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「来て,私の弟子になりなさい」
追 第5章 46–55ページ

第5章

「全すべての貴き重ちょうな知ち恵え」

1-3. 西せい暦れき31年ねんのある春はるの日ひ,イエスはどこでどんな人ひとたちに垂すい訓くんを語かたりましたか。聞きいた人ひとたちがとても驚おどろいたのはどうしてですか。

西せい暦れき31年ねんのある春はるの日ひのことです。イエス・キリストはカペルナウムの近ちかくにいます。カペルナウムはガリラヤ湖この北ほく西せい岸がんにある,にぎわっている町まちです。その付ふ近きんの山やまで,イエスは一ひと晩ばん中じゅう1人ひとりで祈いのっていました。朝あさになると弟で子したちを呼よび,その中なかから12人にんを選えらんで使し徒とと呼よぶことにします。同おなじ頃ころ,イエスの後あとに付ついてきた大おお勢ぜいの人ひとが,山さん腹ぷくの平たいらな所ところに集あつまっていました。かなり遠とおくから来きた人ひとたちもいます。イエスの話はなしを聞ききたい,病びょう気きを癒いやしてもらいたいと思おもっています。イエスはその期き待たいを裏うら切ぎりません。(ルカ 6:12-19)

2 イエスは群ぐん衆しゅうの中なかの病びょう気きの人ひとを全ぜん員いん癒いやします。そして,苦く痛つうを感かんじる人ひとがいなくなると,腰こしを下おろして教おしえ始はじめます。a イエスが語かたった言こと葉ばを聞きいた人ひとたちは,びっくりしたことでしょう。それまでイエスのような教おしえ方かたをした人ひとはいませんでした。イエスは自じ分ぶんの話はなしの裏うら付づけとして,口こう頭とう伝でん承しょうや有ゆう名めいなラビの言こと葉ばを引ひき合あいに出だしたりしません。その代かわりに,神かみの導みちびきによって書かかれたヘブライ語ご聖せい書しょを何なん度ども引いん用ようします。簡かん単たんな言こと葉ばを使つかって,分わかりやすく教おしえました。イエスが語かたり終おえると,群ぐん衆しゅうはとても驚おどろいていました。それもそのはずです。ほかのどんな人にん間げんよりも知ち恵えがある人ひとの話はなしを聞きいたからです。(マタイ 7:28,29)

イエスが大勢の人を前に山上の垂訓を語っている。

「群ぐん衆しゅうはその教おしえ方かたに大たい変へん驚おどろいていた」

3 この垂すい訓くんのほかにも,イエスが語かたったことや行おこなったことがたくさん聖せい書しょに書かかれています。神かみの聖せいなる力ちからの導みちびきによってイエスについて記き録ろくされたことを深ふかく調しらべるのは良よいことです。「キリストの内うちには全すべての貴き重ちょうな知ち恵え……が秘ひめられて」いるからです。(コロサイ 2:3)知ち恵えとは,持もっている知ち識しきや理り解かいしていることを役やく立だてる能のう力りょくのことです。では,イエスはどうやって知ち恵えを身みに付つけたのでしょうか。どのように知ち恵えを発はっ揮きしたでしょうか。私わたしたちはどうすればイエスの手て本ほんに倣ならえるでしょうか。

「この人ひとは,このような知ち恵え……をどこで得えたのか」

4. ナザレでイエスの話はなしを聞きいた人ひとたちはどんなことを不ふ思し議ぎに思おもいましたか。どうしてですか。

4 ある伝でん道どう旅りょ行こうの時ときに,イエスは自じ分ぶんが育そだったナザレという町まちを訪おとずれ,会かい堂どうで教おしえ始はじめました。イエスの話はなしを聞きいた人ひとの多おおくは驚おどろき,「この人ひとは,このような知ち恵え……をどこで得えたのか」と考かんがえました。不ふ思し議ぎに思おもったのも無む理りはありません。その人ひとたちは,イエスの両りょう親しんときょうだいたちのことや,決けっして裕ゆう福ふくとは言いえない暮くらしぶりを知しっていたからです。(マタイ 13:54-56。マルコ 6:1-3)見み事ごとな話はなしをしたイエスが大だい工くで,ラビの名めい門もん校こうに通かよったわけではないことも知しっていたでしょう。(ヨハネ 7:15)

5. イエスは自じ分ぶんの知ち恵えがどこから来きていると言いいましたか。

5 イエスが知ち恵えを示しめせたのは,完かん全ぜんな頭ず脳のうを持もっていたからだけではありません。しばらく伝でん道どうした後あと,神しん殿でんで人ひと々びとを教おしえた時ときに,イエスは自じ分ぶんの知ち恵えがどこから来きているかについてこう言いいました。「私わたしの教おしえは私わたしのものではなく,私わたしを遣つかわした神かみのものです」。(ヨハネ 7:16)イエスを遣つかわした天てんの父ちちが,イエスの知ち恵えの源みなもとだったのです。(ヨハネ 12:49)では,イエスはどのようにエホバから知ち恵えを得えたのでしょうか。

6-7. イエスはどのように父ちちエホバから知ち恵えを得えましたか。

6 エホバの聖せいなる力ちからが,イエスの心こころや考かんがえに働はたらき掛かけていました。約やく束そくのメシアについてイザヤが次つぎのように予よ告こくしていた通とおりです。「その者ものの上うえにエホバの聖せいなる力ちからがとどまる。それにより知ち恵えと理り解かいを示しめし,助じょ言げんを与あたえ,強つよくなり,知ち識しきを得えて,エホバを畏おそれる」。(イザヤ 11:2)エホバの聖せいなる力ちからがイエスの上うえにとどまり,思し考こうや決けっ定ていを導みちびいていたのですから,イエスの言げん動どうに最さい高こうの知ち恵えが表あらわれていたのも当とう然ぜんです。

7 イエスが父ちちエホバから知ち恵えを得えたのは,聖せいなる力ちからによってだけではありません。第だい2章しょうで考かんがえた通とおり,イエスは人にん間げんになる前まえの非ひ常じょうに長ながい期き間かん,天てんで父ちちの考かんがえ方かたを学まなびました。父ちちのそばで「優すぐれた働はたらき手て」として,ほかの天てん使しやあらゆる生せい物ぶつや無む生せい物ぶつを造つくるのを手て伝つだいながら,私わたしたちには想そう像ぞうもつかないほど深ふかい知ち恵えを身みに付つけることができました。だからこそ,人にん間げんになる前まえのイエスは,聖せい書しょの中なかで擬ぎ人じん化かされた知ち恵えとして描びょう写しゃされています。(格かく言げん 8:22-31。コロサイ 1:15,16)イエスは地ち上じょうで伝でん道どうした間あいだ,天てんの父ちちのそばで学まなんだことを生いかすことができました。b (ヨハネ 8:26,28,38)ですから,イエスのあらゆる言げん動どうに幅はば広ひろい知ち識しきや深ふかい理り解かいや良よい判はん断だん力りょくが表あらわれていたのもうなずけます。

8. イエスの弟で子しである私わたしたちは,どうすれば知ち恵えを得えられますか。

8 イエスの弟で子しである私わたしたちも,エホバから知ち恵えをもらう必ひつ要ようがあります。(格かく言げん 2:6)もちろん,エホバは奇き跡せきによって知ち恵えを与あたえてくれるわけではありません。でも,私わたしたちがいろいろな問もん題だいを乗のり越こえるのに必ひつ要ような知ち恵えを求もとめて真しん剣けんに祈いのるとき,必かならず答こたえてくださいます。(ヤコブ 1:5)エホバから知ち恵えを得えるには,ほかにもしなければならないことがあります。「隠かくされた宝たからを探さがすように」知ち恵えを探さがし求もとめる必ひつ要ようがあるのです。(格かく言げん 2:1-6)神かみの知ち恵えは聖せい書しょの中なかで明あきらかにされているので,聖せい書しょを深ふかく調しらべ,学まなんだことに沿そって生せい活かつしなければなりません。私わたしたちが知ち恵えを身みに付つけるのに特とくに役やく立だつのは,エホバの子こイエスの手て本ほんです。では,イエスがどのように知ち恵えを発はっ揮きしたか調しらべ,どうすれば見み習ならえるか考かんがえてみましょう。

知ち恵えのある言こと葉ばを語かたった

1人の兄弟が聖書を読んでいる。聖書を調べるための資料を机の上に広げている。

神かみの知ち恵えは聖せい書しょの中なかで明あきらかにされている

9. イエスの教おしえのどんなところに知ち恵えが表あらわれていますか。

9 大おお勢ぜいの人ひとが,イエスの話はなしを聞きこうと押おし寄よせました。(マルコ 6:31-34。ルカ 5:1-3)イエスの言こと葉ばにはいつも並なみ外はずれた知ち恵えが表あらわれていたからです。イエスは神かみの言こと葉ばの深ふかい知ち識しきに基もとづき,大たい切せつなことを簡かん潔けつに分わかりやすく教おしえました。イエスの教おしえはあらゆる人ひとの心こころを動うごかし,いつの時じ代だいにも役やく立だちます。では,予よ告こくされていた「素す晴ばらしい助じょ言げん者しゃ」であるイエスがどんな知ち恵えのある言こと葉ばを語かたったか,幾いくつかの例れいを考かんがえてみましょう。(イザヤ 9:6)

10. イエスは,内ない面めんを磨みがいてどんな人ひとになるよう教おしえましたか。どうしてですか。

10 この章しょうの冒ぼう頭とうで少すこし取とり上あげた山さん上じょうの垂すい訓くんは,イエスが語かたった教おしえとして記き録ろくされている最もっとも長ながいものです。この垂すい訓くんの中なかでイエスは,単たんに良よい言げん動どうについてアドバイスしているのではなく,もっと深ふかい助じょ言げんを与あたえています。考かんがえや気き持もちが言こと葉ばや行こう動どうにつながることをよく理り解かいしていたので,内ない面めんを磨みがくよう教おしえました。例たとえば,温おん和わであること,正ただしいことを切せつ望ぼうすること,憐あわれみ深ぶかくあること,平へい和わを求もとめること,人ひとを愛あいすることの大たい切せつさを強きょう調ちょうしています。(マタイ 5:5-9,43-48)そうした面めんで成せい長ちょうするにつれ,エホバに喜よろこばれる言げん動どうができるようになり,周まわりの人ひととの関かん係けいも良よくなっていきます。(マタイ 5:16)

11. イエスは罪つみ深ぶかい行こう為いについての助じょ言げんの中なかで,根こん本ぽん原げん因いんまで指し摘てきしました。どんな例れいがありますか。

11 罪つみ深ぶかい行こう為いについての助じょ言げんの中なかで,イエスは根こん本ぽん原げん因いんまで指し摘てきしました。例たとえば,暴ぼう力りょく行こう為いをしないようにと言いうだけでなく,心こころの中なかで怒いかりをくすぶらせないようにと警けい告こくしています。(マタイ 5:21,22。ヨハネ第だい一いち 3:15)姦かん淫いんを禁きんじるだけでなく,そうした行こう為いにつながりかねない情じょう欲よくを抱いだかないようにと教おしえています。間ま違ちがった欲よく望ぼうをかき立たてるようなものを見みないようにとも勧すすめています。(マタイ 5:27-30)イエスは,人ひとの罪つみ深ぶかい行おこないだけでなく,そうした行おこないにつながる考かんがえ方かたや感かん情じょうにも注ちゅう意いを引ひいたのです。(詩し編へん 7:14)

12. イエスの弟で子しはイエスの助じょ言げんに従したがってどんなことをしますか。そうするとどんな良よいことがありますか。

12 イエスの言こと葉ばには本ほん当とうに素す晴ばらしい知ち恵えが表あらわれています。群ぐん衆しゅうが「その教おしえ方かたに大たい変へん驚おどろいていた」のもうなずけます。(マタイ 7:28)イエスの弟で子しである私わたしたちは,イエスの助じょ言げんがためになることを確かく信しんし,それに沿そって生せい活かつします。イエスが勧すすめた通とおり自じ分ぶんの内ない面めんを磨みがき,エホバに喜よろこばれる言げん動どうができるように努ど力りょくします。例たとえば,愛あいや憐あわれみを身みに付つけ,いつも平へい和わを求もとめるようにします。逆ぎゃくに,苦にが々にがしい怒いかりや不ふ道どう徳とくな欲よく望ぼうなど,イエスが警けい告こくした好このましくない感かん情じょうや考かんがえは心こころの中なかから取とり除のぞくようにします。そうすれば罪つみ深ぶかい行おこないを避さけられるからです。(ヤコブ 1:14,15)

生いき方かたにも知ち恵えが表あらわれていた

13-14. イエスはどう生いきるかについてどんな良よい判はん断だんをしましたか。

13 イエスが深ふかい知ち恵えを持もっていたことは,言こと葉ばだけでなく行こう動どうからも分わかります。イエスの判はん断だんや決けっ定てい,自じ分ぶんに対たいする見み方かた,人ひととの接せっし方かたなど,生いき方かた全ぜん体たいに知ち恵えがいろいろな形かたちで表あらわれていました。では,イエスが「役やく立だつ知ち恵えと思し考こう力りょく」を発はっ揮きした例れいを幾いくつか考かんがえてみましょう。(格かく言げん 3:21)

14 知ち恵えには的てき確かくな判はん断だん力りょくが含ふくまれます。イエスはどう生いきるかについて良よい判はん断だんをしました。その気きになれば,事じ業ぎょうを成せい功こうさせ,豪ごう邸ていを建たて,世よの中なかで名なを上あげることもできたに違ちがいありません。しかし,そうしたことに没ぼっ頭とうする生いき方かたが「むなしく,風かぜを追おうようなもの」であることをイエスは知しっていました。(伝でん道どうの書しょ 4:4; 5:10)それは知ち恵えとは程ほど遠とおい,愚おろかな生いき方かたです。イエスはお金かねをもうけて財ざい産さんを蓄たくわえることには興きょう味みを示しめさず,簡かん素そな生せい活かつを送おくりました。(マタイ 8:20)自じ分ぶんが教おしえた通とおり,神かみの望のぞむことを行おこなうことにいつも目めの焦しょう点てんを合あわせていました。(マタイ 6:22)王おう国こくの良よい知しらせを伝つたえることに,自じ分ぶんの時じ間かんや体たい力りょくを費ついやしました。それは金かねもうけよりもはるかに重じゅう要ようで,報むくいの多おおいことでした。(マタイ 6:19-21)そのようにしてイエスは素す晴ばらしい手て本ほんを残のこしました。

15. 神かみの王おう国こくに目めの焦しょう点てんを合あわせているイエスの弟で子しは,どんな生いき方かたをしますか。それが知ち恵えのある生いき方かただと言いえるのはどうしてですか。

15 現げん代だいのイエスの弟で子したちも,神かみの王おう国こくに目めの焦しょう点てんを合あわせるのが知ち恵えのある生いき方かただということを理り解かいしています。それで,不ふ必ひつ要ような借しゃっ金きんを抱かかえたり,あまり重じゅう要ようでないことに体たい力りょくや気き力りょくを奪うばわれたりしないように気きを付つけます。(テモテ第だい一いち 6:9,10)なるべく簡かん素そな生せい活かつを送おくり,宣せん教きょうにもっと多おおくの時じ間かんを費ついやせるようにしている人ひとが少すくなくありません。開かい拓たく奉ほう仕しをしている人ひともいます。いつも王おう国こくを第だい一いちにするなら,最さい高こうに幸しあわせで充じゅう実じつした生せい活かつを送おくれます。これ以い上じょうに知ち恵えのある生いき方かたはありません。(マタイ 6:33)

16-17. (ア)イエスは慎つつしみがあり,自じ分ぶんに限げん界かいがあることを認みとめていました。どんなことからそれが分わかりますか。(イ)私わたしたちが慎つつしみ深ぶかく自じ分ぶんの限げん界かいをわきまえているかどうかは,どんなことに表あらわれますか。

16 聖せい書しょによると,知ち恵えがある人ひとは慎つつしみもあります。慎つつしみがある人ひとは自じ分ぶんの限げん界かいをわきまえています。(格かく言げん 11:2)イエスは慎つつしみがあり,自じ分ぶんに限げん界かいがあることを認みとめていました。自じ分ぶんが良よい知しらせを伝つたえる人ひとたち全ぜん員いんを納なっ得とくさせられるわけではないことを知しっていました。(マタイ 10:32-39)自じ分ぶん1人ひとりでは限かぎられた数かずの人ひとにしか伝でん道どうできないことも分わかっていました。それで,人ひと々びとを弟で子しとする活かつ動どうを弟で子したちに託たくしました。(マタイ 28:18-20)イエスは弟で子したちが自じ分ぶんより「もっと大おおきなことを行おこな」うということも慎つつしみ深ぶかく認みとめていました。弟で子したちはいずれ世せ界かい中じゅうで,ずっと長ながい期き間かん,はるかに大おお勢ぜいの人ひとに伝でん道どうするのです。(ヨハネ 14:12)さらにイエスは,自じ分ぶんには助たすけなど必ひつ要ようないとは考かんがえませんでした。天てん使したちに助たすけてもらったこともあります。荒こう野やで天てん使したちに仕つかえてもらったり,ゲッセマネに現あらわれた天てん使しに力ちからづけてもらったりしました。最さい大だいの試し練れんに遭あった時ときには,天てんの父ちちに助たすけを求もとめて叫さけびました。(マタイ 4:11。ルカ 22:43。ヘブライ 5:7)

17 私わたしたちも慎つつしみを示しめし,自じ分ぶんに限げん界かいがあることをわきまえる必ひつ要ようがあります。もちろん,自じ分ぶんの全すべてを尽つくして奉ほう仕しし,良よい知しらせを伝つたえて人ひと々びとを弟で子しとする活かつ動どうに精せい力りょく的てきに励はげみたいと思おもっています。(ルカ 13:24。コロサイ 3:23)でも,エホバは私わたしたちを他たの人ひとと比くらべたりしませんから,私わたしたちも自じ分ぶんを人ひとと比くらべて背せ伸のびしようとする必ひつ要ようはありません。(ガラテア 6:4)知ち恵えを働はたらかせて,自じ分ぶんの能のう力りょくや状じょう況きょうに合あった現げん実じつ的てきな目もく標ひょうを立たてましょう。たとえ責せき任にんある立たち場ばにいても,自じ分ぶんには限げん界かいがあって助たすけや支ささえを必ひつ要ようとしていることを認みとめるのは大たい切せつです。慎つつしみがある人ひとは,喜よろこんで人ひとに助たすけてもらいます。仲なか間まのクリスチャンがエホバに導みちびかれて私わたしたちを「力ちからづけ,助たすけて」くれることがあるのを知しっているからです。(コロサイ 4:11,脚きゃく注ちゅう)

18-19. (ア)イエスは分ふん別べつがあり,弟で子したちに対たいしてポジティブな見み方かたをしていました。どんなことからそれが分わかりますか。(イ)私わたしたちが互たがいに分ふん別べつのある接せっし方かたをするべきなのはどうしてですか。どうすればそうできますか。

18 ヤコブ 3章しょう17節せつによると,「天てんからの知ち恵えを持もつ人ひとは……分ふん別べつがあり」ます。イエスは分ふん別べつがあり,弟で子したちに対たいしてポジティブな見み方かたをしました。弟で子したちの欠けっ点てんをよく分わかっていましたが,良よいところを見みるようにしました。(ヨハネ 1:47)捕とらえられる晩ばんに弟で子したちに見み捨すてられることを知しっていましたが,彼かれらの揺ゆるぎない愛あいを疑うたがったりはしませんでした。(マタイ 26:31-35。ルカ 22:28-30)ペテロがイエスなど知しらないと3度ど言いうことも知しっていましたが,それでもイエスはペテロのために祈き願がんし,ペテロを信しん頼らいしていることを伝つたえました。(ルカ 22:31-34)地ち上じょうでの最さい後ごの晩ばんに天てんの父ちちに祈いのった時とき,弟で子したちが犯おかした間ま違ちがいについてあれこれ言いったりはしませんでした。その晩ばんまで弟で子したちが忠ちゅう実じつに従したがってきたことを褒ほめ,「彼かれらはあなたの言こと葉ばを守まもっています」と言いいました。(ヨハネ 17:6)そして後のちに,王おう国こくの良よい知しらせを伝つたえて人ひと々びとを弟で子しとする活かつ動どうを不ふ完かん全ぜんな弟で子したちに託たくしました。(マタイ 28:19,20)弟で子したちは,イエスから信しん頼らいされていることを実じっ感かんし,命めいじられた仕し事ごとを果はたそうという意い欲よくが湧わいたに違ちがいありません。

19 私わたしたちもイエスの弟で子しとして,このイエスの手て本ほんに倣ならいたいものです。神かみの完かん全ぜんな子こが不ふ完かん全ぜんな弟で子したちに対たいして辛しん抱ぼうしたのですから,罪つみ深ぶかい人にん間げんである私わたしたちはなおのこと互たがいに分ふん別べつのある接せっし方かたをするべきではないでしょうか。(フィリピ 4:5)仲なか間まのクリスチャンの短たん所しょに注ちゅう目もくするのではなく,長ちょう所しょを見みるようにします。エホバがその人ひとを引ひき寄よせたということを忘わすれないようにしましょう。(ヨハネ 6:44)エホバがその人ひとの良よいところを見みているのですから,私わたしたちもそうすべきです。ポジティブな見み方かたをすれば,人ひとの「過あやまちを見み過すごす」ことができるだけでなく,良よい点てんを見みつけて褒ほめることができます。(格かく言げん 19:11)仲なか間まを信しん頼らいしていることを伝つたえるなら,その人ひとは力ちからづけられ,ベストを尽つくして喜よろこんでエホバに仕つかえていこうという気き持もちになることでしょう。(テサロニケ第だい一いち 5:11)

20. 福ふく音いん書しょから貴き重ちょうな知ち恵えを得えられることへの感かん謝しゃをどのように表あらわせますか。そうするとよいのはどうしてですか。

20 福ふく音いん書しょを読よんでイエスの生しょう涯がいと宣せん教きょうについて学まなぶと,まさに貴き重ちょうな知ち恵えを得えられます。イエスについて学まなべることへの感かん謝しゃをどのように表あらわせるでしょうか。イエスは山さん上じょうの垂すい訓くんの結むすびに,自じ分ぶんが語かたった言こと葉ばを聞きくだけでなく実じっ行こうするようにと聴ちょう衆しゅうに勧すすめました。(マタイ 7:24-27)イエスの素す晴ばらしい教おしえや手て本ほんをよく思おもい巡めぐらし,イエスに倣ならって考かんがえたり行こう動どうしたりする努ど力りょくを払はらいましょう。そうすれば人じん生せいを満まん喫きつでき,永えい遠えんの命いのちへと続つづく道みちを歩あゆんでいくことができます。(マタイ 7:13,14)それこそが知ち恵えの表あらわれた最さい高こうの生いき方かたです。

a この日ひのイエスの話はなしは,山さん上じょうの垂すい訓くんとして知しられるようになりました。マタイ 5章しょう3節せつから7章しょう27節せつまでの107の節せつの内ない容ようをその通とおり話はなすと,20分ぷんほどしかかかりません。

b イエスがバプテスマを受うけて「天てんが開ひら」いた時とき,人にん間げんになる前まえの記き憶おくがよみがえったようです。(マタイ 3:13-17)

イエスの弟で子しとして考かんがえたいこと

  • 仲なか間まのクリスチャンを傷きずつけたり怒おこらせたりしてしまった場ば合あい,どうするのが賢けん明めいですか。(マタイ 5:23,24)

  • 侮ぶ辱じょくされたり腹はらが立たつようなことをされたりしたときの賢けん明めいな対たい応おうについて,イエスの言こと葉ばから何なにを学まなべますか。(マタイ 5:38-42)

  • イエスの言こと葉ばをじっくり考かんがえると,お金かねや物ものに対たいするどんなバランスの取とれた見み方かたを持もてますか。(マタイ 6:24-34)

  • イエスの手て本ほんから,生せい活かつの中なかで何なにを優ゆう先せんさせるのが知ち恵えのある生いき方かただと分わかりますか。(ルカ 4:43。ヨハネ 4:34)

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