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エホバの畏怖の念を抱かせる日は近いものみの塔 1995 | 4月15日
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12,13 (イ)油そそがれた祭司級にはどんな浄めが必要でしたか。(ロ)大群衆も,清めによってどんな益を受けていますか。
12 浄めの業が必要でした。その業については,マラキ 3章1節から4節で描写されています。
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エホバの畏怖の念を抱かせる日は近いものみの塔 1995 | 4月15日
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そして彼は銀を精錬する者また清める者として座し,レビの子ら[油そそがれた祭司のグループ]を必ず清くする。彼らを金のように,また銀のように澄ませ,彼らはエホバのため義にそって供え物をささげる民となるのである」。彼らは浄められた民として,まさにそうしてきました。
13 その油そそがれた祭司のグループは,14万4,000人を数えるにすぎません。(啓示 7:4-8; 14:1,3)しかし,今日の献身した他のクリスチャンについてはどうでしょうか。今や幾百万人にも上るそれらクリスチャンは,世の道からやはり清められねばならない「大群衆」を形成し,「自分の長い衣を子羊の血で洗って白くし(て)」います。(啓示 7:9,14)したがって,彼らは子羊キリスト・イエスの贖いの犠牲に信仰を働かせることにより,エホバのみ前で清い立場を保てるのです。彼らは大患難の全期間,すなわち畏怖の念を抱かせるエホバの日を生きて通過することが約束されています。―ゼパニヤ 2:2,3。
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