13-14. イエスはどう生きるかについてどんな良い判断をしましたか。
13 イエスが深い知恵を持っていたことは,言葉だけでなく行動からも分かります。イエスの判断や決定,自分に対する見方,人との接し方など,生き方全体に知恵がいろいろな形で表れていました。では,イエスが「役立つ知恵と思考力」を発揮した例を幾つか考えてみましょう。(格言 3:21)
14 知恵には的確な判断力が含まれます。イエスはどう生きるかについて良い判断をしました。その気になれば,事業を成功させ,豪邸を建て,世の中で名を上げることもできたに違いありません。しかし,そうしたことに没頭する生き方が「むなしく,風を追うようなもの」であることをイエスは知っていました。(伝道の書 4:4; 5:10)それは知恵とは程遠い,愚かな生き方です。イエスはお金をもうけて財産を蓄えることには興味を示さず,簡素な生活を送りました。(マタイ 8:20)自分が教えた通り,神の望むことを行うことにいつも目の焦点を合わせていました。(マタイ 6:22)王国の良い知らせを伝えることに,自分の時間や体力を費やしました。それは金もうけよりもはるかに重要で,報いの多いことでした。(マタイ 6:19-21)そのようにしてイエスは素晴らしい手本を残しました。
15. 神の王国に目の焦点を合わせているイエスの弟子は,どんな生き方をしますか。それが知恵のある生き方だと言えるのはどうしてですか。
15 現代のイエスの弟子たちも,神の王国に目の焦点を合わせるのが知恵のある生き方だということを理解しています。それで,不必要な借金を抱えたり,あまり重要でないことに体力や気力を奪われたりしないように気を付けます。(テモテ第一 6:9,10)なるべく簡素な生活を送り,宣教にもっと多くの時間を費やせるようにしている人が少なくありません。開拓奉仕をしている人もいます。いつも王国を第一にするなら,最高に幸せで充実した生活を送れます。これ以上に知恵のある生き方はありません。(マタイ 6:33)
16-17. (ア)イエスは慎みがあり,自分に限界があることを認めていました。どんなことからそれが分かりますか。(イ)私たちが慎み深く自分の限界をわきまえているかどうかは,どんなことに表れますか。
16 聖書によると,知恵がある人は慎みもあります。慎みがある人は自分の限界をわきまえています。(格言 11:2)イエスは慎みがあり,自分に限界があることを認めていました。自分が良い知らせを伝える人たち全員を納得させられるわけではないことを知っていました。(マタイ 10:32-39)自分1人では限られた数の人にしか伝道できないことも分かっていました。それで,人々を弟子とする活動を弟子たちに託しました。(マタイ 28:18-20)イエスは弟子たちが自分より「もっと大きなことを行」うということも慎み深く認めていました。弟子たちはいずれ世界中で,ずっと長い期間,はるかに大勢の人に伝道するのです。(ヨハネ 14:12)さらにイエスは,自分には助けなど必要ないとは考えませんでした。天使たちに助けてもらったこともあります。荒野で天使たちに仕えてもらったり,ゲッセマネに現れた天使に力づけてもらったりしました。最大の試練に遭った時には,天の父に助けを求めて叫びました。(マタイ 4:11。ルカ 22:43。ヘブライ 5:7)
17 私たちも慎みを示し,自分に限界があることをわきまえる必要があります。もちろん,自分の全てを尽くして奉仕し,良い知らせを伝えて人々を弟子とする活動に精力的に励みたいと思っています。(ルカ 13:24。コロサイ 3:23)でも,エホバは私たちを他の人と比べたりしませんから,私たちも自分を人と比べて背伸びしようとする必要はありません。(ガラテア 6:4)知恵を働かせて,自分の能力や状況に合った現実的な目標を立てましょう。たとえ責任ある立場にいても,自分には限界があって助けや支えを必要としていることを認めるのは大切です。慎みがある人は,喜んで人に助けてもらいます。仲間のクリスチャンがエホバに導かれて私たちを「力づけ,助けて」くれることがあるのを知っているからです。(コロサイ 4:11,脚注)
18-19. (ア)イエスは分別があり,弟子たちに対してポジティブな見方をしていました。どんなことからそれが分かりますか。(イ)私たちが互いに分別のある接し方をするべきなのはどうしてですか。どうすればそうできますか。
18 ヤコブ 3章17節によると,「天からの知恵を持つ人は……分別があり」ます。イエスは分別があり,弟子たちに対してポジティブな見方をしました。弟子たちの欠点をよく分かっていましたが,良いところを見るようにしました。(ヨハネ 1:47)捕らえられる晩に弟子たちに見捨てられることを知っていましたが,彼らの揺るぎない愛を疑ったりはしませんでした。(マタイ 26:31-35。ルカ 22:28-30)ペテロがイエスなど知らないと3度言うことも知っていましたが,それでもイエスはペテロのために祈願し,ペテロを信頼していることを伝えました。(ルカ 22:31-34)地上での最後の晩に天の父に祈った時,弟子たちが犯した間違いについてあれこれ言ったりはしませんでした。その晩まで弟子たちが忠実に従ってきたことを褒め,「彼らはあなたの言葉を守っています」と言いました。(ヨハネ 17:6)そして後に,王国の良い知らせを伝えて人々を弟子とする活動を不完全な弟子たちに託しました。(マタイ 28:19,20)弟子たちは,イエスから信頼されていることを実感し,命じられた仕事を果たそうという意欲が湧いたに違いありません。
19 私たちもイエスの弟子として,このイエスの手本に倣いたいものです。神の完全な子が不完全な弟子たちに対して辛抱したのですから,罪深い人間である私たちはなおのこと互いに分別のある接し方をするべきではないでしょうか。(フィリピ 4:5)仲間のクリスチャンの短所に注目するのではなく,長所を見るようにします。エホバがその人を引き寄せたということを忘れないようにしましょう。(ヨハネ 6:44)エホバがその人の良いところを見ているのですから,私たちもそうすべきです。ポジティブな見方をすれば,人の「過ちを見過ごす」ことができるだけでなく,良い点を見つけて褒めることができます。(格言 19:11)仲間を信頼していることを伝えるなら,その人は力づけられ,ベストを尽くして喜んでエホバに仕えていこうという気持ちになることでしょう。(テサロニケ第一 5:11)
20. 福音書から貴重な知恵を得られることへの感謝をどのように表せますか。そうするとよいのはどうしてですか。
20 福音書を読んでイエスの生涯と宣教について学ぶと,まさに貴重な知恵を得られます。イエスについて学べることへの感謝をどのように表せるでしょうか。イエスは山上の垂訓の結びに,自分が語った言葉を聞くだけでなく実行するようにと聴衆に勧めました。(マタイ 7:24-27)イエスの素晴らしい教えや手本をよく思い巡らし,イエスに倣って考えたり行動したりする努力を払いましょう。そうすれば人生を満喫でき,永遠の命へと続く道を歩んでいくことができます。(マタイ 7:13,14)それこそが知恵の表れた最高の生き方です。