを受うけた後あとも長ながい間あいだ,そうした気き持もちと闘たたかいました。しかし,贖あがないについてじっくり考かんがえ,見み方かたを変かえることができました。d

16 この経けい験けんは,兄きょう弟だいにとってどのように助たすけとなったでしょうか。こう書かいています。「若わかかった頃ころ,ポルノ中ちゅう毒どくから抜ぬけ出だそうと必ひっ死しに闘たたかいました。でも,最さい近きんまたポルノを見みるようになってしまいました。それで,クリスチャンの長ちょう老ろうに助たすけを求もとめ,問もん題だいを克こく服ふくしつつあります。長ちょう老ろうたちは,エホバが私わたしを愛あいしていて,許ゆるしたいと思おもっていることを理り解かいできるように助たすけてくれました。それでも,『自じ分ぶんはだめな人にん間げんだ。エホバが愛あいしてくださるはずはない』と思おもうことがあります。[この姉し妹まい]の経けい験けん談だんは本ほん当とうに助たすけになりました。神かみが許ゆるしてくださるはずはない,と考かんがえるなら,『イエスの犠ぎ牲せいに,私わたしの罪つみを覆おおえるほどの価か値ちはない』と言いっているようなものです。それで,この記き事じを切きり抜ぬいて,自じ分ぶんはだめだ,という気き持もちが湧わき起おこったらすぐに読よんで黙もく想そうできるようにしています」。

17. パウロが自じ分ぶんを責せめ過すぎる気き持もちを退しりぞけることができたのはなぜですか。

17 こうした経けい験けんについて考かんがえると,使し徒とパウロのことを思おもい出だします。パウロはクリスチャンになる前まえ,重じゅう大だいな罪つみを幾いくつも犯おかしました。自じ分ぶんがしたことを忘わすれてはいませんでしたが,そのことでいつまでも心こころを悩なやませたりはしませんでした。(テモ一いち 1:12-15)贖あがないを自じ分ぶんへの贈おくり物ものと考かんがえました。(ガラ 2:20)だからこそパウロは,自じ分ぶんを責せめ過すぎる気き持もちを退しりぞけ,エホバへの奉ほう仕しに打うち込こむことができました。

新あたらしい世せ界かいを見みつめる

先ほどの年配の兄弟,姉妹,若い兄弟が,ロープを捨て,顔を上げて笑顔で歩いている。

新あたらしい世せ界かいを見みつめて歩あゆんでいきましょう。(18-19節せつを参さん照しょう。)f

18. この記き事じでは,どんなことを学まなびましたか。

18 この記き事じでは,注ちゅう意いするべき3つの点てんを取とり上あげました。(1)良よい思おもい出では,エホバからの贈おくり物ものです。しかし,昔むかしがどれほど良よかったとしても,将しょう来らいの新あたらしい世せ界かいの方ほうがもっと良よいのです。(2)誰だれかに傷きずつけられたとしても,許ゆるすことにするなら,エホバへの奉ほう仕しに打うち込こめます。(3)自じ分ぶんを責せめ過すぎると,エホバに喜よろこんで仕つかえることが難むずかしくなります。ですから,パウロのように,エホバが許ゆるしてくださっていることを確かく信しんする必ひつ要ようがあります。

19. 新あたらしい世せ界かいではつらい気き持もちになることがない,と言いえるのはなぜですか。

19 私わたしたちには,永えい遠えんに生いきる希き望ぼうがあります。新あたらしい世せ界かいでは,昔むかしのことを思おもい出だしてつらい気き持もちになることはもうありません。聖せい書しょは,その時ときが来くれば「以い前ぜんの事こと柄がらは思おもい出だされることも……ない」と述のべています。(イザ 65:17)エホバに長なが年ねん仕つかえ,年としを重かさねてきたとしても,新あたらしい世せ界かいでは若わか返がえるのです。(ヨブ 33:25)ですから,過か去このことばかり考かんがえるのではなく,将しょう来らいをしっかり見みつめて歩あゆんでいきましょう。

どうすれば以い下かのわなを避さけることができますか

  • 昔むかしに戻もどりたいという気き持もち

  • 怒いかりの気き持もち

  • 自じ分ぶんを責せめ過すぎる気き持もち

142番ばんの歌うた 希き望ぼうをしっかり持もち続つづける

a 昔むかしのことについて思おもい出だすのは良よいことです。しかし,昔むかしのことばかり考かんがえていると,今いまできるはずのことをし損そこない,将しょう来らいに目めを向むけることもしなくなるかもしれません。この記き事じでは,そうならないために注ちゅう意いするべき3つのわなを取とり上あげます。また,そのわなを避さけるのに役やく立だつ聖せい書しょの原げん則そくや現げん代だいの例れいを考かんがえます。

b 「ものみの塔とう」2004年ねん7月がつ1日ついたち号ごう23-29ページを参さん照しょう。

c 「ものみの塔とう」1995年ねん12月がつ1日ついたち号ごう11ページを参さん照しょう。

d 「ものみの塔とう」2011年ねん8月がつ1日ついたち号ごう20-21ページを参さん照しょう。

e 写しゃ真しんや挿さし絵え: 昔むかしに戻もどりたいという気き持もちや怒いかりの気き持もちや自じ分ぶんを責せめ過すぎる気き持もちを持もち続つづけることは,重おもい荷に物もつを引ひきずるようなもので,命いのちに至いたる道みちを進すすむのを難むずかしくする。

f 写しゃ真しんや挿さし絵え: 重おも荷にのような気き持もちを捨すてると,心こころが軽かるくなり,頑がん張ばろうという気き持もちが湧わいてきて,将しょう来らいを真まっすぐ見みつめることができる。

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