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エホバはご自分のメシアなる僕を高めるイザヤの預言 ― 全人類のための光 II
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『エホバは彼を打ち砕くことを喜んだ』
30 どんな意味で,エホバはイエスを打ち砕くことを喜びとされましたか。
30 次にイザヤは,驚くべき事柄を述べます。「エホバご自身が彼を打ち砕くことを喜び,彼を病める者とされた。もしあなたが彼の魂を罪科の捧げ物として置くならば,彼は自分の子孫を見,その日を長くするであろう。その手にあって,エホバの喜ばれることは成功を収める。
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エホバはご自分のメシアなる僕を高めるイザヤの預言 ― 全人類のための光 II
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この忠実な僕の打ち砕かれるのを見てエホバが喜ぶなどということが,どうしてあり得るのでしょうか。エホバが自ら,愛するみ子に苦しみをお与えになったのでないことは明らかです。イエスに行なった事柄について全面的に責任を負うべきなのは,イエスに敵対した者たち自身です。とはいえエホバは,彼らが残虐に行動するのをお許しになりました。(ヨハネ 19:11)なぜでしょうか。感情移入と優しい同情心に富む神は,罪のないみ子が苦しみに遭うのを見て痛みをお感じになったに違いありません。(イザヤ 63:9。ルカ 1:77,78)エホバが何らかの点でイエスに不興を覚えられたはずはありません。それでもエホバは,み子が自ら進んで苦しみに遭うことの結果としてもたらされるすべての祝福のゆえに,み子のその態度を喜びとされました。
31 (イ)エホバはどうしてイエスの魂を「罪科の捧げ物」として置きましたか。(ロ)人間として様々な難儀を経験したイエスは,特にどんなことに満ち足りているに違いありませんか。
31 祝福の一つとして,エホバはイエスの魂を「罪科の捧げ物」として置かれました。それゆえイエスは,天に戻った時,犠牲にした自らの人間の命の価値を罪科の捧げ物として携えてエホバのみ前に入り,エホバはその価値を全人類のために喜んで受け入れました。(ヘブライ 9:24; 10:5-14)イエスはその罪科の捧げ物により,「子孫」を得ました。「とこしえの父」であるイエスは,ご自分の流した血に信仰を働かせる人々に命を,それもとこしえの命を与えることができます。(イザヤ 9:6)
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