イエスはパリサイ派の自分勝手な伝統を非難した後,弟子たちとそこを去ります。北西に何十キロも離れたフェニキアのティルスやシドンがある地域に向かいます。
イエスは泊まる家を見つけますが,そこにいることを知られたくありません。でも,気付かれてしまいます。その地域出身のギリシャ系の女性がイエスを見つけ,「主よ,ダビデの子よ,憐れみをお掛けください。娘が邪悪な天使に取りつかれ,ひどく苦しめられています」と頼み始めます。(マタイ 15:22。マルコ 7:26)
イエスが何も答えずにいると,弟子たちが,「この女性を追い払ってください。後に付いてきて,ずっと叫んでいます」と言います。するとイエスは女性を無視している理由を説明し,「私は,イスラエルの家の迷い出た羊の所にしか遣わされていません」と答えます。でも女性は諦めません。イエスの前にひざまずき,「主よ,お助けください!」と必死に頼みます。(マタイ 15:23-25)
そこでイエスは女性の信仰を試すためだと思われますが,他の国籍の人に対するユダヤ人の偏見にそれとなく触れて,「子供たちのパンを取って小犬に投げ与えるのは正しくありません」と言います。(マタイ 15:26)イエスは“犬”ではなく「小犬」と述べることで,ユダヤ人ではない人への優しい気持ちを表現しています。表情や声にもその気持ちが表れていたに違いありません。
女性はイエスの返事に腹を立てたりはしません。イエスがユダヤ人の偏見について述べていることに気付き,謙遜にこう答えます。「そうです,主よ。けれど,小犬も主人の食卓から落ちるパンくずを食べます」。この言葉を聞いたイエスは,女性が純粋な心を持っていることを認め,「あなたの信仰は偉大です! あなたの願う通りのことが起きるように」と言います。(マタイ 15:27,28)すると驚いたことに,女性の娘はその場にいなかったのに癒やされます。女性が家に帰ると,幼い娘はすっかり癒やされて寝床に横になっています。「邪悪な天使は出ていっていた」のです。(マルコ 7:30)
次にイエスと弟子たちはフェニキア地方を出発し,ヨルダン川の上流に向かいます。その後,ガリラヤの海の北のどこかでヨルダン川を渡り,デカポリス地方に入ります。そして山に登りますが,そこでも大勢の人に見つかってしまいます。人々は足が不自由な人,障害を負った人,盲人,口が利けない人などをイエスの所に連れてきてその足元に横たえます。イエスが彼らを癒やしていくと,皆がとても驚き,イスラエルの神をたたえます。
イエスは耳が聞こえず言語障害のある1人の男性に注目します。その人が大勢の人の中でどんな気持ちになっていたか想像できますか。イエスは男性がとても緊張しているのに気付いたのかもしれません。その人を別の場所に連れていきます。2人だけになると,イエスはこれから何を行うかを伝えます。まず指を男性の両耳に入れ,それから唾を掛けて,舌に触れます。そして天を見上げ,「エファタ」つまり「開かれよ」と言います。すると,男性は耳が聞こえるようになり,普通に話し始めます。とはいえ,イエスは人々が自分で見聞きした事柄に基づいて信じてほしいと願っているため,このことを皆に話さないよう命じます。(マルコ 7:32-36)
イエスがこうした癒やしを行うのを見て人々は「すっかり驚」きます。そしてこう言います。「あの人は何でも見事に行った。耳が聞こえない人を聞こえるように,口が利けない人を話せるようにするのだ」。(マルコ 7:37)