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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2018
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2018
塔研18 07月号 22–26ページ
ある人が満天の星空を見ている。

わたしたちはエホバのもの

「エホバをその神かみとする国こく民みん,神かみがその相そう続ぞく分ぶんとして選えらばれた民たみは幸さいわいだ」。詩し編へん 33:12

歌うた: 62,58

どのように答こたえますか

  • 献けん身しんとバプテスマが大たい切せつなのはなぜですか。

  • エホバへの全まったき専せん心しんが他たの人ひとの目めにも明あきらかになるようにすべきなのはなぜですか。

  • 神かみの民たみにとって,互たがいにもてなし,寛かん大だいに与あたえ,許ゆるし,親しん切せつであることが大たい切せつなのはなぜですか。

1. エホバはすべてのものを所しょ有ゆうしておられる,と言いえるのはなぜですか。(冒ぼう頭とうの写しゃ真しんを参さん照しょう。)

エホバはすべてのものを所しょ有ゆうしておられます。「天てん,すなわち天てんの天てんも,地ちとそのすべてのものも」エホバのものです。(申しん 10:14。啓けい 4:11)わたしたち人にん間げんもエホバのものです。エホバによって造つくられたからです。(詩し 100:3)しかし,エホバは歴れき史しを通つうじ,特とく定ていのグループの人ひと々びとをご自じ分ぶんの民たみとして選えらんでこられました。

2. 聖せい書しょによると,特とくにだれがエホバのものと言いえますか。

2 詩し編へん 135編へんでは,古こ代だいイスラエルの忠ちゅう実じつな崇すう拝はい者しゃたちがエホバの「特とく別べつの所しょ有ゆう物ぶつ」と呼よばれています。(詩し 135:4)ホセアは,イスラエル人じんではない人ひと々びとがエホバの民たみになると予よ告こくしました。(ホセ 2:23)その預よ言げんは,エホバがキリストの共きょう同どう支し配はい者しゃとしてユダヤ人じんではない人ひと々びとも選えらばれるようになった時ときに実じつ現げんしました。(使し徒と 10:45。ロマ 9:23-26)それら聖せい霊れいで油あぶらそそがれた人ひとたちは「聖せいなる国こく民みん」と呼よばれており,天てんでの命いのちを受うける見み込こみがあります。彼かれらはエホバの「特とく別べつな所しょ有ゆう物ぶつ」です。(ペテ一いち 2:9,10)地ち上じょうで永えい遠えんに生いきる希き望ぼうを持もつ忠ちゅう実じつなクリスチャンも,エホバから「わたしの民たみ」また「わたしの選えらぶ者ものたち」と呼よばれています。(イザ 65:22)

3. (イ)今こん日にち,だれがエホバの民たみとなっていますか。(ロ)この記き事じではどんなことを考かんがえますか。

3 今こん日にち,天てん的てきな希き望ぼうを持もつ「小ちいさな群むれ」と地ち的てきな希き望ぼうを持もつ「ほかの羊ひつじ」は「一ひとつの群むれ」となっています。エホバは彼かれらをご自じ分ぶんの民たみとして深ふかく愛あいしておられます。(ルカ 12:32。ヨハ 10:16)わたしたちは,エホバがご自じ分ぶんの民たみとしてくださったことを心こころから感かん謝しゃしています。この記き事じでは,そうした特とく別べつな栄えい誉よを与あたえてくださったことへの感かん謝しゃをどのように表あらわせるかを考かんがえます。

エホバに献けん身しんする

4. エホバがご自じ分ぶんの民たみとしてくださったことへの感かん謝しゃをどのように表あらわせますか。イエスはどんなことをしましたか。

4 エホバに感かん謝しゃを表あらわす1つの方ほう法ほうは,エホバに献けん身しんすることです。バプテスマを受うける人ひとは,自じ分ぶんがエホバのものであること,エホバに進すすんで従したがうことを正せい式しきに表ひょう明めいします。(ヘブ 12:9)イエスも同おなじようなことをしました。バプテスマを受うけた時とき,いわばこう言いっていました。「わたしの神かみよ,あなたのご意い志しを行おこなうことをわたしは喜よろこびとしました」。(詩し 40:7,8)イエスは生うまれた時ときから神かみに献けん身しんした国こく民みんの一いち員いんでしたが,エホバのご意い志しを行おこなうために自じ分ぶんを差さし出だしました。

5,6. (イ)イエスがバプテスマを受うけた時とき,エホバはどうお感かんじになりましたか。(ロ)すべてのものを所しょ有ゆうしておられるエホバが,わたしたちの献けん身しんを喜よろこんでくださるのはなぜですか。例たとえで説せつ明めいしてください。

5 イエスがバプテスマを受うけた時とき,エホバはどうお感かんじになったでしょうか。聖せい書しょにはこうあります。「バプテスマを受うけたのち,イエスはすぐに水みずから上あがられた。すると,見みよ,天てんが開ひらけ,イエスは,神かみの霊れいがはとのように下くだって自じ分ぶんの上うえに来くるのをご覧らんになった。見みよ,さらに天てんからの声こえがあって,こう言いった。『これはわたしの子こ,わたしの愛あいする者ものである。この者ものをわたしは是ぜ認にんした』」。(マタ 3:16,17)イエスはすでにエホバのものでした。しかし,イエスが神かみのご意い志しを行おこなうために自じ分ぶんを進すすんで差さし出だした時とき,エホバはとても喜よろこばれました。エホバはわたしたちの献けん身しんも喜よろこんで受うけ入いれ,祝しゅく福ふくしてくださいます。(詩し 149:4)

6 例たとえで考かんがえましょう。父ちち親おやが自じ分ぶんの庭にわにきれいな花はなをたくさん植うえました。ある日ひ,幼おさない娘むすめが庭にわから花はなを1本ぽん摘つんで父ちち親おやにプレゼントします。その花はなは元もと々もと父ちち親おやのものではなかったでしょうか。父ちち親おやのものを父ちち親おやにプレゼントすることなどできるのでしょうか。優やさしい父ちち親おやはそんなふうに考かんがえたりはしません。そのプレゼントには娘むすめの愛あい情じょうがこもっています。父ちち親おやにとって,娘むすめからもらった1本ぽんの花はなは,庭にわの花はな全ぜん部ぶより価か値ちがあるはずです。わたしたちが進すすんで献けん身しんする時とき,エホバも心こころから喜よろこんでくださいます。(出しゅつ 34:14,脚きゃく注ちゅう)

7. マラキ書しょによると,エホバはご自じ分ぶんに進すすんで仕つかえる人ひとについてどうお感かんじになりますか。

7 マラキ 3:16を読よむ。あなたは献けん身しんしてバプテスマを受うけましたか。もしまだなら,そのようなステップを踏ふむことが大たい切せつなのはなぜかを考かんがえてみてください。あなたも他たの人ひとたちと同どう様よう,生うまれた時ときからエホバのものです。でも,あなたがエホバの主しゅ権けんを認みとめ,献けん身しんして神かみのご意い志しを行おこなうなら,エホバはとても喜よろこんでくださいます。(箴しん 23:15)エホバはご自じ分ぶんに進すすんで仕つかえる人ひとに目めを留とめ,「覚おぼえの書しょ」にその人ひとの名な前まえを記しるしてくださいます。

8,9. エホバは「覚おぼえの書しょ」に名な前まえを記しるされている人ひとに,どんなことを求もとめておられますか。

8 神かみの民たみの一人ひとりとして「覚おぼえの書しょ」に名な前まえを記しるされることには責せき任にんが伴ともないます。マラキによれば,「エホバを恐おそれ……そのみ名なを思おもう」必ひつ要ようがあります。エホバ以い外がいのものを崇すう拝はいするなら,わたしたちの名な前まえは「命いのちの書しょ」から消けし去さられるでしょう。(詩し 69:28,脚きゃく注ちゅう。出しゅつ 32:33)

9 神かみのご意い志しを行おこなうことを約やく束そくし,バプテスマを受うければそれで十じゅう分ぶんというわけではありません。神かみの民たみの一いち員いんとしてエホバの側がわにとどまるには,献けん身しんしバプテスマを受うけた後あともずっとエホバに従したがい続つづける必ひつ要ようがあります。(ペテ一いち 4:1,2)

世よの欲よく望ぼうを退しりぞける

10. エホバに仕つかえる人ひとと仕つかえない人ひとにはどんな違ちがいがありますか。

10 前まえの記き事じでは,カインやソロモンやイスラエル人じんについて考かんがえました。彼かれらはエホバを崇すう拝はいしていると言いっていましたが,全まったき専せん心しんを示しめしてはいませんでした。エホバのものである人ひとは,義ぎを愛あいし,悪あくを憎にくまなければなりません。(ロマ 12:9)マラキによれば,エホバは「義ぎなる者ものと邪じゃ悪あくな者もの,神かみに仕つかえる者ものと仕つかえなかった者もの」には明めい確かくな「相そう違い」があると語かたられました。(マラ 3:18)

11. エホバへの全まったき専せん心しんが他たの人ひとの目めにも明あきらかになるようにすべきなのはなぜですか。

11 エホバがご自じ分ぶんの民たみとして選えらんでくださったことへの感かん謝しゃを,ほかにどんな方ほう法ほうで表あらわせるでしょうか。自じ分ぶんの進しん歩ぽが「すべての人ひとに明あきらかになるように」することです。(テモ一いち 4:15。マタ 5:16)こう自じ問もんしましょう。「わたしがエホバに全まったく忠ちゅう節せつであることは,他たの人ひとの目めにも明あきらかだろうか。エホバの証しょう人にんであることを他たの人ひとに進すすんで伝つたえているだろうか」。自じ分ぶんがエホバの民たみであることを隠かくそうとするなら,エホバは深ふかく悲かなしまれるでしょう。(詩し 119:46。マルコ 8:38を読よむ。)

世の人と見分けがつかない服装や行動をしているエホバの証人の夫婦

あなたの生き方には,エホバの証人であることがはっきり表われていますか。(12,13節を参照。)

12,13. どんな面めんで,世よの人ひとたちと見み分わけにくくなっている兄きょう弟だい姉し妹まいがいますか。

12 残ざん念ねんなことですが,「世よの霊れい」に従したがい,「神かみに仕つかえる者もの」か「仕つかえな[い]者もの」か見み分わけがつかなくなっている兄きょう弟だい姉し妹まいもいます。(コリ一いち 2:12)「世よの霊れい」に従したがう人ひとは「肉にくの欲よく望ぼう」のままに行こう動どうします。(エフェ 2:3)例たとえば,服ふく装そうや身みなりについて,これまで何なん度どもアドバイスが与あたえられてきました。それでも慎つつしみのない服ふく装そうや身みなりをしている人ひとたちがいます。集しゅう会かいに来くる時ときも,タイトな服ふくや露ろ出しゅつの多おおい服ふくを着きています。極きょく端たんなヘアスタイルの人ひともいます。(テモ一いち 2:9,10)群ぐん衆しゅうの中なかにいたら,エホバの民たみなのか「世よの友とも」なのか見み分わけがつかないでしょう。(ヤコ 4:4)

13 世よの行おこないを退しりぞけていない兄きょう弟だい姉し妹まいもいます。例たとえば,パーティーなどで,クリスチャンにふさわしくないダンスや行こう動どうをしています。神かみの民たみとは思おもえないような写しゃ真しんやコメントをソーシャルメディアに投とう稿こうしています。重じゅう大だいな罪つみを犯おかして矯きょう正せいされたことはないかもしれませんが,りっぱに行こう動どうするよう努ど力りょくしている兄きょう弟だい姉し妹まいに悪わるい影えい響きょうを与あたえています。(ペテロ第だい一いち 2:11,12を読よむ。)

ある夫婦が慎みのない服装で王国会館に入ってくる。

エホバの側にしっかり立っていない人の影響を受けないようにしてください。

14. エホバとの特とく別べつな友ゆう情じょうを守まもりたいなら,どのように行こう動どうしなければなりませんか。

14 世よは「肉にくの欲よく望ぼうと目めの欲よく望ぼう」を刺し激げきし,「自じ分ぶんの資し力りょくを見みせびらかす」よう勧すすめます。(ヨハ一いち 2:16)しかし,エホバのものであるわたしたちは,「不ふ敬けい虔けんと世よの欲よく望ぼうとを振ふり捨すて……現げん存そんする事じ物ぶつの体たい制せいにあって健けん全ぜんな思おもいと義ぎと敬けい虔けんな専せん心しんとをもって生せい活かつす[る]」よう教おしえられています。(テト 2:12)会かい話わ,飲いん食しょく,服ふく装そう,仕し事ごとなど生せい活かつのどんな面めんにおいても,エホバの民たみであることが明あきらかでなければなりません。(コリント第だい一いち 10:31,32を読よむ。)

「互たがいに対たいして熱ねつ烈れつな愛あいを抱いだきなさい」

15. 親しん切せつに愛あい情じょう深ぶかく兄きょう弟だい姉し妹まいに接せっするべきなのはなぜですか。

15 エホバとの特とく別べつな友ゆう情じょうに感かん謝しゃしていることは,兄きょう弟だい姉し妹まいへの接せっし方かたに表あらわれます。兄きょう弟だい姉し妹まいもエホバのものです。その点てんをいつも心こころに留とめていれば,親しん切せつに愛あい情じょう深ぶかく接せっするはずです。(テサ一いち 5:15)イエスはこう述のべました。「あなた方がたの間あいだに愛あいがあれば,それによってすべての人ひとは,あなた方がたがわたしの弟で子しであることを知しるのです」。(ヨハ 13:35)

16. エホバがご自じ分ぶんの民たみに対たいして抱いだいておられる気き持もちは,モーセの律りっ法ぽうのどんな規き定ていから分わかりますか。

16 兄きょう弟だい姉し妹まいへの接せっし方かたが大たい切せつなのはなぜでしょうか。次つぎの例れいで考かんがえてみましょう。エホバの神しん殿でんの器き具ぐは,清きよい崇すう拝はいのために献けんじられ,取とり分わけられていました。モーセの律りっ法ぽうではそうした器き具ぐの扱あつかい方かたが規き定ていされており,その規き定ていに従したがわない人ひとは死しに処しょされました。(民みん 1:50,51)崇すう拝はいで使し用ようされる器き具ぐをエホバがそれほど大たい切せつにしておられたのであれば,献けん身しんした忠ちゅう節せつな崇すう拝はい者しゃをなおのこと大たい切せつに思おもっておられるに違ちがいありません。エホバはご自じ分ぶんの民たみにこう言いわれました。「あなた方がたに触ふれる者ものはわたしの目めの玉たまに触ふれているのである」。(ゼカ 2:8)

17. エホバは何なにに注ちゅう意いを向むけておられますか。

17 マラキによれば,エホバはご自じ分ぶんの民たみの会かい話わを「注ちゅう意いして聴きいておられ」ます。(マラ 3:16)「ご自じ分ぶんに属ぞくする者ものたちを知しっておられ」ます。(テモ二に 2:19)わたしたちの言げん動どう一ひとつ一ひとつに注ちゅう意いを向むけておられます。(ヘブ 4:13)兄きょう弟だい姉し妹まいに不ふ親しん切せつなことを言いわないようにしましょう。エホバが「注ちゅう意いして聴きいておられ」るからです。むしろ,互たがいにもてなし,寛かん大だいに与あたえ,許ゆるし,親しん切せつを示しめしましょう。エホバはそのような良よい行おこないも見みておられます。(ヘブ 13:16。ペテ一いち 4:8,9)

「エホバはご自じ分ぶんの民たみを見み捨すて」ない

18. エホバの民たみでいられることへの感かん謝しゃをどのように表あらわせますか。

18 わたしたちは,エホバの民たみでいられることへの感かん謝しゃを表あらわしたいと願ねがっています。エホバに献けん身しんし,自じ分ぶんがエホバのものであることを認みとめるのは賢けん明めいなことです。「曲まがってねじけた世せ代だいの中なか」で生せい活かつしていても,「とがめのない純じゅん真しんな者もの」であることを明あきらかにし,「世よを照てらす者ものとして輝かがやき」たいと思おもいます。(フィリ 2:15)エホバが憎にくまれることを行おこなわないようにします。(ヤコ 4:7)兄きょう弟だい姉し妹まいを愛あいし,敬うやまいます。兄きょう弟だい姉し妹まいもエホバのものだからです。(ロマ 12:10)

19. エホバはご自じ分ぶんの民たみをどのように祝しゅく福ふくしてくださいますか。

19 聖せい書しょには,「エホバはご自じ分ぶんの民たみを見み捨すて[ない]」と約やく束そくされています。(詩し 94:14)これは確かく実じつな保ほ証しょうです。わたしたちがどんなに難むずかしい状じょう況きょうに置おかれても,エホバは決けっして見み捨すてたりされません。死しでさえ,エホバの愛あいから引ひき離はなすことはできません。(ロマ 8:38,39)「わたしたちは,生いきるならエホバに対たいして生いき,死しぬならエホバに対たいして死しぬからです。それゆえ,生いきるにしても死しぬにしても,わたしたちはエホバのものです」。(ロマ 14:8)エホバは,亡なくなったご自じ分ぶんの忠ちゅう節せつな友ともを復ふっ活かつさせてくださいます。わたしたちはその時ときを心こころ待まちにしています。(マタ 22:32)今いまでもたくさんの祝しゅく福ふくを受うけています。確たしかに,「エホバをその神かみとする国こく民みん,神かみがその相そう続ぞく分ぶんとして選えらばれた民たみは幸さいわい」です。(詩し 33:12)

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