イエスと弟子たちはガリラヤを出発してヨルダン川を渡り,ペレアを南下します。イエスはこの前ペレアを訪れた際,パリサイ派の人たちに離婚に関する神の規準について話しました。(ルカ 16:18)今回,彼らはイエスを試そうとして同じ話題を持ち出します。
モーセは,妻に「恥ずべき点」があれば夫は離婚できるとしました。(申命記 24:1)離婚の根拠については,さまざまな意見があります。かなりささいな点も根拠になると考える人たちもいます。それでパリサイ派の人たちは,「どんな理由でも,妻を離婚してよいのでしょうか」とイエスに質問します。(マタイ 19:3)
イエスは巧みに答えます。一般の見方を引き合いに出すことなく,神の考えに人々の注意を向けたのです。「あなた方は読まなかったのですか。人間を創造した方は,初めから男性と女性に造り,『それで,男は父と母から離れて妻にしっかり付き,2人は一体となる』と言いました。それで,2人はもはや別々ではなく,一体です。ですから,神が結び合わせたものを,人が離してはなりません」。(マタイ 19:4-6)神はアダムとエバを結婚させた時,結婚を解消する方法は定めませんでした。
パリサイ派の人たちは反論し,「では,なぜモーセは,離婚証書を与えて妻を離婚するように,と指示したのですか」と質問します。(マタイ 19:7)イエスはこう答えます。「モーセはあなた方の頑固さを考えて,妻との離婚に関して譲歩したのです。初めからそうなっていたわけではありません」。(マタイ 19:8)「初め」というのは,モーセの時代のことではなく,神がアダムとエバを結婚させた時のことです。
それからイエスは重要な真理を教えます。「あなた方に言いますが,性的不道徳[ギリシャ語,ポルネイア]以外の理由で妻を離婚して別の女性と結婚する人は,姦淫をすることになります」。(マタイ 19:9)聖書が離婚の正当な根拠としているのは,性的不道徳だけです。
それで弟子たちは,「妻に関して男の立場がそのようなものであれば,結婚するのは良いことには思えません」と言います。(マタイ 19:10)結婚を考えている人は,その絆が永遠のものであることを覚えておくべきです。
次にイエスは独身について話します。ある人は生まれつき障害があり,性関係を持てないので結婚しません。また,障害を負わされて性関係を持てなくなったために結婚しない人もいます。さらに,王国に関連した事柄を十分に行いたいと思っているので,性関係を楽しむことを自制し,結婚しない人もいます。それでイエスはこう勧めます。「[独身]を受け入れることができる人は,受け入れなさい」。(マタイ 19:12)
この時,人々が幼い子供たちをイエスの所に連れてきます。しかし弟子たちはその人たちを叱ります。イエスに迷惑を掛けてはいけないと考えたのでしょう。イエスはそれを見て憤慨し,こう言います。「子供たちを私の所に来させなさい。止めようとしてはなりません。神の王国はこの子供たちのような人のものだからです。はっきり言いますが,幼い子供のように神の王国を受け入れる人でなければ,決してそこに入れません」。(マルコ 10:14,15。ルカ 18:15)
これはとても大切な教訓です。神の王国に入るには,幼い子供のように従順で教えやすい人でなければなりません。イエスは子供たちが大好きです。それで,その子たちを抱き寄せて祝福し始めます。イエスはそのような優しい愛を,「幼い子供のように神の王国を受け入れる人」全てに対して抱いているのです。(ルカ 18:17)